三年前に死んだ元婚約者が蘇生しました。――蘇生記録官の私、「婚約は死亡時に終了しています」
死んだ人が戻ってきても、その人がいなかったあいだに動いた人生までは巻き戻りません。
これは、蘇生した人の「その後」を記録する窓口で働く女性の話です。
蘇生した人は、最後に役所へ来る。
神殿で目を覚まし、家族と再会して、それでも手続きは終わらない。
生き返ったからといって、死亡届が勝手に消えるわけではないからだ。
王立大神殿の「大蘇生」は、遺骸が保存され、魂の痕跡まで確認できた者にしか試せない。
それでも成功するのは、王国全体で月に十人前後だ。
数は少なくても、一人戻るたびに相続も婚姻も爵位も揉める。
王都民籍院、蘇生記録課。
私はそこで二年、死者をもう一度「生きている人」として登録する仕事をしている。
「次の方、どうぞ」
番号札を呼ぶ。
革靴の音が近づいた。
書類を見た私は、顔を上げるまで一拍遅れた。
ユリウス・アスター。
戦死日――三年前、霜月十二日。
死亡届受理――同月十五日。
蘇生証明発行――昨日。
備考欄には、王立大神殿による本人確認済み、とある。
名前を見ただけなら、同姓同名だと思ったかもしれない。
でも、顔まで同じだった。
少し痩せている。
右の眉に、昔はなかった細い傷がある。
それ以外は、三年前のままだった。
「……リディア?」
先に名前を呼ばれた。
「お久しぶりです、ユリウス様」
「様?」
彼は笑いかけて、途中で止まった。
「いや、待て。どうして君がここにいる」
「勤務先ですので」
「それは見れば分かる」
昔と同じ、困った時に眉間へ指を当てる癖だった。
胸の奥が変なところで痛んだ。
私は机の下で、靴の先を一度床へ押しつけた。
「本日は復籍手続きですね。蘇生証明書と身分確認票をお預かりします」
「リディア」
「はい」
「戻ってきた」
「……はい」
「三年も待たせた」
窓口の後ろで、同僚のペン先が止まる音がした。
聞こえている。
明日の昼休みには絶対に質問される。
ユリウスはそんなことには気づかず、少しだけ照れたように言った。
「これで、婚約も元通りだな」
私は手元の書類を揃えた。
「いいえ」
「え?」
「婚約は、三年前に終了しています」
◇
蘇生者の扱いについて、王国法は思ったより冷たい。
というより、冷たくしなければ何も決められなかったのだと思う。
人が死ねば相続が始まり、婚姻や婚約は終わる。
爵位が移ることもあれば、家が売られ、残された人が再婚することもある。
本人が蘇生したからと全部巻き戻せば、今度はその間を生きてきた人たちの生活が壊れる。
だから復籍しても、「死んでいなかったこと」にはならない。
蘇生確認日を新しい起点として、同じ名前の民籍を開き直す。
手続き中も本人であることは変わらない。ただ、新しい契約や登記には制限がある。
私は何度も説明してきた。
今日ほど説明しづらかったことはない。
「つまり」
ユリウスは窓口の椅子に座ったまま、私の説明を聞いていた。
「私は私でも、三年前の地位や財産まで戻るわけではない?」
「はい。死亡後に適法に成立した手続きは、原則そのままです」
「アスター伯爵家は?」
「弟君が継いでいます」
「エドガーが」
「はい。爵位については王家の判断になります。復籍だけで自動的に戻りません」
「屋敷は?」
「本邸は残っています。王都邸は二年前に売却されています」
「私の馬は」
「そこまでは記録課では分かりません」
「君との婚約は」
「終了しています」
「そこだけ返事が早くないか」
「制度上、明確ですので」
彼はしばらく黙って、それから息を吐いた。
「……三年か」
その言い方で、やっと気づいた。
私には三年だった。
彼には、その三年がほとんどない。
北部戦線で意識を失った次の記憶が、昨日の大神殿なのだという。
私は葬儀に出た。
黒い服を着た。
婚約指輪を外せるまで半年かかった。
彼は、その半年を知らない。
「すまない」
ユリウスが言った。
「何がですか」
「簡単に元通りと言った」
私は返事に迷い、机の端に置いてあった砂糖菓子を一つ口へ入れた。
本当は来客中に食べてはいけない。
今日はたぶん許される。
「復籍手続きを続けましょう」
「ああ」
◇
ユリウスの財産関係は、思ったよりきれいに整理されていた。
死亡時の私有財産は弟エドガーと母親が相続。
軍からの弔慰金も支給済み。
個人口座は閉鎖。
王都邸は相続後に売却。
蘇生したからといって、返せとは言えない。
「別に取り返す気はない」
ユリウスは財産一覧を眺めながら言った。
「母とエドガーが困らなかったなら、それでいい」
「では、異議なしで記録します」
「ああ」
私は相続確認票の最後へ印を付ける。
次は債務。
死亡時点の借入。
保証契約。
未払いの軍装費。
一枚ずつ日付を追っていて、手が止まった。
「ユリウス様」
「今度は何だ」
「この債務申告、覚えがありますか」
紙を向ける。
債権者はハーグ商会。
金額は金貨一万二千枚。
添付された保証書の署名は、ユリウス・アスター。
債務発生日を見て、彼も黙った。
「霜月十三日」
「はい」
「私が死んだ翌日だな」
「そうなります」
「死んだあとでも、私名義の借金は増えるのか」
「少なくとも当課では初耳です」
署名自体は、本人のものに見えるらしい。
でも日付がおかしい。
しかも、この債務は相続財産からすでに一部支払われている。
「弟はこれを払ったのか」
「記録では、四千枚」
ユリウスの顔が変わった。
「エドガーを呼べるか」
「呼び出し権限はありません。ただ、異議申立てを出せば照会できます」
「出す」
「まず内容を確認してからです」
「私が死んだ翌日に借金しているんだぞ」
「ですから確認します」
昔の私は、彼が強い声を出すと一歩引いていた。
今は仕事中だった。
ユリウスは何か言いかけて、やめた。
「……君、変わったな」
「三年ありますから」
口にしてから、少し意地が悪かったと思った。
「そうだった」
彼は苦笑した。
◇
ハーグ商会から回答が来たのは三日後だった。
ユリウスは毎朝、窓口が開く前に来た。
一日目は早すぎて玄関前で待っていた。
二日目は差し入れに焼き菓子を持ってきて、同僚に全部配られた。
三日目には守衛に顔を覚えられていた。
「仕事はないんですか」
「蘇生したばかりの人間に仕事を求めるな」
「復籍前ですから、雇用契約もまだ難しいですね」
「ほら」
「威張るところではありません」
こういう会話だけは、妙に昔へ戻る。
でも、昔と同じではない。
私は夕方になれば一人暮らしの部屋へ帰る。
彼はアスター伯爵家の客室へ戻る。
婚約者だった頃のように、明日の予定を当然のように共有することはない。
三日目の午後、商会の担当者がやってきた。
灰色の髪の男で、名前をローデンといった。
「債務申告に添付された保証書は偽造ではありません」
彼は最初にそう言った。
「署名もアスター卿ご本人のものです」
「私はこの日には死んでいる」
ユリウスが言う。
「はい。問題はそこです」
ローデンは古い軍用伝票を机へ並べた。
北部戦線の終盤、ユリウスの部隊では薬が不足した。
補給隊を待てない場合に備え、部隊長だったユリウスは、緊急調達用の支払保証書へ署名していた。
上限は金貨一万五千枚。取引商会名と実額は、現地で調達が決まった時に記入する様式だった。
「これか」
ユリウスが紙を見て、眉をしかめた。
「署名は私のものだ」
ローデンが頷く。
「当商会は翌日、前線へ金貨一万二千枚分の薬品を納めました。本来の請求先は軍務院です。ところが王都支店で伝票を起こした際、請求先がアスター家として登録されてしまいました」
「どうして家が払ったんだ」
「戦地から遅れて届いた未精算費用だと判断されたようです。最初の四千枚が支払われたあと、残額は保留になっています」
私は軍用の保証書と、相続側へ回った債務申告を並べた。
片方には部隊長としての署名。
もう片方には、同じ名前が個人債務の名義として写されている。
「個人で借りた金ではありませんね」
「はい。請求先の登録ミスです」
「個人で借りた金ではありませんね」
「はい。処理の誤りです」
ローデンは頭を下げた。
悪意があったのかまでは、私には判断できない。
戦時中の帳簿は乱れている。
担当者はすでに商会を辞めていた。
ただ一つだけ明確なのは、ユリウス個人の借金ではないということだった。
「返済済みの四千枚は?」
「アスター家へ返還します。残額の請求も取り下げます。物資代については軍務院と改めて精算します」
ユリウスはしばらく伝票を見ていた。
「薬は部隊に届いたんだな」
「記録上は」
「なら、商会が丸損するのも違う」
「そこは軍務院との話になります」
私は言った。
「当課でできるのは、あなたの個人債務から外すところまでです」
「分かった」
ローデンが帰ったあと、ユリウスは椅子へ深く座り込んだ。
「死んだあとの方が面倒だな」
「上限付きとはいえ、先に署名した書類が残っていたからです」
「緊急調達用だったんだ」
「必要だったのは分かります。でも、実際に三年後まで揉めました」
「それは反省している」
「少しはしてください」
◇
復籍手続きが終わったのは、その翌週だった。
新しい身分証を渡す。
氏名、ユリウス・アスター。
生年月日は以前のまま。
復籍日は、大神殿が蘇生を確認した日。
「これで復籍完了です。新しい身分証も今日から使えます」
「ようやく役所にも生きていると認めてもらえた」
「大神殿では昨日から認めています」
「そういうところ、前より固くなったな」
「仕事ですので」
彼は身分証を財布へ入れた。
立ち上がったのに、帰らない。
「まだ何か?」
「一つ」
嫌な予感がした。
「婚約の件だ」
「終了しています」
「それは覚えた」
ユリウスは苦笑する。
「元には戻らない。それも分かった」
「はい」
「なら、新しく申し込むことはできるのか」
後ろの席で、誰かが紙を落とした。
私はそちらを見ないようにした。
「法的には可能です」
「可能性は?」
「何のですか」
「受けてもらえる」
「それは」
いつもの説明文が出てこなかった。
三年前なら、たぶんすぐ頷いていた。
今の私は、一人で暮らすことにも慣れた。
休日の予定を自分だけで決める生活も、もう特別ではない。
目の前にいる人は、確かにユリウスだった。
でも私も、三年前のリディアではない。
「蘇生記録課の管轄外です」
「役所としては?」
「回答できません」
「リディア個人としては?」
私は机の上の次の番号札を見た。
待っている人が二人いる。
「営業時間が終わってから聞いてください」
ユリウスが目を丸くした。
それから、昔と同じ顔で笑った。
「分かった」
「次の方を呼びます」
「ああ。またあとで」
彼は窓口を離れた。
私は番号札を一枚取る。
次の申請者は、七年前に死亡した六十代の女性だった。
夫はすでに再婚している。
書類の束は、さっきより厚い。
「次の方、どうぞ」
次の書類を開く。
夫の再婚届と、相続済みの家屋が一件。
さっきより確認欄が多い。
私は新しい用紙の一行目に、申請者の名前を書いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「蘇生魔法が本当にある世界なら、生き返ったあとの戸籍や相続、婚姻はどうなるのだろう」というところから作った職業ものです。
蘇生そのものではなく、戻ってきた人と、戻ってくるまでの時間を生きた人の両方を扱う仕事を主人公にしました。
楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで反応をいただけると、今後の作品づくりの参考になります。
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