冷徹令嬢の願いを知らない愚か者は因果の宴を開き、偽りの破滅を自ら招く①(※ディスカード視点)
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第一王子のディスカードが初めてフォーチュン=トランスファー公爵令嬢と出会ったのは十年前、彼女の母の葬儀の日だった。
第一王子として生まれたディスカードは、この国の王族特有の金髪碧眼ではなく、母親似のダークブラウン色の髪と目で、両親のどちらにも似ていない凡庸な見た目の子どもだったが、フォーチュンは艷やかで真っ直ぐな黒髪と澄んだ紺碧の瞳が印象的な整った顔立ちの子どもだった。
そんな彼女が顔をくしゃくしゃにして涙をこぼす姿は、葬儀の参列者達の憐憫の情をより一層煽っていたが、どういうわけだが彼女の父親であるトランスファー公爵は母の死を悲しむ娘を慰めるどころか、泣き止むまで戻って来るなと裏庭へと追いやってしまった。
「あっ、あのさっ!」
ディスカードは父親に邪険にされて立ち去った彼女を不憫に思い、裏庭まで追いかけて声をかけたものの、振り向いたフォーチュンが唇をキュッと噛み締めて声を押し殺し、肩を震わせながら静かに涙をハラハラとこぼしていたものだから、どう慰めたらいいのかわからず、たまたま目にした庭に咲いていた小さな白い花を摘んで彼女に差し出した。
「……これ、やるよ」
父親に怒鳴られたからか、感情を顔に出さないようにしていたフォーチュンの表情筋の動きは少なかったが、その代わりに彼女の瞳と肌に感情が反映されたようで、泣き濡れて悲しみに染まっていた瞳に、サファイアのような輝きが生まれ、真珠のようにきめ細やかで白い肌の頬が薄っすらと淡いローズピンク色に紅潮していくのを間近で見たディスカードは息を飲んだ。
「ディス……カード……殿下。ありがと……ござ……ます。まぁ、白……いスミレ?……可愛……です。嬉し……です」
それだけでも衝撃だったのにフォーチュンはディスカードを知っていて、辿々しくも可愛い声で礼を述べながら微笑みまで浮かべたのだ。無表情だったフォーチュンが微笑むと年相応の可愛らしさが表立ち、まるで絵本に出てくるお姫様みたいに愛らしくなり、ディスカードはあっという間に心を奪われてしまった。
「あうっ。か、可愛、可愛……っ!な、なーんてな!ウッソだぴょ〜!な、泣き虫なんかにゃやらねえよ〜だ!じゃあな、泣き虫っ!」
ディスカードはフォーチュンの愛らしさに気が動転し、つい、心にも無い意地悪を言って、彼女にあげようと差し出していた白い花も握りしめたまま、その場から走り去ってしまった。後で直ぐに後悔し、慌てて謝ろうと引き返したものの、そこにフォーチュンはおらず、彼女にすっかり一目惚れしてしまったディスカードは城に戻るなり、王と王妃にフォーチュンを直ぐに婚約者にしてほしいと強請った。
ディスカードの話を聞いた王妃は、まずは由緒正しいトランスファー公爵家の血を引く夫人の死を悼み、母の死を深く悲しんでいるフォーチュンに対して意地悪をしたことを謝罪をするべきだと諭し、婚約の打診は悲しみにくれる彼女に配慮し、せめて喪が明けてからにしたらどうかと直ぐの婚約を反対した。
しかしディスカードを溺愛している王は謝罪は不要だといい、息子可愛さもあったが、何よりもトランスファー公爵家が貴族の中で一番裕福な家であることと、それを得た経営手腕を前々から買っていたのもあって、ディスカードの望んだ通りにフォーチュンを婚約者にすると王命を出してくれた。
王命を出されたトランスファー公爵は大喜びした。それというのもトランスファー公爵は入り婿で、正当なトランスファー公爵家の後継者は亡きトランスファー公爵夫人が生んだフォーチュンただ一人だったからだ。あくまでフォーチュンが成人するまでの代理当主に過ぎなかったトランスファー公爵は、トランスファー公爵家の全てを我が物に出来る千載一遇の好機を逃さなかった。
トランスファー公爵家の血を引く唯一の子であるフォーチュンを王家に嫁入りさせる代わりにと、トランスファー公爵は王に交渉を持ちかけ、自分をトランスファー公爵家の正当な当主と認めさせ、フォーチュンの代わりとなる後継者が必要だからと喪が明けていないにもかかわらず、愛人と再婚し、愛人の連れ子であったロウヒをトランスファー公爵の実子と偽装して戸籍に入れることを了承させたのだ。
そんな大人達の裏事情を知ることなく、ディスカードはフォーチュンが婚約者になったことを無邪気に喜んだ。ディスカードは毎日でもフォーチュンに会いたかったのだが、互いにまだ子どもの身である故、会えるのは月に一度、彼女が城で王妃教育を受けに来る時のみと決まったことを残念に思った。
婚約者となって初めての登城のとき、ディスカードはフォーチュンに会えるのを楽しみに待っていたのだが、思い詰めた表情で法律の本と表紙に題名が書かれていない黒い本を抱えて王に挨拶していた彼女は、ディスカードが一目惚れした、あの微笑みを見せてくれることはなかった。
それどころかフォーチュンは勉強から逃げ回るディスカードに、今から身につける知識はいずれ自身を守る武器になってくれるものだから逃げない方が良いと、王妃や教師が口にするのと同じ言葉で諌めてきたり、王妃を交えてのお茶会でディスカードに第一王子の婚約者に対する交際費として毎月高額の金が支給されると知った彼女は、成人したのならば社交界に出るため、ある程度の交際費は必要かもしれないが、子どもである今の自分達には手書きの手紙と誕生日の花束を贈り合うだけで十分だから、過剰な交際費の見直しをするよう王を説得してはどうかと提案してきた。
それを聞いた王妃や茶会の給仕をしている侍女や侍従や護衛騎士といった、茶会の場にいた大人達はフォーチュンの言葉に何と謙虚で賢い令嬢だろうと感心していたが、勉強嫌いで実はこっそりと第一王子の婚約者に対する交際費を自分の小遣いとして使おうと思っていたディスカードにとって、彼女の言葉はありがた迷惑なものでしかなかった。
その後もフォーチュンは城に来る度にディスカードが嫌がる忠告ばかりするので、自分から望んで婚約したというのに、段々と彼女に対して苦手意識を持つようになり、学園に入った頃には授業や生徒会の仕事や公務をさぼるのを諌める彼女を疎ましく感じて避けるようになってしまっていた。
そんな頃に出会ったのがフォーチュンの異母妹のロウヒだった。ロウヒは初対面のとき、ディスカードをこともあろうに下位貴族の子息だと思って失礼な態度で見下してきたのだが、ディスカードが第一王子でフォーチュンの婚約者だと知った途端に態度を180度変え、毎日のようにディスカードにつきまとってくるようになった。
ロウヒはフォーチュンに全く似ていなかった。ロウヒは彼女の母に似た、クネクネとしたクセの強い赤い髪と黄色がかった薄緑の小さな瞳に、面長の顔と大きな鼻にはそばかすが散らばり、厚みのある大きな唇をいつも不満げに尖らせていた。
それにフォーチュンは背筋が伸びてスラリとした体つきだが、ロウヒは猫背で全体的に丸い体つきで、ロウヒの感情のままに大げさに泣いたり笑ったり怒ったりする姿は、フォーチュンの王妃教育を受けてより洗練された淑女となった姿とは真逆のものだった。
ディスカードはロウヒと出会った当初、ディスカードを第一王子だと知らなかったロウヒを世間知らずと馬鹿にし、美しい姉を持つロウヒを不憫がり、貴族子女とは思えない立ち居振る舞いを侮り、自分の正体を知った途端に態度を変える迂闊さを嘲り、婚約者がいる男に付きまとう常識のなさを嫌っていた。
だけどロウヒはディスカードが授業や生徒会の仕事や公務をさぼっても、ディスカードはこの国で一番偉い王様の子どもなのだから勉強しなくとも家来に命令して仕事をさせればいいだけなのに、無理やり勉強や仕事をさせようとするお姉様は意地悪だと言って、抱きしめて慰めてくれた。
ロウヒの思いがけない行動にドギマギしたディスカードが、フォーチュンに婚約者との交際費を減らすように言われたと愚痴をこぼせば、彼女はディスカードは王子様なのだから交際費の全額を小遣いにしてもいいはずだと言い、減らそうとするお姉様はいけずだと言って、キスの雨を降らせて慰めてくれた。
ディスカードは貴族令嬢とは思えない馴れ馴れしさで触れてくるロウヒに度肝を抜かれたが、すっかり気を良くして、実は王妃やフォーチュンには減らしたと報告したが本当は減らしておらず、その差額を小遣いにして、学園に入ってから興じるようになったトランプや競馬といった賭け事に使っているのだと若干の期待を込めて打ち明ければ、彼女は流石は賢い王子様だと拍手をし、高貴な人が興じる遊びは一味違うと持ち上げ、ディスカードが妄想した数倍も凄い方法で褒めて甘やかしてくれた。
フォーチュンと親密になれず、触れることさえ出来ないまま十年経ち、成熟した身体の内側から沸き起こる欲望を持て余し、賭け事で気を紛らわせるようになっていたディスカードにとって、自分を否定せずに欲求不満を手軽に解消させてくれるロウヒの存在はあまりにも心地も都合も良く、段々と可愛く思うようになり、彼女に夢中になっていった。
それ以降、ディスカードは賭け事はしなくなったが支給された交際費を使ってロウヒをデートに誘うようになり、毎回強請られるままにドレスや宝石を望むまま買い与えた結果、差額分どころか、交際費の全額を注ぎ込んでしまったため、ディスカードは生徒会費に手を出したり、自分に甘い王に毎日のように小遣いをせびるようになっていった。
そうしてロウヒとデートを重ねていく内に、ロウヒと結婚したいと思うようになったディスカードはフォーチュンとの婚約を破棄して、ロウヒと婚約したいと王と王妃に願い、王は気安く許可を出そうとしたが、王妃は反対した。
王妃はどれだけディスカードがフォーチュンに相応しくなくとも、この国のために十年もの歳月と費用をかけて王妃教育を施した彼女を手放すことは愚かなことだと叱責し、何の非もない彼女を婚約破棄などしては王家の威信にかかわると王を諭したため、ディスカードはフォーチュンとの婚約を学園在学中に破棄することが出来なかった。
それでもロウヒと結婚したいとディスカードが強請り続けたところ、ディスカードを溺愛している王が王妃に内緒だと言って、妙案を授けてくれた。
『学園の卒業パーティーの後にディスカードの婚姻調印式を行うことにすればいい。そうすれば城の大広間に国中の貴族達を集められる。その大勢の前でディスカードがフォーチュンに婚約破棄を宣言してしまえば、もう後には引けなくなる。いくら王妃でも破棄を止めることは不可能だ』
王はディスカードの願いをかなえるために、王妃に無断で卒業パーティーの一ヶ月前に婚姻調印式を卒業パーティーの日に行うと発表してくれた。王妃の怒りを恐れ、王とディスカードはその後の一ヶ月間、王妃を避け続けたが、卒業パーティーが始まる当日に顔を合わせた王妃は王とディスカードを咎めることもなく、微笑を浮かべて卒業の祝いを述べてきた。
そして王に向かって、必ずディスカードとトランスファー公爵家の娘と添い遂げさせてあげてくださいと念押ししたので、二人は薄ら寒いものを感じたが、当初の予定通りに計画を決行することにし、ディスカードはパーティーが始まる直前にロウヒの手を取り、着飾ったフォーチュンの真正面に立った。
ディスカードが長年見たいとずっと密かに思っていた、着飾ったフォーチュンの美しさは想像以上に凄まじかった。金色でゴテゴテとした装飾がいっぱいついた社交服を着た王子の自分よりも、さりげない装飾のみに押さえたディープサファイアブルーの上品なドレスを着たフォーチュンの方が高貴な王女のように思えて仕方がないほど、この十年で彼女は素晴らしく魅力的で気品に満ち溢れた大人の女性となっているのを今更ながら思い知らされ、思わず喉がゴクリッと大きく鳴った。
ディスカードは激しく動揺したがフォーチュンにまた惚れてしまった自分を認めたくない気持ちもあってか、芝居がかった口調で高らかにフォーチュンに婚約破棄を宣言してしまった。
「フォーチュン!僕はお前のような、いついかなるときも冷静で感情を表に出さない冷徹な女が嫌いだ!冷徹な女の傍に一生一緒にいるなんて虫酸が走る!僕はロウヒの無邪気な愛らしさと、その天真爛漫な心にこそ僕の妃の資質があると確信したんだ!だから冷徹令嬢のお前とは婚約破棄し、僕はロウヒと結婚する!」
ディスカードとロウヒは婚約破棄を告げたらフォーチュンは泣いて謝ってディスカードにすがってくるはずだと思っていた。だから事前にトランスファー公爵夫妻と打ち合わせし、彼らにフォーチュンを糾弾してもらい、公爵家から追い出し、追放してもらう計画を立てていたが、フォーチュンに再び心奪われたディスカードは、自らが婚約破棄を望んでいたというのに、つい、こう願ってしまった。
『もしもフォーチュンが僕にすがってくれたのなら、僕は……』
しかし、それは一瞬の儚い夢だった。婚約者と家族から捨てられてもフォーチュンはいつもと同じ無表情のまま、立つ鳥跡を濁さずといった態で、除籍だけでなく、父親に迷惑をかけてはいけないからとお互いの遺産相続の放棄まで申し出て、手際よく全ての手続を済ませてしまうと、一度もディスカードを振り返ることなく颯爽と立ち去ってしまった。
フォーチュンの姿が見えなくなり、激しい喪失感に襲われたディスカードは今直ぐ彼女を追いかけたい衝動に駆られた。
実際問題、勉強を怠け続けてきたディスカードには国王として国の頂点に立つ自信がまるでない。ロウヒは王様は国で一番偉いのだから、仕事は家来に命じてやらせればいいと言うが、どんな命令を出せばいいのかさえ、ディスカードにはわからないのだ。これまではフォーチュンがいたから何も心配なんてしてこなかったが、これから先は二度と彼女を頼ることは出来ない。
フォーチュンの代わりに第二王子のアライや叔父に仕事を押し付けられればいいのだが、王は優秀な叔父やアライが国政の一端を担うことを何故だか厭っているし、王妃はそもそも怠惰をけして許してくれないから、アライや叔父を頼ることも出来ない。かといって、自分以上に怠惰なロウヒにフォーチュンの代わりは絶対に出来はしないだろうから、結局はディスカードが国王の仕事を一から勉強しなければならなくなるだろう。
フォーチュンの去っていく姿を見た途端、急に現実というものを実感しだしたディスカードは取り返しのつかない重大な過ちを犯したような気持ちになった。さっきまではあんなに愛しいと思っていたロウヒの手が、急に気持ち悪く思えて、思わず振り払うようにしてロウヒの手を離してしまった。
乱暴に手が離されたことにロウヒはいつも以上に唇を尖らせて甘く拗ねてきたが、その姿さえも不快に感じるなんて言えず、ディスカードは生徒会長として学園の卒業パーティーの宣誓を行わねばならないからと誤魔化し、ひとり壇上に向かって行った。
ディスカード達が起こした婚約破棄騒動のせいで、学園の卒業生を祝うパーティーはとてもぎこちなく始まった。ディスカードは勝手をした自分や王に対して未だに沈黙したままの王妃の視線から逃れたくて、学園の生徒達の元に向かったが、フォーチュンを慕っていた彼らがディスカードを歓迎してくれるわけがなく、卒業を祝う言葉を交わすと、そそくさとディスカードから離れていってしまった。
それは他の貴族達も同じで、ディスカードは誰に話しかけても腫れ物に触れるような扱いを受けて気まずい思いをしたが、ロウヒはそんな周囲の様子にも、孤立してしまっているディスカードの様子にも気づくことなく、自分は近い将来王妃となり、贅沢三昧に暮らすのだと浮かれ、笑っているのを見て、自分はどうして、こんな女を好いていたのだろうと我に返り、急速にロウヒに対する好意が失われていった。
そうして徐々に卒業パーティーが例年のような賑わいを見せ出し、パーティーの終盤の頃には何とか無事にディスカードがロウヒを新しい婚約者として披露する挨拶に移れそうな雰囲気にまで落ち着きを取り戻しかけていたが、その頃にはディスカードはロウヒと結婚するのが堪らなく嫌になってきていた。
先程の婚約破棄は卒業パーティーの余興だったということにして、やっぱりフォーチュンと結婚しようと思い直したディスカードは、王にもう一度フォーチュンと結婚させてほしいと頼もうとした。だが、そんなときだった。
「大変です、王様!ディスカード殿下の母君が!寵妃様が逃げました!!」
大広間に駆け込んできた騎士がディスカードの母である寵妃の脱走を告げたのだ。そして騎士が手にしていたディスカードの母の書き置きにより、ディスカードの全てが一変した。
“ディスカードは王の子ではなくによって引き離された恋人の子である”と書かれた、母の書き置きはディスカードには衝撃が大きすぎたようで、道理で自分は王や第二王子と少しも似てないはずだとぼんやりとした頭で思うものの、直ぐには事の重大さを正しく認識出来なかった。
しかし次第に溺愛してくれた王が父ではなく、誘拐犯だったのだと理解すると、思い出にある父の愛情あふれる眼差しが狂気漂う老いた男の凝視に取って代わり、あれほど自分に良くしてくれた王に対しての親愛はたちまち消え失せ、王位剥奪後、国外れに建てられた塔に幽閉されることが決まった王に、血が繋がっていなくとも愛する息子に最後に会いたいと望まれたが、ディスカードは拒否し、二度と会わなかった。
ディスカードの母は本人不在のまま偽証罪に問われたが、彼女は王の被害者であったことが考慮され不問となり、何も知らなかったディスカードに関しては王が犯した罪の賠償として、平民の身でありながらも貴族であるロウヒとの結婚が許され、トランスファー公爵家に婿入りすることが王妃命令で決まったのだった。
ただし交際費や卒業パーティー費用の使い込みは公費横領罪に当たるため、罰としてトランスファー公爵家の領地の半分は没収され、そしてディスカードがロウヒとの浮気で不正に使い込んだ分の交際費と卒業パーティーの費用はトランスファー家と協力して国に返すことを約束させられた。
王族として18年間生きてきたディスカードは、使い込んだ金を返す手段も術も持ち合わせていなかったから、賠償としてロウヒと結婚してトランスファー家に婿入りすることは、ただの平民となったディスカードにとって、非常に都合よく有難い話だった。
ディスカードは今更平民として汗水垂らして働くことも無駄遣いせずに慎ましく暮らしていくことも出来るわけがないと自覚していたし、トランスファー家は国で一番裕福な貴族家なのだから、使い込んだ公費を返金しようが、トランスファー公爵家の領地が半分になろうが、なんの痛手にもならないだろうと思っていた。
それにトランスファー公爵には王が一目置くほどの経営手腕があるのだから、婿入りすればディスカードは今まで通りの生活の質を保ったまま、一生安泰に生きていけるだろうし、自信がなかった王になど、ならず済むのだから、却ってこうなって良かったのだとすら思ってしまった。
そこで帰りの馬車の中でディスカードは、平民のディスカードを婿入りさせることにも、ディスカードとロウヒが使い込んだ金をトランスファー家が返すことになったことも不服に思っているトランスファー家の者達に、国に返金した後は気持ちを新たにして、愛する妻とともに尊敬する義父上と義母上と家を盛り上げていきたい等とおべっかを言って機嫌を取っていたのだが、帰ったディスカード達を待ち構えていたのは、裁判所から来た執行官と騎士達だった。
「何だ、君達は!?何故騎士までいるんだ!」
「あら、なんですの?こんなに大勢で?」
「お父様、怖いですわ。この人達を追い払ってくださいな」
大声を上げて威嚇するトランスファー公爵家の者達に執行官の一人が言った。
「私達執行官はディスカード殿下……もといディスカードがロウヒ嬢と浮気交際するために着服した交際費と卒業パーティー費用の取り立てに来たのです」
「取り立てだと!?金なら払うと言っただろうが!帰れ!」
「期日までに支払うのを見届けろという上からの命令ですので、あしからず。ああ、それとディスカード。君に王子を騙った偽証罪は問いませんが、公費を横領した罪は君の境遇とは関係のない、君自身が犯した罪だから、君が使い込んだ公費の返金と公費横領罪の罰金は別途支払を済ませるように」
「そんな!?話が違うじゃないか!だって僕が使い込んだ金はトランスファー家と協力して支払うことに決まったじゃないか!」
「ディスカード、君は勘違いをしています。トランスファー家が君と協力して支払うのは、あくまで君がロウヒ嬢と浮気して使い込んだ三年間分の交際費と卒業パーティの費用です。でもまぁ、それだって物凄い金額ですが。だけど君は十年前から第一王子の婚約者に対する交際費の使い込みをしていましたよね?」
「あっ!でも、それは、その……あの金は第一王子だった僕が使うために支給された金だし!その……」
「王子だから公金の使い込みをしていいと?そんなわけないでしょう。君が王子だろうとなかろうと犯罪は犯罪。関係ありません。王ですら国庫の使い込みで処罰されたのですよ。それに、あのお金は第一王子が婚約者と交流し、絆を深めるために用いられる用途で支給されたものです。それなのにあなたは十年間、一度もフォーチュン様にそのお金を使われたことはなかった」
「っ!だって、それは!フォーチュンが何も欲しがらなかったから!僕が綺麗なドレスや宝石、何だって買ってやると言ったのにいつも要らないって言うから!フォーチュンが要らないって言うなら、ちょっとくらい僕が使っても構わないだろうって思って……」
「何も欲しがらなかった、ですか?城の者からフォーチュン様は手書きの手紙と誕生日の花束を望まれていたと報告を受けていましたが、君がフォーチュン様の望んだものを贈ったことは一度もなかったと聞いておりましたが?」
「いや、それは!……僕だって手紙くらい書こうと思ったさ。だけど僕は字が下手だし、なんて書けばいいかわからなくてさ。花束だって毎年用意してたけど、いざ渡すとなるとこっ恥ずかしくなって、毎回見せびらかすだけになっちゃって渡せなかっただけで……」
「ハァ……ここまで長期に渡って初恋を酷く拗らせている人を見たのは初めてですが、どのような理由であれ、フォーチュン様に手渡されていない時点で、それらも君の個人的な使い込みとして扱われるのですよ。ともかく我々は王妃様のご命令で一ヶ月半前から君とトランスファー家の者達のことを調べ上げ、きちんと証拠も手に入れているので言い逃れは出来ませんよ。ああ、返金も罰金も期日までに支払えないなら、鉱山での苦役十年に変更することも出来ますが、どちらにしますか?」
「鉱山なんて冗談じゃない!そんなところに行くのは嫌だ!義父上、お願いですから、あなたの可愛い娘の婿のために、十年分の交際費の返金も罰金も全部支払ってくださいよ!」
「いや、それは……。う……う〜ん」
ディスカードにすがられて渋面となったトランスファー男爵の前に執行官が進み出て、周りを騎士達が取り囲んだ。




