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第7話:断罪の場の崩壊と、悪役令嬢の追放劇

運命の朝が訪れた。王都中央広場。この場所は、全ての貴族と王国民の視線を集める公開断罪の舞台へと変貌していた。夜明け前から集まり始めた群衆は、傲慢な悪役令嬢セシリア・アストリアの華々しい破滅を一目見ようと、期待と恐怖、そして生々しい好奇心に満たされていた。


セシリア(誠)は、公爵邸の馬車に揺られながら、最後の作戦を脳内で反芻していた。彼女の身体は、純白のドレスに包まれていた。それは、「清らかさ」を意味するのではなく、「最も穢れた悪役が着る、最後の皮肉な衣装」としての自己演出だった。宝石も装飾品も全て売却し寄付したため、首元には何も光るものはない。その姿は、「悪逆非道だが、哀れなほどに落ちぶれた罪人」という印象を人々に与え、処刑という強硬な結末への国民の感情をわずかに揺さぶるための、最後の保険だった。


馬車の中で、侍女のマルティナは涙で顔を濡らし、セシリアの手を固く握りしめていた。


「セシリア様……どうか、どうか、ご自身の潔白を叫んでくださいませ。王族の御前で、真実を……」


マルティナの震える声に、セシリアは氷のように冷たい、そしてどこか諦観した笑顔を向けた。


「無駄よ、マルティナ。わたくしが悪役令嬢として、無傷で帰れるはずがないでしょう。わたくしが望むのは、『悪役令嬢セシリアの、華々しい破滅』という結末だけ。貴女の涙は、その結末をさらに美しく彩るわ」


(俺の目的は、処刑を回避し、追放という形で生き残ること。そのためには、ディラン王子に『俺を憎みきれないわずかな同情』と、『俺を処刑できない決定的な屈辱』を与える必要がある。ライオネルが動くタイミングは、まさに今だ)


セシリアの心は、完全に作戦の遂行に集中していた。この孤独な戦いは、もうすぐ最後の瞬間を迎える。


馬車が止まり、セシリアは護衛の騎士に連行され、壇上へと上がった。目の前には、ディラン王子。王族の威厳ある礼装に身を包んでいるが、その顔には、隠しきれない疲労と迷いが刻まれていた。セシリアの全財産寄付の報は、既に彼の耳にも入っているはずだ。


セシリアは、王子の迷いを確信に変えるため、あえて高らかに、傲慢な声を発した。


「ディラン殿下。わたくしの処刑を、さぞ楽しみにしていらっしゃったのでしょう。わたくしとしたことが、貴方様の楽しみを、長く待たせてしまいましたわね」


その挑発的な言葉は、広場全体に響き渡り、群衆の興奮を一気に高めた。王子は、セシリアの態度に怒りを露わにしながらも、断罪の宣言書を手に取った。


「セシリア!貴様のその態度はなんだ!最後まで反省の色がないか!」


王子は、震える声で罪状を読み上げ始めた。その震えは、怒りだけでなく、「この断罪が本当に正しいのか」という、彼の心の奥底にある迷いを反映していた。


「セシリア・アストリア!貴様は、長年にわたり、王族への不敬、聖女イリス嬢への悪質な嫌がらせ、そして公爵令嬢としての立場を乱用し、国を乱した!よってここに、貴様に公爵令嬢の称号を剥奪し、…」


王子が、セシリアの「運命」を決定づける「追放」という言葉を口にしようとした、まさにその刹那。


広場の端、王宮の裏門から、激しい怒号と、騎士の金属鎧が擦れる甲高い音が響き渡った。


「待て!ディラン殿下!その断罪は、腐敗した陰謀によって歪められています!」


黒いマントを纏い、剣を握りしめたライオネル騎士団長が、数名の忠実な騎士と共に、壇上へと駆け上がってきた。彼らが引き連れていたのは、王宮の財務官、ガレス侯爵令息、そして複数の腐敗派閥の主要メンバー。彼らは、血まみれの鎖で拘束され、顔は恐怖と屈辱に歪んでいた。


壇上は一瞬にして、断罪の場から緊急逮捕の場へと変貌した。


「ライオネル!貴様、何事だ!断罪の儀式を妨害し、騎士団の私兵を動かすとは、貴様こそ反逆者か!」


ディラン王子の怒りの声が広場を震わせたが、ライオネルは跪くことなく、セシリアから託された魔導具の記録板を天に掲げ、高らかに叫んだ。


「殿下!これが、私が命を賭けて得た真実です!ガレス侯爵令息を筆頭とする腐敗派閥は、偽造通貨を流通させ、王国の経済を崩壊させようと企んでいました!彼らは、セシリア令嬢の冷酷な振る舞いを悪用し、『悪役』という虚像を作り上げ、全ての悪事をセシリア様になすりつけようとしていたのです!」


ライオネルが公開した魔導具の記録は、偽造通貨の取引記録、王子の署名を偽造した文書、そしてセシリアを貶めるための虚偽の報告書の数々を、光の文字として広場中に映し出した。


セシリアの孤独な献身(影の功績)は、ライオネルの忠誠という媒介を通じて、皮肉にも、セシリアを断罪する場で、国を救う真の光となった瞬間だった。


広場に集まった群衆は、「悪役令嬢が囮だったのか」「まさか、王子の側近が黒幕だったとは」という、衝撃的な真実に息を呑み、どよめきは一瞬にして深い混乱へと変わった。


ディラン王子は、拘束されたガレス侯爵令息と、その隣で静かに佇むセシリアを交互に見つめ、全身から血の気が引くのを感じた。自分が最も信頼していた側近が、自分が最も憎んだ悪女を陥れ、国を蝕んでいたという、矛盾と屈辱の極み。


「ガレス……貴様……!真実を言え!」


ガレスは、震える声で否定を試みるが、ライオネルの騎士たちが素早く沈黙させた。王子は、自らの無能と、判断の誤りによって、自分が愛する国と、公爵令嬢の名誉を危機に晒した事実に、激しい後悔に苛まれた。彼は、セシリアを断罪しようとした自分の手が、まるで汚れた血に染まっているかのように感じた。


混乱が続く中、聖女イリスが静かに一歩前に進み出た。その純粋な存在感は、血のように赤く染まった逮捕劇の中で、一層眩しく輝いていた。


イリスは、セシリアに向けられた疑惑を、決定的に打ち消す言葉を口にした。


「ディラン殿下。ライオネル騎士団長の報告は、真実でございます。そして、私からも、セシリア様に関する、もう一つの真実を申し上げたい」


イリスは、セシリアが最も隠したかった「最後の悪役行動」の真意を暴露した。


「私は、セシリア様が追放される辺境の教会の、子供たちへの莫大な寄付が、匿名で行われた事実を知りました。そして、その寄付金は、セシリア様が公爵令嬢として最後に残した全財産と一致します」


会場のざわめきが、驚愕の悲鳴へと変わった。極悪の令嬢が、処刑を前に全財産を清算し、貧しき民に分け与えた。この矛盾した行動は、誰もが知る「セシリア・アストリア」という人物像を完全に否定するものだった。


イリスは、セシリアの顔をまっすぐ見つめ、その目に強い決意を宿した。


「セシリア様は、悪役令嬢として振る舞うことで、ご自身を囮にし、この腐敗派閥の悪意を全てご自身の身に引き受けようとしていたのです!私は、古い禁書を読み解きました。それは、光の聖女と対をなす、『影の聖痕インビジブル・サイン』の伝説。その聖痕を持つ者は、誰にも知られず、永遠の孤独の中で献身する運命にある。セシリア様の行動は、全てその伝説と一致するのです!」


イリスは、セシリアの「裏切り」の秘密(ライオネルとの密会記録)を知りながらも、セシリアの「献身」を信じることを選んだ。彼女の光の聖女としての勘と、純粋な探求心によって、セシリアこそが、自らを悪として葬ることで国を救った真の救済者であると確信したのだ。


ディラン王子は、イリスの言葉に、全身の力が抜けていくのを感じた。自分が愛した聖女が、自分が憎んだ悪女を、「影の聖人」と呼んでいる。そして、自分が断罪しようとした悪女が、自らの破滅を代償に、全てを解決していたという、残酷な真実。


王子の瞳は、もはやセシリアへの憎悪ではなく、深い混乱、後悔、そして、拭い去れない罪悪感の色へと変わった。広場の群衆の視線は、セシリアへの罵倒から、畏怖へと変質していた。


セシリアは、ライオネルとイリスの行動により、「処刑」が完全に回避され、「追放」へと変質したことを悟った。しかし、イリスに「影の聖人」という正体を感づかれたことは、セシリアにとって最大の誤算だった。彼の献身は、誰にも知られないことで初めて完結するはずだったからだ。


セシリアは、混乱に乗じて「追放」という結末を確定させるため、最後の、最も残酷な悪役の演技に打って出た。


彼は、膝から崩れ落ちそうになっているディラン王子を、冷たい視線で見下ろした。


「ふふふ……聖女イリス嬢に、憐れみをかけられてしまいましたわ。情けない。わたくしがこの腐敗派閥を囮にしたのは、国のためなどではない。全ては、わたくしの傲慢な正義感と、貴方様への復讐心のためですわ」


セシリアは、あえてイリスの告白を否定し、悪役の役割を強調した。


「そして、ディラン殿下。貴方様は、自分が断罪しようとした女に、命を救われたという、生涯消えることのない汚点を背負うことになりました。貴方のような、側近の裏切りにすら気づかない、愚かで未熟な王族のために、わたくしの命を賭けるほど、暇ではありませんでしたのよ」


この言葉は、ディラン王子の王族としての尊厳を、公開の場で完全に打ち砕いた。王子の顔は、怒り、後悔、そして底知れない屈辱によって歪み、もはや正気を保っていなかった。彼は、セシリアを目の前にして、自らの王族としての存在価値を否定されたのだ。


「セシリア……貴様……!貴様だけは……!」


王子は、セシリアの行動と、イリスの告白、そして腐敗派閥の逮捕劇という、全ての情報が嵐のように押し寄せ、完全に冷静さを失った。処刑すれば、「国を救った恩人を殺した暴君」という汚名を着る。無罪にすれば、「自分を侮辱した悪女を許した弱者」という屈辱を味わう。


王子は、断罪の宣言書を壇上に叩きつけ、絞り出すような声で、セシリアの「運命」を決定づけた。


「セシリア・アストリア!貴様は、王国の秩序を乱し、王族の権威を貶めた!その罪は、万死に値する!しかし、この混乱の中、貴様を処刑することは、さらなる混乱を招く!よって、貴様に、公爵令嬢の称号を剥奪し、辺境の監獄への――永久追放を命ずる!」


処刑ではなく、永久追放。セシリアの計画は、「悪役の華々しい破滅」という形で、見事に成功した。


セシリアは、静かに騎士の腕に拘束された。彼は、最後にマルティナとライオネル、そしてイリスに、「悪役」として無言の別れを告げた。ライオネルは苦痛に顔を歪め、イリスは涙を流しながらも、セシリアの背中に向かって「真の聖人」という無言の祈りを捧げた。


セシリアは、壇上から連行されていく中、ディラン王子を一瞥した。王子の瞳には、もはやセシリアへの憎悪はなく、自分自身の愚かさに対する、深い後悔と、底知れない迷いに満たされていた。


(これでいい。俺は、悪役として国を救い、悪役として追放される。この孤独な役回りは、誰にも理解されないまま、辺境へと続く)


セシリアの孤独な流浪の旅は、ここから正式に始まる。広場に残されたのは、正義と悪の境界線が曖昧になった、深い混乱と、静かな沈黙だけだった。

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