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四、(二十年前・オブシディアン)


 俺、こと第一王子オブシディアン・ライムール・アルファルファには、空白の時代がある。

 王妃の子に先んじて産まれたが、産みの母は俺が八歳の頃に他界。おそらくは王妃に暗殺されたのだとは思うが、証拠は何もない。

 後ろ盾も何もない王子だったが、現国王の血を引くのは俺と三歳年下の弟だけ。俺は弟に与えられた王子宮に居候することになった。さすがの王妃も、実の息子の宮で俺を殺すことはないだろうという荒療治だった。

 アルファルファ神聖国の王太子は、五歳になると母の宮を離れ自分の宮を賜る。

 弟――アレキサンドライト・リオネル・アルファルファは、乳母やたくさんの護衛騎士、侍従や教師と共に王子宮で暮らしていた。


「へぇ、僕の『兄上』ねぇ」


 王妃に俺の悪口を聞かされていたらしい弟は初めこそ俺を見下してきたが、乳母が穏やかに言い聞かせると不承不承に改めた。態度の端々からは不満が見て取れたが、何とか理性で押さえつけたようで言葉に表すことはなかった。

ところが少女のような若い護衛騎士に剣を習っている折り、俺の方が上手く出来ると口をひん曲げてののしり始めた。


「ふんだ、ちょっと褒められたからって良い気になるなよ! 僕には母上がついてるんだ。お前の母親は死んじゃったんだろ!」


 心ない弟の言葉に、母上の死に際がフラッシュバックする。

 嗚咽より、嘔吐感が込み上げてきた。

 俺が口を押さえ、体を丸めてうずくまると、べちん、といい音がして、弟も頭を抱えて俺の前にうずくまった。

 王太子の頭を盛大にひっぱたいた護衛騎士は、ツンとそっぽを向いて言い放った。


「そのような言い草、私は好きません」


「ええっ、ごめん、ごめんよトリア、もうしないから! 僕を嫌いにならないで」


 トリアというのはアレキサンドライト――アレクの乳母の妹で、護衛騎士の一人だった。アレクの乳兄弟になるはずだった乳母の子は産まれてすぐに亡くなってしまったそうで、トリアがその代わりというのではないが、アレクにとっての姉のような立ち位置になっていた。


「謝る相手が違うのではありませんか。王太子殿下」


「分かったよ兄上に謝るから! そんな他人行儀なしゃべり方やめてよ」

 

 ぶすっとした顔で謝ったアレクは、小さな声でぼそりと続けた。


「本当は、母上とはほとんどお会いできないし、会えても僕の話なんて聞いてくれないから、言いつけたりなんか出来ないんだ」


 公務で忙しい父の国王や母の王妃に会えるのは一ヶ月に一度あるかないからしい。

 俺は父とはろくに会ったことがないが、側妃であった母とは亡くなるまで毎日同じ食卓についていた。母上はいつも俺の剣や勉学の話を聞きたがったし、実の子の話をろくに聞かない母とはどんなものなのか、俺には想像もつかなかった。


「母上と別で暮らしていて寂しくないのか?」


 地べたに座り込んだまま、そう問うた俺に、アレクは胸を張って答えた。


「兄上は母君とずっと一緒にいたからそう思うんだよ。僕とずっと一緒にいてくれたのは、乳母やとトリアだもの」


「そうか、俺は母上が亡くなったときはとても寂しくて……」


 俺が俯いて眉尻を下げると、アレクも赤みがかった金色の眉毛をへにょりと下げ、碧の目を潤ませて背後に控えていたトリアの足にしがみついた。


「僕だって、トリアがいなくなったら泣いちゃうよ。何日も何日も、目がこぼれちゃうくらい泣くから、トリアは絶対いなくなったら駄目だよ」


「ははっ、分かりましたよアレク王子。剣にかけて誓いましょう」


 足にへばりついたアレクを抱き上げ、トリアは柔らかく微笑んで言った。


 それなのに、それから二年。

 トリアとアレクの乳母は、同時に事故で命を落とした。

 王太子宮での事故だというのに、何故か俺はその時期の記憶が曖昧で、トリア達がどうやって死んだのか覚えていない。

 ただ、何か酷く恐ろしいものを見たような……


「アレク! どこにいるんだ、アレク!」


 葬儀の最中に熱を出して寝込んでいた俺が目覚めたとき、王太子宮には俺の他ただの一人もいなくなっていた。 

 アレクはもちろん、あれだけいた侍従や女官、護衛騎士に教師達までも。

 誰もいない王子宮に一人残された俺の元に食事が届くことはなかった。


「助けてくれ、アレク! 俺はまだここにいるんだ! ここを開けてくれ!」


ひもじくて寂しくて、本宮への戸を何度も叩いたが、そこが開くことはなかった。拳がアザだらけになり、爪も割れ始めたとき、俺は王子宮の外に出ることを諦めた。

 おそらく、俺はわざと忘れられたのだ。

 目の上の瘤である俺を、王妃は手を汚すことなく排除した。

悔しかったが、何にせよ生き残らなければ話にならない。俺がピンピンしていること自体が王妃への報復になる。王妃の思い通りになんてなってたまるものか。

 そうとなれば、王子宮の中で何とか食べ物を調達しなければならない。鼻をすすりあげ袖で涙を拭い、俺は立ち上がった。

 王城は防衛を兼ねて『東の大樹海』と呼ばれる魔物の領域に尻を突っ込む形で建っている。魔物の領域というのはその名の通り魔獣の住む場所のことで、深くに行けば行くほど強い魔獣が出没する。

 幸か不幸か、王子宮は後宮の一部であり、塀一枚を隔てて『東の大樹海』につながる森隣接していた。森に出れば食料は手に入るだろうが、深入りし過ぎるとこちらが魔獣にやられてしまう。森を抜けて助けを求めることは出来なかった。

 アレクやトリアと何度も探検して回ったおかげで、森へと抜け出せる崩れた穴も確認済みだった。森には獲物も実りもある。王子宮に近い場所なら魔獣も出ない。何とかなるだろうと森へと出発した俺は早々に鼻っ柱を折られた。非力な十歳の子ども一人に出来ることなどたかが知れている。

 木の実やキノコを見つけても、それが食べられるものなのか判別出来ない。唯一確実に食べられそうなのは獣の肉だったが、矢を射ても剣を振り回しても、獣たちはひょいひょいと躱して逃げてしまう。

試行錯誤を重ね、落とし穴を掘って罠を作り、最初のウサギを手に入れたときには、実に五日が過ぎていた。


「ミャーォ」


そんなとき、一匹の黒猫が現れた。

痩せた猫だった。

 黒猫はしきりに餌を強請る素振りを見せていたけれど、俺だって五日ぶりに手に入れた食料で、次はいつ手に入るかも分からない食料だった。内臓もよく洗えば食べられるし、骨はスープに出来るし、毛皮は冬に備えてとっておきたかった。


「悪いな、そんなものしかやれなくて」


「ミャォ」


 ケチな俺が黒猫にやったのは、血抜きして棄てるウサギの血ぐらいだった。

 それでも黒猫は俺になついて、良く現れるようになった。世間知らずな俺が気持ち悪さにえづきながら獲物を解体し、不器用な手つきで切り分けるのを黒目がちな瞳でじーっと見ていた。慣れないナイフで自分の手を傷つければ、心配そうに舐めてくれた。寂しさと寒さに震える俺の毛布に潜り込み、温めてくれた。


「モリオン。そうだ、お前の名はモリオンにしよう。母上が俺に持たせてくれた守り石の名前なんだ。魔除けの石だって。お前にピッタリだ」


 黒く艶やかになってきた毛皮を撫でながら、俺はそう言った。

 アルファルファ神聖国の王族には力ある石の名がつけられる。俺のオブシディアンも、弟のアレキサンドライトもそうだ。嫁いできた人にも夫から石の名を贈られる。俺の母はアンバーだった。逆を言えば、力ある石の名を猫なんかにつけたと知られれば確実に怒られる。でも、俺は一人だ。


 『兄上ったらー、いっけないんだー、ねぇトリア?』


 そんなアレクの幻聴が聞こえてきたが、振り返ったそこにあるのは灯り一つないいつもの暗闇ばかり。

 その日から、黒猫のモリオンだけが俺の家族になった。


 モリオンは不思議な猫だった。

 森で小枝を拾って乾かしてみても、俺には火の付け方が分からず、仕留めた獲物の切っただけの肉を生で食べていた。狼の獣人は生肉にある程度の耐性があるが、それでもやはり保存や衛生、さらにもっと寒くなる冬を考えると火は欲しい。


 そんなある日、モリオンが何かの古い金属で遊んでいた。次の日には麻縄、その次の日には尖った石。

 三つを一箇所に集めてモリオンは小首を傾げて俺を見ていたが、その頃の俺にはそれが何なのか理解出来なかった。

 さらにその次の日、俺は信じられないものを見た。

 モリオンが前足を持ち上げて座り、肉球のついた小さな手で一生懸命麻縄をほぐしているのだ。


「まさか……妖怪?」

 

 何度も目をこすったけれど、見間違いではなく、単にじゃれているわけでもなく、モリオンは麻縄と格闘している。

 不器用な手つきで麻縄をほぐし終わると、尖った石の上に載せた。その後両手で持った金属で石の角を叩き、火花を飛ばした。それから慌てて口を近づけ、小さな手で石を包み込むようにして息を吹きかけた。何度も同じ動作を繰り返し……首を傾げた。その仕草はいつものモリオンで、俺は妖怪かもしれないと警戒していたことなど忘れて近づいた。

 どうやらモリオンは、手が小さすぎて両手で一つの物しか持てないらしい。

 ひとつひとつの行動の間が開くせいで上手くいかないのだと理解した俺は、手伝おうとそっと手を出した。

 

「ミギャッ……!」


 その途端、文字通りモリオンが飛び上がった。

 どうやら手元に集中し過ぎていて、俺がいたのに気付かなかったらしい。

 しっぽを膨らませて口を開いたまま、ギギギッと俺を振り返る。

 それから明後日の方を向いて、ひゅーひゅひゅーと口笛を吹くような動作をした。


「え、それ、まさか誤魔化してるつもり? そもそも猫は口笛とか吹かないし」


 思わず突っ込んだ俺にモリオンはピキンと固まった。

 俺はモリオンがやっていたように石の上にほぐした麻縄を置き、金属で叩いてみた。火花が飛ぶと石を手で囲み、フウフウと息を吹きかけると、ポッと火が燃え上がった。


「凄い! やっぱり火だ!」


 笑って見やった先で、今度はモリオンは素知らぬ顔で毛繕いしていた。けれどその視線が、チラチラとこっちを向いている。


「ふふーん、モリオンの肉球じゃ無理だよな……アチッ」


 火の付いた麻縄はいつの間にか自分の手の中に落ちていて、俺は思わず手を振って火種を放り出した。その真下にいたモリオンが、バッと飛び上がる。


「ああ! 待って待って、大変だ!」


 モリオンの毛からブスブスと煙が上がる。

 パニックになって走り回るモリオンを何とか捕まえ水をぶっかけると、濡れ鼠になって、二回りほど縮んだ惨めな姿になった。腹にハゲも出来た。女の子なのに。

 モリオンはその後、数日は俺に構ってくれなかった。

 床の上に取り落とした火種はしばらくくすぶっていたが、騒ぎの間に鎮火してしまい、俺は一人で先ほどの行程を何回も繰り返すことになった。


 その後も、モリオンは時折、人間のような仕草を見せた。

 それも大抵は俺が困っているときだ。

 半年も経つと、俺の前で平然と二本足で歩き、肉球のついた手で剣まで握るようになった。

 モリオンは強かった。

 猫だけあって基本スタイルは肉弾戦だったが、武器も一通り扱えた。俺はモリオンに剣を学び、弓を学び、獣の狩り方や魔獣との戦い方まで習った。

 声は猫のままだったから、勉学を教わることはなかったけれど、身振りでどうやら勉強しろと言っていることが分かったので、王子宮に残された本を読んで独学で魔術の知識も身につけた。

 とはいっても、狼の獣人の魔法適性は低い。俺に出来たのは、身体強化や魔法障壁ていどの補助魔法がせいぜいだったが、モリオンは頬をザリザリ舐めて褒めてくれた。


「まだまだ!」


 木剣で斬りかかる俺を、モリオンは簡単にいなす。

 モリオンの大きさはその時々で、普通の猫サイズから俺と普通に剣を打ち合えるサイズなこともあった。

 モリオンは二本足の黒猫ではなく、黒猫の獣人の姿になることがあった。二十代後半くらいの黒髪でしっぽの長い背の高い女の人だった。

 その人はもっと強かった。

 俺はその内、モリオンとは区別してその人を『師匠』と呼ぶようになっていた。


「モリオンと師匠は同じ人?」

 

 獣人というのは、獣の耳と尾をもち獣の特性を引き継ぐものの、獣に姿を変えることはできない。実体があるのだから当たり前だ。何をどうしたって、成人女性の大きさの血肉が猫サイズに収まるはずはない。

 そんなことが出来るのは……。

 

「モリオンは……魔獣?」


 それでも良かった。

 自分以外の誰の声を聞くこともない生活、モリオンの存在は救いだった。  


「それとも猫の妖怪?」


 すっかり独り言が多くなった俺がつぶやいてみても、モリオンはくぁっと大きなあくびをするだけで何もしゃべらない。

 

「もし魔獣でも妖怪でも、俺はモリオンと一緒にいたい」


 俺の毛布の上、丸まってしっぽに顔を埋めたモリオンは既に寝る体勢で、聞いているのか聞いていないのかも分からない。


「……モリオンはずっと昔に王子宮で死んじゃった猫とか人とかのオバケとかじゃなくて……生きてるよね? こんなにあったかいんだから」


 王子宮の外、アレクや俺にも良くしてくれた侍従達に俺が生きてここにいることを知らせられたら、とも思った。でも、それは同時に王妃に知られることになる。

 俺が王子宮を囲む魔物の領域の魔獣達をバッタバッタとなぎ倒せるほど強くなって、森から脱出するのが最善という結論には割と早い内に達した。

 そうしたら、城になんか戻らずに冒険者になろう。

 冒険者になって、モリオンと一緒に旅をしよう。モリオンと一緒なら、きっといつだってどこだって楽しく生きて行ける。

 パタンパタンと寝床を叩くしっぽを捕まえると、モリオンは迷惑そうな顔をして俺の指をガジガジと甘噛みした。



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