私は愛する人と幸せになりたい。だから君とは結婚しない。
デイルはウキウキしていた。
デイルは16歳のトリス伯爵家の次男だ。
名門ザイル公爵家の入り婿の話が出ているのだから、そりゃウキウキする。
ザイル公爵家のアステリーナは、それはもう美人で有名で。
貴族が誰しも通う王立学園では高嶺の花で。
派閥の令嬢達を連れてさっそうと廊下を歩く姿も、それはもう美しくて。
白い肌に金色の髪。紫の瞳。
それはもう美しいアステリーナ。
デイルに取っては憧れの女性なのだ。
顔合わせを来週、ザイル公爵家で行うという。
アステリーナに気に入られれば、婚約を結ぶと言う話で。
デイルは思い切りオシャレをした。
付き添いの両親も、
「粗相のないように、相手に気に入られないとな」
「そうよ。せっかくうちに話が来たのですもの。いい事。絶対に気に入られなさい」
兄も大きく頷いて、
「私も今日は付き添おう。猫だ。猫を被れ。にこやかに紳士を演じろ」
「勿論。しっかりと紳士を演じるよ」
デイルは学園では成績も上位の方で、素行も悪くない。
自分の見かけはそれはもう、整った黒髪碧眼で、自信がある。
自分に話が来たのだ。
身分があちらの方が高いと諦めていたが、話が来たからには、
アステリーナに気に入られる自信があった。
当日、庭に設置されたテーブルに、公爵夫妻とアステリーナ、そして、トリス伯爵夫妻と、兄のペイル、そしてデイルは自信満々に挨拶を公爵夫妻とアステリーナにして、
「デイル・トリスです。この度は、光栄なお話を」
すると、アステリーナが立ち上がって、
「わたくしは嫌だと言ったのです。だって、トリス伯爵令息は浮気をするのです。わたくしなんて放っておいて、男爵令嬢と。その男爵令嬢は王太子殿下やその取り巻き達とも親しくて。トリス伯爵令息も夢中になるのですわ。ですから絶対にこの婚約は嫌です」
ザイル公爵は慌てて、
「娘は戯言を……何でも夢を見たからと」
「わたくしの夢は当たるのです。今までだって領地で発生した洪水や、魔物の発生を予知したではありませんか」
「だがな……チャリド王太子殿下は優秀だ。婚約者のフェリア・コンソル公爵令嬢を大事にしている。それはお前も良く知っているだろう?」
「コンソル公爵家は対抗派閥ですわね。本当はわたくしはチャリド王太子殿下の婚約者になりたかったのですわ。でも、先月見た予知夢で、チャリド王太子殿下も男爵令嬢に浮気をして。王太子殿下と婚約しても、トリス伯爵令息と婚約してもわたくしの未来は変わらない。裏切られるのだわ。わたくしは愛のある結婚に憧れているのです。裏切る方と婚約を結ぶわけにはいきません」
デイルは焦った。
浮気?裏切る?
まだ婚約をするかどうかの段階で?先行きの予言をされるだなんて思いもしなかった。
慌てて、
「私はこれと決めたら一筋で、絶対に裏切りません。ですから、どうか、婚約を結んでいただけませんか。貴方だけを大切にし、貴方だけを愛しますから」
一所懸命、誠意を伝える。
父、トリス伯爵も、
「息子の素行はそちらでも調べておられるはず、今まで恋人の一人もおらず、勉学に励んで来た真面目な息子です。アステリーナ様と婚約したらそれはもう大事にするはずです」
母、トリス伯爵夫人も、
「そうですわ。ですから、どうか、息子と婚約をして下さいませんか」
ザイル公爵は、
「そうだな。アステリーナ。まずは婚約者候補という事でこの男と付き合ってみたらどうだ?それから気に入ったら婚約を結ぶという形で」
「裏切られるのが解っているのに、お付き合いをしなければならないのですか?お父様。わたくしが嫌だと言っているのに?」
「デイル・トリス伯爵令息は学業も優秀だ。素行も良い。お前の予知夢はいままで当たってきたが……大体、おかしな夢だろう?男爵令嬢が王太子殿下を始め、複数の男を侍らす?そんな不敬な事。許されることではないだろう?」
「それが許されるのです。ああ、わたくしはっ」
アステリーナは身を翻して、屋敷へ走って行ってしまった。
「アステリーナがあれ程、嫌がっているのだ。この話はなかったことに」
デイルは落ち込んだ。
予知夢がなんだ。美しいアステリーナと婚約が結べてザイル公爵家に婿に入れると思ったのに。
悔しかったが、仕方がない。
もっともっと自分を磨いて、良い男になって高嶺の花、アステリーナを後悔させてやる。
そう強く思ったデイル。
その婚約話があった一月後から、アステリーナの予知夢の怖さを目の当たりにした。
桃色の髪の男爵令嬢が親し気にチャリド王太子殿下と歩いているのだ。
婚約者ではない令嬢と親し気に……
予知夢では自分もあの令嬢に夢中になってアステリーナを裏切ると言っていた。
ぞっとした。
絶対にあの女になんて夢中にならない。
何故?男爵家の令嬢に夢中にならなければならない?
どう見てもタイプではない。
大きな声でけらけら笑って、話している。品が無さ過ぎるのだ。
それなのに、あの真面目で知られているチャリド王太子殿下は嬉しそうに、男爵令嬢と話をしている。
その様子をチャリド王太子殿下の婚約者、フェリア・コンソル公爵令嬢が悲し気に見ていた。
「わたくしのチャリド様を、あの女、許せない」
不穏な事をコンソル公爵令嬢が起こしたら大変だ。
チャリド王太子殿下に不敬を承知で、話をしてみることにした。
「私はデイル・トリス。トリス伯爵家の次男です。王太子殿下。何故、あの男爵令嬢と親しくしているのです?王太子殿下には婚約者である令嬢が……」
「マリアーテ・ユーズ男爵令嬢か。彼女はとても新鮮なんだ。可愛らしくて、私の話を何でも聞いてくれて褒めてくれて。それに煩く言わないんだ。彼女は私の理想だ。彼女と先行き結婚して、彼女に王妃になって貰って。マリアーテ、マリアーテ、マリアーテ……愛しい私の女神よ」
おかしい……こんな事を言う方ではなかった。
側近の宰相子息のリッケルも、騎士団長子息のブリドも、
「マリアーテはとても美しい」
「本当に守ってあげたくなるような愛らしさ」
うっとりと顔を赤らめて同じような事を言う。
何か得体のしれない事が起きている。
デイルが振り返れば、桃色の髪の令嬢が立っていて。
この女がマリアーテっ。
「あなたも私の邪魔をするの?あの公爵令嬢もそう。私の思う通りに動かない。私はこの世界の神様よ。私の思うがままに貴方達は転がればいいの。貴方も私に夢中になるわ。チャリド様もリッケル様もブリド様もみ~んな私に夢中。だから、貴方も私に夢中になって」
上目使いにその女は見上げてきた。
デイルは恐ろしくなって、その女を思いっきり突き飛ばした。
場所が二階のテラスだったのがいけなかった。
悲鳴を上げてその女は二階から落ちて、地面に頭から衝突し……
仰向けに倒れた女の頭から血が流れて……
そして、サラサラとその女の姿は消えてしまった。
チャリド王太子がデイルに声をかけてきた。
「ところでトリス伯爵令息だったか。私に何の用だ?」
宰相子息リッケルが慌てたように、
「王太子殿下、もうすぐ午後の授業が」
「そうだな。用があるなら、また声をかけてくれ」
そう言って、側近達と共に行ってしまった。
デイルは再び、一階の女が落ちた場所を見てみる。
何もそこには無かった。
学園でその女を再び見かける事はなくなって。
そもそもその女が存在していたのかも怪しくて。
夢を見ていたのだろうか?
誰に聞いてもマリアーテ・ユーズ男爵令嬢の事を覚えていなかった。
そんなとある日、アステリーナに声をかけられた。
「わたくし、予知夢を見ましたの。貴方と結婚して、幸せに暮らす夢……」
アステリーナの事は憧れていた。ザイル公爵家の婿の座はとても魅力的だ。
でも……
「君は悪い夢を見たら、あっさりと私と離縁するのだろう?子がいても、幸せに暮らしていても。確かに君の夢は当たった。いや当たっていたかな。王太子殿下達は男爵令嬢に夢中になって、危うく私も誘惑されて。でも、私は誘惑をはねのけて、あの令嬢は消えてしまった。あれは何だったのか解らない。予知夢に振り回されたくないんだ。予知夢のせいで、離縁されて、可愛い私達の子が悲しい思いをするのを見たくはない。私だってね。愛する人と幸せになりたい。だから、君とは結婚しない。申し訳ありません。アステリーナ様」
そう、予知夢は確かに恐ろしい夢。でも、自分を信じてくれない女なんていらない。いくら美しくたっていらない。
アステリーナは一瞬、悲しそうな顔をして。
「貴方と結婚する予知夢を見たのは嘘。そうね。貴方は未来を変えたわ。貴方をわたくしは信じるべきだったのかもしれないわね」
そう言って、背を向けて去って行ってしまった。
後悔はない。未来は自分で切り開くもの。
予知夢だって結局、結果は変わったではないか。
だから、後悔はない。そう、デイルは思うのであった。
同じ派閥の伯爵家の令嬢と後に見合いをし、婚約に漕ぎつけた。
リアーヌ・ファレトス伯爵令嬢はとても明るい女性で、
「デイル様がうちに婿に来て下さるなんて、本当に嬉しいのですわ。デイル様は優秀で。わたくし、学園で話しかけたかったのですけれども、それこそ、手の届かない素敵な人で。本当に今、幸せすぎて。一緒に、領地経営頑張っていきましょうね」
「そうだな」
なんて可愛らしい人なのだろう。
デイルは訳の解らない、過去の事は振り払う事にした。
未来は自分で切り開く。
愛しのリアーヌと共になら、きっと素敵な未来が待っているだろう。
苦労がある未来だとしても、一緒に頑張ってくれるはずだ。
リアーヌを強く抱き締めて、幸せに浸るデイルであった。