1.いつもの朝
――迷宮都市オルシェ。
そこは、ダンジョンと呼ばれる異界への門を中心に広がっていった、冒険者と学者の街。
ダンジョンの内部では、物質や生物、自然現象や魔法を封印した「カード」を入手することが出来る。それらは「マギア」とも呼ばれている。
マギアの種類によっては、残りの生涯を遊んで暮らせるだけの富を生み出すこともあるのだ。
だから、一攫千金を狙う冒険者が絶えることはない。勿論、それを叶えた者はとても少ないのだけど。
約二割は命を失い、生き残った者の半数は一攫千金を諦める。実際、ダンジョンで体を張って戦い抜くより、田舎で田畑を耕していた方が気は楽だろう。
この世界でマギアを得る手段は三つ。
一つ目は、ダンジョンの中で手に入れるというもの。
ダンジョンを彷徨く魔物が持っていることもあるし、何故かたまに床に落ちている。それらを魔物から奪ったり、拾ったりするのだ。
死と隣り合わせ、辛い肉体労働、劣悪な環境と、欠点を上げ始めたら止まらない。
しかし、この方法は生まれながらの才能に左右されない。戦えるだけの腕っ節があれば誰でも入手できる。
それだけは利点と言えるだろう。
二つ目は、魔法を直接マギアに変える方法だ。
ただの紙にダンジョンから採取した魔導鉱石を癒着させ、そこに魔力を吸収させるというものだ。
この方法なら、ダンジョンをただ彷徨うよりは死人が少なくて済む。
必要となる魔導鉱石の大半は、ダンジョンの浅い場所で採取できるからだ。
けれど、魔法の才に恵まれなかった者には難しい。そして、この方法では魔法を封じたマギアしか作り出すことが出来ない。
物質や生物、自然現象を封じたマギアは作成できないということになる。
最後の方法は、一部の人間が行使できる魔法を使うというものだ。
世界にはありとあらゆる物をマギアに変える魔法が存在する。それを使えば、魔物と物質、魔法の三種をマギアと化すことが出来る。
魔物以外の生物や自然現象だけはマギアに変えることが出来ない。何故かと誰かに問われれば、私は「知らない」と答えるだろう。
この方法の一番の欠点は分かりやすい。ごく一部の人間しか、その魔法を使えないということだ。
因みに、その魔法を使える人間は「賢者」と呼ばれている。
どれだけ馬鹿であっても「賢者」だ。笑うしかない。
私、シェアラ・アマルティスは、そんな愚かな「賢者」の一人である。
私の一日は、商品を作り出すことから始まる。
治癒の水薬、堅く焼き締めたパン、水の入った樽、矢の束。山のように積まれた消耗品の数々をマギアに変えるのだ。
それから、出来上がったマギアを店主に渡して終わりとなる。
店主の名前はヨシツギ。生まれはどこか遠い国だと聞いている。
日用品や冒険者の道具を封じ込めたマギアが、私たちの店「カードショップ・アルモニア」の主力商品である。街の住人からはマギア屋と呼ばれて親しまれているようだけど、ヨシツギはカードショップだと言って譲らない。
「シェアラ、仕事は終わったかい」
「うん。言われていた分はね」
私と彼は奴隷と主人ということになっている。
ただ、彼に奴隷のように扱われたことはなく、時たま自分が奴隷であるという事実を忘れそうになるのだ。
……彼は甘すぎる。一人の人としては高評価に値するが、人の上に立つ者としては不適格と言わざるを得ない。
優しさに満ち溢れた軟弱そうな青年と見られがちではあるものの、その見た目に反して、ダンジョンから出ずに半年――六カ月ほど過ごしたことがあるという経歴を持っている。
剣の腕は今一つ、魔法はからっきし。そんな青年がバックパック一杯のマギアとダンジョン内に落ちているマギアだけで、なおかつ一人で半年潜り続けたという記録はオルシェの街を大いに騒がせた。
狂気の沙汰だと言われてもおかしくはない所業だ。実際、彼は自殺願望を抱いていたらしい。
幾度となく繰り返される日常に辟易し、死ぬ場所を探して辿り着いたのがオルシェの街だったとのことだ。
その気持ちは少しなら分からなくもない。私も、檻の中で繰り返される日常に退屈していたからだ。
けれど、自殺を望むほどではなかった。
きっと、彼と私では見えている世界が違うのだろう。私には希望として見える景色も、彼にとっては絶望として映るのかも知れない。
彼が私の頭をぐしぐしと撫で回す。私は心に温かい雫が落ちたような感覚を覚えた。
これが幸せなのだろうか。檻の中で育った私には、幸せを表せる明確な言葉が分からない。
ただ、とても温かい。思わず目を瞑ってしまうほどに。
「さて、店を開くとしましょうか」
彼の手は私から離れ、彼の足音は店の入り口へと遠のいていく。
まだ足りないと思う自分がその場に残された。




