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時間旅行士

作者: 谷中英男

 真っ白なタイルの床に、数えきれないほどの壊れた部品が転がっていた――ここまで徹底的に破壊すれば、復元することは不可能だろう。たかだかこの程度の機械のせいで、あんなことが起こるとは考えられなかった。だが、そんなことはもう起こらない、起こりえない。つまり、私は未来へ巨大な影響を与えた事件を阻止したのだ。

 私に課せられた任務を成功に導くことが出来たのだ。

 これで未来は救われた。

 誰もが陽の光を浴び、地上世界を自由に闊歩することが出来る。あの薄汚れた肥溜めとはおさらば出来る。

 これまで多くの犠牲を強いてきた。私の仲間はこの任務のために命を捧げ、残すは私一人になってしまった。

 彼らの命は無駄ではなかったのだ。彼らの貢献のおかげで、途方もない数の命が救われ、未来は燦然と輝くことになったのだ。

 彼らはまさに英雄だ。彼らの貢献なしには、この成功は得られなかった。私が戻るべき時代に彼らはもういないが、彼らの名は永遠に語り継がれるだろう。

 私に残された仕事は、勇敢な仲間の雄姿を胸に未来へ帰り、仲間たちの英雄譚を語り継ぐことだけだ。彼らの勇ましい姿は後世に語り継がなければいけないのだ。彼らは英雄として未来永劫語り継がれなければいけないのだ。誰がなんと言おうと、私しか彼らの雄姿を知らなくとも、彼らが戻るべき未来に存在しないことになっていたとしても、彼らの払った代償は世界に伝えねばならない……。


 眩いフラッシュのたかれる中、ついに自分の口から、私たちの成し遂げた任務について話す機会を得た。

 現代に舞い戻ってからずいぶん長い時間を経たものだ。時間旅行が私にどんな影響があったのか調べ、現代に影響を与えかねないウイルスなどを調べるのがこんなに時間がかかるとは思いもしなかった。

 だが、私はついに狭苦しく消毒液の匂いが漂う病室から解放された。白衣に身を包まれた無愛想な連中とは違い好奇心に包まれた報道陣と対面し、最後の使命をまっとう出来る。

 私はこの時を待ちわびていたのだ。政府が流した、事実を羅列しただけのつまらない声明ではなく、私の口からしか語られることない、生の声を伝えるこの時を。

 私の目の前に広がる、私たちが救った人々の服装を見るだけで、私たちがやってきたことが無駄ではなかったと安堵出来る。私が知る継ぎはぎだらけで薄汚い服装のものは誰一人として存在しない。誰もが新品のように清潔で見慣れぬ服に身を包んでいる。まさに私たちが幼子のころに空想したような機能的で頓珍漢な格好だ。

 これが私たちの求めた未来だったのだ。私たちが命を賭けて手に入れた未来だったのだ。私たちはこんな理想郷を求めて、過去へと飛び立ったのだ。



 理想を胸に抱き、過去の悲惨な状況に直面したあの時が懐かしく思える。私たちは過去があんなにも醜く、いがみ合っている世界だとは知らなかった。私たちは子供のように無知で、純粋だったのだ。誰もが手に手を取り、幸せに暮らす世界がそこにはあると思っていたのだ。そんなものは一切存在しなかったが。あるのは暴力と無関心が空気のように蔓延る醜悪な世界だった。

 私たちが来た時代の方が貧しくとも、お互いを助け合い、どんな小さな幸せでも分かち合うことが出来ていた。少なくとも私は――他のメンバーもそうだったろう――こんな世界を救う必要があるのかと疑問に思った。だが、彼らのように醜い存在でも私たちの先祖なのだ。彼らがいなければ、私たちは存在しえないのだ。彼らを救うことが、私たちの幸せにつながる。それになによりも、まばゆい光を放ち続ける太陽が私たちの心を惹きつけた。

 神々しく私たちの頭上に煌めく太陽。あの事件すら知らず、私たちには都市伝説のような存在である太陽。それが私たちを神々しく照らしていたのだ。輝かしい未来を求め、虚しく散っていった先人たちの気持ちがついに理解出来た。この眩い光を知っていたために、みどり輝く世界を走り回るために、どんな危険が待っていようと命を賭してきたのだろう。今ならその思いがはっきりとわかる。


「人類にとって最重要の任務をやり遂げたご感想をお聞かせください」


 今まで単調な報告と退屈な検査を繰り返してきた私に相応しく未来的な格好の記者が、感慨にふける私にそう訊ねた。私が知る世界ではお目にかかったことのない蛍光グリーンの頭髪で、性別を判断しかねる倒錯した服装をその記者はしていた。声を聞く限り女性だが、頭髪のせいか、はたまた服装のせいか性別を判断しかねた。だが、いずれ順応しえるどうでもいいことで、くだらない疑問は置いておいて私は言葉を紡いだ。


「最初に、この成功は多大な犠牲のもとになり立った結果だと理解していただきたい。これは私とともに任務を果たし、命を散らせた隊員だけではなく、時間旅行に心血を注いだすべての人のことだ。彼らの犠牲なしに、私たちが手に入れた平穏な世界はありえなかったのだ。私たちは幾多の犠牲の上に住んでいるのだ。それを忘れないで欲しい。未来永劫語り継いでほしい」


 私が任務を遂行した時に思った素直な気持ちだった。これだけ語ればいいとさえ思っていたことだ。だが、私の前に期待のまなざしで座る報道陣に、私を待っていた人々に、これだけ言って立ち去るわけにはいかないのは明白だった。


「そして、任務を遂行出来て嬉しかったと言っておきましょう」


 私がそう付け加えると、またしても無数のフラッシュが炸裂した。まばゆい光の明滅に眩暈を覚えながらも、私は改めて達成感を味わっていた。

 私はついに世界を救ったのだ。誰もがなしえなかった救済、誰もが望んだ世界、それが私の手によってもたらされた。達成感を得ずに何を得ることが出来よう。

 達成感もさることながら私はすべてを手に入れたという幸福感を得た。私はこの功績のおかげで、誰もが羨む生活を送るだろう。過去で目撃したよりも、もっと豪奢で未来的で想像のつかない世界を楽しむだろう。我々人類が取り戻した太陽のように輝かしい未来が私には待っている――。


「帰還した今、何かしたいことはありますか?」


 そう訊ねた記者は、凄まじく逞しい男性だった。食糧問題もやはり解決している結果だろう。いや、食糧問題すら彼らは知らないのかもしれない。裕福な時代が続いているから、あんなに逞しい身体をしているのだ。


「そうですね、太陽の下でゆっくりとコーヒーを飲みたいですね」


 私の答えに記者たちは目を丸くしてから、微笑んだ。


「苦労を乗り越えた後には、庶民的な日常を享受したくなるということですか」


 私に質問を投げかけた男性がそう訊いてきた。成し遂げた大仕事を労うような暖かい笑みを浮かべて。この会場にいるほとんどの人間が彼のように暖かい笑みを浮かべていた。最前列で零れ落ちそうなほど目を見開いている男を除いて。

 男は不敵な笑みを浮かべ、私を凝視し続けていた。苦労を労うような表情は一度も見せていなかった。見ていて心地良いものではなかったのはたしかだ。

 私はそんな男の態度に、怒りを爆発させそうになった。それはなぜかって、私はこの世界を救った救世主だからだ。臭気漂う穴倉に押し込められて、一生、太陽を見られないなんて世界を消し去ったのだ。そんな私にあんな表情を向けられるなんて許されない。私は神のように崇められて当然の存在なのだ。私にひれ伏し、当然のように享受している幸福に感謝しなければいけないのだ……。

 まあ、実際のところ、こんな醜いことを思ったのは一瞬だった。苦痛に満ちた世界を知らない彼からしたら、仕方のない行動なのかもしれないのだ。人にはそれぞれ思想があって、私の功績に異を唱えるのは自由なのだ。私がとやかく言うものでもない。

 だが、わかって欲しいのは、私は数々の苦難を乗り越えて、この世界を救った英雄なのだ。あんな笑みを向けられるいわれはない。と言っても、私はそんなことで腹を立てて男を糾弾するほど子供じゃない。

 だから、私は彼に何を言うでもなく、話を続けた。


「そうなりますかね。私にとっては最高の贅沢になるんですが。なんと言っても、私が過去に旅立つまでコーヒーなんて代物は飲んだことありませんでしたから――生臭くて泥の混じった水だけが唯一の飲み物だったのです。私が救ったこの世界を眺めながら、コーヒーを飲んで幸せを噛みしめたいです。それで充分だ」


 私が笑顔で言い切ると、またフラッシュがたかれた。これが有名人になった弊害だとわかってはいるが、どうにも慣れない。眩い光の明滅に頭がくらくらする。

 そんな中でも、男は表情を変えない。まるで、零れ落ちそうなほど目を見開いて見つめれば、私を射殺せると信じているかのようだ。

 私に対して何か特別な感情を抱いているにしても、男の態度はあまりにも不自然過ぎる。私は男の頑なな態度に不快感よりも恐怖を抱き始めずにはいられなかった。強固な意志を一身に受けることがこんなにも恐怖だと知らなかった。私の心は経験したことのない恐怖に引き裂かれるところだった。眼鏡をかけた女性記者の質問がなければ。


「過去の世界で初めて太陽を見た時、どう思われましたか?」


 彼女のおかげで、男から意識を切り離すことが出来た。男が視界の端にまで後退したことで、恐怖はかなり薄らいだ。あそこまで怯えていたのが馬鹿みたいだ。


「そうですね、初めて太陽を見た時、私は何が起きたのかわからなかった。地上を荒廃させた戦争の始まりに放り込まれたとでも思ったかもしれません。それくらい混乱したんです。でも、太陽が発する生命力あふれる暖かさにすぐさま気づきました。肌を焼く自然の光に感動しました。そして、この太陽を求めた先人たち、太陽を知らないすべての人のためにも、必ず任務を成功させようと決意しました。結果的に、私以外の隊員を失ってしまいましたが、彼らも抱いた夢を成就出来たことは大変に喜ばしい事です。そして、再三になりますが、命を賭した隊員たちと、時間旅行に心血を注いだすべての人々を忘れないで欲しい」


 私の気持ちは淀みなく流れ出た。そして、男に対する恐怖も消失していく。いくら男が私を見つめようと、私を射殺すなんてことは出来るわけもなく、私が気にしなければ、男はそこに存在していないのと同じなのだから。


「少し早計かもしれませんが、ご自身の今後の展望をお聞かせ願えますか? 時間旅行士を続ける、新しい仕事を見つけるなど簡単なもので構いませんので」


 顔の半分が隠れるほど大きなサングラスの男性記者がそう訊ねた。

 正直、この質問には面食らった。私には時間旅行士という仕事以外に仕事など考えたことはなかったのだ。時間旅行士だけを夢見、その仕事に就けたとき世界を救うのが私の唯一の望みだった。その望みが叶って、今さらどんな仕事に就けよう。また命を賭けて時間旅行をする? それとも、私の経験を活かし、時間旅行士のサポートへ回る? 前者は今の私には無理そうだ。長年の夢を叶えた今、またあの苦痛に満ちた時間を過ごすなど考えられない。ならば、後者になるだろう。私は時間旅行しか知らないのだ。他の仕事など出来るわけがない。それに、私を育て上げた元時間旅行士のように、自分の経験を活かし、時間旅行士の育成に力を注ぐのは悪くない。私ほど貴重な教材はほかにないのだから。


「まだ、はっきりとは考えていませんが、私の時間旅行士としてのキャリアは終わると思います。十分話し合う必要があると思いますがね。それが認められれば、時間旅行士の育成に携わりたいと思います。もちろん、必要とされればですが」


 私がそう告げると、零れ落ちそうなほど目を見開いた男が間髪入れずに質問してきた。


「幾度となく繰り返されてきた時間旅行の、初めての帰還者としての気持ちをお聞かせいただけますか」


 この質問に私は面食らった。私が知る世界では任務を成功せずとも少なからず生還者は存在していたのだ。私はその生還者たちに師事し、此度の成功を掴みえた。私は彼らがいなければこの場にはいなかったのだ。それなのに、私が世界を救った結果、彼らは存在しないのだ。

 私は世界に与えた変化に震えた。私のせいで、あるはずだった命が失われるなんて思いもしなかった。時間旅行の払う代償の大きさを改めて実感した。

 私が黙りこくったせいで、会見場にざわめきが広がったようだった。しかし、私の耳にはそよ風のように微かな音しか聞こえない。

 私の視界はどんどん狭くなり、不鮮明になっていく。音はもう聞こえず、静寂が支配していた。

 まだ時間旅行の疲労から回復していないようだ、と自分に言い聞かせ、その事実を伝えようとした。だが、口を開くことさえ出来ない。まるで糊付けされてしまったようだ。

 違和感は全身に瞬く間に広がり、漆喰に塗り固められていくように私の身体の自由が奪われていく。

 いつの間にかに、私の周りを白い服の人々が取り囲んでいた。どこか見覚えのある人々だったが、私に思い出す力は残されていなかった。ただ彼らを受け入れることしか出来なかった。




「いつも苦労を掛けてすまないね」


 白衣を纏った初老の男性が、最後に時間旅行士に質問した男にそう声を掛けた。


「いや、いいんですよ。私の苦労なんて彼ら時間旅行士の負担に比べればどうってことはない。むしろ、こんなことしか出来ない自分が情けないですよ」


 男の言葉に、白衣の老人は首を振った。


「あなたが罪悪感を抱く必要はない。あなたたちのおかげで彼ら時間旅行士は世界を救ったと思えるのだから」


 そう言葉をかけられた男の表情に変化はなかった。依然として、零れ落ちそうなほど目を見開いたままだ。


「次回の帰還はいつになりますか?」


 男の質問に、白衣の老人が事務的に答えた。


「来週になるかな。詳細は追って連絡するよ」


 男は無言で頷くだけだった。




 男は薄暗く臭気漂う自分の部屋に戻った。そこには窓はなく、壁からは汚水が滲み出て、男の身体を蝕んでいた。男は、いや、この世界の住人はこの薄汚れた穴倉しか知らない。そして、この穴倉から抜け出すために、未来ある若者を犠牲にしていた。彼らが得られたものはない。強いて言うなら過去は変えられないという残酷な事実を、若き時間旅行士の死をもって何度も思い知るだけだった。

 男は自分の無力を嘆いた。若者を犠牲にし、自らの幸福を追求している事実に嫌悪を覚えた。大きく見開いた目から、何かが零れ落ちそうだった。男はより一層目を見開いた。 


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