2DKの化物屋敷
コツコツコツコツ……
真夜中の住宅街。
静まりかえった道に、足音が響く。
道を行くのは1人の女性。
長い黒髪に、紺のスーツ。
風邪でもひいているのか、大きなマスクをしていた。
コツコツコツコツ……
突然、女の足が止まり、後ろを振り返る。
背後には、薄暗い道が続くだけだ。
『気のせいか?』
そう思い直し、再び歩き始める。
コツコツコツコツ……タッタタ……
「!!?」
やはり、気のせいなどでは無い。
誰かが後ろからついて来ている。
コツコツコツコツコツコツ……タッタタタッタタ……
足を早めてみれば、ハッキリと解る。
確かに、誰かがついて来てる。
「だれ!?」
マスクのせいで、クグもった、されど、それなりの音量の声が夜道に響く。
だが、振り返った先には、やはり誰もおらず……
「よお!!」
「ひっ!!」
その声は、足元から聞こえた。
視線を下に向ければ、そこにいたのは、一匹の犬。
ただし、それは身体だけ。
その頭部には、壮年の男性の顔がついていた。
女は、一度大きく息を吸い……盛大な溜め息を吐いた。
「……なんだ。脅かさないでよ。人面犬……」
「はは……わりぃな。最近は驚いてくれるのが、お前くらいだから、ついな……お帰り。口裂け女」
犬の言葉に、女の目尻が下がる。
「ただいま……」
そう告げた女の言葉は、柔らかなものだった。
築50年。
その間、リフォームもされていない、ボロボロのアパート。
その中の一室。
それが、彼女達の住まいである。
家が歪んだのか、金具が悪いのか……
開ける際に、奇妙な音をたてる戸を開き、中へと声をかける。
「ただいま~!!」
「お帰り~!!お姉ちゃん!!」
中から、おかっぱ頭の少女が駆けて来て、出迎えてくれた。
「すぐご飯にするから、ちょっと待っててね?」
少女の頭に手を伸ばし撫でてやると、くすぐったそうに笑った後で、困った様な表情を浮かべた。
「あのね?お姉ちゃん?おばあちゃんが……」
「またぁ!?」
疲れで苛立っていたのか、声を荒げてしまう。
それに、驚いたのか、少女の身体がビクリと震え、目には、涙が浮かんでいた。
「ごめん!ごめんね!!花子ちゃんが悪いんじゃ無いのよ?
お姉ちゃん、ちょっと疲れてて、それでね?」
慌てて慰めるが、少し遅かった様だ。
少女の足下に、大きな水滴が、1つ2つと落ち、畳の上に、シミを作っていく。
「おいおい……花子を泣かしてんじゃねーよ……」
背後から、足拭きマットの上で、足踏みをする人面犬の声が響く。
そんな事は、彼女だって解っている。
今のは完全に八つ当たりだ。
とはいえ、この家で唯一働いていて、収入を得てる自分の苦労も少し解って欲しいと思ってしまう。
「人面犬。おばあちゃん迎えに行ってきて……」
「げっ!?ようやく、足拭き終わったのに……
と言うか、あのババァの足の速さは、お前も知ってるだろ!?俺の足じゃ……」
「いってきて?」
断ろうとした、犬の意見は通らないらしい。
ニッコリと笑った、女の表情を見てそれを悟る。
これは、連れて帰らなければ、今夜の自分の餌は抜きだ。
「解ったよ……」
呟き、今しがた入ってきたばかりの玄関に向かう。
その背中には、なんとも言い難い哀愁が漂っていた。
結果から言うならば、彼が『おばあちゃん』を、連れて帰ってきたのは、彼女が丁度、夕飯を作り終えた頃だった。
余程、キツかったのか、その全身の毛は、汗でグッショリと濡れていた。
「なんだい?若い者がだらしないねぇ……」
そんな彼の様子を見て、『おばあちゃん』が、そんな事を言う。
が、彼は声を大にして反論したい。
『お前みたいな化物と一緒にするな!!』と。
「おや?今夜は肉じゃがかい?美味しそうだねぇ……」
玄関でヘバッてる、彼をそのままに、部屋に戻った『おばあちゃん』は、ちゃぶ台の上に置かれたオカズを見て、そう漏らす。
「花子も手伝ったんだよ?」
駆け寄ってきた少女に、そう言われて、『おばあちゃん』は、シワクチャな顔を、更にシワクチャナにして、少女の頭を撫でる。
「そうかい。そうかい。なら、きっと美味しいだろうねぇ」
「えへへ……」
頭を撫でられた少女が、笑みを浮かべていると、奥の台所から、お盆の上に茶碗を乗せた、『お姉ちゃん』が、やって来る。
「もう!おばあちゃん!!私が仕事の日は、私が帰ってくるまで、高速に行かないでって、いつも言ってるでしょ!!」
どうやら、少々ご立腹のようである。
「そうは言ってもねぇ?やっぱり、私は夜中に出ないと、しまらないしねぇ?」
とはいえ、『おばあちゃん』にも、譲れない部分があるらしい。
困った様にしながらも、きっちりと反論だけは、している。
「だからって、夜中に花子ちゃん1人にして、なにかあったら、どうするんですか!!」
凄い剣幕で怒る彼女に、『おばあちゃん』は、軽く肩を竦めた。
「前から言ってるけどね……その心配は無いよ。
花子ちゃん。見た目こそ子どもだけど、実際は、あんた達より、ずっと歳上なんだから……」
「だからって!!」
「お姉ちゃん!!」
尚も彼女が反論しようとすると、それは、少女の声で阻まれた。
あまり、大声を出すことの無い少女の意外の行動に、全員の視線が集まる。
少女は、それを確認した上で、ニッコリと微笑んだ。
「ご飯……冷めちゃうよ?」
「あ……そうね……」
そう言われて、我に帰った彼女が茶碗をちゃぶ台に置き、更に、1つの皿を、新聞紙を広げた畳の上に置いた。
そして、3人がちゃぶ台に座り、犬の彼が、新聞紙の上に座ったのを確認して、少女が口を開いた。
「手を合わせてください!」
その声に合わせて、全員が……犬の彼は無理だが。合掌する。
「いただきます!」
「「「いただきます!!」」」
今度は本当に全員の声が合わさった。
それを合図に、各自が思い思いのオカズへと、箸を伸ばす。
少し郊外にある、オンボロアパート。
その中にある、2DKの化物屋敷は、今日も平和です。