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不可能世界と黄昏商  作者: ざらめ
第一章 醜い王子はもう泣かない
17/20

第16話 一つの魔法、二つの名前、三つの声

~~~

むかしむかし。

だれも知らないお城に、みにくい王子がいました。

体はざっそうをつぶしたような緑で、岩をもかみくだくするどいきばと、はがねを真っ二つにするつめを持っていました。

ですが、心はじゅん白で、誰よりもやさしい王子でした。

ある日の夜のことです。

王子がいつものように草原で空をながめていると、だれかの足音がしました。


さっさっさっ。


それはりんごくの王女でした。

ティアラもドレスも身につけず、パジャマをきていましたが、そのびぼうから一目見てわかりました。

そして、王子は一目でこいをしました。


「どちらさま?」


こちらを見られそうになったとたん、

王子はすぐさまずきんをかぶり、

そでの内に手をおさめて、

すがたが見えないようにしました。


「そこの城にすむものだ」

「まあ、きぐうね」

「きみもお城にすんでいるのか?」

「ええ。きゅうくつでたまらなくって、

ぬけ出してきたの」


それだけ話しました。

あとは朝がくるまで、二人は空をながめました。

それから二人は、ときどきそこで会うようになりました。

夜はとめどなくおとずれます。

じゃまものはだれもいない草原で、

おたがいのことをじゅんばんで聞きました。



―どの星が好き?ー

―あそこの、青く光っている星だ―


―どんな本をよむんだ?―

-うさぎがしゃべる本ならなんでもよ―


―どんなゆめを見るの?―

―あまりねないからわからない―


―くいしんぼうなのか?―

―ニンジンをお肉のよこにおかないならね―


―朝がきらいなの?―

―夜がすきなだけだ―


―ドレスのほかにもふくがあるのか?―

―もちろんよ。きせかえ人形にだってまけないわ―


―だれかをすきになったことってある?―

―ああ…すごくすきな人がいる―


―こいをしたことはあるか?―

―ええ。まぶしいこいをしてる―



月がのぼって、大地にほほえむたび、

二人はおたがいをすきになっていきました。


そしてまた、いつもの夜。

いつもより大きいまん月の夜に、

いつものやさしい声で、王女は聞きました。


「どうしていつもずきんにかくれているの?」

「それは」


王子はこたえられませんでした。

自分のすがたを見れば、きっとおどろいて、にげだすにちがいないからなんて、言えなかったのです。

きらわれたくありませんでした。

こわがられたくありませんでした。

王子はずきんをにぎりしめ、こういいました。


「あの月さえぬすむことができれば、こんなものいらないのに」


そして、王女をおいて、

王子はお城にかえってしまいました。


それから、王子が草原に行くことはありませんでした。


よなよな、王子はお城で、

天まどを見上げて、かみさまにいのります。


「かみさま、どうか、

まん月をぬすむ力をください」


暗くてよくみえないなら、ずきんをかぶるひつようもありません。

だから王子は祈りました。

王子はくるしくて、なみだがでます。

それでもいのります。

かみさまはなかなかへんじをくれません。

それでもいのります。



しばらくして、王子のお城に手紙がとどきました。

おくりぬしは王女でした。

王子はうれしくてとびあがり、手紙をよみます。


―王子さまへ。

わたしは明日、べつの王子とけっこんします。

お父さまとお母さまに強く言われたので、

言うことを聞くしかありませんでした。

でも、明日のまん月の夜、もういちどだけ、

あの草原にゆきます。

もし来てくれるのなら、わたしをつれだして。

まっています。    ひめより―


そとはもう夕方。じかんがありませんでした。

それでもいのります。

いのるしかないのです。

ぼろぼろとなみだがこぼれます。


そのとき、

小さなまどから月の光がさしました。

王子をやさしくてらします。

その光のふしぎな力のおかげなのか、

王子ははっとしました。


「ちがうんだ。

ぼくにひつようなのはいのることじゃない」


そう言って、王子は城をとびだし、

夜がかかる草原を走りました。

いきをきらして、ついたのは、いつもいっしょに話をしていた、あのばしょ。

そこには、うれしそうなかおの王女がいました。


王子は、心の中でささやきます。

ふるえをふきとばすためにささやきます。



―ぼくは、月をぬすむ力なんて、いらなかったんだ。ほんとうは、自分のすがたを王女に見せるための、ゆうきがほしかったんだ。かみさま、かみさま、ぼくは、―


―満月を盗む勇気が欲しい。―



王子はずきんをとり、体をおおった布をすて、まん月の下にすがたをあらわした。


「王女。きみがだいすきだ。

ぼくといっしょににげよう!」

























「ぎゃああああああああああああああああああ!!」



王女は、空をわるほどのさけび声をあげ、

その場からにげ出してしまいました



―――




「職業柄、毎日のように違う人と話し、別れ、遠くない未来に再会する。人を見る目はいやでも肥えていくんだ。それでも、見誤ることは往々にしてある。例外中の例外と自負しているけどね。その一例が、君だった。

単純で、素直で、おもちゃを見つけた子犬みたいに真っ直ぐ走る。最初はそう思ってた。厳密には、今もそう思ってるし、このあと僕がべらべらと与太話を垂れ流した後もそうであってほしいと思ってる。僕の希望でしかないし、ただの勘違いかもしれない。思い返せば、こんなこと言い出さなきゃよかったって少しだけ思ってる。でも、秘密を持ったままの関係をいつまでも続けるわけにもいかない。

話そう。君のことについて」


大図書館『ペラリウム』の館長であるスパインは、相対して立つ二人を後ろから静かに見つめていた。最初こそ呆気に取られていたが、今は冷静さを取り戻し、薄ら笑いで本棚によりかかる。

いつもちゃらんぽらんなユラしか見てこなかったスパインにとって、ユラが真顔というだけでその話の深刻さを察したが、どこまでいっても対岸の火事。それに、こいつならなんとかするだろうという信頼もあった。よってこの話の行く末も、昼休憩の茶菓子としか思っていない。ずれた片眼鏡を定位置に戻し、どこからともなく取り出した紅茶の満たされたティーカップをソーサーに乗せ、一すすり。まだ少し熱かった。

この男、本棚の上に座ったり、館内で飲み物を飲んだりと、館長としての自覚はあまりないようだ。


「君は、閉本記を一通り暗記しているんだったよね?それはどこで読んだんだい?」

「家にあったんです。物心ついたときから家の狭い本棚には私好みの本が並んでいて、そのなかに閉本記がありました。新しい巻が発売されたと噂を聞きつけたときには、すでにそれが郵便で私の家に届いていました」

「なるほど、大界中に10冊ほどしかないと言われてた13巻が、実際は11冊ほど、だったわけだ。それは今も家に?」

「はい。でも今は本棚には。禁書は持っているだけで罪に問われる可能性がありますから、覚えた禁書は全て燃やしました」

「記憶の影印本とは、絶対不可侵のセキュリティだね。

それが、君を疑った理由の一つ。というか、確信をもった理由だ。

他にも気になることがあるんだ、この際だから聞かせておくれ」


始めは合っていた二人の目線は、すでに別の方向へ向いていた。会話は淡々と続けど、なにか決定的な距離感がそこに生まれ、ほつれていく。木の枝に引っ掛けた手編みの服が、段々と形を失い、ただの糸の塊になるように。


「むかしむかし、なんて口上から話す必要もないと思うけど、君は知っている筈だ。醜い王子のおとぎ話を。何を隠そう、それを僕に話してくれたのは、君のお父さんだった」


シェイルは一瞬目を見開き、ユラの方を見、すぐに視線をそらす。


「会ったことが」

「一度だけ。なんでもない旅の途中だった。ふらっと『うたたね』に現れたんだよ。

著者の顔なんて見たことなかったけど、立ち振る舞いでただのお客さんじゃないってわかって、こっちから声をかけたんだ。

彼は時間の許す限り色んな話をしてくれた。

ドラゴンに髭を燃やされた話。生活費を賭けたギャンブルで大負けした話。虹の根っこを見つけた話。不老不死になりかけた話。

どこまで本当なのかわからなかったけど、あまりに詳細な語りだったもんで、どれも真実にしか聞こえなかった。そしてそのうちの一つに、醜い王子の話があった。

どこかの都の、本に記すほどでもないおとぎ話だったらしい。僕も、誰かに話すほどの物語ではないなと思ってた。結末も腑に落ちないし。でも彼は気に入っていて、覚えていてほしいって言ったんだ。だから、『白昼夢』の合言葉にした。

“満月を盗む勇気が欲しい”

長くなったけど、要するに、これを知ってるのは、彼に会ったことがある人物ぐらいのものだってこと」

「それじゃあ根拠として弱いですけどね」

「うん。だからもう一つ。なんともハッとする理由なんだけど―」


言い切らないうちにユラはポケットから、糸で巻かれた黒鉛と大きめの折りたたまれた黄色い紙を取り出し、広げた。サラサラと、判読性と素早さだけを重視した、いかにも商人といった筆運びで何かを記す。


「ほう」


スパインはそれを眼鏡のかけられた方の目で読んだ。唸り、また一すすり。

紙はゆっくりとシェイルの方に向く。そこには少年のフルネームが書かれていた。


「暗くて読めないかな?」

「あんまり読めないですが、なんて書いてあるかは大体わかります」

「…一度だけ、君に名前を書いてもらったことがあったね。うちで働き始めたときのことだったかな。

“sheil”が君の名前のスペルだ。そして君のお父さんの名前のスペルは“liehs”。アナグラム、というか逆さ読みだね。どんな意味が込められているのかはわからないけど、そういうことしそうな人だったと記憶してるよ」


雰囲気に句点がつくと、シェイルは大きなため息をついてから、口を開いた。


「名前については、自分のように、なってほしくなかったんじゃないかなと思ってます。子供をほったらかして、どこかしこに冒険に行って。帰ってこなくて。

まあ、結局私もこうやって冒険に出てるので、血は争えないですね。

じゃあなぜ、親子であることを隠していたのか。もうお分かりだとは思いますけど。私の口から話しておきましょう。

「七光が嫌だったんです。きっとこのことを話せば、一人の少年としてではなく、大冒険家の息子として扱われるんだろうと、そう思ったんです。私はそれが嫌だった。比べられるのも、持ち上げられるのも、落胆されるのも」

「落胆なんかするもんか。僕が保証する。下手な大学を出て人にものを教えてる人間より君の方がよっぽど聡明だ」

「それは本当に私だからですか。

  誰かの息子だからじゃないんですか。

    その聡明さも、どこかに妥当性を見出してるんじゃないんですか」


否定しようと浮かび上がってきた理由も、あっさりと塗りつぶされる。論理的な思考が巡らない。

ユラはそのもどかしさの理由を知っていた。


「ふふ、まあそうですよね。

いいんですよ、わかってましたから。

()()()()()()()()()()()()、商人さん」

「まって、」


引き留める右手すらも、その資格がないと知り力なく重力にひれ伏す。

背中を向けゆっくりと歩く少年は、薄暗い回廊の奥へと消えていった。


「ふむ」


沈黙を破るようにスパインはずぞぞぞと残りの紅茶を飲み干した。またもやティーセットはどこかへ仕舞われた。少し暖かい白の手袋が、うなだれた商人の肩をポンと叩く。


「聴かなかったことにしたほうがよいかな?」

「はは。よしてくれ。冗談を言う余裕もない」


手を振り払おうとして、やめた。館長はなにも悪くないのだから。

不満があるのは、自分の意気地なさだった。


「痴話喧嘩とは縁遠い人生だったものでな。こういうときの慰めの言葉をワタシは知らない」

「いいさ。フラれちまった時は、横にいて話を聞いてくれるだけで多少楽になる」

「だが、一連の話を聞いてふと思い出した。今、ワタシが知っていて、お前が知らないことが一つだけある気がするのだ」

「?」

「茶菓子の礼だ、教えてやろう、ついて来なさい」


どちらにも心当たりのないユラが二回首をかしげると、スパインは長い本棚の狭間を、明確な目的地をもって歩いてゆく。藁にも縋るでは言い過ぎだが、アテのないユラはそれに着いてゆくしかなかった。


「シェイル君ほどの記憶力はないがね、ワタシはこの図書館のあらゆる本の位置を記憶している。入口から目をつぶって歩いたとしても、探している本の位置を当てられるほどにな」

「なに?今から僕を自己啓発本で奮起させようってのかい?それとも聖典でも読ませて悟りを開かせようとか。あいにくだが僕は無神論者なんだ。神様なんて、お腹を壊したときに涙目で祈るくらいのもんだよ」

「全く、軽口を叩かないと窒息する病気なのか?ほら、ついたぞ」


スパインが歩みをとめたそこは、ユラからしてみれば先ほどの場所となんの変りもない本棚だった。置かれている本のジャンルが違うと気づくのに、少し時間を要した。


「児童書?」

「の、これだ」


スパインが一つの本の上辺を倒し、ユラに渡す。

なんの変哲もない児童書だった。緑に縁どられた赤色の表紙は色が抜け落ち、下地の茶色が見え隠れしている、年季の入った短編集。目次を開くと、ある一つのタイトルが、ユラには浮かび上がって見えた。


「これは」

「“頭巾(ずきん)王子と手紙(ひめ)”。満月を盗む、というフレーズでピンと来たのだ。

そんなに有名な話ではないが、この図書館で唯一、その物語が載っているのがこの本だ。

ここからは、ワタシらしくもなく、少し感覚的な話になるんだが、

この物語を知っていて、お前が彼の前であのような選択をとるとは思えないのだ」

「君は君ですごい記憶力だな。しかしますますこんがらがる。君はセラピストかなにか?」

「あー…全く。コホン。こういった寓話は、話が追加されたり欠落したりして伝わることが多い。あるいは意図的かもしれないが、お前がこの話の結末を知っていて、あのような選択をするようには思えないのだ」


スパインは説明が難しいらしく、かみ砕くのが面倒になって、思っていることをそのまま口から放った。


「とりあえず読めってことね」


ユラもその思惑を理解し、ぺらぺらとページをめくり、“頭巾(ずきん)王子と手紙(ひめ)”のところで止め、読み進めてみる。勿論知っている話だ。知っているところは飛ばす。


―ここも知っているから飛ばす―

―ここも知っているから飛ばす―

―ここも知っているから飛ばす―

―ここも、あれ?


偉大なる大冒険家から聞いた話は、ここで終わっていた。だが、知らない続きがあった。

ここからは知らない話。

どんな話なのだろうと、状況にそぐわないわくわくがユラの中でこみ上げる。

ゆっくりと、毛布にくるまる子供に読み聞かせる速度で、読み始めた。


―――

王女は、空をわるほどのさけび声をあげ、

その場からにげ出してしまいした。




王子はそのゆれる背中がきえてしまうまで、ずっと、ずっと、王女を見つめていました。

完全にきえてしまうと、王子は草原にねころがりました。

王女といろいろなことを話した、いくつもの夜のように。

そして、大きな口をあけてわらいました。

なにもかまわず、わらいました。


「やっぱりだめだったな。でもいいんだ。うそをつきつづけるより、よっぽど。

ゆうきを持ったぼくはなによりえらいさ。

王女。となりにいなくてもぼくはここから、君のしあわせを思っているからね。

ふりかえっちゃいけないよ。


じゃ、さようなら」


王子は立ち上がると、空をあおぎました。なにもまとわないそのすがたは、もうみにくくなんてありませんでした。

夜を見つめる王子を、まん月だけが見つめかえしていました。


おわり。

―――


「…」


ユラは言葉を失っていた。スパインに声を掛けられるまで、まばたき一つできなかった。


「なんとも言えない読後感だろう?」

「これは…、元々知っていた話も相当だったが、かなりのトラジェディ(悲劇)だねぇ」

「捉え方によるのではないか?ワタシはそうは思わなかった」

「確かに、今の感想は安直だったかもしれないけど、少なくとも児童向けとは言い難いね」


鳩が煮豆鉄砲をくらったような(豆鉄砲よりは痛くなさそうな)顔も落ち着き、ユラはスパインの言いたいことが段々と分かってきた。


「シェイル君はここまで全部知っている?でも聞いた人は共通なわけだし…」

「ひょっとすると、冒険家のいたずらかもな」

「それは、、大いにあるね」


この物語が伝えたかった勇気の本質。


―秘密を死守せよが教訓ではなかったんだ。

醜い秘密を明かして、それでも愛してくれる相手か否か、それもどうでもいい。

嘘の関係を続けるぐらいなら、真実で壊れてしまった方が美しい。

”その勇気が、君にはあるか?”

まるで彼にそう聞かれてるみたいだ。―


「かなり偏った思想だね」

「同感だ」

「でも気に入った!」

「同感だ」


こうなればユラの切り替えは早い。ユラの顔はすでにいつもの皮肉めいた笑顔が独占していた。素早く短編集を元の場所に戻し、勢いよく立ち上がり、先ほどシェイルに見せた黄色い紙に何かを書いたあと、深呼吸をして歩きはじめ、

ふと止まった。


「感謝してるよ、スパイン。おかげでこの通りだ。

そだ、次いで館長さんにお願いがあるんだけど」

「ほう。なんだろうか」

「君はあまり守る気がないようだけど、マナーって大事だろう?」



―――

少年は、三階の隅っこの隅っこ、枕にするにも大きすぎる分厚い歴史書の本に囲まれて、ひとり立ちすくんでいた。誰もいないフロアがここしかなかったからだ。

隣の回廊には、いくつかの足音があった。小さな歩幅がひとつ。大きな歩幅が二つ。きっと家族連れだろう。もう少し耳をそばだてれば、もっと奥の人の気配も感じ取れるはずだ。

文字以外の情報が限界までそぎ落とされた静寂。ここは本の天国だ。


―あの本を読むには、どれくらいの時間がかかるのだろう。

どれくらい、私の知らないことが書かれているんだろう―


どうやって取り出すのか見当もつかない、本棚の一番上の、ひときわ重厚な本を眺めて思う。


―ユラさんなら取れるかな―


「ここにいたか。

もうすぐ閉館時間だよ。借りたい本があるなら取ってあげようか」


声。

気づかななかったわけではない。期待していなかったわけでもない。その声は足音を伴わず、気味が悪いほどに、不意に現れた。

優しい声。どこか抜けているけど、どこがと聞かれれば言語化できない、不思議な声。

シェイルはそういうところに惹かれ、今はそういうところを遠ざけたかった。


「あの手の本は貸出禁止でしょう。借りられたところで、いつ返すんです?」

「次ここに寄った時さね」

「いつになることやら」

「シェイルくん」


あらたまった様子で、ユラはシェイルをキッと見つめた。ただし、それがそのまま返ってくるとは限らない。二人の視線は依然として、ねじれの位置にあった。


「僕ってば気づくのが遅かったよ。君との間柄で、ちっぽけなプライドなんて1リーレの価値もないってことにね。

館長さん、お願いできるかな」

「全く。閉館までには終わらせてくれよ」


ユラが頼みごとを持ちかけたのはまた隣の回廊だった。シェイルが何事かと目をやれば、先ほどの館長が小さな声でぶつぶつと呪文のようなものを唱えている。

ひとしきりそれが終わると、今度は片眼鏡を外し、左の手のひらに乗せた。


「館則その一、“館内での私語はお控えください”」


その言葉と同時に、ユラとシェイルの足元にぼんやりと白く光る円陣が現れた。凝視しなければ視認できない程の、本当にぼんやりとした光。シェイルが目をやると、館長の手のひらにも、同じような光芒があった。シェイルはすぐに自分が、なにかしらの術中にいることを理解した。

しかし、そんなことはどうでもよくなる。

それはいつもの如く、この商人の所為。

シェイルを襲う、嫌な予感。

あろうことか、その商人は深く息を吐きだし、それよりももっと深く息を吸い込み、


「あした!!あさって!!!しやがってぇぇぇ!!!!」


喉枯れんばかりに、天窓を割らんばかりに、謎の文言を張り上げた。

とっさに耳を塞いだシェイルだがもう遅い。不親切極まりない号哭が頭蓋を揺らした。

しかし、それに驚いたのは、広い館内で少年だけだった。


「しー! 何考えてるんですか!」


シェイルは恥ずかしくなり、顔を紅潮させながら図書館で許される範囲内の声量で注意を促すも、彼は一向に耳を傾ける気がなかった。


「よし!ちゃんと機能してるね」

「出禁になりたいんですか…」


頭を抱える小動物のような仕草を振りまけど、スパインにもユラにも届いていないようだった。

ユラの声が館内の誰にも届いていないことにシェイルが気づくのは、高鳴る心臓が落ち着いた頃だった。


「スパインの魔法だよ。3週間かかった屋根の修復作業に、来館者が一度たりとも気づかなかったのは、この魔法のおかげらしい。

さて、これで誰にも迷惑はかけないね。

君が秘密を話してくれたんだ。僕もそれに応えないと、平等じゃないよね」


そういって、ユラは小さい紙を取り出し、ぱっと前に出した。

シェイルの見覚えのある、自分の名前が書かれた紙。

だがそこには、もうひとつ名前が書かれてあった。


「それは」

「そ、僕のちゃんとした名前は―


明瞭な発音で、ユラはその名をシェイルに聞かせる。


名前のスペルは3文字。

苗字のスペルは8文字。


その苗字は、博識でなくても、誰でも知っている。

学徒でも、軍人でも、蛮族でも、()()()()()()()

良い意味か悪い意味かと聞かれれば、勿論後者。

シェイルはそれを聞いて、固まっていた。本棚の影によって隠れたシェイルの表情は、ユラからはうかがい知れない。


「これでフェアだ。等価交換は商いの鉄則だからね。

どうしたんだよう呆気にとられて。ほら、いつもの調子で冗談でも言ってごらん」


ユラは声色を落とし、脅かすようにシェイルに語りかける。

どうせなら、思いっきり逃げ出してくれないかと願っていた。

ユラにはシェイルの反応を待つこの1秒が何分にも感じられ、足がすくみそうだった。ユラの頭巾はとっくにとれている。


夕暮れ時。ペラリウムに斜めにかかる橙色のカーテンが、唯一時間が流れていることの証明だった。

足が動くか、口が動くか。

先に動いたのは、口だった。


「今のあなたは何者ですか。」


迷いなく、はつらつと、答える。


「黄昏商のユラだよ」


その手は、満月を握りしめて。




「それなら、何が醜いものでしょう」


やっと視線が交差した。

本棚の隙間から零れる夕日が照らしたシェイルの顔に、先ほどまでの暗いなにかはなかった。

浮かばれない顔も、沈み切った気持ちも、同時にはじけ飛んだ。

ようやくほぐれた雰囲気は、二人を笑顔に誘う。


「じゃあ、これでいいってことだね」


ユラは二人の名前の書かれた紙を、器用に2つに破った。

その片方が宙に舞い、片方が手元に残る。

手元に残った方の紙には、“ユラ”と“シェイル”の綴りだけが残った。

堰を切ったように二人は閑寂な高笑いをし、黙劇の小躍りをし始めた。


「今なら空も飛べそうだ」

「ええ、翼が見えるようですよ」



「――全く。めでたいやつらだ」


秘密の外の男はほくそ笑み、冷めた紅茶を一すすりした。




―――

「ペラリウムは採光に天窓を活用している。紙の束の保管庫という性質上、蝋燭は危険だからね。ゆえに閉館時間は日没の時間に左右されたりするらしい。そうはいっても日光は本の天敵。それを解決するために作られたのが、この黄色の採光窓さ」

「なるほど。確かに初めて観る窓です。この窓だとどう良いんです?」

「日光は細かく分ければ七色なんだ。そのうち紫色の光が良くないらしい。黄色は紫色と対になる色だから、本に悪い光線だけ弾き返してくれるんだと」

「へぇ~興味深い」

「この窓の製造には、所在不明の都アビサールが関わっているとか諸説あるんだけど…」

「おい。もう閉館時間だぞ。いつまでそうしているんだ気持ちが悪い」


すっかり仲直りした二人は回廊の端、大理石でできた厳かな長椅子に肩を組んで座っていた。

先程まで目も合わせていなかった人間同士がくっついてニタニタしているのを見ると、気味悪がるのは仕方のないこと。それは館長も例外ではない。


「もー出てくからもう少しだけまってよー。

いやはや君には感謝してるよ。一体どうやってお礼をしようか」

「別にいらん。いらんから2年前に借りたあの本をいち早く返せ」

「だからそれは付添人が借りたやつで僕じゃないんだって~。

僕は本を自分の次に大切にするやつなんだぞ?」

「じゃあその付添人を連れてこい」

「そ、それはやむおえずな事情でね」

「殺むを得るぞ」

「ひぃ」


黄昏商は憎たらしいほどいつもの調子だった。

薄いたんぽぽ色の天窓は、外の暗闇を映していた。先ほどまで鳴いていたカラスもとっくに撤収し、次は腹の虫の鳴く番という頃合い。


「そうだ、ここらへんに美味しいご飯が食べられるところはないかい?以前来たときはさっさと発っちゃったから堪能できなかったんだ。できれば、この都ならではみたいなとこがいいんだけど」

「これといった食の名物はパンくらいのものだが…そうだ、ならではという意味ならよいところがある」

「おせーてくれよ」

「ペラリウムを出て、中央の広場を右。『風見鳥』という本屋のある道をまっすぐいけ。そしたらいかにもお前の好きそうなランタンのぶら下がった路地裏への入口があるからそこを進め。全身が埃だらけになったあたりで、美味いコーヒーとパンがある『スパイラルステイア(らせん階段)』という店がある。埃を払ってから入店するように」

「へえ。夜でも営業しているんですね」

「夜にしかやってないのだ。正確には、路地裏の入口のランタンが灯ったら、らしいがな。地元の人間しか知らない隠れた名店だ。味は保証する」

「ありがとう!というかどうだい?君も一緒に。奢るよ」

「守銭奴のお前にしては珍しい誘いだが、断っておこう。妻が暖かい食事を作って待っているのでな」

「ちぇ。まあそれなら仕方ないか」


耳寄りな情報を手に入れたユラは立ち上がり、シェイルもそれに追随した。それと時を同じくして、閉館を知らせる3つの鐘の音が館内に響く。


「ほら、行った行った」

「助かったよスパイン。明日も広場で商いをした後に伺おうかな。

機嫌が変わった明日なら、禁書庫に入れてくれるかもしれないしね~」

「全く…シェイル君が一緒なら入れてやらんこともない」

「やった、じゃあまた明日」


一足先に歩き出すユラと、一度歩みとどまり後ろを振りむくシェイル。

後手を組んだ館長は、仏頂面でシェイルを見つめる。


「色々、ありがとうございました。また明日」

「ふむ。夜道には気をつけなさい」


少しだけ口角が上がったような気がしたが、気のせいだった。

明日は笑わせてやろうと意気込み、シェイルはユラの後を追った。




―――

『風見鳥』を横切ってしばらく。あたりに人気はあまりなく、されどそこかしこから家族団らんの気配がする。家々に灯る明かりと各々のディナーの香りに、シェイルは暖かみを覚えた。

ユラはと言うと、目の前にある光り輝くものに、胸の高鳴りを覚えていた。


「みみみてよこれシェイルくん!」

「お、これが館長さんの言ってた」


機織り機で作られたように均一で均整な街の一角、道路左側の家の二階のあたりからぶら下がる、なんでもないようなランタン。

ところどころ錆びて鈍色にくすんでおり、縦長の立方体に、三角錐を横にしたような頭がついた簡素なデザインで、さながら小さな魔女の家のようだった。

四方を囲う曇ったガラスから、ほわほわと柔らかい灯りがこぼれ、何を照らすでもなく、風に小さくゆられていた。

普遍的なようで実は特別。いつも見かけるのに、探そうとすると見つからない。そんな野良猫のような神出鬼没の情緒を、ユラはこよなく愛していた。


「彼が言ったことは大正解だったよ~こんなの前情報を知らなくたって僕がスルーできるわけがない!さあ行こう少年!煤けた路地裏が僕たちを呼んでいる!」

「足元気を付けてくださいよー」


なぜこの人はテンションが上がると“少年”呼びになるのか、シェイルの中でまた疑問が一つ生まれたが、暗い路地裏がその謎ごと二人を吸い込んでいく。

整備された表の道と違い、路地裏はお世辞にも綺麗とは言えなかった。ゴールが分かっている分安心だったが、何も知らなければこの道を通るのは躊躇うだろうと、横歩きでシェイルは考えていた。


「もう少しだ少年!明かりが見えてきたぞ!」


秘境を目にしたユラは大喜び。最後の方は横歩きもせず、もはや壁の掃除をしながら走っていた。シェイルも狭い路地裏の終わりに遅れて到着。


「ふつくしい…」

「これは、確かに、月並みではない佇まい」


見てくれはこじんまりとした小さなお店。昼間であれば通り過ぎてしまいそうな目立たない様相だが、中からの喧騒が店の盛況を体現していた。木製の釣り下げ看板には『スパイラルステイア(らせん階段)』とあった。


「入りましょう。外は冷えてきました」

「もちろん。さて、汚れを払い落そう」


ぱっぱっと素早く汚れを落とす。こんな雑な感じでいいのだろうかとシェイルは考えたが、あの館長が言っていたのだ、きっと大丈夫だろうと考えなおし、服装を整える。

冷たいノブを握ればドアベルが最初に歓迎。その次に飛び込んできたのは、思ったより広い店内と、下へと続く長い螺旋階段だった。


「お客様2名、うさぎ座テーブルにご案内です~」


―――

書都のどこか。

何かを探し求める人影がひとつ。

見た目はよそ者。しかし軽装で、荷物ひとつ持ち歩いていない。

軽やかな足取りで歩くも、その行き先は定まらないままのようだ。

もっと奇妙なことに、その人影からは、異なる3つの声が聞こえた。どうやらこの旅人も、なにかしらの秘密を抱えているらしい。


「本当にこの都にいるのか、半信半疑ね。晩御飯時だからどこかで食事をとっているかも」

⦅ソウネ、実に2年ぶりかしら⦆


どこからか、小鳥を撫でるような、可愛らしい声が響く。


「2年と1ヶ月と7日ぶりだってば」

⦅いけねえなァ、執念深くて。怖ェ怖ェ⦆


どこからか、ヤスリを撫でるような、荒み切った声が響く。


人の営みの聞こえる街の中、出歩く人は皆無。コツコツという不安定なリズムのブーツの音だけが、夜道を占領していた。

ふと、人影は足をとめる。目を引いたのはそう、錆つき角ばったランタンだった。旅人はそれを趣深いと感じたが、歩みを止めるほど魅力的と感じたわけではない。

探している人間の趣向の行き先を、そこから確かに感じ取ったからだ。


「もし、今のアタシと同じようにここを歩いていたとしたら、きっとここで立ち止まる。そして路地裏に入るはず。中途半端じゃいけない。進むね」


身に纏った繊細な衣服に汚れが付くのもいとわず、旅人は進み続ける。街灯もない暗く狭い道。だが今の旅人にとってこの道は、2年の旅路の中でどんな道よりも大きく、期待高まるものだった。


「会えたら、もし逢えたら、どうしよう」

⦅積年の恨みだ。思いっきりひっぱたいてやりゃあいい⦆

⦅駄目よ!許すことこそ最良の関係を取り戻すための第一歩。まずは優しく抱擁を交わすとイイワ⦆

⦅抱きしめるだァ?甘っちょろいこと言うんじゃねェ。何度も枕をずぶ濡れにした原因を忘れちゃいねえよなァ?今までの仕打ちをまずは思い知らせてやらねえといけねェ⦆

⦅うーん、ソレモソウネ⦆

「ここ、よね。着いた」


埃まみれの終着点は、小さな飲食店の扉だった。中の賑わいを見るに、営業中のようだった。旅人は、これまでの見当違いとは何かが違う気がしていた。中に、彼はいるのだ。

扉に反射した、埃まみれの自分を見る。薄汚れていようとも、ここまでたどり着いた努力は美しい。自分にそう言い聞かせ、丁寧に埃を払い落とした。

暴れる心臓を押さえる。

ドアベルとともに、旅人は店内に入った。


「どこかな。アタシの愛しい人」




―――

「お待たせしました。こちらがホットコーヒーとディナープレート、こちらがカフェラテとディナープレートですね」

「「ありがとうございます」」

「ごゆっくりどうぞ~」


目鼻立ちの整ったいなせな青年が運んできたプレートには、二種類のパンとトマトのスープ、そして緑色のソースのかかった鶏の蒸し焼きが乗っていた。かぐわしい匂いに思わずダイブしたくなるのをぐっと堪え、いただきますの掛け声とともに二人はナイフとフォークを手に取る。

まずは一口。


「あ~生きててよかった」

「これは…人殺しの罪ですら洗い流せる美味しさ」

「君ってたまに物騒だよね」


頬にすりつけたくなるような焼きたてのパンをちぎり、そのまま頬張る。スープにつける。鶏肉を挟む。それを淹れたてのコーヒーでリセットする。どれとどれを組み合わせてもミスマッチは起きない。至福のあみだくじ。


「にしてもすごいですよね。元図書館を改装して作ったとは」

「そうだね。店名は比喩でもなんでもなかった」


座席ごとにランタンのぶら下がる店内は決して明るいとは言えないが、それがより元々の図書館の雰囲気を引き立てており、居心地の良さを作り出していた。本棚は取り壊さずそのままにしてあるようで、客がもう読まなくなった本などがちらほらと並べてあった。

ここに通えば館内で紅茶を啜ってしまうのもわからなくもない、とシェイルは思う。


「館長さんって紅茶ばっかりのんでましたけど、おすすめしてくれたここはコーヒーの店ですよね。どっちも好きなんでしょうか」

「ほうはんははい?」

「食べ終わってから話しましょうよ…

…そういえばユラさんって」

「子供じゃないもん」

「まだ何も言ってません」

「なんでカフェラテなんだーとかいうんでしょ」

「よく分かりましたね」


無論、年長者がブラックを嗜む、というルールはどこにもない。それが証拠に、シェイルがブラックを、ユラがカフェラテを飲んでいる。しかも角砂糖5個入り。


「苦いの嫌いなんですか?」

「甘いのが好きなのっ」

「子供ですね」

「少年と言え!」


そんなこんなで、プレートもカップも空になり、談笑もひとしきり。

しかし二人はまだ、お腹をさするほど満腹ではない。


「デザート食べない?」

「いいですね!何があるんでしょう」


達筆な字で埋められた手書きのメニューを、端を片方ずつ持ってじーっと見つめる二人。


カランカラン。


ドアベルが鳴った。

そんなことは意に介さない。


「私達が案内されるときって、星座の名前を唱えてませんでしたっけ」

「そうだったね。一つ一つの席に星座の名前がついてるんだろう。小粋だよね。

あれ見て。あっちはかんむり座、あっちはこびん座」

「くつひも座?聞いたことないですね」


二人をじっと見つめ、ウェイターに声をかける人影。

気づいてすらいない。


「この地域での独自の呼び方かもしれないですね」

「だね。ペラリウムにそういう文献があるかも。なかったらスパインをとっつかまえて聞いてみるとするか」


「お連れのお客様、うさぎ座テーブルにご案内です~」


「ん?」

「え?」


ようやく気付く、この2人。

うさぎ座のテーブルは、ここしかない。

螺旋階段をゆっくりと下る人影。

連れなんているはずがない。

館長?にしては背丈が小さい。

それ以外には心当たりがない。


―いや、ちょっとまてよ―


十分な栄養がいきわたり、血色の良かったユラの顔が、瞬時に青ざめる。


「げげっ」


珍しい感嘆詞も漏れる。

人影は、くるくると回りながら確実にユラと同じ階層に近づく。

周囲の席の賑わいは、もうユラの耳には届かなくなっていた。

階段を下る靴の音だけが、ユラの右耳、左耳を順番に刺激する。


―何かの勘違いであってくれ。

…っていうのもおかしいか―


階段を下り終えた足音は、なにもおかしいことのないように、うさぎ座のテーブルに近づく。近づく。近づく。


「し、知り合いですか」


ユラの様子を察し、シェイルもその人物におびえだす。


「ま、まあね」


その人影は、十分近づいた。

シェイルは直視できず、ちらりとその人物の方向を覗く。

短めの銀髪に紺色のカチューシャ。耳には大きなリングのピアス。赤のカーディガンに緑のロングスカート。どこかの本で読んだ、北の都の民族衣装を思わせる装いだった。

年はシェイルより5,6程上だろうか。

しかし大人とは言い切れないあどけなさが、

シェイルの最終決定を、“銀髪の美少女”にした。

他の客は全く気にも留めていない。三人だけの狭苦しい空間ができあがる。

ゆっくりと、口を開く少女。


「久しぶり」


笑っていた。

ユラも最初は直視出来ていなかったが、その声色が想像より幾らも優しく、いい意味で期待を裏切られたので、ようやく少女の方に目を向けた。


「ひ、久しぶり、元気にしてたかい?カフネ」


だがユラはまだ恐れている。シェイルにはわかった。

どれだけ相手が柔和に話そうとも、銃口を向けられていては安心はできない、そういった様子だった。


―恐れている?違うな。

うしろめたさ?のようなものをユラさんから感じる―


次の瞬間。


ぎゅう。


突然、ユラは抱擁された。

銀色の髪がふわっと舞い、それが落ちるよりも先に、少女はユラに抱き着いた。

これまた予想外。ユラは困惑する。

しかし、相手が銃を捨てハグをすれば、さすがに誰だって安心する。

目を見開いたユラは次第に穏やかな顔になり、抱き返す余裕さえ生まれていた。

一喜一憂行ったり来たり。

まるで操り人形のよう。


抱擁はそれから少しして自然と終わった。

ユラもシェイルも、何事もなくてよかったと胸をなでおろす――

のはまだ早かった。


ぱしぃん。


左手の、親指を抜いた四本指がスナップを利かせ、重くはないが決して軽くない平手打ちがユラの頬を襲う。

少女は涙を流していた。感情がぐちゃぐちゃになっていた。

強制的に左に向いた顔は、簡単にはもとに戻らない。唖然とするユラ。両手で口を押えるシェイル。そしてシェイルはこれでなんとなく察した。


「なんで勝手にどこかへ行ってしまったの!!」



―あこれ、概ねユラさんが悪いパターンだな― と。



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