八、聖女というもの(聖女視点)
わたしは聖女。
五歳の時、わたしは孤児院から神殿に引き取られました。
わたしの母は、先代の聖女で、『救い主』の遺児だったそうです。
「聖女よ、貴女の母は聖女と救い主様を信仰する全ての信者を棄て、神殿を棄て、貴女の父となった者と逃げたのです。貴女は母の罪を償わなければなりません」
繰り返し繰り返し、美しい銀髪の大神官様がわたしにおっしゃいます。
わたしに、神殿に来る前の記憶はない。
母だという人の記憶もない。
それでもわたしは、この国の人たちが好きです。
同時に、何故かこの国の人たちが怖い。
きっと、記憶にはないけれど、たくさんの人にたくさんたくさん優しくされたんだと思います。
きっと、たくさんたくさん怖い目にもあった。
でも、わたしはこの国の人たちが好きだから。
この国の人たちのためになるなら、がんばりたい。
「いたい、いたいです」
「何を言います。貴女の母に裏切られたとき、僕たち信者の心はもっと痛かったのです。貴女の痛みは信者を幸福にします。聖女とはそういうものです」
「聖女とはそういうもの」
大神官様が、国中の信者を幸せにするために、『聖女の恵み』を年に一度、聖夜祭の日に信者全員に配ります、とおっしゃった。
母が聖女だった頃は、貴族と王族にだけ、『聖女の恵み』をナイショで配っていたそうです。
でも母が信者たちを裏切ってしまったから。
わたしは、信者たちにつぐなわなければならない。
そのためには、毎日、たくさんの『祈り』を。
『祈り』は痛くて、苦しくて、頭がぼーっとします。終わった後はふらふらして、歩くのも難しくなります。
わたし付きになった狐の女神官、ローファがわたしを車輪の付いた椅子に乗せ、ベッドまで運んでくれました。
「今日の『祈り』は少し少なかったようですね。聖女様にはもっと頑張っていただかないと」
がんばる。がんばりたい。でもこれ以上がんばるのは無理です。
ローファが『祈り』のご褒美に、コップ一杯の氷粒をくれました。
神殿に来てから、わたしはこれが大好きになりました。
ボリボリと音を立てて食べていると、大神官様がやって来ました。
白い神殿の中、銀で縁取られた白い神官服、長く艶やかな銀髪の上には銀色のとがった三角耳。神殿に描かれた神の使いより綺麗なお顔。大神官様は、いつ見てもだれよりもうつくしい。
大神官様を見ると、わたしはいつもぼーっとなって、それ以外のことはどうでも良くなってしまいます。
「聖女よ、貴女の『祈り』の力が弱くなっています。これではいくら『祈り』をしても全ての信者に『恵み』は行き渡りません。神にお伺いを立てたところ、穢れのある食事を摂っているからとのお告げがありました」
「大神官様は、神様とおはなしになられるのですか」
「そうですよ。僕は『救い主』様の祝福を頂きましたからね。僕は美しいでしょう?」
薄い笑みを浮かべる大神官様の肌は陶器のようで、染み一つ毛穴一つ見えない。赤い唇も切れ長のくっきりした目も長い睫毛も、人間とは思えないほどうつくしかった。
「はい。大神官様はうつくしいです」
「それこそが神の祝福、恩寵ですよ。貴女は醜い。穢れを除かなければなりません」
「わたしはみにくい」
わたしは自分の手を見つめた。そういえば、もうどれだけ鏡を見ていないだろう。
そうか、わたしはみにくかった。
「まずは肉類をやめてみましょう。死は穢れです。貴女は穢れの聖女から産まれました。聖女でありながら、貴女の体は穢れで満ちているのです。愛する貴女の体から穢れが除かれ、全ての信者が幸福になること、それが僕の望みです」
「愛するわたし」
「ええ、心から愛していますよ。だから貴女が穢れていることが哀れでならないのです。貴女も僕を愛しているでしょう?」
「わたしも大神官様をあいしてる。穢れがなくなれば大神官様は幸せになれますか」
大神官様はうつくしく笑っておっしゃった。
「ええ、僕も信者も幸せになれます」
大神官様はうつくしい。わたしは穢れてみにくい。わたしがいたいと信者はいたくなくなる。
聖女とはそういうもの。
何年かが経った。
「聖女よ、貴女にはまだ穢れが残っています。愛する貴女がさらに穢れてしまったら僕はとても悲しい。穢れに触れないよう、このベールと帽子を使いなさい」
わたしは分厚いベールとぽってりした帽子をかぶるようになりました。
わたしはみにくいから。
わたしの顔を見たひとは逃げていく。
うつくしい大神官様のおっしゃることは、きっとただしい。
大神官様のおっしゃる仕事をして、大神官様と『祈り』をして、大神官様を讃える。
わたしが仕事をすると、大神官様は琥珀色の綺麗な石をくださる。
綺麗な石は、きっとただしい。だから、こんなにもあまい。ずっと見ていたいのに、なめるとなくなってしまいます。
さむい。
わたしはずっとさむい。
さむいのに、氷を食べる手がとまらない。
体がむずむずする。
「聖女よ、僕は神に愛されている。だから僕はこんなにも美しい。僕は貴女を愛しているけれど、神ならぬこの身の愛では貴女を救えない。貴女はまだ穢れている。神は貴女をお許しにならない。だから貴女はまだまだ醜い」
「わたしはみにくい」
「けれど聖女よ、僕はこんなに美しいのに、信者が求めているのはみにくい貴女なのです。すでに『聖女の恵み』なしにこの国は回らない。ふふ、貴女は僕にも国中の民にも愛され、必要とされている。この国の全ての人間が、貴女の痛みを求めているのです」
「たみが、わたしのいたみを」
さむい。いたい。きもちわるい。たっていられない。わたしは。わたしは。わたしは、だれ?
「君を愛する事は出来ないだろう」
ふと聞こえた声に、わたしは顔をあげます。
――懐かしい。もっとたくましくなった。きっと辛いこともたくさんあっただろうに。
「……?」
今、わたしは何をかんがえた?
「君を愛することは出来ないだろう」
目の前のひとは錆色の髪に焦げ茶色の目、ピンと立った耳、大神官様とは違うけれどフサフサのしっぽ。中性的な大神官様とは違う、筋肉で覆われた男らしい美丈夫。王子サマらしい。
うつくしい。このひともうつくしい。そうだ、きんにくはうつくしい。きんにくは全てをかいけつする。きんにくがあれば何が起こってもノー問題。
あれ?
わたしはきんにくが好きだったかな。きんにくを見たことがあったかな。
この人――王子サマはわたしを『愛せない』と言った。愛していない。わたしをひつようとしていない。わたしのいたみを、この王子サマだけは求めない。
なんてしあわせ。
「え? それを言うんですか? マジで?」
きんにくきんにくきんにくさいこー。
ずっと忘れていたフレーズだ。何だか昔、この音にのって踊った気がする。手を振り上げてムキムキと、のっしのっしと馬になったつもりで。
わたしは踊っているつもりだったけれど、きんにくのなくなった手足はうまくうごかず、裾を踏んで転んでしまった。きんにくは大事だと教えてもらったのに。だれに? わたしがきんにくを鍛えなかったから。
「この国の人たちが好きだから、がんばります」
そうだ、わたしはこの国の人たちがすき。でも、なんで? なんでわたしはこの国の人たちが好きだったんでしょう。
フォークに刺さった大きなお肉が、目の前をフラフラ泳いでいます。
お肉。お肉はきんにくにひつよう。あれを食べたら、わたしも王子サマのようなきんにくになれるでしょうか。
「……!」
ベールの中に差し込まれたお肉に、光の速さで食いつきます。
ベールの中に入れられたということは食べていいということ。
口に含んだお肉を中心に、さむさがなくなっていく気がします。
なんてこと。長いこと木の実と葉っぱしか食べていなかったせいで、お口のきんにくがなくなっていました。大きなお肉を噛むのはたいへんです。でも、それはずっと噛んでいられるということ。
なんてしあわせ。
がんばって呑み込むと、お腹を中心にポカポカしてきました。
目の前には、フォークに刺さった次のお肉。王子サマが差し出してくれています。
まだ、お肉をくださる。
なんてしあわせ。
でも、ローファがこちらを見ています。知っています、あれはとてもおこる前の顔。早く食べないと『お肉なんて駄目』と言われてしまいます。
差し出されたお肉は、さっきのより小さい。噛むなんてしないで、駄目と言われる前に早く呑み込まなくては。ああ、噛まないのはもったいない。でも早く体の内に入れなくては。
喉のきんにくも衰えていたせいで、呑み込むのはとても大変でした。
お腹のきんにくも衰えていたようで、キリキリと痛くなってきます。
でもだいじょうぶ。これはきっときんにくつう。きんにくつうはきんにくが成長するための幸せないたみだって、前に言ってました。えっと、誰が?
今日は『けっこん』だからと、朝の『祈り』もなかった。
『けっこん』とは、なんてしあわせなんでしょう。