五、なつかない野良猫(現在)
新婚とはいえ、何も聖女にばかりくっついているわけにはいかない。
戦後処理もあるし、隣国との停戦、条約締結にも関わっている。鼻持ちならない大神官の鼻を明かすためとはいえ、『穢れていない』俺が聖女の食料の調達から調理までするとなれば寝る間を惜しむほどに忙しい。
手の込んだ料理などとても作れない。
まぁそもそも俺の料理は野営仕込み、切る焼く煮るくらいしか出来はしないが。
「まぁ、聖女もとりあえず食えればいいだろう」
蕎麦と野草、兎肉を歯茎で潰せるほど柔らかく煮た雑炊を大量に作る。
兎肉は淡泊だが、つみれにしてスープや雑炊に合わせるとたまらない旨さになる。
戦場ではいつ何時糧食が足りなくなるとも限らないから、どこにでも自生していて『食える』植物には詳しい。
王子宮でサバイバルしていた時代にはモリオンや師匠が教えてくれたし、国境に行ってからも資料を取り寄せて調べてみた。食える野草は意外に多い。
ナズナにタンポポにセリ、カラスノエンドウ、オオバコ、ヨモギ。春ならコシアブラにフキノトウ、タラの芽イワタバコ、タケノコ。ワラビはアクが強いから下処理に手間がかかって戦場には向かない。
野草じゃないが蕎麦やジャガイモは手間がかからんし荒れ地にも根付く。年に何度も収穫出来る優秀な糧食なので兵と共に栽培していた。他の穀類も実験がてら少々。トウモロコシは枯れたがヒエは多少実ったか。もちろん耕作地が戦場になって踏み荒らされちゃ適わんから、戦う場所はそれなりに操作していた。
戦場の軍とはいえ、毎日毎日戦ってばかりいるわけじゃない。まして敵軍の司令官とは水面下で停戦に向けて動いていたし、畑仕事は兵の体力作りにもなって一石二鳥。痩せた国土の開拓にもなるとくりゃ、やらないわけがない。
それに、大の男が数千人もいるとなりゃ、毎日毎日大量の『肥料』が出るわけだし。使わなけりゃもったいないってもんだ。
王子宮の裏の森で見つけて、今日は山芋や菊芋も掘ってきている。
俺が雑炊を煮ているのは、騎士団の副団長室だ。
「副長ー、うまそっすねー」
「副長ー、そんな葉っぱばかりじゃ筋肉付かねぇっスよ」
「聖女様にも鳥のササミとか牛の赤身とか食わせたらどうですかね」
常に腹を空かせている筋肉だるま達が多い仕事場だから、旨そうなニオイを振りまいていると若いのが集まってくる。けれど一度「聖女の唯一の食事だ、何か文句があるか」と言ったら今度は「聖女様は」「聖女様にも」と言いながらわざわざ副団長室にやって来ては囀るようになってきた。
「そんなに体力が有り余ってるなら、訓練場にゾアビッツがいたから遊んでもらえ」
「いえっ、ゾアビッツ隊長のお手を煩わすわけにはまいりませんっ、自己鍛錬して参りまっす」
ビシッと騎士礼を決めて若いのたちは去って行った。
あいつらが騎士団に配属されてまだ二年、されど二年。『筋肉は全てを解決する』が座右の銘の鬼隊長のしごきは骨身に染みこんでいるようだ。
ゾアビッツはヒグマの獣人、俺の下に三人いる隊長の一人で、冒険者からのたたき上げ。十年前魔獣討伐で出会った俺(の強さ?筋肉?)を気に入ってそのまま騎士団に入団した変わり種だ。
狐の女神官ローファには、年一回しか届かない『聖女の恵み』など当てにならないとうそぶいたが、治癒魔法では治りきらない後遺症を消してくれる『聖女の恵み』は戦場の騎士や兵士にとってこそとても有り難いもので、騎士や兵士も聖女を厚く信仰している。
長年苦楽をともにしてきた俺が聖女の夫となったことは鼻高々だったようで、俺が何度注意しても賑やかしにやってくる者が絶えない。
この年になって、年下の兵士にからかわれるのは勘弁して欲しい。
うるさいのを追い払って書類と睨めっこしていると、今度は猫の女神官がやってきた。
「オブシディアン殿下、聖女様は兎肉を食べたことがおありだったようで、とても懐かしがって喜んでおられました」
聖女の食事は、猫の女神官――チシャが取りに来て、綺麗に洗った皿と共に聖女の様子を報告し、また次の食事を運んでいく。
「そうか、それは良かった。見ての通り俺は書類仕事が押しててな。なかなか顔を出せないが、いつでもここに何かしら作っておくから、好きに持って行くといい」
書類にサインしつつそう言うと、チシャは何か物言いたげな目で俺を見た。
「何だ? そろそろ雑炊には飽きたか? 固形物が大丈夫そうなら、長芋でおやきでも作るか」
「いえ、そうではなく……お忙しいのは分かっておりますが、日に一度だけでも聖女様とお会いして頂くことは出来ませんか?」
チシャの言葉に俺は眉を寄せ腕を組んだ。
聖女の食事作りは自分から言い出したこととはいえ、今俺はハチャメチャに忙しい。
隣国の大魔道士とドンパチやって合間に畑仕事に精を出していたときのほうが余裕があったくらいだ。
まぁ今がいくら忙しくとも、いつ誰が死ぬとも分からないあの日常に戻りたいとは決して思わないが。
「……失礼を申し上げました」
難しい俺の強面を見て、何か言いたいことを飲み込んだようにチシャは帰って行った。
俺はといえば、王子宮に戻る暇もない。
チシャが去った後夜中まで書類を睨み、副団長室のソファで仮眠し、朝一で『東の大樹海』へ出かけて大角兎を狩り、鍛錬場のシャワーで自分の汚れを落としつつ解体して、途中の道のりで適当に摘んできた野草のあく抜きやらなんやら軽く下ごしらえ。ついでに兎の骨でダシを取る。
まぁ、毒でなけりゃ大抵は食えるが、野菜じゃない野草ってのは苦いやつが多い。
苦味を抜いている間にゾアビッツが昨日の訓練の報告がてら軍の食堂から調達してきてくれた自分の朝飯を腹に詰め込み、咀嚼しながらつみれを作る。
山芋の角切りにつみれ、カラスエンドウの豆を放り込んで煮込んでいる間に、今日の書類に目を通す。
その間もゾアビッツも当たり前のようにして副長室の応接用のソファで肉過多な食事を飲み込んでいる。ゾアビッツは俺の口にも肉の塊を放り込みながらニカッと笑った。
「いやぁ、副長がそんな熱心に世話するたぁねぇ。聖女様ってなぁ美人なのかい?」
「知らん」
「はぁ? 新婚ほやほやの新妻にまるで興味ないってのか?」
ゾアビッツの軽口を流しながらも、俺の目は書類の文字を追っている。
「ちっ、傷病兵への補償がまだ払われてねぇじゃねぇか」
差し戻しの書類に赤ペンでチェックを入れ、調査の指示を書き入れる。
誰かネコババしてやがったらただじゃ済まさねぇ。
『聖女の恵み』のせいか、この国の人間は病気や怪我を軽くみる傾向がある。かく言う俺も敵国――いや隣国の奴らと話す機会がなかったら気付かなかったかもしれんが、怪我や病というのは本来本人どころか家族の人生まで左右する大ごとだ。
確かに『聖女の恵み』の効果はてきめんだし、騎士や兵士にとって有り難いものだった。しかしそれはあの小さな聖女一人の生み出す物だ。『聖女の恵み』が万人に配られ始めたのはここ十年ほどのことだが、それ以前がどうだったか思い出せないほどに、この国の人間は『聖女の恵み』があることに慣れきってしまった。
『聖女ありき』で動くようになり、聖女がいなかった頃の有益な仕組みが失われかけている。
聖女がある日突然いなくなったら、この国はどうなるのか?
俺が他国の間者だったら、まず間違いなく聖女を狙う。
暗殺されなかったところで、聖女が病や過労に倒れたら。『聖女の恵み』を作れなくなったら。
聖女はたった一人だ。
そこで俺はひとつ大きく息を吐いた。
だからこそのあの王命。
戦争を終わらせる代わり、俺に求められた勅命は、『聖女との婚姻』そして――『聖女を孕ませ次代の聖女を産ませること』だ。
国は、聖女がいなくなったときに備えるのではなく、聖女の予備を作る方を選んだ。つまり、聖女を使い捨てにするつもりだ。
コメカミをペンで軽く叩きつつ唸っていると、執務室の扉が静かにノックされた。
「殿下」
俺が返事をするより早く開かれた扉から入ってきた女官長、ムースは有無を言わせぬ静かな迫力で俺に告げた。
「少し、顔を貸して頂きましょうか」
身分関係なく俺が逆らえない人間はこの世に三人いる。師匠と、死んだ母上と、そしてこのムースだ。
ムースはアレクを育てた乳母の実の母親だ。
アレク付きの侍女ではなく当時から本宮の女官長をしていたが、週に一度は王子宮にも顔を出し、立場の弱い俺にも何くれとなく気を配ってくれていた。
十歳で王子宮に身を寄せた俺を王妃は何も諦めたわけではなく、排除しようと虎視眈々と機会をうかがっていた。ムースのおかげで拾えた命と立場は五指に余る。
恩人だからというだけでなく、ムースには何故か逆らえる気がしない。流石は魑魅魍魎はびこる本宮で女官長まで上り詰めただけはある、ということだろうか。
目線で「付いてこい」と命じるムースが向かったのは、案の情の王子宮だった。野次馬根性丸出しのゾアビッツも後から付いてきている。
確かに、新婚早々新妻を放置し過ぎたかもしれない。
まぁ顔も声も知らぬ妻ではあるが。
「まずはご覧くださいまし」
王子宮の聖女の部屋。
来たのは初めてだが、それなりに質の高い女性物の調度と暖色で整えられた室内、部屋の用意
一手に任されたムースらしい落ち着いた居心地の良い空間に――異臭が立ちこめていた。
「なんだ? なにかが痛んだ……腐った? カビた食い物のニオイか?」
「それも後でご説明いたしますが、今はようございます。まずはこの中から……聖女様を見つけてくださいまし」
「は?」
俺は部屋を見回す。
ベッドの上にも周りにも、聖女の姿は見えない。
部屋の端に立つ猫と狐の女神官二人の後ろにいるのかと確認したが、それもない。
「この部屋のどこかにいるのか?」
「さようでございます。ローファ殿、チシャ殿以外は誰もお近づけにならず、このように部屋まで伺いますと隠れてしまわれるのです」
戦場暮らしが長かった俺は人の気配には聡いつもりだったが、呼吸の音も気配もまるでない。
そこでローファが一歩前に出て恭しく礼をする。
「失礼ながら申し上げます。聖女様のお世話は神殿にいらしたころ同様わたくしどもが致します。女官の皆様にはお下がり頂けますよう」
「そんなことを申されても、聖女様は王子妃となられたのですよ。このままではオブシディアン殿下すら近づけないではありませんか」
「そっ、そんなことはありませんっ」
ローファとマースの言い合いに割って入ったのはチシャだった。迫力ある二人に逆らうのは相当胆力を必要とするようで、しっぽは毛羽だって真っ直ぐ立っていた。
「聖女様は、いつも『王子サマ』のお話をされます。殿下の作る物を幸せそうに召し上がります。『王子サマ』と次に会えるのはいつなのか楽しみになさっております。殿下が近寄れないなんて、そんなことはあり得ませんっ」
チシャの口から語られる俺の知らない聖女の様子に、心のどこかがザワザワした。
十年前に『発見』された聖女。
筋肉最高、とつぶやいていたらしい聖女。
俺を『王子サマ』と呼ぶらしい聖女。
根拠は曖昧だ。けれど勘が囁く。もしかして、と。
「モリー……?」
人間が入れるとはとても思えない、ベッド脇のサイドテーブルの戸が勢いよく開いた。
そこから飛び出して来た聖女は、転がるようにして俺の足にしがみついた。