罅割れた空の欠片が降り注ぐ直前のこと。
長年対立してきた国との戦争に、我々は勝利を収めた。
しかし、その代償なのか。国の全てを司っていた女王が、今、俺の腕の中で息絶えようとしている。艶やかな髪は戦争の最中切り捨てられて傷んでいて、身に纏っていたはずの白銀の鎧は剥がれ、中心に刻まれた国家の紋章は見る影もない。柔く健康的に焼けた肌には血飛沫が付着している。それが返り血なのか、彼女の自身の血液なのか。俺にはわからなかった。ほぼ相打ちに敵大将の心の臓を、長く細い刀身で貫いたのだから。敵大将は既に死んでいた。目はかっと見開かれ、指先は固い地を抉っている。今にも動き出しそうな死に方であった。
互いの兵は消耗しきって、立つ気力を持つ者は少なかった。
からん、と金属音があちこちでする。剣や盾、弓などが地面に落ちたのだろう。振り返って確認する時間さえも惜しかった。今は、己の体の傷の痛みなど無いに等しい。燃え上がるような憎しみも、沼に沈むような悲しみも、無力を痛感するような憤りも。
彼女がいなくなってしまう焦燥感には敵わなかった。
「…死ぬってこんな感じなのね」
彼女は息絶え絶えに、呟くように言った。彼女の生命力は並ではない。刻々死を感じる猶予が出来てしまったのだろう。彼女がふうふうと苦しげな息を吐くたび、俺は呼応するように目に涙の膜ができた。
もう、喋らないでください。
そう言うのが精一杯だった。それでも彼女は語る。声帯を震わせる。
俺の喉から嗚咽が漏れるが、俺は耳を傾ける。だって、俺は女王の側近だから。彼女に付き従う右腕なのだから。
「墓はいらないわ。骨も、残さない。そうしないと、貴方、絶対、私を忘れないでしょう、?」
「……それでも墓は出来ます。貴女が、貴女の、骨がなくとも。亡骸の灰さえ残らずとも。必ず」
薄桃色の唇から鮮やかな鮮血が流れる。それは輪郭を伝い、俺の腕へとぽたり、滲んだ。喋ってほしい。喋らないでほしい。相対した感情が渦巻く。最後までこの人は、心配ばかりしている。
手は何処か空に伸ばされて、もう目が見えないことを理解した。黄金に輝く瞳は、二度と光りを宿すことが無い。近づいてくる。時間が、迫ってくる。待ってくれ、お願いだ。
不意に彼女が目線を彷徨わせる。親を探す子のようだった。
「どこ、」
泣きだしそうな声で彼女が言うものだから。此処に居りますと、言葉の代わりに、ぎゅうっと強く細い手を握り締める。そうすると、きゅっと弱い力で握り返される。まだこの世に存在している。魂が抜けた人形ではない。
「ねえ、お願い」
つぅー…と乱反射する真珠のような雫が、目尻から頬に伝う。彼女が見せた、最初で最後の涙。
もうされる時は来ないであろう懇願に、ああ、と間抜けた声が出た。
「ずっとそばにいて。ずっと、わたくしをみていて」
美しく気高い女王。乱暴だけれど、小さな優しさを持っていた、一人の女性。
握った手の甲に口付けを落とす。この人は、俺を看取る気は更々なかったのだろう。自分が先に死ぬことを予期していたのかもしれない。この人ならあり得る。
幼い頃から共に、傍にいた。頼れる姉のようであり、愛しいと思えた女性であった。それなのに、彼女は定められた運命の跡を辿るように、俺の世界の盤上を破壊してしまった。これから先に幸せがあると信じて疑わなかった、まだ青臭い男を残して。
「……最後まで、我儘な御方だ…」
反論はされない。鼓膜を震わせることが出来ないのだと、その耳に俺の声が届いてないことを知る。
体の血の巡りが止まり、冷たくなっていく。固く、柔らかさが無くなっていく。目蓋は黄金を覆い隠し、涙の痕が残った肌は生々しい傷跡を残していた。
太陽が眩しい。
霞がかかり、何も見えない俺の心と反して、太陽は彼女が命を賭けて守った国を照らし続ける。
変わらない。目を瞑っても眩しかった、手で顔を覆っても輝かしい彼女と。
彼女の名を紡ぐ。全ての愛しさと慈しみを込めて。
「……ソレイユ、安らかに。
________________________________愛しています」
* * *
真っ白な、宮殿と同じくらいな墓が聳え立っている。民は涙を流し、皆女王の葬儀へ参加している。
流星が辺り一面に降り積もらんとするような夜だった。幻想の中にいるような錯覚さえする。
ただ、傍観することしかない。生温い風を肌で感じながら、誰に話しかけるでもなく呟いた。
「墓、できてしまいましたね。…骨もないのに」
彼女はあの後すぐ灰となった。風に乗って空へ舞い、流されるまま消え入った。形見も無い。
振り返るなということか。そうなのだと信じたい。そうじゃなかったらたちが悪すぎて、吐きそうだ。
生き方を選ばせてくれたのだろうが、意味がない。俺の身体も命も、永遠あの人の物なのだから。
「ソレイユ、」
今一度、名前を呼ぶ。返事など返されるはずがない。気持ちが緩み切って、涙が滲んだ。
帰らぬ主をずっと、ずっと、待っている。
「どうせ、そのうち帰ってくるさ」
罅割れた空の欠片が降り注ぐ直前のこと。
(散らばった欠片を口に含むと、何とも言い難い味がした。…やけに塩辛い)
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主従愛って、素敵ですよね。
アドバイス頂きたいです。