2. 魔族の忌み子
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幼女を抱いた少年が、魔の森を走っていた。
渚沙に抱かれた咲耶は、ペースを落とすことなく走り続ける渚沙を見て、不安そうに声をかける。
「なぎさ、疲れない?」
咲耶の、大きくて深い黄色の目が、心配そうに自分を見ていることに気がつくと、笑って見せた。
「俺はまだ、全然平気だ」
渚沙の言うとおり、彼は、息が整っていれば、汗もかいていない。リズムよく走る渚沙からは、疲れは感じられない。
「ほんとう?」
咲耶は、もう一度たどたどしい口調で渚沙を心配し、渚沙がうなずいたのを見て、安心したように目を閉じた。決して寝ているわけではなく、先ほどから、“魔物と話をして”渚沙に道案内をしてくれている。それが、魔族特有の力なのかは、咲耶自身にも分からない。
しかし、実際、咲耶を迎えに行くときには、あんなに遭遇した魔物に、今はほとんど出会わない。出会っても、咲耶と目を合わせた瞬間にどこかへ去って行く。その上、咲耶が言うには、監禁されているあいだに、魔物達に言葉を教えてもらっていたらしいのだ。
――紅い瞳は、魔族の証。あれは、見間違いではない。咲耶は、魔族……?
渚沙は、再び走り出す。
――できるだけ早く、国に帰らなければならない。
渚沙の頭の中では、瞳の紅い咲耶が言った言葉が響いていた。
『我を外に連れ出してどうする? 王の反感を買い、其方の部族か、それとも国か……、どちらにせよ、其方だけに背負いきれるほど、その罪、軽くはないぞ』
――そんなのは、承知の上だ。しかし、それが武公皇帝に伝わる前に、王や族長の立場を、全て他の者に譲る必要があるな。その上で、国や部族を捨て、咲耶と共に旅に出る。
「なぎさ、あれがなぎさの国?」
「そうだ。迦耶の国だ。あの国の、森に近い田舎の方に、神武族の集落がある」
咲耶に声をかけられた渚沙が、走る足を止めずに答える。
咲耶が、森の方を見て、ふうん、と言った。
「若長! 何処へ行っておられたのですか?」
「若長、その子供は何ですか?」
「若長、稽古をつけていただきたかったのですけど……」
神武族の集落に入ると、渚沙と咲耶は、子供達に囲まれた。
「なぎさ、人気者だね」
咲耶の言葉に、渚沙は苦笑するしかなかった。
「みんな。俺は、長老に用があるから、終わってからにしてくれ」
子供達は元気に返事をして、散らばってゆく。
「咲耶、ついてこい」
咲耶に向けられた、優しい笑顔は、長老を前にすると、キリッと引き締まった。
「災厄の子供を連れてきたというのは、本当ですか」
「これが咲耶だ」
「封印を解いて、魔力を元に戻せば、世界は滅ぶと言われたでありませんか! あの武公皇帝ならやりかねませぬぞ!」
二人の、静かな争いの中、咲耶だけが事情を飲み込めないでいた。
「なぎさ、災厄の子供って、なあに?」
その場にいた長老や村の若者の妻が、咲耶を、渚沙から引き剥がし、世話をする。髪の毛を結ってもらっているあいだも、咲耶は、落ち着かずに、長老の妻――日桃と話をしている。
それを横目で見つつ、渚沙と長老は話を続けていた。
「俺は、咲耶を連れて、国を出るつもりだ。部族からも、追放してくれてかまわない」
「そんなことができるとお思いか!?」
「これは、俺個人の、勝手な行動だ。そうすれば、神武部にも、迦耶の国にも被害はないはずだ。俺のあと、族長は海彦に任せる」
渚沙は、元気のいい、自分とよく稽古をつけていた青年を指名した。そして、髪を結い終わり、渚沙の方に向かってきた咲耶を抱き上げると、身を翻して国の中心街に向かって歩き出す。
「そんなことはできませぬ! 我らの長は若長以外にはあり得ないのです!」
……族長のそんな言葉は、無視して。
咲耶の、肩までの長さのまま真ん中で分けた前髪と、頭の高い位置でポニーテール状に結った黒髪が、歩くたびに左右に揺れた。
「俺は、王を降りる」
迦耶の国の中心街、そのさらに中心にそびえる城の中で、渚沙は、場内を騒然とさせていた。
そこでは、事情を知ると、少しの言い合いの末、すぐに候補の中から王が決まった。既に王の立場をなくした渚沙は、もう一度、神武族の集落に戻る。
「なぎさ、なんでみんなと、けんかしたの?」
あまりに無邪気な問いに、渚沙はつい、笑みを浮かべると、さとすように言う。
「これから、旅に出ようと思っている。咲耶も来てくれるか?」
咲耶は少し考えたあと、大真面目な顔で人差し指を立てた。
「いいけど、すぐに帰ってこようね。そうでないと、明日の朝、髪を結ってもらえなくなっちゃう」
「……」
咲耶の言葉に、渚沙は、曖昧に笑うしかなかった。
しかし、2人の笑顔は、すぐに消えることになる。
2人が集落に着くと、既にそこは、がれきと死体の山と化していた。
咲耶がキョトンとする中、渚沙は、まだ息のある者に駆け寄って、必死に話しかける。
「おい、海彦! 何があったのだ!?」
「なぎ……さ、さま。びゃっ……こ隊、が……」
「白虎隊だと!?」
――見つかるのが早すぎる。それに、族長が変わったことを、申請していなかったのか!? 俺を謀反人にし、族長を変えたことを話せば、部族に罪はないと見なされるはずなのに。長老は何をやっていた!?
「長」
「長老! これは、一体……」
歩き回るうちに長老を見つけた渚沙は、にらみつけるような恐ろしい顔で、怒鳴った。
「言ったはず、ですぞ……。ここの長、は、お……さ、しか……おらぬ、と……」
言いながら、その言葉はどんどん聞きづらくなっていく。
「っ!」
渚沙が口をつぐむのと、咲耶が息をのむのはほぼ同意だった。
「日桃!」
日桃は、既に右手がなく、赤に染められていた。無論、咲耶に対する返事はない。
しかし、その声を聞きつけたのであろう、渚沙に駆け寄って稽古をせがんでいた子供が、大きな声を出した。
「咲耶! おまえのせいだ! おまえのせいで、村は」
そして、かくんと力が抜けたように、言葉を発しなくなると、光を失った瞳は、静かに咲耶を見据えていた。
咲耶は、2歩、後ろに下がった。渚沙に駆け寄ることもできず、その場にへたり込むと、その黄色い瞳から、雫を落とした。涙が作った小さな雫は、土にしみこんだ血を一瞬鮮やかに見せると、すぐに土にしみこんだ。焦点の合わない目から、涙は止めどなくあふれてくる。
一言だけ、誰にも届かないような小さな声で、無意識に呟いた。
「さくやの、せい……?」
咲耶と渚沙は、それぞれ深い傷を負ってしまいました。
次回から、旅に出る予定です。