詩綴り人
お菓子のお家に閉じ込められた
わたしよ、わたし
わたしはどこなの?
まっくら森に落としたつもりの
まっしろ小石は照らす光もないのに
わたしの頭の中ではぴかぴかと
飴玉のように光って
長靴履いて探しに行こう
淀んだ脳髄かきわけて
見つかりっこないさとあきらめて
キャンディーの牢屋で膵臓いじめるよりはましさ
まっくら森のまっくらを
ひっしにひっしにかきわけて
見つけたものは砂糖菓子
手のひらに乗せたら溶けちゃった
ほうほうふくろうの目覚ましで
べたべた手のひらそのままに
とぼとぼ帰ろうとした足元に
てらてら光る小石が、ひとつ
ごくんとのみこんで、
詩集は小石の博覧会
詩集は形に綴られた、わたし
学芸員より:
この前、息子に「ちゃんと勉強しなさい!」と叱ったら、
「こんな事、覚える必要ないじゃん。ネットで調べられるんだし」と返ってきました。
その時は唖然としたものですが、考えてみればそうですよねえ。
私だって、自分の両親が頭に入れていた冠婚葬祭のマナーなんか、きちんと覚えていないもんだから、そのつど冠婚葬祭マナー辞典をひきながら準備をするものです。
何を頭に記憶させる、何を身体にしみこませる。世代や環境によって変わるのは当たり前ですよね。