収斂 その3
岩の上に座り、静かに瞑想すること数時間。
湖の周辺でうごめいていた影が一度動きを止め、一箇所へと進み始めた。それを感じたエンヤは目を開き、闇の中を動く影の気配を追った。
影が目指す先には小さな明かりが灯っており、その明かりの中に一人の女性がいた。
誘蛾灯に引き寄せられる虫のようだな。
エンヤは静かにその様子を見ていた。影は静かに、素早く明かりへ近づいていく。だが、ある程度近づいたところで影は動きを止めた。
影はしばらくその場にとどまっていたが、まもなく光から遠ざかり、そのまま闇に消えた。
「アドルか……」
光の中にいた女性に、一つの影が近づき、女性の頭を軽く叩いていた。
それを見たエンヤは、ならばもうよいか、と岩を降りた。
無茶をするお嬢様の見張りは肩が凝った。監視者がいる事を察知し、自分を囮に一網打尽にしようとでも考えていたのだろうが、そんなことをされて湖周辺の森が火事にでもなったら大事だった。アドルのおかげで騒ぎは回避されたようで、エンヤはほっと一息ついた。
やれやれ、と肩を回して凝りをほぐすと、エンヤはテントへ戻ろうと歩き出した。
その時、音が聞こえた。
夜の闇を切り裂いて飛んできた矢を、エンヤは右手ではたき落とした。闇の向こうで、何者かが立ち去る気配がした。
はたき落とした矢には紙が結びつけられていた。矢羽に描かれた文様を見て、殺意を感じなかった理由がわかった。
「矢文か。またなんちゅう古典的な」
エンヤはその矢を拾うと、テントへ戻った。
「インディ、お前に連絡だ」
調査結果をまとめていたインディが顔を上げ、エンヤから矢を受け取った。結びつけられていた紙をほどいくと、矢羽に同じ文様が描かれた矢がたくさん入っている、インディの矢筒に放り込まれた。
これで、あとは手紙を燃やせば証拠隠滅完了である。
「え?」
矢文を読んだインディが目を丸くした。
「どうした?」
「追っ手の数がわかりました」
オーリスが追っ手なのはわかっていたが、一人ではないはずだと考えていた。そのため、インディは密かに王都へ連絡し、追っ手の総勢を調べてもらっていたのだ。
「何人だ?」
「シグル公爵の手の者、三十二人です」
「そいつは……キツイな」
三十二人といえば小隊一つを相手にするようなもの。それに加えてオーリスがいるのだ。アドル、エンヤ、ウィオラの三人で、インディとチサトを守りつつ戦えというのは、さすがに無理がある。
「ただ……その追っ手が、何者かの襲撃を受けているそうです」
「え、なんで?」
「不明です。ただ、相当の手練れのようです。報告時点で、追っ手は八人まで減っています」
「おいおい、それ、すげえんじゃねえか?」
シグル公爵は王国の軍事部門を統括する貴族。その私兵だ、そんじょそこらのチンピラとはわけが違う。不意打ちしたってそう簡単に倒せるわけはないだろう。
「一体誰だよ? 騎士団……のわけないよな」
「警察隊も公には動けません。神殿でしょうか?」
「そりゃまあ神殿にも暗部があるけどよ。ウィオラのために動くか?」
確かにウィオラは、千年の一人の逸材といわれる才能の持ち主で、神殿にとって貴重な人材だ。しかし、神殿の暗部は神官長直属の特殊部隊。今回の件は、魔術院が代議士会を支援しているとはいえ、虎の子の部隊を投入する段階ではないはずだ。
「代議士会でも騎士団でも神殿でもない。となるとあとは……カーラさん?」
「九十過ぎた田舎の婆さんが?」
「利害関係者としてカーラさんぐらいしか思いつきません。事情を知り、チサトさんの救援に乗り出した、とすれば辻褄は合いますが……」
「合うけどよ」
しかしカーラがどうやって事情を知り、誰に救援を頼むというのか。
「いえ、今は詮索をやめましょう。とにかく、追っ手は数を減らしました。この人数なら、何とかなるかもしれません」
アドルはもちろん、エンヤもウィオラも、一騎当千の実力者、三十二人で押し包まれればどうにもならないが、八人ならどうにか切り抜けられるだろう。
「ですが、やっぱり難敵はオーリスですね」
「あれは俺には無理だぞ。無手であの守りは突破できん」
「魔法耐性も異常に高いですからね。ウィオラさんが呪文を唱え終わるまで待っててくれればいいんですが」
「やられるとわかってそんなことするかよ」
そうなると、頼みの綱はアドルだが、剣闘大会でアドルはオーリスと過去五戦して全敗している。オーリス以外の追っ手を排除し、パーティー全員で戦えば何とかなるかもしれないが、そこへ持ち込むまで待っていてくれるオーリスではない。
「まあ、俺の仕事はお前の護衛だ。ウィオラには悪いが、アドルがやられたら、お前を連れてとっととズラかるぞ」
「……そう、ですね」
エンヤの言葉に、インディは歯切れの悪い口調でうなずいた。
「どうした?」
「いえ……そうですね、そのためにアドルさんを連れ出したんですものね。やられたらそれまで、ですよね」
「何だ、奥歯にものが挟まったような言い方だな」
なにやら物言いたげなインディを見て、エンヤは微かに笑った。
「言いたいことがあるなら、言ってみな」
「……アドルさんがやられて、僕とエンヤさんが逃げたら、ウィオラさんとチサトさんはどうなるんでしょうか」
「まあ、ウィオラは王都へ連れ戻されるだろうな」
そして、正式に破門された上、サヴァロ公の妻にされる。サヴァロ公がウィオラをどう扱うかはわからないが、ウィオラの人生が幸多いものになるとは考えにくい。
「チサトは……事情聴取の上、村へ帰されるだろ。殺されたりはしねえよ」
「でもその場合、チサトさんは巫女になれるでしょうか?」
「ん? あー、どうかな、難しくなるかもな」
チサトの師はウィオラ、そのウィオラは破門され、魔術院の支配を狙うサヴァロ公の妻となった。そうなれば、チサトに対して神殿は疑心暗鬼にならざるを得ず、巫女になるのを妨害するかもしれない。
「……失敗したら、僕は有望な騎士を死なせた上、二人の女性の人生を狂わせるんですね」
「そうなるな」
「僕、アドルさんに言ったんですよね。王でもない人のために、うら若き乙女を犠牲にする。そして国は大混乱。そんなことになったら、一生エセ勇者、て呼んでやる、て」
「言ってたな」
「それなのに、僕は、アドルさんに全部押し付けて、アドルさんが失敗したら逃げるんですね」
お、それを言うか、とエンヤは内心で笑った。
今回の件、成否は全てアドルにかかっている。騎士団と代議士会の衝突を避けるため、そうなるようインディが仕組んだ。その手腕にエンヤは舌を巻いているが、一点だけ納得していないことがあった。
ウィオラを救うため追っ手と戦うのはアドル。権力闘争のど真ん中に飛び込むのもアドル。地位を捨て逆賊として追われることになるか、最悪死ぬかもしれないのもアドル。
それに対しインディは、成功しようが失敗しようが大した影響は受けない、そういう位置にいる。安全地帯から人を死地へ追い込む、そんな位置に。
「アドルもウィオラも、納得済みだとは思うがな」
自分は前線に立たず、裏で糸を引き自分の望みを達成する。いい悪いは別として、そういうやり方もあるとは思う。それにインディは、大人顔負けの頭脳を誇るとはいえ、まだ十三歳の少年だ。非力さを補うためには、ずる賢く立ち回らなければならないだろう。
「ええ、そうでしょうね。それが僕のやり方ですからね」
だが、どうやらインディは、そのやり方に納得がいかないようだ。一緒に行動するようになって一年。いつも冷徹で、時には非情だったインディの心境を変化させたのは、一体誰だろうか。
「……石頭をカチ割られないといけないのは、僕ですかね」
「ん? 石頭?」
「いえ、何でもありません」
「で、どうしたいんだ?」
「エンヤさん。今、僕たちは冒険者で、パーティーです」
「そうだな」
「だったら、冒険者らしくいきませんか?」
インディは笑顔を浮かべた。その少年らしい笑顔に、エンヤも釣られて笑顔になった。
「仲間は見捨てない。仲間の危機は、みんなで助け合って乗り越え、そして強大な敵を倒すんです」
「お、アツイ展開だな」
すでに大人のエンヤだが、そんな展開は嫌いではない。いや、むしろ大好きだ。少年の頃から愛読してる冒険小説は、今もエンヤの本棚に並んでいるのだから。
「僕は、全員で敵を倒し、胸を張って帰りたいと思います」
「いいね、そういう展開、俺も嫌いじゃないぜ」
エンヤはにかっと笑い、インディに向かって親指を立てた。それを見たインディは、少し照れ臭そうに笑いながら、エンヤに倣って親指を立てた。
「それじゃまあ、最後ぐらい、本気出すとするか」
「お願いしますね、エンヤさん」
「おう、任せとけ」




