二、(二週間前・オブシディアン)
「ねーぇ、副長。王都から手紙だよ、二週間以内に帰って来いってさ」
ふわふわとした三色の毛をはねさせながら、いつもの軽い調子で情報通の部下――ウラユリが言った。
国境の最前線、軍本部の天幕の中にまでお気に入りのクッションを持ち込んで、寝転んだまま仰向けで俺宛の手紙の風を勝手に切っている。しかつめらしい王の封蝋も、気ままな猫の獣人には効果を現さないらしい。
「もう十年も転戦転戦、連戦に継ぐ連戦でまともに王都に帰れた試しもないのに、前線ほっぽって直帰しろって? 現場を知らない連中は呑気でいいな。それで? 継承権もない第一王子を呼び戻して何の用だって?」
礼儀や規律といったものとは縁遠いものの、国一番の魔術師であり戦場において気の置けない戦友でもあるウラユリは、しばらく紙面に視線を落とした後、ケラケラと笑った。
「国防の英雄、第一王子にして騎士団副長オブシディアン・ライムール・アルファルファに『聖女』との婚姻を認めるとさ。つまりお偉方はつまはじきの王子サマに悪名高い聖女サマを押っつける腹づもりらしいよ。結婚おめでとーさん、副長」
俺、オブシディアン・ライムール・アルファルファは、アルファルファ神聖国の第一王子で、28歳、騎士団の副団長なんてものを拝命している。第一王子ではあるものの側妃腹で早くに母が亡くなったため後ろ盾もなく、王太子には王妃腹の三歳年下の弟が就いているため、使い捨てに出来る軽い命だ。
騎士団の副団長なんて大層な役に抜擢されたのも、それなりに戦闘能力に恵まれた俺を王都から遠ざけ、辺境へと厄介払いするための体の良い言い訳だ。戦死してくれたら万々歳、大怪我でもまあ良し、と思われているのは流石に癪なので、嫌がらせを兼ねて生きあがいている内に戦上手と呼ばれるようになった。
ちなみに騎士団長は老年の侯爵で、書類仕事中心の半ば名誉職。街を荒らす魔獣の討伐や国境の紛争に駆り出されるのは全て副団長だ。
「俺に、国の要である聖女を娶れって? 冗談だろ」
聖女が結婚する必要があるとして、第一候補に挙がるのは王太子である弟のはずだ。
追放したい、出来れば殺したい俺に、そんな実権を握らせるなど危なすぎる。
「それがねぇ、聖女サマは実は不気味で醜くて凶暴で暴れん坊で我が儘らしいよ。政治的には国中の信仰を集める聖女と王族を結婚させたいけど、王太子は拒否ったんじゃない? 国には副長っていう王子がもう一人いるし、死んでも構わない王子なら、人身御供にちょうど良いと思ったんじゃないー?」
「ひでぇ言い草だ」
『副団長』が言いづらいのか、ウラユリ始め団員には『副長』と呼ばれている。
王都に帰ってくるなとばかりに十六の頃から様々な任務を言い渡され、騎士団の一師団と共に辺境や国境付近を転々とさせらている。騎士団の面々はそれなりに人員の交代もあるが、俺は十二年休暇というものがなかった。
ここ数年は、隣国であるデントコーン王国に若過ぎる新王が即位したとかで、領土を切り取れと城からの催促がうるさい。彼の国の王は確かに俺より十も若いが、俺と同年代の戦術級の大魔道士を正妃に迎えている。彼女は大陸でも唯一の雷系の大規模魔術の使い手で、魔法剣士である俺とウラユリがかかりきりで何とか五分の実力、一進一退の攻防を繰り返していた。
国土防衛ならともかく侵略戦だ。
俺は何度も国に撤退を進言していたが、国王と大神官、聖女が『侵攻』と言えば引くことは出来ず、何年も無為な戦闘を繰り返していた。聖女に恨みこそあれ、婚姻なんて真っ平ごめんだ。
「知ってるー、副長? 聖女サマはねぇ、すっごい偏食らしいよ。なんでも人間は穢れてるから、人間が育てた家畜も野菜も果物も食べないし、人間が調理した菓子や料理も触りもしないってさ。ついでに穢れた空気に触れるのも勘弁て感じで常に分厚いベールを被ってて誰も顔を見たことないし、近寄れる神官も暴れん坊の聖女様のおかげで生傷が絶えないらしいよ。それなのに王子サマを結婚相手に要求するとか何様ー? あ、聖女サマか」
「なんでお前は最前線にいるってのにそんなゴシップに詳しいんだ?」
ウラユリはペロリと舌を出すと、上唇をペロリと舐めた。
「そんなの、従軍神官の女の子と懇ろになったからに決まってるじゃーん。こんなとこまでわざわざ来てくれるコは貴重ーだよねぇ」
三色のふわふわした髪にくりっとした吊り目がちの金目、中性的なウラユリは男女問わずよくモテる。無骨一辺倒の俺とは大違いだ。
「ちょっと待て。女神官に手を付けるのは御法度だろう」
「ヤだなー、固いこと言いっこなし。それがオレの仕事だし。それでどうするの、副長? 初恋の君を忘れられないからって断っとくー?」
ウラユリの業務内容には諜報も含まれる。敬語すら聞いたことのない雑な性格だが、不思議と人に警戒されることなくスルリと情報を引き出してくる。
「初恋……いや……」
チャラいウラユリの言葉に、オレは眉間にシワを寄せ腕を組んだ。
確かに胸の内に住む面影はある。しかし、あれは幻か物の怪のようなもの。二度と会うことも叶わない。
一途と言われる狼の獣人とて一国の王の子に産まれた以上、意に添わぬ婚姻を受け入れなければならない日もくるだろうとは思っていた。
「ちなみにねぇ、『聖女』サマの婚姻は国の一大祝賀だから、それに伴って長く紛争状態の隣国と停戦協定を結ぶ用意があるって書いてあるよ。要は、副長がずっと言ってた、『兵を引け』ってのを叶えてやる代わりに聖女サマと結婚しろってことだね」
からかい口調だったウラユリの耳がへにょりと寝る。
五年も続いているこの戦争。『聖教』の教えを広めるなんだというお題目を掲げてはいるが、結局の所、農業大国である隣国の穀倉地帯が欲しいという国王や大神官の見栄と欲が背を押し続けてきた。少なくない兵を失い、残った兵も士気は低く、それを支える民も慢性的に疲弊している。
幼い頃に亡くなった俺の母という人は、隣国の公爵家の出身で、政略結婚というものを正しく理解していた。
己が嫁いできたのは国益のため。国に安寧をもたらすため。
己の人生も死も、民のためになるならば私心を殺して受け入れる。
『彼女』を失って抜け殻となった俺は、母の遺志を守るためだけに生きている。
俺が死んで戦争が止むならそれも良いが、弔い合戦だ何だのとより状況が悪化する未来しか見えないため、死にそびれている。
「俺の婚姻が国益になるなら否やはないな。王都に戻る。お前には残務処理を任せた」
「あーあ、副長ならそう言っちゃうと思った。その自己犠牲っての? どうにかなんないかな? しょうがない、『姐さん』への根回しは任せてー。分厚いベールの下のバケモノ顔を見に、オレもなるべく早く追いつくからー」
深いため息を一つ付くと、ウラユリは敵方の司令官――デントコーン王国正妃につなぎを取るべくスルリと消えた。
ここ二年ほど、正妃の大魔道士と俺たちは派手な戦闘をやっているように見せて、その裏では手を組み人員の損耗をできる限り押さえている。俺たちが引くと言えば、無闇な深追いなどせずあちらも引いてくれるだろう。
戦が国を疲弊させるのはあちらとて同じ理屈だ。
「悪名の聖女が戦を終わらす、か」
俺は長年戦闘を繰り返してきた国境を見やり、口の端に苦笑を滲ませた。