黒猫らんたん
黒猫と、へんなやつ
その黒い野良猫は腹が減っていた。
ここしばらく、ろくなもんを食った記憶がない。
前に食ったのはなんだっけ?と首をかしげたものの、その小さな脳みそでは覚えているはずもない。
とにかくそんな彼にとって、それはテンからのメグミのようなものだった。
ついでにいえば、彼に生とか加熱とかそういう概念もなかった。
「痛たたっ!なにするんだい君はっ」
しかし、かぶりついたそれがそう叫んだときは、さすがにびっくりして獲物を取り落とした。
てっぺんに黒猫の歯形をつけたそれが、ぷんすか怒りながら抗議してきた。
「まったく、人に噛み付いておきながら謝罪のひとつもないとは・・・なんとも嘆かわしい。まあジャックは人ではないがな」
オレンジ色の頭。
いびつに彫られた、空虚で少しおっかない顔。
それがふわりと宙に浮くと、その下には黒い布がマントのように垂れ下がっていた。
黒猫はぱちくりと目を瞬いた。
さっきまでぺっしゃんこだったその布が、まるで中身があるかのようにふよふよと動いた。
「ん?黒猫くん。まるで妖怪でもみたような顔をしてるね。なんかようかい?なんつって」
リアクションのない黒猫に、コホン、とそれが気まずそうに咳払いをした。
「トリックオアトリート!黒猫くん・・・自分はジャックと申す者。
どうだろう、よければジャックとハロウィンパーティーをしないかい?」
街は彼と同じような顔のついたランタンがあふれかえっていた。
黒猫はそれらを見つけるたびにかぶりつきたい衝動にかられたが、その都度ジャックに止められた。
「ご馳走はもう少々お待ちいただきたい。
だいたいあれらは生かぼちゃ。喰っても美味くはないよ」
調理すればいいってもんでもないがね、とジャックはケラケラと笑う。
仮装をした子どもたちと何度もすれ違う。
しかし子どもにしてはやけに小さい、黒猫を連れたかぼちゃ頭のジャックを気にするものは誰もいない。
「今宵はハロウィン。
妖のひとつやふたつ、うろうろしていたところで気にするものはおるまいて」
ジャックは、そこらに落ちていた木の枝をステッキのように振り回しながらおどけている。
「せっかくだし、人の文化にも触れてみようか」
子どもたちに紛れて「トリックオアトリート!」と叫んでは、子どもたちが聞き慣れぬ声に戸惑うのを門の陰でケラケラと笑って見守る。
黒猫も真似してみたが、にゃおーんと言葉にならない泣き声が響くだけだった。
そんな不十分な決まり文句を聞いたジャックは、ひとしきり笑ったあと、急に真面目な声で言った。
「弱ったな黒猫くん、ジャックはお菓子を忘れてきてしまったんだ。
というわけで、存分にジャックにいたずらしたまえ」
悪戯と言われてもとっさには思いつかなかった黒猫がジャックをかぷりと甘噛みすると、ジャックは「おっとそう来たか。ただし噛み切るのだけは止めてくれ」と冷静に答えた。
黒猫もジャックの頭は固くて美味しくないことがわかっていたので、すぐに彼を解放した。
そうやって1人(?)と1匹は悪ふざけをしながら街を歩いていたのだが、ふと小路に入ったとたん、街の明かりはぐんとその数を減らした。
少し怖くなった黒猫は、ととっとジャックに駆け寄るとその傍に寄り添った。
「なぁに黒猫くん、おびえることはない。ジャックがついている」
そう言いながらジャックが手を差し出した(ように見えた)。
黒猫はなんともなしにそれに触れた瞬間、ぐぅん、と視界が急に高くなる。
「うむ、黒猫くん。その方が男前でよろしい。
ジャックとも話しやすくなったろう」
ジャックの手(?)を借りて二足歩行になった黒猫は、少し照れたように頭をかいた。
「ではお待ちかね。
ハロウィンパーティとしゃれ込もうか」
ジャックのマントの隙間から、ぱちんと指を鳴らす音が聞こえた。
一瞬にして、辺りは光に包まれる。
そこは広場だった。
色とりどりのキャンドルがふわふわと浮いており、中央にそびえ立つ針葉樹にはオレンジ色の電飾がぎらぎらと飾りつけられていた。
「あの木はもうしばらくすると、クリスマスツリーになるのだよ。
この広場の主と言えるね」
見渡すと、広場を中心にたくさんの店が並んでいる。
呼び込みの声に振り返ると、なんとミイラ男がポップキャンディーを差し出した。
「今宵はハロウィン。くれると言うのだから、有難くもらっておきたまえ」
黒猫は“いつあの決まり文句を言われるかわからぬから”という意味で言ったのだろうと思ったが、その心配は杞憂だった。
彼らは寄ってたかって黒猫にお菓子を差し出すのだ。
“ハッピーハロウィン!黒猫くん!”
そう言いながら。
差し出してくる者たちもミイラ男だけではない。
魔女のコスチュームを纏った者、お化け、死神というハロウィンでは定番の者はもちろん、ピエロやピクシー、フランケンシュタインやヴァンパイアまでいる。
持ちきれないほどのお菓子を抱え、黒猫が困ったようにジャックを見ると、彼は誰にもらったのか、まふまふとパンプキンケーキを食べ(?)ていた。
空洞になった口のまわりに、小さなケーキくずをくっつけたまま。
「うむ黒猫くん、君はどうやら彼らにそうとう好かれたようだ」
広場のすみっこに陣取り、もらったお菓子を頬張る。
どれもこれも美味しくて、黒猫は夢中になって食べた。
へんてこなことに、いくら食べてもお腹いっぱいにならなかった。
「楽しい。実に楽しい・・・昨年のハロウィン、ジャックは1人だったのだよ。
誰かと過ごすハロウィンとは、実に心ときめくものなのだね」
ジャックは空洞になった口にプレッツェルを差し込み、かりこりと音を立てながら言った。
黒猫はその通りだと思った。
もっともっとここにいたいと、いつまでもジャックとハロウィンならいいのに、と。
「だがね、黒猫くん。ずっとハロウィンというわけにはいかないのだよ。
ここにあるのは、妖のための仮初めの時間」
ジャックはふっと上を見上げた。
空には、まぁるいまぁるいお月さま。
「ほら、もうすぐだ。
・・・月があの木のてっぺんにたどり着いたら、そこで終わり。
“君”は帰らねばならない」
黒猫はジャックの袖をつかみ、いやいやと首を振った。
帰らなきゃならないならそれでもいい。
だけど・・・今の言い方では、まるでジャックは一緒に来てくれないみたいだ。
そんなのは嫌だ。
「約束しよう、黒猫くん。
毎年ハロウィンになったら、必ず君に会いに来よう。
そしてまた一緒に、ハロウィンをしようじゃないか」
そっとジャックが差し出した手を、黒猫は少しためらいがちに触れた。
「約束げんまん、だ」
黒猫がこくんと頷くと、ジャックが笑ったような気がした。
気がつくと黒猫は、ジャックに噛み付いたあの場所に戻ってきていた。
・・・まるで時間が遡ったみたいだ。
黒猫は、あんなにたくさんお菓子を頬張ったのにお腹がすいていることが何より不思議だった。
「わぁっ、ねこさんだ!」
子どもの声にびっくりして振り返ると、通りがかった小さな魔法使いが黒猫をふわりと抱き上げた。
にゃおーん、と黒猫はとっさに鳴いた。
「わぁすごい!ちゃんとあいさつした!
・・・こんばんわ、ねこさん。トリックオアトリート!」
黒猫はもうお菓子を持っていなかったので、そのまま大人しくしていた。
きっとこの子は黒猫にいたずらするだろう。
だってそれが、ハロウィンのルールなのだから。
「ママ、おうちにつれてかえってもいいでしょ?」
幼い少女と一緒に家々を巡っていたらしい同じく魔女の仮装をした母親が、黒猫を見ながらそうねぇとつぶやいた。
「・・・ねぇ黒猫さん。
もし帰るおうちがないのなら、うちにいらっしゃいな。あなたのために、あったかいミルクを用意するわ」
そう言って母親は、何かを地面から拾い上げた。
それは、てっぺんに猫の歯形のついた小さなジャックオランタン。
今宵はハロウィン。
ジャックからの“イタズラ”はお気に召していただけたかな?
母親の手の中のランタンが、そうつぶやいたような気がした。
昔書いた一次創作のなかでは、わりと気にいってます。




