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一、聖女との政略結婚(現在)

一、聖女との婚姻(現在)



「悪いが……俺には君を愛することは出来ないだろう」


 婚姻式の直前、初の顔合わせでそう告げる俺――オブシディアン・ライムール・アルファルファを、これから妻となる小さな聖女はきょとんと見上げた。

 いや、見上げたように見えた。

 大人物のブカブカの神官のローブに大きな白い帽子、分厚いベールに阻まれて、聖女の顔は全く見えない。

 なんなら声も聞こえない。

 政略結婚にはままあることだが、俺は今日この日にいたるまで、聖女に会ったこともなかった。

 しかし、噂は俺のいた戦場まで届いていた。

 いわく、我が儘で凶暴で不気味だと。 

 この国、アルファルファ神聖国は『聖女』なしには立ちゆかない。国民の大多数が、日々『聖女』に感謝し、『聖女』を敬愛し、『聖女』の健勝を祈っている。

 ところが実際『聖女』に接する神殿の人間の間では、『聖女』の評判はすこぶる悪いという。

 『聖女』は食に関しての好みがうるさく、食材を用意するだけで大仕事だ、とか。

 『聖女』は暴れて暴力を振るうので、聖女付きの神官には生傷が絶えない、とか。

 『聖女』は聖なる力と引き換えに、化け物のような醜悪な容姿をしている、とか。


「この婚姻は、俺が望んだものではない。まぁ君も、こんな十も年上の戦場しか知らぬ男などごめんだろうが…… 俺たち狼の獣人は、『唯一』と生涯に一度定めた人しか愛せない不器用な種族特性を持っている。そして俺は、まだ若い内にその相手に出会い、そして失ってしまった。故に君を愛することは出来ないだろう」


 俺は錆色の髪に同色の耳と尾、焦げ茶の目の狼の獣人だ。

 もごもごと聖女が何か言っている。

 傍らに控えていた猫系の女神官の一人が聖女に近づき、分厚いベールに遮られた小さな声を聞き取る。それから、「え、マジですか? それを伝えるんですか? マジで?」と小さくつぶやき、コホンと咳払いした。


「第一王子殿下の筋肉はとても良い、筋肉さえあればノー問題、ありがとうございますと聖女様はおっしゃっておられます」


「……筋肉?」


 確かに長年戦場にいた俺の筋肉はとても王族や貴族とは思えぬ進化を遂げているが……

 聖女の年は十五と聞いている。子どものような体つきだが、思いもかけぬ男好きだったか。

 聖女は上機嫌にパタパタと手を振り回し、走ろうとしたのか踊ろうとしたのか、ローブのだぼたぼの裾を踏んづけてつんのめった。それを慣れた調子で支えた女神官が、「えー?」と小声で言いつつ俺に向き直った。


「人は裏切るけど筋肉は裏切らない。筋肉筋肉、筋肉最高。筋トレすれば悩みも吹っ飛ぶ。健全な筋肉には健全な心が宿る。筋肉布教。筋肉最強。とか小声でおっしゃっております。……こっちは独り言ですかね?」


 あっけらかんと答える女神官は、猫系の獣人でまだ十代半ばといったところだ。礼儀作法も怪しい彼女を、もう一人の二十代後半くらいの狐系の女神官が嗜めている。

 ……何だか物凄く聞き慣れたフレーズだった。俺がいたのは戦場、周りは軍人ばかり。筋肉信望者の巣窟だ。俺の部下の脳筋にもそんな口癖の男がいる。何なら俺に基礎を叩き込んでくれた師匠もそんな口癖だった。

 聖女が脳筋?

 あのローブの下は、ムキムキだったりするのだろうか。


「まぁお互い本意ではない婚姻で、少しでも好ましい点があるならば良かった。俺も、君を利用することとなってしまった手前、君が過不足なく過ごせるよう努力するつもりではある」


「利用?」


 聖女の独り言じみた小声を、猫の女神官が取り次ぐ。


「俺は元々魔獣討伐隊を率いていたが、ここ五年ほど……隣国の領地を我が国のものとすべく戦ってきた。『聖教』を他国にも広めようという大神官の意向だ。だが隣国も手強くてな、このままでは徒に国力を消耗する。そこで何度も停戦を国に進言してきたが、大勝するか『聖女』の婚姻くらいの慶事でもなければ軍を引くことは出来ないと言われてな」


 確かに聖女への愛も情もない。

 だが、利用する事への罪悪感と――俺に課された王命を遂行せねばならぬことへの憐憫があった。

 こんな、小さな少女に。


「大神官によると、『聖女』の夫は王族が望ましいらしい。王位継承権も持たぬ第一王子だが、俺にも王の血は流れている。軍を引き凱旋したいなら『聖女』と結婚しろ、英雄に祭り上げてやると言われ、俺は受けた」


 俺が戦場にいた十二年の間に、いつの間にか国内ではこの戦争は我が国から仕掛けたものではなく、他国からの侵略者を阻む防衛戦だということになっていた。つまり、隣国の領地を奪えなかった俺も、自国の領土を与えなかったことで英雄視されているらしい。

 側妃腹の王太子でもない俺にそんな名声を与えて良いのかと思ったが、『聖女』の夫にはそれくらいの実績が必要で、さらに『聖女』を王太子妃とすることは王太子も王妃も頑なに拒んでいるから、俺を祭り上げるしかなかったわけだ。


「権力に媚びた犬だと笑ってくれて構わない。だが、君を尊重するつもりではある……ところで、君はさっきから何を食べているんだ?」


 聖女の口元のベールがもごもごと揺れている。

 はっと気付いたらしい猫の女神官が、ためらいなく聖女のベールに手を突っ込んだ。


「もう、聖女様! そんなもの食べちゃ駄目だって言ってるじゃないですか!」


 おそらく口の中に指を突っ込んで中のものを掻き出そうとする猫の女神官と、抵抗する聖女。聖女の力は強いらしく、女神官は苦戦している。

 それを手伝うでもなく、もう一人の狐の女神官は困ったように頬に手を当てた。


「ご存じでしょうか。聖女様には、異食症というものがあられるのですわ」


「確か、食べられないものを無性に食べたくなる病だったか」


 戦場でも、心身のバランスを崩した兵がたまに罹ることがあった。

 俺は暴れる聖女へと近づき、傷つけないよう留意して腕を固定した。


「っ」


 思わず息を呑む。今までほとんど接してきたことはなかったが、女性の腕というものはこれほどまでに細かっただろうか。

 しかし聖女の握力は存外強く、つかみ返された俺の腕には礼服越しとはいえ痣になりそうな鈍い痛みが走った。


「有り難うございます殿下」


 女神官が聖女の口から掻き出したのは、鉄製の飾り釦と小石だった。

 小石はともかく、鉄製の飾り釦には見覚えがある。

 慌てて確認すると、俺の軍用礼服の袖口の釦が引きちぎられていた。

 王子という身分にはあるが、俺も軍人の一人、釦は他の兵と同じ鉄製を使っている。軍仕様なので、ちょっとやそっとの力では引きちぎれないはずだ。まして、俺に気付かれずに引きちぎるなど。

 俺の目線が右袖と聖女の顔を行き来しているのを見て、顔色を変えた猫の女神官が平謝りしてきた。


「ああっ、すみません殿下、うちの聖女様がっ」


「いや……」


 本当にこの聖女、ローブの下はムキムキなのか……?

 大胸筋の発達した見事な肉体美が頭をよぎったが、慌てて打ち消した。いくらこれから結婚するとはいっても、服の下を想像するなど礼を逸している。


◇◇◇


 俺と聖女の婚姻式は、内輪だけの参列者で簡素に執り行われた。

 俺は軍の黒い礼服、聖女は白い神官服。

 荘厳な白い大神殿の大神官の前で、書類にサインするだけ。誓いの言葉も口づけもない。紙一枚の結婚だ。

 女性とは婚姻に数多の希望を述べるものだという先入観があったが、聖女は違うのだろうか。

 披露目は『聖教』の特別な日である『聖夜祭』に大々的に行うらしい。

 茶色がかった金髪、金目の国王が言祝ぐ。


「念願の『聖者』の血筋と王族の婚姻だ。実にめでたい。聖女は国の宝だ、一刻も早く次代を産んでもらわねば」


 青みがかった銀髪、青い目の大神官が言祝ぐ。


「聖女と英雄の婚姻。これで神聖国はますますもって安泰ですね。ですが聖女は国を浄化するため、『聖夜祭』へ向けて『祈り』を行わなければなりませぬ。ゆめゆめ、『聖夜祭』までは白い婚姻でありますよう」


 国王と大神官に、祝福と共に正反対の台詞を告げられる。


 雄々しい壮年の国王は金狼の獣人で、俺の血統上の父に当たるはずだが、まともに会話した記憶もない。

 中性的で芸術品のように美しい大神官は銀狐の獣人で、俺が物心ついてからずっと変わらぬ見た目をしている年齢不詳の優男だ。この変わらぬ美しさが『神の奇跡』『信仰のたまもの』と信者を得るのに一役買っているらしい。情報通の部下によると、化粧品まで売りさばいているというから商魂たくましい。


「大神官どのも、オブシディアンと聖女の婚姻には同意されたではないか。それなのに子を持つのは待てと言われるか」


「何も永久にとは申しておりませんよ。そちらのご意向で婚約期間もなく聖女を王城に移すのです、『聖夜祭』に向けてこちらも色々と成すべき事がございます。ご配慮頂けますと幸いですな」


 アルファルファ神聖国というのは、俺から見てひいじいさん、先々代国王に端を発する。

元は『アルファルファ王国』だったが、ひいじいさんの兄である当時の国王が国民の大多数の信仰を集めた『救い主』を国家騒乱罪で処刑したことにより、信者による革命が起こった。その革命の中心人物だったひいじいさん――クンツァイト一世が復活した『救い主』に改めて王権を授かり、『神聖国』を立てたんだそうだ。

 聖女は、その神の子である『救い主』の直系のひ孫に当たる。

 『救い主』の血筋が神殿にあり、国王を支持していることが国にとっては重要で、神殿を支配している大神官は国王に次ぐ権力を持っている。

 つまり、『聖女』を手に入れ神殿を牽制したい国王と、国王の言葉にも逆らえる立場を顕示したい大神官の争いってわけだ。


 狸と狐の化かし合い、巻き込まれるこっちはいい迷惑だ……と心の中では思いつつ、俺は胸に手を当てて恭しく応える。


「神の御心に添うよう努力しましょう」


 その間、傍らに立った聖女は一言もしゃべらない。

 顔どころか体型も分からない。

 ただ一つ分かるのは、とても小柄なことだけ。

 情報通の部下が仕入れた事前情報だと、ネコ科の獣人だということだったが……




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