22式小銃〜魔改造カラシニコフ〜
軍務庁設置法が可決されてしまった以上本庁舎を作らなければならない。
田中室長は補正予算で霞ヶ関に隣接する虎ノ門の土地18000㎡を購入し地下6階、地上10階建で中に官舎や射撃場等も存在する本庁舎の建築を某ゼネコンに依頼した。
完成するまでの間は財務省に設置された軍務庁設置室で活動する事となる。
本庁舎の建築を進める一方で田中室長は人員の募集も行い約5000人の職員を採用した。
そして、アメリカ合衆国造幣局警察から呼んできた教官によって訓練を始めようとした所である事実が発覚する。
「銃も制服も無いじゃん…」
この話が巡り巡って財務大臣にまで届いた結果、以下の基準に沿った自動小銃の開発が決定された。
1.5.56×45mm NATO弾とSTANAG弾倉を使用出来る事。
2.20式5.56mm小銃及び89式5.56mm小銃より軽く作る事。
3.全長は1mより短い物を作る事。出来れば900mm以下であるのが望ましい。
4.出来るだけ安く作る事。
5.シングル・フィード方式の副列弾倉を採用する事により一度に30発以上の弾薬を装填出来る様にする事。
しかし入庁したばかりの新人職員は勿論、財務省や国税庁から派遣されたベテラン職員も銃なんて作った事はない。
唯一頼りになりそうな工業系の大学を卒業した官僚も
「実物が無いんじゃ設計は勿論複製すら難しいかな…」
等と話している。
設立された経緯からして防衛省には良い目で見られておらず、小銃を貸してもらったり、作り方を教えてもらったりする事は出来ないだろう。
するとそこで担当者の1人に任命された東京地方検察庁への出向から戻ってきた途端軍務庁に出向させられた官僚がある事を思い出す。
「そういえば…東京地検の地下に昔何かの事件で押収されたっていう銃が保管されていた様な…」
法務省を経由して東京地方検察庁に問い合わせてみるととある宗教テロを起こした団体が密造したAK-74が今も地下で保管されているとの事。
その小銃のサイズの測定や部品の撮影、スケッチ等といった調査を要請すると許された為、そのデータを中心に自動小銃の構造について書かれた本等を参考に1ヶ月かけて製造された全長93.5cm、重量3.6kgの試作自動小銃1号が製造された。
この試作自動小銃1号を部下の知り合いだという自衛隊員に撃たせてみるととても好評であった。
この小銃を製造できた事により自動小銃の作り方を理解した担当者達は、要求に適合する様に使用弾薬を5.4×39mmの弾丸から5.56×45mm NATO弾に適合する様に寸法を調整した他、重量を削減する為に銃床を中空のものに変更した。
また、弾倉もプラスチックを成形加工して製造している。
この試作自動小銃2号を自動小銃試作1号の試し撃ちを行なった自衛隊員に撃たせてみるとやはり好評であった。
「これで完成だな!」
と何事も無く終わりそうな事を喜びながらも最終試験として軍務庁の職員に試し撃ちさせてみると思いの外不評であった。
曰く、
反動が大きすぎる。
銃声もサイズも大きすぎる。
そもそも重い。
…etc
この意見を受けて担当者達は
「職員達が満足行く自動小銃を自分達で作る事は無理だ。」
と独自で自動小銃を開発するのを諦め、豊○工業という小銃の製造を行なっている機械メーカーと共同開発する事にした。
銃ってそういうものだろ…という顔をした○和工業の技術者達のアドバイスを元に作られた自動小銃試作3号は、銃身を30cm近く切断し、配置をブルパップ方式に変更する等して全長と重量を削減した他、切断された銃身の代わりにインテグラルタイプサプレッサーを装備して銃声を小さくする等の大幅な改良が為されている。
その後開発された自動小銃試作4号ではリコイルブースターを装備する事により発射速度を向上させた他、ホロサイト等の装備の追加が行われている。
その後微調整を経て制式採用された全長72cm、重量3.2kgの自動小銃試作5号は、22式小銃と命名され軍務庁に配備され軍務庁が解体されるその日まで使われ続ける事となった。
一方、制服は田中室長がデザインした結果、正装、常装、戦闘服の4種類が作成された。
正装は、白色のワイシャツと茶色のズボンによって構成される常装に金色のボタンが4つ付いたブレザーを着るものに、戦闘服は、灰色の都市迷彩が施されたヘルメットとジャンパー、ズボンによって構成される普通のものとなった。
また、希望した職員は常装用にズボンの他に茶色のスカートやトレンチコート、ジャンバー等が貸与される事となった。