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19.「母上」


 突然、鳴海と知琉のいる部屋の扉が、ガタンと大きな音を立てた。何かがぶつかってきたようだ。

「母上」

 鳴海は、知琉をかばうように前に立ち、左腰の剣の束を握った。


 ――東の塔の部屋まで来るなんて。ここには何もないから、狙いは、私か、それとも……。


 後ろでキリッとした顔をしている知琉を見ると、また視線を前に戻した。


 ――一体誰だろう? 父上ではなくて、私や母上を狙うのは、一体誰だ?


 扉には鍵がかかっており、おまけに外開きだ。蹴破れるものでもない。そうそう入ってくることなど無いと、鳴海は思っていた。しかし、扉の向こうで続くバタバタという音と件のぶつかり合う音に、必然的に、腰を落とし、警戒態勢に入る。

 ふと扉の向こうの音がやみ、静寂が部屋を包んだ。

 その状態がしばらく続き、鳴海が、件から手を離した時――、石造りの扉についている金属の金具が、突然どろりと溶けた。それらが床にたれ、開いた穴から見えたのは、炎だった。炎と言うにはあまりに小さかったが、金を解かす温度を持つ、金色の火の粉を散らす炎。

 それを見た途端、

「ひぃっ!」

今まで凜としたたたずまいをしていた知琉が、急に、小さな悲鳴を上げた。

「母上!?」

そちらを見ようと、鳴海が振り返った瞬間、扉が、低い音を立てて開いた。鍵ごと溶かしてしまったらしい。

 慌てて剣を抜き構えると、入ってきたのは、鳴海と同じ年くらいの外見になった、咲耶。


 ――誰だ!? ……先ほどの炎、赤い瞳にとがった耳。間違いない。


「魔族!?」

 しかし咲耶は、その声にはこたえず、皇帝一族を前に、堂々とした態度で言った。

「お久しゅう、母上」


 ――母上!?


慌てて知琉を見ると、咲耶を凝視して、固まっていた。

「母上、どうなされたのですか!? 母上!?」

「其方が鳴海だな。其方は知らぬやもしれんが、我は其方の実の姉。魔族の王、咲耶。母上と話がしたい」

「私に姉がいたなどと、聞いていない! それに、父上の娘が魔族なわけはない!」

「皇帝と同立場の魔族の王に、そのような口をきいて良いのか? 私は跡取りではない。我の父は死んだからな。――もっとも、父上とて純粋な魔族ではなく、混血であったが」


 ――母上は同じだというのに、父上は違う? ……どういうことだ?


「其方、もしや真実を知らぬのか? 幸せな奴。……ならば教えてやろう。知琉は、己の夫を裏切り、己の子を捨て、己の敵であった現皇帝に取り入り、其方のみを我が子として育てた、愚かな女よ!」


 ――そんな。現皇帝というのは、明らかに父上――武公皇帝だ。それを敵とするならば、きっと、この、咲耶という者が言う“父上”とは、政前皇帝だろう。その話が本当ならば、母上は、私の、血の繋がった姉を捨て、政皇帝を裏切り、一切を私に隠してきたと……?


 きっぱりと否定したくても、後ろの母上の様子を見れば、簡単には否定できなかった。

「母上、私はこの日を待っていたのです」

威圧するような冷たいまなざしでそう言うと、咲耶は、右手を、知琉の座っていたソファーに向けた。

「やめなさいっ! 産みの親に向かって、そんな……っ!」

「誰が親か!」

 怒りの感情をあらわにした咲耶が叫ぶと、知琉は、恐怖で顔を引きつらせた。

「子を捨て、名前さえ与えぬような者、誰が親と呼ぶか! 我にとって其方は、我の父親と人生を奪った、復讐の対象に過ぎない!」

 怒りの言葉と共に、火の玉までぶつけると、知琉の座っていたソファーは、あっという間に燃えた。

 間一髪で逃げた知琉は、鳴海にすがり、咲耶を睨んだ。

 咲耶は、不快そうに眉間にしわを寄せ、手のひらの中に火の玉を作ったが、すぐに消した。

「どうせ、真実を知らぬのは其方も同じなのだ」

そう言うと、2人に背を向けて歩き出した。扉は開けたままだった。



「渚沙!」

 呼ばれた渚沙は、通路の先にある曲がり角から顔を出した、小松と明日葉に気づいた。どうやら、2人も、あの兵達を全て押しのけて、別ルートから来たらしい。

「無事だったか」

「トーゼン!」

「渚沙こそ、無事で何より」

 渚沙の呼びかけに、明日葉と小松が答え、小松が渚沙に聞いた。

「咲耶とリィは?」

「咲耶は無事だろう。行方は分からないが、生きてはいる。……むしろ心配なのは、暴走してはいないかだが……。リィは、詳しくは言えないが無事なはずだ」

リィを思い出した渚沙は、少し顔をゆがめると、何事もなかったかのように言った。


 ――急所はそらした。脇腹だから、直接命には関わらないはず。ただ、本人がどうかだが……。


「渚沙、次はどうする?」

小松に声をかけられ、ああ、と返事をしたまま少し考えると、中央の塔の最上階を見た。

「次も何もないだろう。狙うは、皇帝だ」

「だとおもった」

明日葉に言われ、頷くと、「だが」と付け足した。

「少し、個人的に動きたいことがある。俺が離れても、気にせず先に行け。目的は同じだ」

明日葉と小松は、すこし首をかしげて、すぐに了承した。

 白い石で囲まれた廊下に、3つの足音が、すごく小さく響いた。



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