滅安と儚雪
椎名先輩の舎弟になってから、香坂学園によく足を運ぶようになった。と言っても、一応部外者で学園内には入れないから、先輩が来るまで門前で待ってるのが定番。その間はゲームをしたり携帯をいじったりして時間を潰してるけど、最近は新しい楽しみを見出だしている。
――あ、聴こえてきた。
携帯をいじる手を止めて、風に乗ってくる音に耳を傾ける。
いつも放課後になると聴こえてくるこの音を聴くのが、最近の楽しみだった。
――ピアノ……上手い。
音楽は好きだけど、クラシックは聴かないから分からない。けど邦楽のピアノアレンジよりも、この音は上手かった。
何の曲だろう。優しいんだけど哀しいような、心の芯に迫る強さがある。こういうのを神秘的って言うのかな。
「いいなぁコレ。CD出てんなら絶対買っちゃうって」
バラード系はiPodに入れてないど、この曲なら入れてみたいと思った。
「誰が弾いてんだ……?」
出来れば女の子が弾いててほしい。
まぁ……男でもいいか。
そんなことを思いながら、ピアノの音に耳を傾けていた。
次の日も香坂に行った。いつもと違うのは、先輩が先生に呼ばれたこと。話が終わるまで学園内で待ってろと言われた俺は、チャンスとばかりにある場所を捜しまくった。
「み、見つけた……っ」
案内板を頼りに、ある棟を見つける。そこには『芸術棟』の文字。そして、あの曲が聴こえてきた。
――今なら会えるかもな。でも、もし誰もいなかったら? 人が居ないのに鳴るピアノ……怪談かよッ!!
単独ノリツッコミを早々に切り上げて、ガラスの扉を引く。
生徒棟とは違う文化系の独特な静けさに、ちょっとビビった。入っていいの? というツッコミはするなよ。バレたら謝ればいいんだか ら。
「こっちか………」
近付くにつれ音が大きくなっていく。見ると、音楽室の扉がちょっと開いてた。ラッキー。
「どれどれ……」
香坂は音楽室まで広い。その大きな黒板の近くに、これまた大きなグランドピアノがある。
――ちょっと覗くだけ……あれ、音が止んだ。
「立花くん……?」
「杜先輩ッ!?」
紫の瞳。白銀の髪。以前一度会ったことがある。一度会った女の子の顔と名前は忘れない。ちょっと自慢だ。
「ども。お久しぶりっす」
「こんにちは。椎名くんに連れてきてもらったの?」
「はい! あ、お邪魔なら出てくっすけど……」
「全然ッ。どうぞ」
相変わらず優しいなぁ。
適当な椅子を引いてきて、ピアノの隣りに座る。
「先輩が弾いてたんスね。いつも門の前で聴いてましたよー」
「えっ……!? 恥ずかしいな……っ」
「恥ずかしがらなくてもいいじゃないっスか! すんげー上手でした! 俺、感動したっス!!」
音楽好きに堅気も不良も関係ナシ。素直な感想を述べると、先輩は嬉しそうに笑った。やっぱ可愛いなぁ、今すごく昊先輩が羨ましい。
「うーわ、ピアノって難しそうな音譜ばっか」
鍵盤の上を覗くと、ギッシリと音譜が書きこまれた楽譜用ノートがあった。ギターを少しやってるから音階は何となく分かるけど、いかんせんピアノは勝手が分からん。よく見ると、ノートに書かれている音譜は全部手書きだった。
「練習っスか?」
「練習……というより、作曲かな。何曲か浮かんだから、形にしてみようと思って」
「作曲!? スッゲー!!」
最近弾いてる曲もそうなのかと訊いてみると、アレは唯一完成した曲だという。 確かに、フルで聴くのはあの曲だけだ。
「お願いします! あの曲聴かせて下さい!!」
「じゃあ、特別にね」
杜先輩は楽譜用ノートのページをパラパラと捲って、最初の方のページを開くとスタンバイ。
白くて細い指が、鍵盤に置かれた。
――………………
始めは静かな音。近くで聴くと、音が直接身体に響いてきた。
流れるように動く指は、白鍵盤と黒鍵盤を自在に操る。ピアノを弾けない俺からすると、もう神業だと思う。
――…………………
これだ。このサビのところ。強く訴えてくるような音が、すごく心に残る。
あ、何か泣きそう。何か分かんないけど、スゴく目が熱い。この曲が、こんなにスゴいものだったなんて知らなかった。
――…………………
終わりに向かって、音が小さくなっていく。そして演奏が終わった。
「……どうだった?」
「……か、感動したっス!! めっちゃ……めっちゃ良かったっス……!」
「立花くん、大丈夫?」
何か涙やら鼻水やらが出てきて言葉にならない。先輩がハンカチを貸してくれたけど、汚しちゃ悪いからシャツの袖で拭う。
「ありがとう。そんなに喜んでもらえると嬉しいな」
「俺……こんな上手なピアノ初めて聴きました。曲で泣けたのも初めてだし……」
それは嘘じゃなかった。ほら、不良って涙脆いし。
「あの、今の何て曲っすか?」
「まだ決めてないの。通し番号でしか呼んでなくて……」
その時、パンッと手を叩く音が音楽室に響いた。
「敦くん、音楽好き?」
「大好きっス!」
「あのね、今の曲に歌詞つけてもらえると嬉しいな」
「歌詞!?」
歌詞をつける、つまりは作詞だ。当然、頭の中が真っ白になった。
「その歌詞から、私がタイトル考えるよ」
「ダメっすよ! こんな綺麗な曲に俺なんかが……っ」
「敦くんなら出来るよ。あんなに感動してくれたんだもの」
「作詞っつったって……俺バカだし……」
「ぇと……音楽好きに堅気もヤンキーも関係ないですッ!」
「へ?」
清楚な先輩の口から出た言葉に、一瞬呆気に取られる。それは先輩も同じだったらしく、真っ赤になって謝られた。
「ごめんね、急にこんなこと………」
「いえ………あ、あの! 俺でいいなら、やらせて下さい! つーかやってみたいッす!」
「本当? ありがとう……!」
話がトントン拍子に進んで、いつの間にかこんな事に。正直調子に乗って言っちゃった感があるけど、忙しくないし別にいいかと思った。
だって、あんなに可愛い笑顔が見れたし。
今日は平日、晴天。ここは学校の屋上、只今教室では三時間目の真っ最中。
「敦ぃーー」
「呼んだ?」
ヘッドホンを外して、携帯から目を離す。仁はタバコを吸いながらコッチを見ていた。
「ずいぶん熱心なこって」
「ごめんねージンジン。寂しがらせて」
「阿呆か」
背中に寄り掛かるとコツンと額に何か当たった。正しくは当てられた、か。
差し出されたのはカロリーメイト。大好きなチーズ味なので遠慮なく貰っとく。
「朝から何やってんの。メール?」
「作詞」
「作詞? またギター始めたのか?」
「うんにゃ、先輩の初シングルの為にちょっとな」
とりあえずメール機能で打っていた文章を保存して、経緯を話す。怒られるかと思ったけど、話を聞いた仁は「いいんじゃねぇの」と賛成してくれた。
「その先輩って可愛い?」
「可愛い! めっちゃ可愛いよ? もー天使サマッ」
「で、その天使サマの曲に歌詞つけるのか。責任重大だなァ」
「そうなんだよ。俺ボキャブラ少ないからヤバいわ、脳ミソから血ィ出る」
「ンな大袈裟な……」
仁の背中に凭れたまま、作業を再開する。せっかくだから仁にもヘッドホンの片方を渡した。
「カセットに録ってもらったから聴いてみてよ」
「んー」
カセットだから音質は劣るけど、やっぱりスゴい曲だと思う。だから尚更自分の感性の無さが情けなかった。
「――どう?」
「……上手いな。中学の先公より上手いんじゃねーの」
「だろ!? でしょ!? もー感動しちゃってさー!」
「で、詞は出来たワケ?」
「……とりあえず途中までは」
一応保存して、送信ボックスに入っている文章を見せる。こら、煙を液晶にかけるな。
「……ぷっ」
「何故に笑う!?」
「だってコレ純粋過ぎだろ。中二少女のポエムじゃねぇんだから」
「しょうがねぇだろー! 弾いてる本人イメージしたら、こうなっちまった んだよ!」
普段聴いてるようなポップスやロックとは曲調が違うから、歌詞もカッコいい感じにしたかった。
だから、小学校低学年以来使ったことのない国語辞典なるものを引いて、あの曲に合いそうな綺麗な言葉を探して詞に書いてみたのだ。
確かにムズ痒い思いはあったけど、人に指摘されるとスゴい恥ずかしい。
「いつまでも笑ってんじゃねぇよ仁ッ!!」
「悪ィ、いや好きだぜ。けど…もーちっとさ、砕けて書いてもいいんじゃね?」
「砕けてぇぇ?」
タバコの煙が空に消えていくのを見ながら、声を伸ばす。
「確かに綺麗な曲だったけど、だからって無理して固い言葉使わなくても……ってコト」
「んーーー………」
「敦は敦らしく書いてみろよ。 どーせ中坊の頭なんだから、ストレートでいいんだって」
「そーゆーモンかねー」
リピート機能で、また曲が最初に戻った。頭をリセットして、また考え直しだ。
「いやー音楽って深い!」
屋上に仰向けになって、さっき貰ったカロリーメイトを頬張る。
「砕けてねぇ………」
一面に広がるのは真っ青な空。口の中に広がるのはチーズ味。
「……アレは夜だよな」
少し寂しそうな曲。満月じゃなくて、もっと欠けた月のイメージ。そんな感じがする。
「後半はー……海、か?」
サビの強さは海の波っぽい。ちょっと嵐に近い感じで。
「……よっし!」
「敦?」
「本屋行ってくる」
「漫画でも読み行くのか」
「図鑑見に行くんだよ!」
俺のイメージにぴったりの月と海の名前を調べに。学校? そんなモン、サボったって平気っしょ。
それから数日は大変だった。椎名先輩にイジられながら仁に手伝ってもらって、時々は杜先輩にピアノで癒してもらった。
「敦くんの書く詞、私好きだよ」
「マジッすか。よっしゃ、俺頑張っちゃお!」
「調子乗って失敗すんなよ」
「それより敦ー、さっさと書いて飲みモン買ってこいや」
男はつらいぜ、ならぬ作詞家はつらいぜ。でもこういうのは嫌いじゃない。
そして柄にもなく苦労して、ようやく作詞終了。杜先輩に渡すと、スゴく褒めてくれた。あんなに褒められたのは、中学のスポーツテストで最高点を取った時以来じゃないかな。
それから二週間後――
「おい」
「はい?」
「コレ」
椎名先輩に渡されたのは、一枚のCD-ROM。
「杜から」
「あああありがとうございますッ!!」
その日は急いで帰って聴いてみた。ケースにはメモも入っていて、内容は御礼状って感じ。とても律儀な人だなと思う。
「さーて、かけちゃいますかぁー」
初めは綺麗なピアノの伴奏――そして流れてきた歌声。優しいけど強く響く女声だった。
「先輩の声じゃねーな……誰だろ。でもイイ声だ」
その声は、俺の考えた歌詞を唄っていく。
言葉は同じなのに何だか違うものに思えて、少し照れくさかった。ROMに入っていたのは全部で2トラック。最後のはインストゥロメンタルバージョンだった。
「……やっぱピアノだけの方がいーな」
俺には綺麗すぎる人。俺には優しすぎる人。
欲しいとは思わないし、触れたいとも思わない。ただ、時々真っ白な気持ちになりたい時に会えたらいい。積もった雪に土足で踏み入るんじゃなくて、窓越しに綺麗だねって眺めていたい。
「…………あ」
ふいに浮かんだ文章。忘れないうちに携帯のメモ帳に打ち込む。これならストレートな歌詞だぞ、ジンジン。
「先輩、また新しい曲出来ました?」
「うん、今度は冬っぽい曲を作ってみたの」
「あのー……俺もちょっと詞ィ考えたんで、見てくれます?」
「もちろん! いつもありがとう、敦くん」
「先輩に合う、雪のイメージで書いてみました!」