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不可能世界と黄昏商  作者: ざらめ
第二章 満月を喰らう狂気が欲しい
19/20

第18話 小さじ一杯の

「ここは何番通りですか」

答えはおろか、聞いた相手の顔すら、霧に攫われてしまった気がする。 ―『閉本記:12』―



―――

大時計の後ろにぶら下がる鐘が、人の手によって鳴らされる。

その鐘の大きさを感じさせるゆったりとした振り子状の音色は、旅人の駆け足を催促する。

背の高い、変わった帽子を手で抑えながら走る青年が一人。

それより二回りほど小さい、両手にトランクを持った少年が一人。

白い息を右に左に置き去りにしながら、すり減った階段を登る。


(north)クローク(st)は、始業時間の最も早い駅で有名だ。

少し長めの舞踏会が終わる頃には、もう始発が出ている。

勿論、一日の利用者数約14000人の乗客の需要を満たす意味もあるが、大きくは書都の文化が関係している。

リブルアの人々は常に書物を手にしている。長編小説の続きであったり、今日使う計画書の一部であったり、はたまた恋文であったり。

図書館が好きで本が好きで活字が好きでインクの匂いが好きな人々の目は、いつも夜までもたないのだ。したがって、太陽が文字の相手をしてくれない夜は、すぐ寝てしまう。

本の続きを楽しみにして。

かくして、この都(リブルア)の当たり前が、朝陽の出たばかりの刻、胸躍り睡眠不足になった二人の体を引っ張っているのだ。


階段を登り切った二人は、4番ホームの床とにらめっこしながら息を整える。


「ゆゆしきことだ…ゆゆしきことだ…ゆゆしき事態だ…」


なにやら出発前の点検にてこずっているらしく、機関士が慌ただしくホームを行き来している。

幸いわずかに余裕があるようだ。


「ハァ、僕らも、最終、点検だ、シェイルくん…」

「行く前にも、散々、確認、したっすけど……」


体をぐいと起こしたユラ。シェイルも続いて踏ん張り、トランクを開け、中を覗く。


「三枚の乗車券」

「よし」

「財布と水筒」

「よし」

「焼きたてパン」

「全部でいくつです?」

「とにかくいっぱい」

「よし」

「借りた本」

「嘘おっしゃい買った本でしょ」

「乗ってよつまんないな~」

「よろしくない」

「――そもそも今確認して何か不足していた場合どうするというのだ?その無駄な時間、この都の景色を惜しむ時間に充てた方が幾分マシだ、全く」


そこに立ってぼやいていたのは、ペラリウムの館長、スパインだった。

皴一つないスーツに磨かれた靴、片眼鏡を曇らせるカップに注がれた紅茶。

仕事か否かに関わらず、館長は館長の格好なのだなとシェイルは思った。


「スパイン!僕らとの別れが惜しくなったのかい~?」

「どうせまたすぐコソ泥のようにウチ(ペラリウム)に来るだろうが。小間物屋としてでも情報屋としてでも構わんから、次来るときは昨日言った未所蔵の本を仕入れてきてくれると非常に歓迎する」

「どれもこれも耳にしたことのないタイトルばかりだったけどね…買い取り額は色を付けてくれると有難いね」

「フン、検討しておこう。それでは…」


二人に背を向けた館長は何かを思い出し、別れの挨拶を中断して忠告する。


「お前らの目指す“ガラスの王子様”とやら。

勘だが、実在する気がする。我ながらワタシらしくない発言だとは思うが。

そしてこれも、ワタシらしくない、とは思うだろうが、どうも嫌な予感がする。

鋼都ティティナは最短経路でも人の営みから二つ三つ森を離れたところにある廃都だ。現在は手つかず。お前らのようにお宝目当ての賊がいてもおかしくはない。ゆめ気を付けたまえ」


仏頂面と真面目な面は違う。館長の浮かべる表情は確かに後者だった。


ふと、シェイルは機関車を見た。

黒の車体はこれ以上ないほどぴかぴかに磨かれている。

煙突の吐く白い煙は時折下の機関士を撫でてむせ返させている。

前照灯は前だけを向き、後ろに続く人と貨物を引っ張る心意気を見せているようだった。

不安はない。たとえこれが、浪漫に滾った一時の感情だとしても。


「ご心配ありがとうございます。気を付けて行ってきます」

「…君に彼が無茶しないように見ていてもらおうと思ったが。全く。同じ目をしているぞ。

行方不明者の張り紙が二つ増えないことを祈っておこう」

「安心しなよ。ちょっとした寄り道さ。君から依頼された仕事もあるんだしね」


乗り場から見える豪華な装飾の施された客席は、ほとんど埋まってしまっている。

機関士もゆゆしき事態を取り除いたようで、出発のため、前から順に乗り口を閉めてゆく。


「乗り遅れるぞ。早く行ったらどうだ」

「ああ、ちょっとワケがあってね」

「?」


最後の点検を終えた機関士はほうぼうに指をさしながら機関室に入ってゆく。乗り口はとっくに閉鎖されてしまっている。


「異例らしいけど、稀にそういう人もいるみたいでね。昨日取り合ってみたらどうにかなったんだ。運賃はちょっと高くついたけど」

「だからなんの話をしている」


機関士が笛線をぐいと引くと、威勢のいい煙と共に汽笛が鳴る。出発の合図だ。


「もう少し早くついていればゆっくり乗れたんだろうけど、最後君と会えたから、ぎりぎりで正解だったのかもね」

「何を言っているんだ?お前ら」

「シェイルくん、覚えてるね?」

「はい、“スタート地点は機関室として、客席車両六両目が通り過ぎたら全力で走れ”ですね」

「ね?優秀でしょ?この子」

「…おい、全くなんつうこった。

お前らの客席はホームに入りきらねえ車両にあるのか」


察しのついたスパインは傾いたティーカップを慌てて水平にする。言葉に気を遣っている余裕もないようだ。


―皆様、よい旅を!―


ホームの機関士が作業の手を止め一斉に手を振った。快適で安全な旅を願って。

それを尻目に二人は、汽車と競争でもするかのごとく、身をかがめ右足を前に出し、何かの機会をうかがっていた。

こんなに冷えた朝に、額に汗を垂らしながら。


もう一度汽笛がなる。大きな車輪がゆっくりと動き出す。リズミカルな排煙の音は加速していく。

目の前を通り過ぎる客席車両一両目、

二両目、

三両目、


「シェイル君、ユラ君。良い旅を」


四両目、

五両目、

六両目!


「「行ってきます」」


全速力で、しかし朝露に濡れたタイルで足を滑らせないように、彼らはホームを走り始めた。


貨物車両一両目、

二両目、

三両目!


ひとつだけ扉の開けられた貨物車両、三両目に向かって、二人は飛んだ。

一人は帽子を押さえ、

一人はトランクを精一杯持ち上げて。


―――スパインが無事着地したのを見届けたころには、すでに彼らは遠くに行ってしまっていた。

彼らが取った席には、温かい飲み物も、豪華絢爛な装飾も、格式高い客室乗務員のサービスもない。だが、


「ロマンか」


くだらないと吐き捨てるにはもったいないその言葉を、冷めた紅茶と一緒に飲み込み、館長は仕事に向かうことにした。



―――――――――――


曇り空。

針葉樹の山岳地帯。

手前には見下ろすのも憚られる底の見えない谷。

その谷の向こう側の線路を、崖前より眺める人影が二つ。

骨董品のような古ぼけた弓に手をかけ、スカートをなびかせる影と、それを後ろから腕を組み見つめる影。

共通しているのは、どちらも口に煙草を咥えていること。火はついていない。

長居をしているのか、足元にはいくつもつぶれた吸殻が落ちている。


「既に手助けは済ませましたので」


最初に口を開いたのは射手の方だった。凛々しくも可愛らしい女性の声ではあるものの、冷たく淡々と業務の完了を伝達する。


「飯食ったか?」


煙草に火をつけながら、もう一人が口を開いた。男女どちらともとれない声色は、射手よりも上の立場にある人物のようで、ライターをカチカチと鳴らしながら朝食の有無を確認する。


「シガーキス」

「お?」

「シガーキスをば」

「おおお?」


射手はぐいと顔を近づける。口づけでもする勢いだった。


「ブレックファストにしちゃ重てえな。まあ暁にだ、一発で仕留められたらの」

「朝飯前でございます。必ず褒美をば」

「お熱いこって」


弓手は約束を取り付けると、顔を離し、矢籠に手をかける。

後ろの人影は、不健康な息を吐きだしながら、コートを震わせて笑っていた。

口角は鋭くつり上がり、美麗な曲線を描いている。

それはまるで、まさしく、まさか、まさに、


「やっと会えるな。少年」


三日月のように。


―――――――――――


「うぅ~さぶさぶ。かなり着こんだつもりだったんだけど…

シェイル君、トランクから毛布を引っ張り出してくれないかい」


第三貨物車両の中身はこうだった。

ユラ、シェイル、ペガちゃん、荷車、以上。

いつも大切な商品を運んでくれているペガに日ごろの感謝を込めて、今回は機関車に運んでもらおう、という計らいで、昨日ユラが駅に空きの貨物車両を借りに行ったのだ。

突拍子もないお願いに柔軟に対応してくれた駅員にユラはたいそう感謝した。無論それ以上のことは望めないし求めない。

中はペガが窮屈しない程度には広いものの、光は車両の上についた通気口と少し開けている扉から差し込む微かなもののみ。床ももちろん鋼鉄製で、人肌のぬくもりを通り過ぎる風が瞬く間に冷やしていく。

二人と一頭を運ぶ前は何を運んでいたのかはわからないが、壁にはところどころ乾いた植物がへばりついていた。時折ペガが首を伸ばしそれを口にしたのでシェイルは止めようとしたが、「体に悪いものは吐き出すから大丈夫だよ」という大元の問題は解決しない言葉に、まあいいかとシェイルは諦めた。

シェイルは、隅で毛布に包まり、頼りない光で読書に更けこむユラをじっと見つめていた。


「おいで」

「え?」

「君も寒いだろう。こっち来なよ、一緒に暖まろう」

「え、あ、はい」


抵抗があるわけではなかったが、シェイルはなんとなく躊躇った。否、それを抵抗があると言うのかもしれないが、“あら、ひょっとして恥ずかしいの~?”などと言われ猶更近寄りがたくなる前に、意を決してユラの毛布に入り込んだ。


すとん。


中は少し暖かかった。

だからこそ余計に、シェイルはユラの腕の冷たさに驚いた。

ユラの使う魔法のせいなのか、単に冷え性なのか。

しかしシェイルは、不思議と嫌な感じはしなかった。

むしろ、不思議と心地よかった。


―不思議ばっかり、この人は―


特にやることもないので、シェイルは口元まで毛布に埋もれ、隣の人間に対して思いを巡らせていた。

思い出すのは、最近のこと。


―ユラさんは、本当の名前を明かして自暴自棄になった私に、同じように本当の名前を、大きな秘密をもってして慰めてくれた。

だが、逆に言えば私は、この人の名前“しか”知らない、のかも。

確かに知っていることは沢山ある。でも、普通ならすぐわかるはずのことが今でも分からなかったりもする。

暫くユラさんと一緒にいるけど、性別や年齢はおろか、効き手がどっちなのかすらわからない。

まあ、無意味に掘り起こすことではないけど、好奇心は多少あるよなあ。

本当は何者なんだろうか。本当は何者でもないんだろうか。

あ、もしかしたら、商売行き詰って食うに困った時、それを使って一儲けしようなんて考えてるんじゃなかろうか―


「ペガちゃん温かそうでいいな~僕もふっかふかの体毛とか生えてこないかな~~、…どうしてそんな熱い視線を僕に送っているのかねイルくん」

「ユラさんって、自分の秘密オークション大会とか開こうと思ってます?」

「?猛禽類が如く首傾げたい気分なんだけど。

まあ、それも悪くはないかもね」


頭だけはぽかぽかのくだらない会話を尻目に、ペガは足を器用に折りたたんで横になり、いつもとは違う景色を扉の隙間から楽しんでいた。

すらすらと移り変わる景色。見たことのない木、見たことのない森、見たことのない人。

…人?


「到着はいつ頃ですかねえ」

「外が真っ暗になる前には着くと思うよ。途中の霧都ムートンにも寄りたかったけど、この汽車の停車駅にはないからね。ま、あの都最近良い噂聞かないし。次の機会だね」

「そうですか。それでは予定通り、ベギン駅に着いたらとりあえず近場の宿に直行して、次の朝から出発。一山二山越えて鋼都に着いたらお宝探し。成果の有無に関わらず暗くなる前にベギン駅に戻って、そこからのことはそこから考える、と」

「…夢中になりすぎてたら止めてくださいね?」

「そらこっちが頭下げてお願いすることさ。頼んだよ相棒」


人。

間違いなく人だった。

ペガは遠くの二つの人を捉え、

その片方の放つキラキラしたものも捉えていた。


ひん!


身の危険を感じ、慌ただしく立ち上がるペガに二人は目を見開いた。


「おいおいどうした?ペガちゃん」


優れた危機察知能力だったが、幸いなことに放たれたものはこちらに向けられたものではないようだった。ペガもそれを理解し、またゆっくりと座り込む。


「なにかいいものでも見つけたのかな?」

「いいものならいいんですが」


シェイルの予感は大体当たっていた。



場所は変わって先頭車両機関室。



「ああああああぁぁぁあああ!!もぅ!!煩わしき!!まことに煩わしきことだっ!!」

「落ち着いてください機関士長!」

「気でも触れたのかグレゴール!」

「焚口戸の建付けの悪さときたらもう頭を掻きむしりたくなる!毎度毎度石炭を投げ入れるたびに耳に焼き付く異音を発しやがって!加減弁ハンドルの位置も!俺の背丈じゃ微妙に力入れにくいんだよ足場とか用意しとけよ誰か!圧力計速度計注水器の脈動!心臓の音でさえ煩わしいことこの上ないというのに俺は馬に鞭打つ仕事を任された覚えはないぞ虐待反対!

極めつけはこの線路だお前ら見てみろ笑えるぞ!人生で今まで何一つ自分で選択したことのない誰かの歩いた道誰かに作られた道をただ孤独に走って走って脱線は許されず燃料がなくなればその場所でくたばるってなあ俺の惨めな人生の暗喩としか思えない!なんて文学的!俺の旅路よ!ヒィキィィィィィィィィ!!喉 か ら 危 険 な 音 が す るっ!」



ご覧の通りパニックだった。

つい先ほどまで、その道何十年の技術と貫録をもって機関助士に学びを与えていた凄腕機関士長グレゴールは、突然窓が割れ何か飛来してきたかと思うと、一分とたたないうちに人が変わったように目をひん剥き、がたがたと震えながらうわごとをのたまい暴れまわる狂人になり果ててしまった。

お勉強の時間どころではなく、一人が機関士長を押さえつけ、一人が覚えたての運転技術で舵を切るという事態に。荒らされた機関室内は混沌を極め、致命的な部分にまで損傷を負ってしまったようだった。走行は続行不可能と判断した機関士たちによって、機関車は最寄りの駅に停車することになった。


かくして、()()()()、彼らは霧の都に降り立つことになるのであった。


――――


避けられぬ“騒々しき”事態によって(north)ムートン(st)に足止めを食らった機関車は、まだ走り足らないといった様子で水蒸気圧式シリンダーをがふがふと鳴らせている。が、連結している車両には誰一人として乗車していなかった。安全を考慮し、全員が降車させられたのだ。

機関室の点検には手すきの駅員が総動員されたが、車体の年季も相まって早々に事は解決しなかった。別の機関車を使うという手もあったが、直接的な原因が「窓を割って入ってきたなにか」であるのは確実であり、その実情が不明な以上、同じ轍を踏む可能性は避けられないと考え却下。乗組員であった機関助士の二人は未だ腑に落ちないものの、仕事の責務を全うすべく、乗客をホーム前方に集め、毅然とした態度で事情を伝えた。


「乗客の皆様、私は機関助士のパーシーと申します。突然のことで私も混乱しておりますがお伝えします。先ほど、運転中に機関室に飛び込んできた謎の物体によって、機関士長のグレゴールが、その…我を失い、機関室内を片っ端から…とにかく、走行不能の事態に陥ったため、やむを得ず当駅に停車いたしました。加えて、只今を持ちまして、スティルバレー線を往来する全ての機関車の運行を中止させていただきます。

「なお、勿論のことですが、サラマンカ鉄道公社の規約倫理に基づき、乗車料金は全額返金いたします。運行再開時、ここにいる皆様を、例外なく、最優先でお席にご案内することもお約束いたします。我々も早急に原因解明に努めて参りますので、どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。

皆様の前途ある旅路を阻碍してしまい、誠に申し訳ありません。」


現場の仰々しさ、そして機関助士の深刻な顔つきをその目で見た乗客は、全く納得できなくとも、深々と下がったその頭を痛罵することなど出来なかった。

ある乗客は、やるせなくとぼとぼとホームを離れ、ある乗客は、機関車に一蹴り入れて足早にその場を立ち去り、ある乗客は、何か力になれないかと機関助士に事件の詳細を聞き込み、ある乗客は、探偵事務所の張り紙を見つけこれだこれだと駆け出し、ある乗客は、

せっせと貨物車両から荷物を降ろしていた。


「館長の予感の正体はこれだったのかもね」

「…しかし謎ですね。ものすんごくデカいネズミでも入ってきて、機関士長さんは大のネズミ嫌いだったとか?」

「窓を割る勢いで飛び込んでくるネズミか。面白いけど、ま、ネズミならネズミとはっきり言うはずだし、もっと得体の知れないものだったんだろうね」

「とりあえず足止めを食らったわけですが」

「なにを。足は止められちゃいないさ。降り立ったからには、全力で道草を食うのが礼儀だ」


荷車は専用の通路を通って駅の外へ出る。

すれ違う駅員はみな判を押したように物珍しそうな顔をしていた。

薄暗いそこを出れば視界がぱぁっと…ひらけることもなかった。


「おお…霧の都とは、名ばかりなものだと思っていました」

「濃いだろう?ひどい日はここの住民さえ迷子になる程だそうだよ」


霧の都『ムートン』。

海からは遠く離れた内陸の土地にある都で、その湿度の高さと気温の不安定さ故、一年中朝から晩まで天気は曇り、霧が立ち込めている。洗濯物を外に干そうものなら道行く人がそれを指さして笑うだろう。

だが決して悪いことばかりというわけではない。普段から目にしているものにアイデアを見出すのが世の理。現にこの都には、蒸気機関の高度な技術が用いられた「自動車」が、移動手段として馬車に取って代わろうとしていた。大界一の民間鉄道会社「サラマンカ鉄道公社」が発足したのもこの都であり、まだ発展途中の産業の都でもある。

しかし、旧時からの治安の悪さは相変わらずで、夜霧の向こうではいつも窃盗や殺人が横行し、その犯罪のいくつかは警官への賄賂によって霧散する。誰も見えないし、見えてもなかったことにする。

霧に罪はないが、この霧が人の暖かみ、人との距離感を狂わせてしまっているのは間違いないだろう。


馬車は駅正面の大通りに入っていった。

がたがたと頼りない石畳を通りゆく馬車の車輪は、灯りを見失わないようゆっくりと回る。


「街灯は昼間でも点きっぱなしなんですね」

「やれやれ。シェイルくん、ポケットは空っぽにしときなよ。いつスられるか分からない」

「そんなに治安悪いんです?」

「前この都を訪れたときは馬車ごとスられそうになったんだよ」

「ポケットサイズの馬車だったんですね」

「ふふっ。今はそういう楽しい話をしていたい気分だね。どうも僕たちは歓迎されていないようだし」


異臭、冷え込み、サクリと刺す視線、どれから慣れてゆけばいいものかシェイルは戸惑った。

旅は楽しいことばかりではない。これまでユラと訪れた都が、治安も景色もぴかいちの都ばかりだったのもあって、覚悟はしていたものの、軽口を言って気持ちをごまかすのが精いっぱいだった。


「宛てはあるんですか?」

「宛てか。二つに分けるなら、商売の、そして宿の、かな?

商売の宛てならあるんだ。おそらくうまくいくと思う」

「ここじゃどこに店を構えても危険な気がするんですが…」

「キオスクってわかるかい?駅の中にある売店のことさ。小耳にはさんだことだけど、今ちょうど空いてる区画があるらしい」

「すごい、いつの間にそんな情報を…」

「へへん。耳と鼻は人一倍効くんだ、僕」

「確かに駅の中なら安全ですね!」

「そゆこと!早起きはしなくちゃだけどね。品揃えも変えなきゃ」


ユラは湿気でくしゃくしゃになった黄色い紙をポケットから取り出し、商品の在庫を確認していた。

駅を行き交う人々は、休日に雑貨店に入りゆっくり商品を見て回る人々とはまるで違う。何が必要か、何が欲しいか、何が目を引くか。時と場合によって商品の配置や売り込み方も変えなくてはならないのは、商売の難しいところであり、腕の見せ所のひとつである。


「そして宿の宛てなんだけど、暖かい部屋で安眠できる確率は極めて低いね。三ツ星ホテルなんかあれば高いお金を払ってでも泊まりたいんだけど。運よくいいところを見つけても、ベガちゃんと荷車をどうするか」

「そうですよね。やはり交代制で見張りをしながら夜を過ごすしか」

「…少し危ないことをするなら可能性はなくもない」

「ユラさん早まらないでください!」

「シェイルくん早まらないでください!悪事に手を染めるわけじゃないよ」


思い立ったようにユラは進行方向を変え、大通りから外れた小道に入っていった。先ほどのある程度整備された道とうって変わってぬかるみがひどく、気を抜けば靴が持っていかれそうな道だった。荷車のスピードも徐々に下がっていく。

街灯もない薄暗い小道。人は見当たらないが、霧の向こうからいまにでも悪漢が飛び出てきそうな静かすぎる道。そこでユラは周囲を一度確認した後、燻んだ壁の汚れを軽く手で払い、鞄から取り出したチョークでなにかを描き始めた。


「周りを見てて。友人に会えるか試すから」

「友人って、ここに召喚でもするんですか?」

「ある意味正解かな。でも召喚するのは玄関。

うまくいけばその玄関の先にいる友人に泊めてもらえる、かも」


つま先立ちまでしてユラが描き終えたのは、丸いドアノブがついた扉だった。ご丁寧に小さな呼び鈴までついていた。

ふう、と一息ついたユラは、短くなったチョークをシェイルの小さな手の中に入れた。


「君がやってごらん。こういうのは若者の方がうまくいくんだ。

彼は、その、不用心でね…いつも空間の境目の鍵を開けっぱなしにしてるから、うまくいけば簡単に入口まで行けるんだ」

「ええと。状況が呑み込めませんけど。絵はお上手ですがこのドアノブじゃひねれませんし」

「目をつぶって。むせかえるようなカビの臭いの狭い空間を想像して。

想像が不完全だと何が起きるか保証できないから、しっかりだよ」


言われるがままシェイルは目をつぶった。むせかえるようなカビの臭いの狭い空間を想像した。

…瞼の裏に浮かんだのは、以前自分が住んでいた部屋の前だった。機械も人も同じように規則正しいリズムで活動する都の隅にある、方眼紙の目ように正確な建物の部屋。逆らおうとしてもすぐに織り込まれて、自分がなくなってしまう場所。明日はあっても未来はない場所。

人には恵まれていた。嫌な思い出とは言いきれないが、戻りたくはないとシェイルは思ってしまった。

―少し、想像が過ぎたかもしれない。


「準備ができたら、思い切り壁にチョークを擦って。チョークがなくなるくらいの勢いで」


「………私にできるでしょうか」


「…これは僕の信念の話だけど、君に教えておくよ。意味が解らなくてもいいから聞いて頂戴な。

現実と幻想の橋渡しをするのが想像なんだ。魔法なんて大層なものがありはするけど、本当に重要なのは“確実”とされているものを捻じ曲げる意志なんだ。

魔法なんてなくても、人が想像できるなら、満月だって盗めるさ。

絶対なんてあるもんか。

出来ないなんてあってたまるか。

さあ、

この可能世界に、


小さじ一杯の不和をもたらそうぜ」


何かの呪文だったのか。はたまた発破をかけただけなのか。

シェイルに知る由はなかったが、気が付いたらチョークは削りきれてなくなり、煉瓦の崩れるような大きな音がした後、

望み通りの世界が、そこには広がっていた。


玄関は広かった。少なくともあの貨物車両よりは広い。

だがどれだけ広いかはわからなかった。何色とも判別しがたい寒色に埋め尽くされ、音は反響せず、足下に消えてゆく。この想像で作り出した玄関の縁が分からず、シェイルは足をすくませた。


「よくできました。さすがだねシェイルくん。ここまでくれば寒空の下で過ごす必要はなさそうだ」

「…呼び鈴は、ユラさんが鳴らしてくださいね」

「もちろん。魔物が出てきちゃ困るからね」


シェイルは扉の方に耳を澄ます。



――

―――

「――から足癖!!ただでさえ石膏で足汚いのに机に乗せないでって言ってるのさ!」

「――なんじゃ誤魔化されません!今日提出でしょう!課題は魔法じゃ解けませんよ!」


なにやら賑やかだった。

親子の掛け合いのように聞こえなくもない。少女と青年の声。お互い自分を棚に上げて議論する一番収拾のつかない喧嘩をしているとシェイルは踏んだ。ユラもシェイルの方を向いて困り眉。いつ呼び鈴を鳴らしても気まずくなることは火を見るよりというやつだった。


「――んなんだからこの研究室人がいないのさ!」

「――んと“先生”とつけなさい!敬いの言葉も疎かにして!」


埒が明かないので、ええいままよとユラは呼び鈴を鳴らす。呼び鈴の音は、()()()()()()()()()()()の小さく軽いものだった。

ぱっ、と声の張り合いが短い疑問符に転換する。


「だれ?」

送達筒(デリバー)でしょうか。速達にはしていましたが幾分早い気も。

一応外してもらえますか、ルトエラ君」

「まーた鍵閉めてないんでしょ。部外者だったらどうするのさ」

「こちらの法律に則るだけです。さあ」

「ケーヌ川に落とされないようにねせんせー」


気怠い返答は遠くへ。扉の閉まる音がした後、今度は二人の目前の扉の鍵が開く。


「どちらさまでしょうか」

「どちらさまだと思います?」


息を飲む音がシェイルにまで聞こえた。稲妻の速度で開け放たれたドアの向こうには、一人の男が立っていた。


「ユラ君!!久しいことこの上ない!」


抱き着きそうな勢いで両手を仰ぐその青年は、背の高い、細身の男だった。明らかに夢の中でセットしたであろう深い緑色の髪は、一塊ずつあらぬ方向を向いている。以前の職業柄そういったものに詳しいシェイルでさえ材質の分からないその服は、彼の髪と同じ色をしていた。

シェイルはこの風体を見た瞬間、“いつも鍵を開けっぱなしにしている”というユラの言葉を手放しで信じ込んだ。


「突然悪いね!元気そうで何よりだよ教授。

ちょっと紆余曲折あってこの都に寄ることになってさ」

「なんだそうだったんですか!大したおもてなしは出来ませんが、どうぞどうぞ上がってってください。あまり大きな声は出さないようにしてくださると…」

「あー実は今日、一人じゃないんだ。閃馬のペガちゃんと、

なんていうのかな、従業員とか部下とか弟子とかってちょっと違くて。

“相棒”っていうのが適当かな?」


男の視線がユラの下に向く。

刹那に見えた警戒の色はすぐになくなり、男は背中を丸めて少年を見つめる。その顔は段々と嬉々の色が見え始め、少年が口を開くころには笑顔になっていた。


「はじめまして。シェイルです。ユラさんの相棒やらせてもらってます。よろしくお願いします」


その男は間髪入れず細長い腕を伸ばし、少年の手を握りしめた。

あったかい。

細くて頼りない、けれど確かに自分より厚いその手のひらは、無類の安心感をもたらした。筆舌に尽くしがたいその暖かさはまるで、

新品の絨毯のよう。



「お初にお目にかかりますシェイル君。私はウィルトン=アキスミンスターと申します。よろしくお願いいたします」

「彼は石膏法陣学の教授なんだ。タフテッド魔法学校のね」



はてさて。

全力で道草を食わなきゃいけなくなってきたぞ。

どうするシェイル君!




――――

ムートンの市街地と郊外の間。

探偵事務所はそこにどっかりと建っていた。

塀に取り付けられた看板はサイズが大きすぎて、鉄柵の開閉に弊害を及ぼしており、それがいつの間にかこの街の名物になっていた。


正午からしばらく経った頃。

この事務所の中ではこの時間になると、恒例の行事が開催されるのだ。

毎日。二人きりで。

銀のトレーを持った少年。最小限の物音で、パイプをふかす男に近づく。

充分に、十分に、近づいた。


「Tea or Code(紅茶か暗号か)?」

「ふむ。今日はcodeの気分かな」


男はトレーから“code”を手に取る。そしてすぐに、いつものように、

肩を落とした。


「ケリー助手」

「なんでしょか」

「もう新聞の切り抜きはやめろと言っただろう。『ゲキムズ!ナチョくまの挑戦状!』はもうタイトルを視るだけで神経が逆なでされるのだよ」


ケリーというこの少年は、お茶をこぼさないようそっとトレーをテーブルに置き、


「…お言葉ですが!もうこの家の本の謎は出し尽くしましたし、図書館の本も隅から隅まで解きましたし、新しい謎解きと言ったらもう新聞の子供用欄くらいのものですよ!お手すきならご自分で作られたらどうでしょか!ぼくが解くので!」


全身を使って事の重大さを解いた。

だがその男には、微塵も届いていないようだ。


「ふむ。そういうことなら謎を創り出そう。謎はどこにでも溢れているものだよ。一例に、この新聞の印刷の粗とその規則性なんか、暇つぶし程度には――


男はふと外を見た。

男は眼が良い。良すぎると言ってもいい。数軒先の家の窓からのぞくティーバッグの銘柄を当てられるほどに。しいて形容するなら、まるで、

フクロウのよう。


「来るぞ」

「え?」

「喜べケリー助手。こんなものよりもっと良い謎が、向こうから舞い込んでくるようだ」


男が見たのは、

探偵事務所に向かって走ってくる、遠くの人の影。


「依頼人だ。

ケリー助手。紅茶を淹れなおしてくれ。熱々のを頼む。

さて。探偵アウル=ライトハウスの出番だ」





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