第15話 秘密
自由で奇妙な旅を、私の想像力が許す限り書きたいと思います。旅好き、魔法好き、冒険好きは是非、読んでいってください。
― 汗は額から落ち、竈の上で蒸発する。
溶鉱炉の海にごうごうと浮かぶ金属の魂。
目視で行う極小単位の鍛錬はまさに神業。
思うに、文明の発展とは、科学だけが担うものではない。
長年旅をしてきたが、半端に新たな技術を取り入れた文明こそ、利便性にに溺れ、首を絞められ、跡形もなく消滅している。本書で何度も述べているが、便利と成長は相関関係にはない。
伝統を伝説まで昇華させることが、この大袈裟な世界で発展するための最も合理的な方法だ。
今日びまで得物という得物をもたずに各地を往来してきたが、いい機会かもしれない。拙い日記を出版し得た泡銭を、この都でぱぁと使ってしまおうではないか。
一つ、いや、二つだ。
私の分と、もう一つ。
月並みなものでは退屈だ。
面白く、力強いものを贈りたい人が、
たいへん幸福なことに、私にはいるのだから。―
―『閉本記:13』〈112頁より〉 ライエース=レンズ ―
―――
取っ組み合いのせいで気づくのが遅くなったが、シェイルはこのトイという男の部屋を見回して驚いた。
― ひとつも、知っている武器がない ―
子供の握りこぶし程度はあろうかという緑色の液体が充填された弾薬。銃口が七つもあるピストル。剣の柄の形をした何か。
そもそも彼の体を覆っている金属も飾りではなく、人体とうまく溶け合って機能していることからも、この男が取り扱う技術がかなり先鋭的なものであることが見て取れる。
― 本にすら、載ってなかった ―
すべての事象は紙とインクで記述がなされていると思っていたシェイルは、驚愕と同時に身震いがした。それは恐怖というより、興奮に近かった。
―そもそも私がいた都の図書館だって小さなものだった。あれが全部じゃないはずだ。もっと沢山の知識が革の表紙に閉じ込められている、大きな大きな図書館に行ってみたい―
好奇心は磁場にも揺るがぬ絶対のコンパス。
シェイルの確信が、頭の上の地図にピンを指した。
「…で、少しは落ち着きました?」
「全然」「全然」
「気が済んだようでよかったです」
「まあたかが27万リーレ程度さ、俺は最近もっと大きなロマンに金をぶん投げたんだぜェ!」
「ぶん投げるなよ、君の脆いロマンじゃすぐに砕け散ってしまう」
「フン、減らず口はこれを見てからにしな」
そういってトイが棚の奥からがさごそと取り出したのは、一冊の古びた本だった。
これはほぼ同時だった。
シェイル、ユラともに、それに目を輝かせた。
「閉本記の13巻!あの幻の!」
「おうよォ。俺ァあのオークションの常連でな。そういうやつしか行けない秘密のオークションイベントがあってな、そこに出品されてたのさ。状態こそ悪いが、間違いなく本物さァ。」
「閉本記は現在も刊行中で、最新は32巻です。そして、何らかの都合で現在発売を禁止されているのが、13巻、22巻の初版、30巻の3つ。そのうちの1つを持っているとは…!」
「『白昼夢』の仕事の中で聞いたことがある。その三つの中で13巻は禁書扱い。ほとんどが燃やされ棄てられ、現在残ってるのは10冊にも満たないという話だ…まさかここにそれが…」
無意識のうちに二人はその本に手を伸ばす。
口の端から涎を垂らさんばかりに。
「おっと交換条件だぞォ?俺はこれを読ませてやるから、」
「…『龍の溜め息』を使わせろってか?」
「さすがにそこまでは言わねえよ。そのロマンを眺めさせてくれ。じっくりとなァ」
「浪漫ね?まあそれならどうぞ、ほら」
ユラは瓶と浪漫を交換し、粗相がないよう丁寧に1ページ目を開いた。
「ユラさん!私にも見せてくださいよ!」
「あのーほら、2人一気に読むのって効率悪いじゃない?とりあえず僕から読もうと…ふむふむ…」
「独り占めしたいだけでしょーもう」
稀に見るユラの我儘に頬を膨らませるシェイル。
「大分状態が悪いなあ。なになに…
“断っておくが、誰に指図されようが、私は崇高な文章は書かない。印税を旅の元手にするだの、世間の闇を暴くだの、そんなものには全く興味がない。私は読んでいる人に、旅に出て欲しいと思ってこれを書き続けている。この本の内容は既巻と比べるとかなりディープで、禁書認定も時間の問題だろう。だから、この巻を探すために旅に出るのもまた一興、だと思っている。
綺麗事だと言われればそれまでだ。だが、―――”
ここから特に劣化が酷いな、読めやしな――」
「“だが、綺麗事だけが綺麗な事を実現しうる。私の首くらい安いものだ。この世に旅人が1人でも増えるなら。
さあ、旅に出ろ。
満月を盗む勇気を抱け”」
…
小瓶を眺める大男も、
本に齧り付く商人も、
その事象に意識を奪われる。
彼は暗唱した。
大界に十冊とない、禁書の前書きを。
「こりゃ驚いたなァ」
「一体どんな手品だい、ご教授願いたいね」
皮肉をのたまう余裕はあったようだ。
「なんか、自然と出てきたんですよね。図書館で読んだことがあったのかな」
「ま、まあ君は読んだ本の内容をほとんど記憶しているようだし、たまたま禁書認定される前に読めたのかもね。素晴らしい才能だ。ライエース=レンズもびっくりだね」
「ほォ。おもしれェ。うちに是非とも、」
「いくら出してもやんないよ」
「その閉本記いくらで落札したと思ってんだ?ここら一体の土地を俺のモンにしても足らねえ額だ。俺ァロマンなら金に糸目がねェ」
「堂々と人身売買しないでください。倫理観はオモチャ箱に仕舞ったのですか?」
「…名はシェイルだったか?出身は?」
「綿都です。綿都ミルミス」
「ふゥん」
トイは低く伸びる声で唸る。
何かを考え、その後、
「まあまた寄ってけよォ。
そいつは居ても居なくてもどっちでもいいがな」
「こっちの台詞だっての」
満更でもなさそうな顔でユラは笑っていた。
シェイルはトイと握り拳をこつんとぶつけ、再会を約束した。血の通わない銀色の左手に、シェイルは確かに脈動を感じた。
ざっざっざっ。
「…結局あの人には何の用事があったんです?」
「別に?近況報告と嫌がらせ」
商人という、利益に始終する生業で、損得を考えず付き合える仕事仲間がいるのを、シェイルは羨ましく思った。
―悪友って表現の方が正しいかな。
まあ、どっちみち良い関係だ ―
「さて、次は何処に行こうかな」
「私、久々に文字の海を泳ぎたいです」
「お、奇遇だね。僕もだ。あの都ならここから近いし、文字にどっぷり浸かれるだろうね」
「ですね。それじゃ行きましょう」
「“書都リブルア”へ!」「“書都リブルア”へ!」
―――
誰にでも秘密はある。
他人にとっては取るに足らない小さなことから、
人の関係を壊しうる大きなものまで。
そして、秘密は秘密にする理由があるから隠される。したがって無闇に詮索するものではない。秘密が保つ平穏や、秘密の作り出す人の魅力など、この世に幾らでも存在する。
しかしながら、この世には秘密に向いている者と、向いていない者が存在する。それすなわち、“嘘が上手か下手か”ということであり、この物語でいうなら、ユラは前者。シェイルは後者である。
ユラは馬車に揺られながら、いつもより重たい考え事をしていた。
―シェイル君は、嘘が下手だ。
目も当てられないというほどではないけど、
表情や言葉尻に綻びが出てしまってる。
閉本記を暗唱した時も、言い訳がぎこちなかった。
何度も繰り返すが、とてつもなく下手というわけじゃない。
だけど、ぼろが出てしまうのは、
抱えている秘密が大きいから。
言いたくないから秘密は存在する。僕だってそうだ。
だからこそ聞きにくい。
店主と従業員という関係を崩さないためには、
暴いた秘密に相当する秘密を、こちらも開示するのが筋だろう。
僕には、その勇気があるだろうか。
ほうら、こんなことばかり考えてたらきっと―
「…ユラさん!どうしたんですかぼーっとして」
「あ?ああ、ごめんごめん、考え事をしていてね」
「そうですか。なんだか、らしくない顔をしていましたよ?」
―いつか君にばれてしまうね―
「あら。イルくんは僕をよく見ているんだね~」
「いつまでもその呼び方をやめないうちの店主さんが馬車から落っこちないか見張ってるだけですよ、
って、ユラさん!見えてきましたよ!」
「本当だ、この風景、久しぶりだねぇ」
都の入口からもわかる、整然とした赤煉瓦の街並み。
白い屋根に施された大きな赤い旗の装飾は、この都ならではのもの。
「大界有数の大図書館のあるこの都は、著名な作家を何人も生み出しています。今では主流となった印刷技術もここが発祥。言わずと知れた本の都。『書都リブルア』」
「ほんと、ガイドをつけているようだよ。相変わらずの知識量だね」
心臓のどこかに引っかかった小骨が取れない。ずっと前からそうだったのかもしれない。
疑惑。
そうなのでは?と考えた途端に、言葉の全てが意味深長に聞こえてくる。
平然を装っていたが、ユラはしばらくこの感覚に苛まれている。
「…さて、まずは仕事だ」
「お、ここでは何をするんですか?」
「スタイルは荷売りさ。主力商品は今君が座ってる布の下に敷かれてるお花の栞さ」
「うわ!なんでお尻の下に敷いてるんですか!」
シェイルはたまらず飛び上がり座席の下を確認すると、そこには腐都の人達から贈られた花の数々…
「知らないのかい?腐都の伝統的な栞の作り方さ。ドライフラワーを椅子やベッドみたいな、人々の生活の隣に置いておくことで、敬意と暖かみを持ってゆっくりと栞にする。見方によっては失礼に思うかもしれないが、ほら、いい出来だろう?」
「あら、ほんとだ」
ユラが座席の下から一つ取り出す。
少し暖かい、セピア色の押し花ができていた。
「郷に入ってはなんとやら。
“ならでは”を楽しむのも黄昏商の醍醐味さ」
―――
栞の売れ行きは好調だった。
なにせここは本の都。家に自分より大きな本棚があるのは当たり前であり、朝はパン屋よりも本屋の方が賑わう。
― 次はどんな物語に飛び込もうか ―
書都の人々はそんなことを考えながら、毎朝気を惹く背表紙をなぞる。
それはユラもシェイルも例外ではなかった。売り上げで追っている本の新作を買ったり、民家と間違えてしまいそうな古本屋を巡ったり。文字を求める東奔西走はとどまるところを知らなかった。
さてもさても夕方に差し掛かる頃。
二人はようやく大本命にたどり着く。
「ここが、大界有数の大図書館…」
「“ペラリウム”。むかーしの言葉で“息づく館”という意味だね。名の通り歴史も古い。そしてなにより魅力的なのはその蔵書数!」
「その数、のべ一億五千万冊!一生かけても読み切れない本がここにあるなんて、なんと幸せなことなんでしょうか…」
赤く、果てしない、三階建ての大図書館。
デザインこそ他の建物と同じだが、明らかに大きさが桁違いだ。
建物の端から端へ叫んだとて、まず声は届かない。どこまでも連なる年季の入った赤煉瓦は、館というよりも城という言葉を彷彿とさせた。
大きな金属製の扉は、開かれている。
二人はペガちゃん(荷車を引く愛くるしくも気高き不思議な馬)を近くに停め、その門をくぐった。
「…圧巻だ」
シェイルがまず驚いたのは床だった。
大理石でできた、不思議な模様の入った床。人が歩く度に靴底の音が反響しては、彼方にて途絶える。
その上にあるのが、どっしりと構えた木造の本棚。上段に手を伸ばそうものなら長い長い梯子が必須で、シェイルの目の前にも、つま先を伸ばし、懸命に本を手に入れんとする若者の姿があった。
「通路を歩いていると、巨人の軍隊に歓迎されているような気分になります」
「言い得て妙だね。僕も何度も足を運んでいるが、この景色には若干たじろいでしまうよ」
「色々見て回りたいところだが、友人がいてね。付き合ってもらうよ」
「もちろん。司書さんですか?」
「そそ。ここで一番えらーい人だ」
「…ワタシのデスクはそっちじゃないぞ、全く」
突然、天井から、溜め息とともに声がした。
無論、基本的に天井は喋らない。
声を発したのは、立てかけられた梯子の途中に座る、
片眼鏡の男だった。
「加えて、ワタシは厳密には司書ではなく館長だ」
「図書館では静かに、でしょ?」
「ふむ、館長だから許される、というのは傲慢だな。
そこは詫びよう」
梯子から飛び降り、二人の前に颯爽と降り立つ館長。
身長はユラよりも一回り大きく、つららのようにほっそりとした容姿で、一つの皴もない白いシャツの上に、埃一つない黒のスーツベストを着ている。
何物をも映さない漆黒のオールバックは、比類なき彼のシンボルである。
「お初にお目にかかる。ペラリウムの館長を務めている、スパイン=フォルゴナートだ。スパイン、もしくは館長で構わない」
「お、お初にお目にかかります、スパインさん。ユラさんの弟子のシェイルと申します。よしなに」
「本は好きか」
「え?ええ、とっても」
「どんな本が好みだ」
「冒険譚です」
「フィクション・ノンフィクションに関わらずか」
「大界じゃ大差ありません」
「その通りだな、全く」
応酬の最後に、彼は小さく鼻で笑う。
若干必要不可欠(余分)な手順を挟んだ後、スパインは右手の白い手袋を外し、握手をした。
「それでユラ、今日は何しにきた。前も言ったが禁書庫は開けないぞ。お前が入るとろくなことが起きない」
「そういわずにさあ~また色々見たいよ~」
「歴史的に重要な書物をいくつかうちに贈呈してからなら考えてやらんこともないがな。シェイル君はどうだ、一読してみたい本はあるか」
「閉本記の、13巻が読んでみたいです、できれば、完全な状態の」
スパインの余裕綽々といった表情は、シェイルの言葉を前に悔しそうにゆがむ。
「ライエース=レンズがお望みか。痛い所をつくな、全く。残念ながら、完全な状態のものは所蔵していない」
「やっぱり、」
「…実は13巻を手に入れた友達がいてね。それを見ても解読可能なのは冒頭だけだった」
「…なんと、なるほど。だがそれなら不幸中の幸いやもしれないぞ。ここにある13巻が解読可能なのは、中盤の部分だ」
「ほんとですか!」
「禁書扱いだが、通常の棚に配架してある。監査の際、文部機関からなんの警告も喰らわなかったのだ」
「変な話だね」
「ここだから優遇したのかもな。それにもとより、本というのは誰もが読む権利を持つべきだ。ワタシとしては館長冥利に尽きる。こっちだ、案内しよう」
――
連れられた本棚の前で待っていると、スパインは、今度は律儀に梯子を下り、お目当ての品をシェイルに手渡した。
それは、完全とは言えないものの、トイが持っていたものよりはだいぶ状態がよかった。興奮冷めやらぬうちに、シェイルは中盤のページを開く。
両目が上から下に行き、列を変えてはまた繰り返す。
“注文通りのものができた。私は大いに満足した。やはり神業と言わざるを得ない。前述した通り、この人々は近いうちにこの都を離れ、人目のつかない山奥に身を隠すようだ。寂しいことこの上ないが、仕方のないこと。悲しむことはない。旅の流れに身を任せていれば、きっとまた相見えよう。それまで、しばし、感謝と、決別を。” 〈169頁〉
「…う」
「ん?どうした」
「違う!!!!!!!」
どぅ。
通路に響き渡る慟哭。
少年の体から出る、精一杯の否定。
「こんな描写はない。
こんな文体じゃない。
こんな言葉は使わない。
こんな表現は使わない。
こんなリズムで書かない。
こんなに煩い文章じゃない。
こんなの、違う」
「シェイル君、どうしたの?」
ユラは、言葉を発した後に気づいた。
― あの時の、君の秘密。
やっと今、分かった。
分かっているのに、聞いた。
答えは出たのに、問うた。―
― ― ―
「僕の名前、教えてなかったよね。
僕はユラ。君の憶測は大当たり、しがない黄昏商さ」
「やっぱりですか。ユラさん、私の名前も、知らなかったですよね。私はシェイル。苗字は、多分忘れました」
― ― ―
―誤魔化しはよせ。
でも、
言葉にしかねる。
うろたえる。
息がしづらい。
でも、
言わなければ ―
「シェイル君」
「待って!
もう隠し通せない。
わかってる。
自分で言わせて」
「…うん」
それはそう、ちょうど、
かくれんぼで見つかってしまったときのような、
「僕の名前は、シェイル=レンズ。
ライエース=レンズの息子です」
俯いて、顔を上げて、ユラを見て、
寂しげな微笑みで、
そう答えた。




