蜷局
「行くよ」
アスファルトの地面を蹴って加速する。
生前には体験したことのない速度で移動し、一息に距離を詰めた。
「まずは一体っ」
間合いにまで踏み込み、尾を槍に見立てて突き穿つ。
穂先は正確に妖魔を捕らえ、その胴を貫いて突き抜ける。
初めて自分の意思で、こんなに大きな生き物を殺した。
その感傷にも、余韻にも、浸っている暇はない。
「――っ」
すぐさまその脇から二体が抜ける。
至近距離にまで踏み込まれ、鋭い牙がこの身に迫った。
「油断しないでください」
咄嗟のことで判断が遅れかけたそのとき、地面からいくつかの鎖が伸びる。
それは二体の妖魔を絡め取ると、地面に叩き付けるように締め付けた。
「ありがとう」
「礼はいいです。集中してください」
「わかった」
言われた通りに集中し、地に伏した二体の妖魔にとどめを刺す。
そうすることで、危機を脱したことで、視野が僅かにだが広くなる。
眼前の妖魔しか見えていなかったのが、後ろのほうまで今は見えていた。
視界に出来るだけ多くの妖魔を映し、周辺にまで気を配り、的確に妖魔を討つ。
やることが沢山あって、くらくらしそうだ。
けれど、今の僕ならそれが出来る気がする。
理由や理屈で証明できる類いではないものだけれど。
この感覚は、きっと本物だ。
僕が――以前の僕たちが長い時をかけて転生を繰り返し、築き上げた経験。
それの欠片が、僕にも宿っている。
だから、出来る。倒せる。
感覚に身を委ねるんだ。
そうすれば、きっと上手くいく。
「さぁ、来い」
言葉が通じたのかは定かではない。
けれど、それが引き金になったことはたしかだった。
妖魔たちは一斉に地面を蹴って、跳びかかってくる。
それを五つの尾で迎え撃った。
「一つ、二つ、三つ」
尾は跳びかかる妖魔たちを、正確に迎撃する。
突き穿ち、弾き飛ばし、叩き付け、抉り削る。
意思、思考、反射、いずれでもない言い表しようのない感覚。
それに満たされながら、指先を動かすように五つの尾を操った。
妖魔たちは、次々にその命を散らしていく。
もう決して、二度と、この身に牙がとどくことはない。
すべてが虚空を噛み、そして地に伏した。
「これで最後」
突き放った尾が、最後の妖魔を貫いた。
短い断末魔の叫びをあげて、それは物言わぬ死骸となる。
尾を振ってそれを払い退けると、周囲に妖魔がいないことを再度確認する。
視界には倒れ伏した肉塊しか映らない。
「……終わった」
自分がどんな風に戦い、殺したのか。
頭では憶えているものの、それに実感が湧かない。
まるで、初めて妖魔と戦ったあの時のよう。
本当に僕が、これをやったのか?
自分で自分を疑う始末ではあるが、けれど目標は達成できた。
妖魔の討滅に成功した。
「終わったよ――」
その場から振り返り、後方にいる乃々へと視線を向ける。
瞬間、僕は魔術師の戦いというものを見た。
地面から蜷局を描いて逆巻く鎖。
それはいくつもの妖魔を串刺しにしていた。
拘束だけに止まらず、鎖でこんな芸当ができるとは。
「終わったのなら、次ぎに行きましょう」
「うん。あぁ、でも肉……」
近くの死骸を拾い上げてみる。
致命傷から滴り落ちる血が、毛皮をぬらりと赤く染めている。
とても食欲が湧くような見た目ではなかった。
「これを……かぁ」
あの時は、無意識に妖魔の腕を喰らっていたけれど。
こうして意識的に妖魔を喰うとなると、人間だった時の名残で抵抗が出てくる。
例えるなら、生肉を頬張るようなものだ。
きっと、たぶん、口に含んだ瞬間に臭いと食感と味によって僕は嘔吐するだろう。
よくあの時、飲み込めたものだ。
「……いま回収しても支部に戻るころには塵になりますよ」
「そうなの? ……それってどれくらいで?」
「二時間から三時間ほどで」
二時間から三時間か。
それだけあれば、持って帰ることは出来そうだ。
あとは台所を借りて、解体を試みるとしよう。
上手くいくといいけど。
「じゃあ、回収は仕事の終わり際にしよう」
僕の身体が維持できなくなるまで丸一日ある。
それくらいの猶予はあるはずだ。
「次ぎに行こうか」
手に持った妖魔を捨てて、巡回ルートをまた歩く。
道順を憶えながら、時折現れる妖魔を討滅する。
はじめの失敗から先は、一度も遅れを取ることなく妖魔を相手取れた。
相手に合わせて身体は動き、尾は隙を見つけては槍となる。
僕自身もコツが掴めてきた。
終盤に差し掛かると、難なく討滅が叶うようになっていた。
「位置的にこれが最後になります」
もう幾度目かになる妖魔の群れを討滅したところで、乃々はそう告げた。
位置ということは、巡回ルートも残すところあと僅かということか。
まだこの辺の土地勘がないため、予想に過ぎないけれど。
もうすこし進んだ先には、あの倉庫街があるのだろう。
「じゃあ、持って帰ろうか」
先ほど倒したばかりの妖魔たちを拾い上げる。
ただ手に持つには邪魔なので、尾の一つを使ってまとめて運ぶことにした。
妖魔の尻尾の辺りをまとめてギュッと締め付け、吊し上げる。
計十体ほどだ。これだけあれば足りるだろう。
「あとは帰るだけか」
作業を終えて、視線を乃々へと向ける。
しかし、目は合わない。
彼女は亡骸となった妖魔たちを見下ろしていた。
「どうかした?」
「――いいえ、なにも」
その返答は、いつにも増してつっけんどんだ。
冷たく、拒絶するような言い方だった。
その態度に疑問を憶えたけれど、深く踏み入ろうとは思わなかった。
この人はこの人で、なにか事情があるのだろう。
そう自分の中で完結させて、帰路につく一歩目を踏み出した。
「――見つけた」
瞬間、真後ろになにかが落ちた。
重くて、大きななにか。
経験が告げる。
いますぐ振り返れ、と。
「転生狐ぇええええ!」
振り返った先にみたもの。
それは視界いっぱいに広がった拳だった。
不意打ち。奇襲。
脳裏を過ぎるそれらの単語を振り払うように、尾は反応する。
迅速に防御に徹した五つの尾は、堅牢な檻となって拳を阻む。
直後、強烈な衝撃に身を攫われた僕は、道路上を滑るように後退した。
「――っ」
痛みはない。
衝撃は抜けきらないけれど、無傷。
自身の状態を正しく認識し、改めて視線を正面へと向ける。
そうして視界に映るのは、牛の頭をもつ人型の妖魔だった。