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3.弔いの炎


 長老の言葉を聞き、頭の中が真っ白になった。だが、目の前は真っ暗だ。呆然とする渚沙に、長老は一言だけ言った。

「いき……て、くだ……さ、れ。若、お……さ」

 長老は、静かに目を閉じた。慌てて後ろを振り返り、海彦を見る。膝の先のない右足と、脇腹に深く刺さっている剣が痛々しいその青年は、渚沙と目が合うと、優しく笑って、静かにうなずき、そのまま動きを止めた。

 二人の死を看取った渚沙は、立ち上がった。立っただけでフラフラとし、普段の威厳や力強さは、みじんも感じられない様子でなお、ゆっくりと少しずつ、歩みを進めた。

 もはやこの集落に、生の雰囲気はなかった。膨大な死人の数。その全ての人の名前を、目にした順に呟く。おととい生まれたばかりの子供も、おなかに子を抱えた娘も、病気で床に伏していた者さえ。皆、ところどころを赤に染めたまま、時を止めていた。

 気力、生気、夢、目標、志……。それら全ての感情が、渚沙の中から、ぽっかりといなくなってしまった。代わりに込み上がってきたのは、圧縮して、何年分もためてきた、思い出だった。

 辛かった思い出でさえ、全て、今となっては懐かしく思われる。何度もけんかしたあいつも、あんなに叱られた母や父も、もう、誰も笑わない。怒るどころか、冗談の1つも言ってくれないのだ。

 仲間だった者の名を、半ば無意識に呟いていた渚沙は、自分が言った名前に違和感を感じ、もう一度呟く。


「さくや……?」


 そして、はっと我に返る。薄れてきた感情分の喪失感は相変わらずなおってはくれないが、意識がはっきりとして、もう一度、渚沙は先ほどの名前を呼んだ。返事はなかったが、背中を曲げて座り込む咲耶を見つけ、駆け寄る。

 咲耶は、焦点の合わない瞳から、唯ひたすらに涙を流していた。

「咲耶」

 渚沙が呼んでも、返事どころか、渚沙の方を向く事さえ、しなかった。唯、涙を流し続けていた。もう一度呼ぶと、まるで独り言のように、唇をほとんど動かさずに、空気漏れのようなかすかな声で言った。


「さくやの、せい」


 渚沙は、咲耶の言っていることの意味を、必死でくみ取ろうとする。そこに、咲耶が言葉を重ねる。

「さくやのせいで、みんな、死んだ」

 渚沙は、必死で言葉を探す。その間も、咲耶は、乾いた唇から、吐息のような声を漏らす。

「さくやのせいで、ひももも、お兄ちゃんも、みんな……、死んだ」


「違うっ!」


 言葉が見つからない渚沙が、後ろから咲耶をぎゅっと抱きしめた。きつく、けれど優しく。咲耶が、目を大きく開けて、やはり前を見つめた。しかしその目は、いつもの咲耶の、黄色い、深さを感じる目だった。

 しっかりとしたお互いの温かさ(ぬくもり)は、咲耶だけでなく、渚沙自身にも、『生きている』事を実感させた。心を覆っていた氷が溶けたかのようにこみ上げてくる言葉を、渚沙は、勢いに任せて吐き出す。

「咲耶のせいじゃない! 咲耶が悪いわけじゃないんだ! 悪いのは……」


 ――俺だ……。


 渚沙が手を離してもなお、咲耶は泣き続けていた。しばらく1人にしておくべきか? と考えた渚沙は、立ち上がり、咲耶に背を向けて歩き出す。その藍色の着物の袖を、小さな手が、弱々しく引っ張る。

「なぎさ」

渚沙の着物をつかんでいない左手で、自らの山吹色の着物の袖を邪魔にしながら、ゴシゴシと涙を拭う。その動作は、あまりに頼りない。

「いっしょにいて」

それは、甘えなれた駄々っ子のようだ。それでいて、弟ができたばかりのお姉ちゃんみたいに、我慢していたのに、ふとした瞬間にすこしこぼれた願いのようにも聞こえて。

 渚沙は、咲耶と同じ目線になるようにしゃがみ、咲耶の頭にポンと手を置いて、優しく微笑む。

「ああ。約束する。俺は、咲耶と共にいよう」

 それは、彼にとって、一種の償いでもあった。

 二人を包むように、場に不似合いな柔らかい風が吹いたのだった。



「旅に出る前に、皆を弔ってやりたい」

「とむらう?」

初めて聞いたらしい言葉に、咲耶が首をかしげる。

「そうだ。焼いてやるにも、時間がなあ」


 ――長老は、生きろと言った。海彦もだ。だったら、生きなければならない。一カ所に長居でもして、見つかるわけにはいかない。


「それだったら、咲耶ができるよ」

渚沙が聞き返す前に、咲耶は目を閉じ、胸の前で手を合わせると、ゆっくりと、離す。その手と手のあいだには、炎のように見える、赤みの差す金色のものがあった。手には触れずに、それぞれ5㎝くらいずつ、手とは間が開いていた。

 咲耶は、それを、両手で頭上に持ってくると、ゆっくりと目を開ける。金色の大きな目に、炎が映った。その瞬間、炎がまわりへ飛び散り、元は家であったがれきや、午前中までは仲良く話をしていたみんなを覆い尽くし、火の粉をあげた。


 ――魔術。


 渚沙が、そう意識したときには、既に一面は火の海となっていた。

 二人は、炎の中心で、その炎があげる金色の火の粉を、静かに見つめていた。



 咲耶が再び手を胸の前に出し、今度はゆっくりと閉じていくと、それに合わせて炎も消えた。

 炎が消えると、炭と化したものが、風にあおられ、崩れていく。

「みんな、いなくなっちゃった」

「ああ。ありがとう、咲耶」

感謝の意味がよくわからないようで、首をかしげる咲耶。

「みんなは無事、天へゆけただろう」

咲耶が、ほんの少しだけ笑って、渚沙を見上げた。


「さあ、おれたちも行こう」

「うん」


 二人の言葉は、風によってさらわれ、この地には残らなかった。

 渚沙の、小さな言葉も。


「……行ってきます。みんな」


二人のたびは、ここから始まります。

「行ってきます」の対は、「ただいま戻りました」

渚沙は、この地に帰ってくるつもりのようです。

全ての決着がついてから。

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