表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

居なくなる

作者: 比我 鏡太朗

暇だったら読んで下さい。期待する物は何も無いと思います。


 仕事を辞める事に為りました。コロナの影響だそうです。

もし、感情と言う物が受動的で、決して自ら自立して起こり得る物で無いのなら、此れから先は、この感情は、地を這いその足をねめつけ、拳と足踏みを恐れ、人間を嫌い、他者の視界が断罪のように降り注ぐ人工とうに背を向けて夜空を求め、よぎれを着込み、窓辺を愛し羨むでしょう。

 寝付けず、呪うように逃避する明日への現実に本能は死にたがるように暗く己を憎み、愛するように囁きます。自由を、逃避を、内なる私の魂は、単純に日常を拒んで恐れて、時の流れを止めようと足掻くと言うより、駄々を何時までも捏ねています。そう、単純に仕事に行きたくないのです。単純に働きたくも、誰とも顔を合わせたく無いのです。馬鹿にされ、虐げられ、気味悪がれ、むかつかれ、嫌な顔をされ、無視され、必要とされず、ようずみとされ、何一つ重んじられる事の無い存在なのです。そんな人間が何かをしようなどと、人と関わろうなどと思うわけは無いのです。


 こうやって書いて、感傷的に泣いてしまう位に、ちっぽけで弱い人間の1人です。魂が救われた?そうかもしれません。少しだけ自分の子供っぽさが身に染みたかも知れません。一時です。その繰り返しです。世の中を呪いぬいて何かを成す事の方が偉大で逞しく、尊敬されるかも知れません。人の顔が怖いです。怒ったような顔や不機嫌な顔をされると、堪らなくなり、恐ろしくて自分が小さな虫になります。じっとしているしか無くて情けなくなります。毎日人と顔を合わせるのが苦手でたまりません。同じ人と何度も同じやり取りをし続ける苦痛を考えると、恐ろしいとしか、時の果ての無い牢獄に追いやられて、閉じ込められてしまったかのような気分を想起して、絶望的に為ります。とにかく、小心者の粋を極めんと励まんかのように、日々積み重なる不義理の惰性的マゾヒズムの世界は、最高に独善的で愉悦の限りです。もう、おしっこでもウンコでも漏らす世界線の果てさえも見えてきて、其処で味わう後悔に、童心に返り、万人に憐れみと祝福を受けるのです。彼女と私は、天上天下唯我独尊の馬上に乗って紙飛行機を飛ばすんです。アイラブユーの果てに世界は諦めの戸張を降ろして、全ての導火線に火を付けて飛び立ちます。観てますか?あなた方よ。出航の準備は出来ました。ファンファーレの準備をしてください。世界中のシンクタンクに降り注ぐ銀色の蛇口にブーケを。


 要するに、此れが自由です。此れが勝利です。我らの勝利です。何物も産み出さない事に於いて、生産者さんのお膝元で、胡座を、膝枕して貰って、フリーダムと叫ぶのです。貴方だけ笑うでしょう。その笑顔は誰かを癒すかも知れない。



  日常に疲れたどうしようもない自由は、魂がエナジーを授ける。



 正直、此処で終わらせて良いし、此処で終わらすべきなんだろうけど、世間体という物を否定する芸術家のようには否定しきれず、格好を付けると、しかし、その芸術家は、自分の人生に責任を負えとその著書の中で仰っていて、まぁつい一昨日くらいにふらっと買った岡本太郎さんの本ですが、彼曰くw彼曰くそういう事だそうです。


 好き勝手言うのも、やりたいことやるのも自由だが、その人生に責任を持てと。そんなことを言っています。


 そして、人生は常に岐路に立たされていて、人間は皆二つの別れ道にいる。安全な今までの行動通りの道と、危険な一般的でない道。

 そして、殆どの人間は惰性的に本能的に理性的に安全な道を選ぶ。

 しかし、本当は本心は、危険な道を自分は選びたがっているんだ。

と言ってます。そして、彼は何時も危険な道を無理と選んできた。何故なら、最大の敵も味方も自分自身で、そんな自分を殺すため、自分自身に打ち勝つため、過去の自分も回りが定義する自分も、自分が定義する自分も時に(其れは何時だってかも知れない)邪魔なだけなんだ。其れをうち破いた時に、真の人間としての歓びや発見があるんだと、そんなような事を仰っています。こう言うと、あれ?宗教の勧誘?な感じでますね。中々。



 人と比べても価値はないし、自信にも為らない。自分自身を試して自分を知らない限り、自分というものは真に分からない。其れは、青春だと言っている。自分自身を探すことも、生きる意味を探すことも。そうやって、確信的な物を自分の中に見付ける事が生きていく上での土台のような物になり、其れが端から見たら、自信やその人らしさになるんだと言っている。

 

 私が言いたいのは、己に言い聞かして、また問いかけたいのは、自分自身に責任を持つ、自分の人生に責任を負うという言葉であり、其れは自分自身の事をしっかりと抑制出来る大人な人間足らなければ、表現者として、人としての責務も自由も負うことは出来ないのではないかと、戒めのように思う気持ちであり、果たして自由とは、表現としての代替行為足らん情熱や熱に浮かされた妄想や自身の世界に対する倒錯や没入の覚醒、辞めた。


 ちょっと、遣り過ぎは危険だし、其れは一人で綴じ込もって自分の価値観だけを信じて遣るには、人間性が問われるし、精神の成熟や、自他への安全の配慮も考えるべきところでもあり、しかし、そんな事を言っている芸術家も居ないだろう。だから、芸術家とは器用な人間なのだな。とか語ってみるが、そんくらいに頭が良く思慮深い人間が芸術家なのかも知れない。絶対数の問題かも知れないが、芸術家の誰々が創作の熱に浮かれて交通事故を起こしました等というニュースを聞かない。私自身は、病的な資質があるのだろう。芸術とか表現に対する情熱では無いのだろう、一時、妄想に浮かされて脳みその少ない、弛んだエネルギーを使ってしまい、危うい時期があったので、思う事があって何か長々色々と述べ散らかすと共に自己啓発を兼ねて述べた次第です。


 一応、そんな事も不用なのだろうけど、大人の真似事のように、人が読んで恥ずかしくない位の文章を書く練習のように格好を付けて書いた次第です。


 色んな甘えがある。許されない甘えもあるのだと思う。言って良いことと言ってはいけない事もあると思う。其れを言ったら誰かが怒り、誰かが傷付く。だから、皆慎重に言葉を選び不用な発言は慎み、馬鹿な事は言わないようにする。子供ならまだしも、大人なら其れは皆も自分もしていることなのだからと。

 だから、誰かが配慮に欠けた想像力を疑うような人間性を疑うような人としてあるまじき事のような発言をしたら、皆一斉に襲い掛かって来る。正義を振りかざして。


 でも、本当に誰しもが経験した事の無い事を、まるで見てきたかのように想像して、其れは見るより速く聞くより速く、日々そういう悲劇的、ネガティブで現実的と言えなくもない事に想像力を働かせる事が良いことなのか、発言は想像力を養うコミュニケーションの手段では無いのか、そんな切った張ったの殺伐とした空気間が世間を覆って日常を覆い被さって、パッと輝くシナプスもニューロンも遠い隅で、世話しなく働く理性様を見もる世界が幸福ですか?空気読んで息吸ってますか?酸素薄く無いですか?頭重く無いですか?


 ぶっちゃけ、馬鹿らしい事言いたくてしょうがなくて、何とか声に出して君に呆れられてた自分さえ、もう懐かしいよ。


 ハッピーニューイヤー‼️明けたら唇に一目惚れ♥️

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ