初仕事
「仕事の内容を説明します。遅れないようについてきてください」
支部を出るなりそう言った乃々は、隣接する倉庫の屋根へと跳び上がった。
普通の人間ならまず不可能な跳躍力。
改めて、彼女がただの人ではなく、魔術師なのだと思い知らされる。
「遅れないようにって、無茶いうなぁ」
つい先ほどまで、正確には一日前まで人間だった僕に、同じ芸当をしろと言う。
すこしは手心を加えてほしいところだけれど、しようがない。
頑張って、上がってみよう。あの倉庫の上まで。
「――こう、かな」
尾の先を地面につけ、体重をかけることで撓らせる。
そこから一気に力を込めることで、バネの跳ね返りのように宙へと舞い上がった。
「おっとっと」
無事に倉庫の上へと足をつける。
着地の瞬間にすこしバランスを崩したけれど、なんとか成功だ。
「次からはもっと早くしてください」
そう言って、乃々は近くの倉庫に飛び移る。
どうやらこのまま幾つかの倉庫を経由するらしい。
「手厳しいね」
これくらいは出来て当然の世界か。
人間だったころに認識していた常識とはかけ離れているけれど。
これからはこれが普通になる。
はやいところ、慣れてしまわないと。
「――倉庫ばっかり」
倉庫の上を駆け抜けることすこし、周辺の地形が見えてくる。
ここにあるのは倉庫ばかりだ。
朽ち果てたもの。新品のもの。木造のもの。煉瓦造りのもの。
いろんな倉庫が詰め込まれている。こんなところが、この街にあったなんて。
まるで倉庫街だ。
「仕事の説明をします。聞こえてますか?」
ちらりと、乃々はこちらを見る。
「あ、あぁ。聞こえてるよ」
「では」
視線は正面を向いた。
「仕事の内容自体は単純です。出逢った妖魔を残らず討滅していけば問題ありません」
随分と物騒なお仕事だった。
けれど、それが魔術師が担うべき領分で、日常的に繰り返されている。
毎日毎日、来る日も来る日も、飽きることなく、妖魔と戦う。
普通とはかけ離れた異常な日々。
それが僕がこれから送る日常になる。
「なにか?」
「いや、なんでも」
これからについて思いを馳せていると、不審がられてしまった。
それは後に引きずるもののようで。
「先に忠告しておきますけれど。私の魔術は鎖、先ほど貴方を縛っていたものです。もしなにか不審なことがあれば」
「その鎖で僕を縛るってこと? わかった、肝に銘じておくよ」
「……なら、いいです」
乃々は一応、僕の仲間ということになっている。
支部長の部下になったのだから、自動的に乃々も同僚だ。
しかし、それだけではない。
僕がたとえば人を襲ったとして、乃々はそれを止める役割を担っている。
そのための鎖の魔術だろう。効果的なのは、身をもって体験している。
乃々は仲間であり、僕の監視者でもある。
そのこともあってか、態度もどこかつっけんどんだ。
だからこそ、お前は人間じゃなくて妖魔なんだよ、と。
言葉なく、そう突きつけられているようだった。
「見えました。次で降ります」
倉庫街を抜けると、見慣れた街並みが顔を覗かせた。
最後の倉庫を踏み、道路へと飛び降りる。
着地の衝撃を尻尾で和らげ、僕はまたこの街に足を下ろした。
「ここからは巡回ルートを通ります。今後も使用しますから、憶えておいてください」
淡々と告げて、僕の返事を待つこともなく、乃々は歩き出す。
取り付く島もないって感じだ。
ひょっとして嫌われているのかな?
「なにか?」
「いや――あぁ、そうそう。格好だよ」
「格好?」
首を傾げた乃々に、付け加えるように言葉を続ける。
「ほら、僕には人間にないものが生えてるから。誰かに見られたりでもしたら大変だと思って」
実際問題、この姿を人に見られて良い反応が返ってくる気がしない。
奇異の目で見られることは確実で、コスプレかなにかだと思われるに違いない。
勝手に写真を撮られてネット上に晒される、なんてことにもなり得てしまう。
「それは問題ありません。その衣服には認識阻害の魔術が施されています。一般人には目で見えていても、私たちを認識することはできません」
「……透明人間ってことか」
「承知していると思いますが、悪用すれば」
「わかってる。後ろめたいことなんて考えてないよ」
「なら、いいです。さぁ、はやく仕事に取りかかりましょう」
またしても、乃々は一人でさっさと歩みを進めてしまう。
僕はそれに小さなため息をついて、後を追いかけた。
そうしてすこしばかりの時間が過ぎ、出発地点が小さくなるほど歩いたころ。
それはまるで幽霊かなにかのように、黒い靄となって現れた。
「構えて、来ます」
靄はすぐに形を得て、妖魔と化す。
それは鋭い牙と爪を有する獣のような姿をしていた。
犬か狼と言ったところか。
狐は、どうやらいないようだけれど。
「あれと……戦うのか」
どれもこれも、大型犬くらいはある。
あの大きさの生き物と戦った経験は、生前にはなかった。
死後にはあったけれど。あれはほとんど無意識のうちのこと。
自分の意思で戦うのは、これが初めてだ。
「援護はします。戦えますか?」
その問いに対する答えは、決まっていた。
「戦える。戦わなくちゃいけないんだ。僕はまだ、死にたくないから」
覚悟を決め、腹をくくり、一歩まえへと躍り出る。
その様子をみて、妖魔たちもこちらに敵意を向けた。
低くうなり、牙を見せつけ、一斉に威嚇しはじめる。
彼らも死にたくはないのだろう。
でも、だからと言って、彼らを見逃すわけにもいかない。
僕だって死にたくない。
だから、食べさせてもらおう。
彼らの命を。