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積もる雪




 五分もすれば。


 雫は、無惨な姿になって返ってきた。


 残ったのは厚手のコートと下着、上着とスカート。

それとマフラーだけ。

後は血の一滴も残さず、奴らが舐め取った。

例え肉片一片残らずとも、路面にこびり付いた血を舌で舐める。

俺は何も出来なかった、出来やしなかった。

唯叫ぶだけ、叫んで、手当たり次第に腕を振るうが意味は無し。

 唯自分の思い人が喰われ、咀嚼される様を。唯、唯じっと見ているしかなかった。


 連中は人間じゃない。人間なんかじゃ、決して無い。

雫を嬉として喰らう連中を、人間となど呼べるものか。


「嗚呼…クソ、雫、雫っ…!」


 喰らうものが無くなったからか、連中はぽつりぽつりと帰っていく。

最後まで這い蹲り血を舐めていた男も、幽鬼の様にゆらりゆらりと去っていった。後に残された俺は一人、雫のコートに顔をうずめる。

 据えた雫の匂い、血の匂い。


「何で俺は喰わないんだよ、雫で腹が一杯になったってか…」


 一層の事、自分も喰われてしまえば、雫と同じになれたかもしれないのに。喰えよ、喰っちまえよ。どうせ死人みたいなもんだ、ロクな抵抗も出来やしない。容易に喰うことが出きるだろうさ。

 だというのに。

奇しくも、望まぬ形で雫に救われた。雫の死と引き替えに。


「嗚呼、嗚呼クソ、クソが、畜生ッ!!!」


 狂う。狂い。狂ってしまいそうだ。

もう何が何だか分からない。


 慟哭。

涙は流れない、代わりに血が、血の涙が頬を伝う。

悲しみは出し尽くした。最早枯れた。だがそれでも尚、ふつふつと奥底から湧いて出るこの感情。

彼女の死は、余りにも、僕にとって重すぎた。


「………ってやる」


 雪が降っている。


 血の匂いに包まれたこの場所に、純白の雪がひらひらと。

全てを隠す様に、覆うように。

 血が、流れていく。

 雫の? 

 いや、俺の。

 最早痛みも、寒ささえ感じなくなった体。のろのろと首を傾けて右腕を見る。


 右腕が無かった。


 道理で感覚も無いわけだ。腕が無ければ、動かし様も無い。

肉のちぎれた肩口から、血がトクトクと流れ出る。血を吸って重くなったコートを伝い、それはコンクリートの地面を赤く濡らす。すぐ隣には、小さな血溜まりがあった。


 別に喰って貰う必要も、無いじゃないか。



「………してやる」


 彼女のコートを掻き抱きながら、思いを馳せる。

これで自分も死ぬのか、血溜まりの中に骸を横たえるのか。

血に包まれれば、存外、自分の血というのは暖かかった。

 彼女に救われた命。

だが、思ったほど執着はない。

寧ろ雫と死ねるなら、とすら思う。

こんな俺、いや僕を。彼女は怒り、呆れるだろうか。

折角助けてやった命を、勿体無いと。

 だがそれでも良い。


 彼女ともう一度、会えるなら。

怒りも、呆れも、甘んじて享受しよう。

例えこの命を、無駄に散らす事になろうとも。

積もる雪の中で、そっと瞳を閉じる。


うっすらと消え行く視界の中で、ちぎれた右腕を抱きしめる女を見た。



 嗚呼、どうか。 



   もう二度と目を覚まさないで欲しい。



 この胸の激動。



  もう一度目を覚ませば僕は。




     ………僕は。






 「 殺してやる 」













 「信じられんな」


 声が、聞こえた。

低い、男の声。同時に体の感覚が戻ってくるのが分かる。

それだけで理解した。

嗚呼、自分は生きながらえてしまったのだと。


「ミクニ細胞と他細胞が見事に結合している。

 浸食でも無い…これは、共存だ」


「しかし、それは不可能な筈では?」


「ああ、だが実際に実物が目の前にある。

 つまりは不可能では無いということだ」


 雫は…いや、そうか。死んだのだった。

無惨に、僕は今何をしている。此処は、腕はどうなった。


「総量の測定は無理だが、しかし。この細胞はDNAを持っていない。

我々炭素とDNAをベースとした生物とは根本から違うのだろう。言うなれば、この細胞一つ一つが生物だ」


「これは…氷、ですかね」


「恐らく、だが全く溶ける様子がない。

 細胞そのものが変質しているのか、或いは………」


 ぶつぶつと、耳元で声が聞こえる。

僕は今何をされているのか、耳障りな声の主を見ようと瞼を持ち上げた。しかし、瞬間差し込んだ眩しい光に思わず開きかけた瞼を閉じる。

 同時に、ドアの開くような音が耳に届いた。


「博士、先程WHOからパンデミックに関するフェイズを6に移行したとの知らせが。日本政府もフェイズを6に引き上げるとの事です………ここも危険です」

 

「輸送準備はどうした?」


「は? その被験体の…ですか? 無理です、貴重な個体だと言っても感染者ですよ?」


「馬鹿が、この感染者を連れ帰って調べればワクチンを作れるかもしれんだろう! 人類を救えるのだよ、人類を」


「しかし…」


 何だ、何の話をしている。

輸送準備、連れ帰る、人類を救う? 何の話だそれは。

体を動かそうとして、拘束されている事に気付く。腕を革か何かで固く縫いつけられている。左腕の感覚からして、ビクともしない。


「我々が人類を救うのだよ、大変名誉な事じゃぁないか。

 ワクチンが完成すれば多くの人々が助かる!」


 助かる、多くの人々。

雫の顔が、頭をよぎった。


「我々科学者には人々を救う義務がある! 今までに命を散らした者へ手向けと、死を無駄にしない為の義務だ!死者を礎とし、我々生者が生き続ける為の………」


 何故。


 何故、死者がお前達の礎とならなければならない。

何故雫が死ななければならなかったのだ。

そうだ。代わりにお前達が死ねばいいんだ。



 雫を、救ってくれなかったくせに。



 急激に意識が鮮明になり、無意識に手が動いた。音もなく、拘束を引きちぎる。閉じていた瞳が見開かれ、開いた目には背を向けた白衣の老人とメガネを掛けた青年、中年の男が見えた。青年がこちらに気付く。

青年は驚きを顔に張り付け、顔色を蒼く染めた。


「は、博士、後ろっ」


「ん、何だね木戸く………」


 言い終わる前に、老人の首を背後から掴み。



 その首を呆気なく握りつぶした。



「あ?」


 ぼたり、と 首が地面に転がる。血が勢い良く吹き出し、白塗りの壁と床を赤く染め上げる。頭を失った体はビクビクと痙攣しながら、その場に崩れ落ちた。手足が奇妙に曲がりくねる。軽く握っただけ、脅そうとしただけ、骨を砕いた感触も、肉を握り潰した感触も無かった。


 無意識に伸ばした利き腕、右腕。無くなったはずの、腕に。目を落とす。

血に塗れた腕、大量の赤を被った右腕が。血が重力に従い流れ落ち、その腕が露わになる。

 

 放たれる光沢、透き通った色。冷気を放つ、氷。


「何だよ、これ…」


 パキパキと音を鳴らしながら、氷腕が唸りを上げる。

周囲に冷気をまき散らし、思い通りに動く腕。

人間一人を握りつぶせる怪力。こびり付いた血が、地面に流れる。


「か、感染者が起きた…あ、アラートだ……侵入者用のアラートを鳴らせ!!」


「あ……は、はいっ!」


中年の男が怒鳴り、青年が青白い顔のまま頷く。

青年が部屋から飛び出し、中年も続けて背を向けた。逃げられる前に、その中年の襟首を掴む。


「はっ…ぐえぇっ!」


 襟首を氷腕で掴み、左腕で首を締め付ける。同時に壁へと叩きつけた。咳込む男、その瞳を正面から見据えて問う。


「感染者って何だ! 雫を殺した連中かッ!? この腕は何なんだよ!!」


 壁に再度叩きつける。壁に血が付着し、男の後頭部が割れた事を示した。涙目で男は這い蹲る。懇願、殺さないでくれ…と。

顔面を蹴り飛ばし、喉笛を爪先で蹴り上げる。悶絶し、鼻血を流す男。


「ぐ、あ……お、お前は、新種ウィルスに感染して、細胞の一部がっ、ミクニ細胞に…変異、したんだ、っ」

 

 ガラガラな声で喋る。理解出来ない。


「ミクニ細胞…なんだそれは!?」


 口を閉ざす男。再度顔面に蹴りを落とす。仰け反り、背後の壁に頭部を強打した。再度血がべったりと付着する。


「あっ…がっ……わ、分からない。分からないんだ、本当に。

分かってるのは、その細胞に浸食されると、人間じゃなくなって」


「人間じゃなくなる…?」


 男の言葉に、連中が、雫を喰った奴らが、脳裏に浮かんだ。


「それは、人間を………人を喰らうのか?」


 男が勢い良く首を縦に振った。

疑惑が確信に。


「そうか、あれが」


 感染者。


 雫を殺した存在。

人間であった俺が、敵わない存在。


 雫の 仇。


「お前のさっき言葉だと、俺もその感染者…なんだよな」


「か、解析結果だとそうだ…けど、お前は普通の感染者とは、違う。

人食衝動も見られないし、理性も残ってる…人の言葉を話すって事は、ウィルスに抗体が……」


 そこで頭上のランプが赤く点滅。大音量がそこら中に鳴り響いた。


『研究所内に侵入者有り、研究情報保護の為全電子機器の機能を一時凍結します。又、職員は速やかに第三ブロックに避難して下さい。三分後、全通路に隔壁を展開


します。 繰り返します』


「クソっ」


 警告内容に舌打ちする。足下に這い蹲る男の顔面を蹴り飛ばし、昏倒させた。殺しても良かった時間が惜しい。自分の中で、殺人が驚くほど容易に行われていた。

 ドアを蹴り破り、見知らぬ風景に首を忙しく動かす。ドアの先には左右に二つの扉、そして三つの通路があった。

右側の通路、明るく部屋が多い/中央、左右ガラス張りの空中廊下/左側の通路、暗く消灯されている。

 どうやら此処は研究所らしい、頭上のアナウンスがそう言っている。

となると此処に居るのは研究者か。

 人の慌ただしい声が耳に届く、中央と右側の通路だ。こういう場合、人の居る方に行くべきが、又は逆か。ここの職員ならば出口は知っているだろう。だが、果たしてそう事が上手く運ぶか?


「………」


 一瞬の逡巡、氷腕を見て進路を決める。

迷わず消灯された道を選び、走り抜けた。

まるで病院の様な印象を受ける廊下を、非常灯の明かりのみを頼りに走る。周囲には俺の走る音とアナウンスだけが木霊し、不気味な雰囲気を作り出していた。しかし、それも長くは続かない。

 ライトの光が、暗い廊下に差し込んだ。

バタバタと数人の走る音、思わず足を止めて周囲を見渡す。がしかし、此処は突き当たりのT字通路、正面しか分岐路が無い。

 職員か、ならば脅して出口を聞くのも一手。

しかし現れたその姿を見て、思わず息を止めた。

 銃だ。

全身を黒で統一した4人の武装兵が、姿を現した。全員が手に突撃銃を持っている。

銃の先端に取り付けられたライトが、一斉に俺を捉えた。4つの銃口がこちらを向く。


「こちらα、目標と接触。捕獲行動に移行する」


 言うや否や、一斉に銃口が火を噴いた。

何が起きたのか。一瞬の閃光の後、体に複数の衝撃が加わった。弾けるように脚が後退し、肩が跳ねる。全く反応出来なかった事柄に、呆然と「ああ、撃たれたのだ」と理解した。


「ぐぉ…ッ!」


 地面を転がる。不思議と痛みは無かった。同時に赤い血が床に飛び散る。撃たれたのは右肩と左足、それに脇腹。痛みは無いが、焼けるような熱がある。それに触れればぬるりとした感触があった。


「無力化に成功、捕獲します」


 駆け寄ってくる武装兵。歯を食いしばって連中を睨みつける。

手で脇腹の傷口を押さえようとして、ふと違和感を感じた。

パキパキ、と音がする。同時に、手に感じるひんやりとした温度。

恐る恐る覗き見れば、傷口が氷で覆われていた。あれほど酷かった出血は既に止まっている。肩も脚も、同様だった。動かせば、問題なく動く。


「拘束具を寄越せ、あぁソレを……えぐぉッ!?」


 不用意に近づいてきた武装兵の一人に、一発。

起き上がりざまに腹を抉る。肋骨の折れる感触と肉を削ぐ感触があった。途中拒むような反発があった為、防弾チョッキでも着ていたのだろうか。狙いを顔面に絞る。


「! 少尉っ、クソこの野ッ…」


 一人目を殴った勢いのまま突っ込み、もう一人の武装兵にタックルを当てる。壁際に押し込み、頭を掴んで壁に叩きつけた。鈍い音と共に顔面と壁が陥没する。

 残り二人の銃が火を吹いた。壁に叩きつけた武装兵ごと銃弾の雨に晒される。頭を掴んだまま生き絶えた武装兵を肉壁にし、銃弾をやり過ごす。2発程太股の肉を貫通したが、直ぐに氷が塞いだ。


「リロード!」


 片方がマガジンを抜く。同時にもう片方がフォローに回った。リロードの間、弾幕が薄くなる。

肉壁の役割を果たした穴だらけの死体を銃を撃ち続ける武装兵に投げつける。突然の事に面食らった武装兵は、思わず硬直する。死体に衝突し、弾幕が止んだ。リロードを終えた武装兵に接近、その背後に回り込む。氷腕を首に回し、銃を持った方の手を座り込んだ武装兵に向けた。

 瞬時の判断、銃口から弾丸を吐き出すのはほぼ同時。

座り込んだ武装兵の弾丸と、俺に背後をとられた武装兵の弾丸がそれぞれに穴を空けた。回した腕を退かすと、崩れるように武装兵が倒れ伏す。


「………邪魔をしないでくれ」


 此処にいるのはどうやら研究者だけではないらしい。

死体を壁際に蹴飛ばし、耳を澄ませる。銃声で奴らの仲間に気付かれたかもしれない。少なくとも、同じ場所に何時までも留まるのは愚かだろう。


 何としても生き残る。 生き残って…


 T字路を左に折れ、暗闇を疾駆する。途中施錠してある扉などは全て殴り破った。頭上のアラームが鳴り止まない。狂ったように定型文を読み上げ、残り時間をカウントする。


『残り一分です。

 避難を完了していない職員は速やかに………』


「クソ、一体何だってんだ!!」


 廊下を走る中。突如奥の扉から研究職員らしき男が顔を出した。

服が乱れ、髪には寝癖らしき跳ね毛が。突然の侵入者アラートに怒りを感じているらしい。これ幸いと、男の髪を掴んで廊下に引き出した。

当然の蛮行に悲鳴を上げて俺を見上げる。そして氷腕を見て表情を固くした。


「こ、この腕…まさか、感染っ」


 横っ面を殴る。手加減したつもりだったが、歯が数本吹き飛んだ。


「此処から外に出る為の最短ルートを吐け」


 口から血を流し、目には涙が見える。

研究職員は痛みに悶え聞いていない様だった。

もう一度、今度は逆側を殴り飛ばし壁に体を叩きつける。壁に赤い花が咲いた。今度は質問に答える気になった様だった。


「ま、待って……こ、こた、答える、言う…言うよ。

此処を真っ直ぐ、突き当たりを右に、そしたらロビーに出るからそこから外にで」


 渾身の力で顔面を蹴り飛ばし、男の頭はザクロの様に弾けた。

ズルズルと体が床に沈む。死体をそのまま、血肉の張り付いた壁を背に走り出した。

 突き当たりを右、そして少し走ると大きなホールの様な場所に出る。男の言っていたロビーなのだろう。職員はアナウンスの言うところのCブロックに集まっている為か、職員は見あたらない。

 だが代わりに、武装した集団がロビーを占拠していた。

飛び出しそうになった体を、扉の陰へと滑り込ませる。先程の職員にはめられたか、舌打ちをこぼす。


「中尉、先行したα隊が目標と交戦後ロストしたとの報告が」


「α隊がか? 確か城義准尉の指揮する部隊だったか」


「はい、一度無力化成功の連絡があったそうなのですがそれきり…」


「分かった、第二小隊の居る第二ホールから五人編成で一つ部隊を出せと通達しろ」


「はっ」


 数はぱっと見二十人前後、と言ったところだろう。

中央に指揮者と思われる人間が一人、服装武装共に統一された中で僅かに異色を放っている。


「此処からは三つに部隊を分ける。 山下軍曹以下四名をβ隊、上代准尉以下五名をΔ隊とする。βはα隊が捜索する予定だった研究棟、ΔはBブロックを当たれ。


残りは俺と此処で防衛網を張る」


 扉に身を隠しながら、元来た道を振り返る。

どうも此処を抜けるのは難しそうだ、別な出口を探すべきかもしれない。そう思考した所で、不穏な会話が耳に入った。


「了解しました、目標と接触した場合は規定通りで?」


「いや、αの事もある。 見つけたら射殺を第一に考えろ。捕獲は各々の判断に任せる」


「了解」


 射殺。

それは問答無用で見つかれば撃ち殺されると言うことだ。

先程の戦闘、銃弾で撃たれた場所…脇腹に手を這わせれば、冷たい感触が指先に伝わる。撃たれても平気だった、熱は感じるが痛みは感じない。恐らくソレは、あの研究者の言った通り「感染者」と言う存在になったからだろう。


 今の俺は、死を怖がる必要がない。


 だからこそ感染者(奴ら)を殺せる。

俺の意志と関係無しに口角が、僅かに上がった。

隠れた扉の陰から頭だけ出し、周囲の障害物を視認する。

休憩用の長椅子/背の低いテーブル/観葉植物/受付と思われるカウンター/ガラス張りの手摺り/オブジェクト裏

素早く飛び出し、ロビーの入り口付近ソファの陰に身を潜ませた。

少しして、部隊が分かれる。

俺の潜んでいたソファを横切り、十一人が隊列を組んで俺の来た道へと姿を消した。

残った十人程度の武装兵は、指揮官らしき男の近くへと集合する。


三芳みよし軍曹、あるものかき集めてバリケードを作れ」


「出入り口は封鎖しなくて宜しいので?」


「もし捜索隊が接敵した場合、こちらに撤退も有り得る。見殺しにはできん」


「はっ…三芳隊以下八名、作業に入ります」


 三人程が銃を手に警戒、残りが椅子やらテーブルやらを引っ張りバリケードの構築を始める。

殆どの兵の意識が周囲に散っている今、この時こそが好機かもしれない。ソファの陰で氷腕を握る。どちらにせよ、待っていても発見されるのは目に見えている。


 正面から行っても蜂の巣だ…一瞬でも良い、隙を突ければ。


 ソファの陰から周囲に目を向ける。

めぼしい物は見あたらない、少しだけ顔を出して見渡す。テーブルの上に灰皿。素早く身を乗り出し灰皿を掴み取る。

 狙いは割れやすく、音が出るもの。

フリスビーの様に構え、吹き抜けの天井…蛍光灯めがけて灰皿を投げつけた。

 ヒュッ、と風を切り、一拍遅れて甲高い音。蛍光灯の割れる音。

破片が武装兵に降り掛かり、警戒していた兵が音のした頭上を仰ぐ。


「何だ!?」


「敵襲かッ!」


 降る破片が次々と甲高い音を鳴らし、俺の駆ける音を完全にかき消す騒音の世界。警戒していた武装兵の一人、背後から駆け寄り首に手を回す。声を出す前に、氷腕で首を絞めあげた。ゴギリッと音が鳴る、ぶらんと垂れる首。手に持っていた銃を奪い、死体を蹴り跳ばす。

 床を転がる武装兵、すぐ近くで椅子を運んでいた武装兵の足にぶつかった。上を見上げていた武装兵の目線が、俺へと向かう。

 銃を腰で構え、その武装兵めがけて引き金を引く。思っていたよりも強い反動が襲い掛かったが、氷腕で無理矢理押さえつけた。銃身が跳ねる。閃光が武装兵を貫いた。

 眉間、胸、腹、股間を銃弾が貫通。暴れる銃が見当違いな方向へ銃弾を吐き出す。武装兵が崩れ落ちると同時、銃を投げ捨てた。


 硝子の騒音が、止む。


「て、敵ッ」


 音の消えた世界で、武装兵が叫ぶ。その顔面に氷腕を叩きつけ、顔面を床に埋めた。警戒の為銃を手にしていた武装兵が、銃口を向ける。反応が早い。

 身を低くして滑るように作業中だった武装兵に接近、その背後を取り首を絞め上げた。同時、銃弾が吐き出される。

 ズドン、と氷腕に振動。盾にした武装兵が何度もビクンと跳ねる。銃弾は幾つもの穴を兵士に空ける。その度体は跳ね、鮮血が舞った。

生き絶えた武装兵を盾に走り出す、武装兵の脚に装着されていたホルスターから拳銃を抜き出し構えた。


 だが、カチンッと指が何かに拒まれる。

見れば安全装置が掛かっていた。思わず顔を顰める。

銃を武装兵めがけて投げつけ、走る。


 目指すは出口。


 出入り口の扉であろう、透明な硝子の扉を蹴り破るとひんやりとした空気が肌を刺激した。

もう一枚、一際大きな扉を破れば外の景色が視界一杯に広る。

若干薄暗い視界、日は既に落ちかけていた。夕暮れ、気を失ってどれだけの時間を過ごしていたのか。外にはひらひらと雪が降っている。見渡す周囲には樹、樹、樹、開けた目の前のロータリーからは、向こうの山々が見える。どうやら此処は森の高台辺りに建てられた場所らしい。


「狙って撃てッッ!!」


 背後から怒号、次いで銃撃。

高速の銃弾が飛来し、身を低くしたまま森の中へ飛び込んだ。銃弾が樹を次々に抉る。

 

 兎に角、此処を離れる事が先決。


 弾幕が薄くなった瞬間を狙い、街を目指すべく坂道を駆け降り始めた。





 幸いにして、追っ手が差し向けられる事は無かった。

差し向ける余裕が無かったのか、それもとも差程俺に執着が無かったのか。長い坂を降り終われば、深い森の中に続くボロボロの道路が続いている。走り抜ける中で、道中人を見かける事も無く、車とすれ違う事も無かった。人里離れた秘境と言った印象だ。

 もしや、此処は何処か遠い場所ではないかと嫌な想像が働く。

別に生まれた街に執着などは無い。だが…。


「っ…」


 既に日の沈んだ暗闇を走り続け数時間。

疲労も感じなくなった体で無休で走り続けたお陰か、この長い道に終わりが見えた。段々と疎らになっていく緑。

目測数百メートルの地点に、明かりが見えた。


 走る。近づき、そしてその光が乗り捨てられた車のものだと理解した。片方のライトが割れ、ドアが開けっ放しの軽自動車。ボンネットが凹んでおり、エンジンが止まっている。近づいて中を見てみれば、鍵は刺さっていなかった。シートには僅かな血痕。

 周囲を見渡す/車の後ろにブレーキ痕/引きずった様な血の痕

もしやと思って車の下を覗けば。

 人間の下半身が転がっていた。

音。背後より水音、振り向けばいつか見た光景。



  人間が人間を喰らう。



 自分の中で、何かが急激に燃焼した。

その光景に、呼応する様に。


 立ち上がり、近づく。

道路の脇。ニット帽を被った若い男が、驚愕の表情を浮かべたまま息絶えている。

死体を無心で口に運ぶ、若い女。その両手は既に真っ赤に染まり、口元などは見るに絶えない。臓器に手を突っ込み、中身を掻き混ぜる女。

 否、感染者。

   

 その姿が、重なる。



  雫を殺し、喰らった奴等と。







 ー 殺してやる







 氷腕を振り被り、その後頭部を渾身の力でぶち抜いた。

脳髄がぶち撒かれ、赤い血がバケツをひっくり返した様に流れる。眼球がこぼれ、残った下顎が舌をだらしなく垂らした。

 ぐしゃり、と血の中に伏す女だったモノ。その血が、男の血と混ざり合う。それを冷めた目で見ていた。

 こんなモンじゃない。こんなモノじゃ、全然足りない。

まだまだ、この感情が鎮火する事は無い。

 折り重なった死体に背を向け、道路に。

考えることは感染者の事。雫を喰らった連中の事。

 

 殺してやる。 無惨に、残酷に、非道に、残虐に、残忍に。


 車を後にして道路を進めば、すぐ街に着いた。

その光景はさながら地獄絵図。いつか見たホラー映画の光景そのもの。

人の死体、燃え盛る街、建物に突っ込んだ車。徘徊する感染者。息絶える生者。


 獣の様に飛び込む。感染者を見たとき、既に理性の枷は外れていた。

感染者を殺すことに躊躇いは無い、既に人に在らず。否、例え人だったとしても殺める事に躊躇いなど持たないだろう。

 身近に居た感染者に飛びかかり、氷腕で腹を殴打。貫通し、風穴が空いた。臓物が飛び出る。ぐったりと力無く項垂れた感染者を投げ捨て、次の感染者に疾走する


。頭を破砕、頸椎を折り、心臓を握り潰す。

 雫、雫、雫。

 雫を殺した忌まわしき連中。

その仇をこの手で。

 それ以外の事など、決して考えはしなかった。


  僕は既に、人間ですらないのだから。




 2015年1月9日


 世界各地にて民衆の暴動が発生する。

政府も暴徒鎮圧に動くが、鎮圧に失敗。鎮圧の過程で暴徒が正気では無い事が判明。捕獲、尋問を行った結果、理性を無くし既に人では無いと判断。

 人体の解析の結果、体内に未確認のウィルスを発見。暴徒はこれらのウィルスに感染したものと推測される。

この24時間の間で感染者は爆発的に増加。

日本では11の県、主に東北と九州を中心とした街がたった一日で感染者の巣窟と化した。





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