雪男のぬいぐるみ
「ただいま」
「おかえりなさい」
パパが、ゲームセンターから帰ってきた。白い息を吐いている。マフラーをほどきながら。
うらやましい。いつも、ひとりで行ってしまう。パパは、一緒に行きたくないらしい。嫌われているのかな。
ゲームに集中できなくなる。そんな理由みたいだ。でも、連れていってもらいたい。私よりも、ゲームの方が大事ということなのか。考えるだけで、ため息が出た。
「おみやげだぞ」
「うん」
「すぐ取れたんだから」
「うん」
UFOキャッチャーで、ぬいぐるみを取ってきたみたいだ。でも、私の好みのものではなかった。いつも、男の子向けのオモチャしか取ってこない。
「雪男みたいだよ。カッコいいだろ?」
「雪男ね」
今日は、雪男のぬいぐるみだ。雪男は、あまり好きではない。ほぼほぼ、パパの好みだ。なのに、私にプレゼントする。そんなパパが、理解できない。それ以外は、大好きなパパなのに。
「あげるよ」
「いらないよ」
妹もいらないと言った。当たり前だ。雪男は、かっこいいかもしれない。でも、かっこよさは求めていない。私たちの部屋では、浮いてしまう。
冬だから、何かを抱いて寝たい。でも、雪男は嫌だ。少し前にパパが取ってきた、恐竜のぬいぐるみ。それも嫌だ。
ぬいぐるみはみんな、リビングにある。リビングの隅の、目立たない場所に置いている。ちっとも、好きではないから。そこの位置が、ちょうどいいんだ。
「お姉ちゃん、起きてよ」
「えっ?」
「遅刻するよ」
「えっ?」
朝寝坊してしまった。二段ベッドの下の、妹に起こされた。急いで降りようとした。しかし、降りるハシゴで足を滑らせてしまった。
背中から落ちていた。もうダメだと思った。しかし、背中に柔らかいものが当たった。何の痛みもなく、無事だった。
雪男だった。そこには、雪男のぬいぐるみがあった。リビングに置いたはずなのに。リビングの隅に、置いたはずなのに。ここにいた。
歩いたのか。助けに来るために。嬉しく思った。全然、可愛くはない。でも、すごくかっこよく見えた。年の離れた、お兄ちゃんを思い出していた。
今日みたいな日だった。今日のような、足の指が凍える日だった。下校のときのことだ。寒さに気をとられて、下を向いていた。下を向きながら、道路を歩いていた。
そこに、車が突っ込んできた。歩道だった。普通に歩いていれば、安全な場所。そこから、動けなかった。確実な不幸を迎えると、人は固まってしまう。
いのちの危機を感じたとき。交通事故に、巻き込まれそうになったとき。お兄ちゃんが来てくれた。
「危ないっ」
「あっ」
後ろから走ってきてくれた。後ろから抱きかかえて、引っ張ってくれた。そして、私を全力で守ってくれた。
車は、すぐ横の裸の街路樹にぶつかった。街路樹は、寒そうな枝で横たわっていた。
寂しいときも、震えているときも。お兄ちゃんは、柔らかくハグしてくれた。すごくあたたかかった。お兄ちゃんとの思い出が、沢山あふれてきた。
止まらない。楽しかった想い出たちが。ずっとずっと、あの日の幸せが、続いてほしい。そう願っていた。
なのに、病気になってしまった。お兄ちゃんは、病気になった。血液の病気だった。
それから、病院でしか会えなくなった。その後、病院でも、限られた時間しか会えなくなった。そして、病気でいなくなってしまった。
もしかしたら、この雪男はお兄ちゃんなのか。お兄ちゃんが、この中に入り込んでいるのか。そう思ってしまった。
お兄ちゃんは、好きそうなぬいぐるみだ。雪男みたいなものが、好きだったから。
私は、お兄ちゃんだと思って、雪男のぬいぐるみを抱いた。抱いて、ぎゅっとぎゅっと力を込めた。
雪男は、好きではない。雪男のぬいぐるみは、好きではない。
でも、それがお兄ちゃんなら、大好きだ。