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ふたつ  作者: 寂知
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5.大丈夫

「死はもっと何も無いものだと思ってた」


 心のざわつきのまま鳥に呼び掛けた。


「――これは貴方が望んだから――」

「俺が?」

「――胸の空席が何か――知る事――」


 彼は歩き続けながら自分の胸元を撫でた。

止んでいったざわつきの奥の空隙の感覚。黒くも無く闇でも無く、白くもない。ただの空の場所。

 それが悲しくて空しい。


「…ここには…何が?…人?……誰か?」


 確信の様に、ここには誰かが居たと感じた。

 妻でもない。娘でもない。

 鳥は少し高く舞い上がると再び彼の前を飛び、横へ流れた。

 彼はそれを目で追った。

 鳥の飛ぶ空間に病室が現れた。

 病室のベッドには彼が横たわっていた。臨終の少し前。

 その少し離れたところに一人の女性がたたずんで、病室の彼を見ていた。

 背の高い姿。長い髪。

 横顔だけでも誰か分った。

 

「…!」


 名前を呼んだ。

 

 彼女だ!何故?!


 思わず彼女へ駆け出した。

 だが走っても走っても近づく事は出来ず、彼女はこちらに背を向けて走り去っていった。

 彼が足を止めるとまた反対側に鳥が移動し、そこには三毛猫が佇んでいてその横には彼女も佇んでいた。

 三毛猫と同期して彼女も話し始めた。

 その三毛猫は、生前知人が使っていた仮想コミュニティルームでのアバターだった。

 三毛猫のアバターを使っていた知人は、彼女と別れ何年も何年も時間が過ぎ、たまたまルームで知り合った人だった。


 あれは彼女だったのか?


 図られたような出会いでは無かった。

 本当にただの偶然だった。

 鳥は次々と彼に彼女との思い出を見せ始めた。

 

 最後に会った時、彼女は手を振っていた。

 抱き合って星を見上げた。

 植物園を見に行った。

 彼女のバイクを彼が運転して、2人で遠出をした。

 些細な行き違いで喧嘩になったけれど、その日の内に彼の駐車場で彼女は彼の帰りを待っていた。

 大雪の深夜に深夜営業の居酒屋で朝方まで飲んだ。

 彼の夜勤明けに彼女に会いに行った時、彼女はパジャマ姿で出て来て朝日が昇るまで車内でトランプをした。

 眠たげで気だるそうな話し方。

 手をつなぎ、じゃれる様に指をからませた。

 指の感触に囁きの様に笑う彼女の声。

 彼女の誕生日。食事に誘った時、いつもは着飾らない彼女が化粧をしていた。

 はにかむ笑顔。

 海を見に行った時、笑いながら彼の手を握っていた。

 初めて彼女を抱いた夜。彼女の白い体。手の感触。

 彼女の姿を初めて見て、その瞳の中を見た事。


 初めて会った時に『戻れたんだ』と思った事を彼は思い出した。

 

 彼女の中にある自分の居場所。

 自分の中にある彼女の居場所。

 

 そう思いついた時、ずっと空のままだった自分の中の空隙が彼女だったんだと理解した。

 鳥はゆっくりと羽ばたきながら彼の目の前まで来ると、是、という思いを彼に送った。


「肉体の時間の間だけしか会えない――分かつ魂――」

「今会えてる」

「あれは記憶の残滓――次の肉体の時が近い――」

「彼女に会える?」

「分かつ魂の時も――終――」


 鳥がまた離れて飛び始めると、その近くに椅子に座る彼女が現れた。

 何度も咳を繰り返していた。

 彼自身も生前同じ仕草をしていた事から、彼女も病を得ている事が分かった。


 あの苦しさを彼女も?


 強い悲しみが沸き上がったがすぐに鎮静して行った。

 魂の休む場所には今不要だから。


「分かつ魂は――また肉体を得る――そして一つになろうとする――」

「一つに…」

「約束した――必ず――一つに――」


 咳をする彼女の姿は消え、今度は別の容姿の女性が現れた。

 それも消え、今度は背の高い男性。

 そしてそれも消え、幾度となく容姿の違う男女が一人現れては消えまた現れた。

 彼の目からは姿そこ違っても、それがただ一人の人だと分っていた。


 彼が女性の時は彼女は男性として。彼女が女性の時は彼は男性として。 


 ずっとずっと対として必ず出会い別れて来た。

 

「どうして一つになれない?」

「――分かつ時に魂は幼く未熟になる――未熟なままでは一つになれない――成長をし熟した時だけ――一つに――」

「俺は未熟だったから?」

「――共に――」


 何故一つになりたいのか。

 答えはただ一つ。元々一つであったから。

 完璧では得る事が出来ない事があるから。


「成長は何をすれば?」

「――喜びを――悲しみを――怒りを――あらゆる道を――」


 その言葉が不可解なのは自分が未熟であるからと彼は直ぐに察した。

 彼女との離別は今でも深く深く心の底に悲しみを残している。

 彼はハラハラと涙を落した。雫は足元に落ちる前に霧散する。


「――来る――」


 鳥が声無く鳴き、高く高く飛んだ。

 何もなかった空間に白い一粒の雫がにじむと、彼から離れた場所に落ちた。

 雫が王冠を作り、その王冠が作った雫が落ち、無数の波紋を作り出し、その波紋から鳥と同じ光り方をした狼が形作られた。

 狼も声無く鳴くと、その横の空間から突然彼女が現われた。

 彼は彼女へ駆けだしたが走っても走っても彼女は遠ざかるだけだった。

 狼は彼女に語り掛けた。


「――時間――次の肉体の時――」


 彼女は優しい笑みを浮かべて頷いた。

 そして狼の先導で、彼の居る場所とは反対の方へと歩き出した。

 彼は彼女の名前を叫んだ。

 それでも彼女は立ち止まらなかった。

 もう一度顔を見たかった。その目で見て欲しかった。

 彼の目の前で霧散し続ける涙が、まさに霧の様に漂う。

 鳥が頭上から彼女の方へ飛んでいく。

 彼女の周りを一周すると彼の方へ戻り、彼の足元に舞い降りた。

 彼女はゆっくりと歩を止めて、彼の方へ体を向けた。

 彼も立ち止まった。

 彼女の周りにも彼女の涙が霧の様に漂っている。

 彼女の姿の輪郭が震える様に揺らぎ、少女の彼女の姿になり、また揺らぎ年若い娘の姿になり、出会った頃の彼女の姿になる。

 それを何度も繰り返す。

 彼自身も姿の時が揺らぎ続けた。

 彼女は、彼と会い帰宅する別れ際の時と同じ様に、軽く左手を上げて振った。


「私達は大丈夫」


 そう言うと、彼女は微笑み泣きながら手を振り続けた。

 彼が小さく彼女の名前を呼ぶと、彼女は一つ頷いた。


 二人の姿の時の揺らぎは止めず、やがてその輪郭は静かに消えた。

 鳥と狼は再び進んだ。

 それぞれの分かつ魂の元へ。

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