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第6話:忠誠と愛と自己犠牲

公爵邸の裏庭での秘密の面会から一夜が明けた。ライオネル騎士団長は、自室の窓辺に立ち、昇る朝日に目を細めていた。彼の手に握られているのは、セシリアから渡された『星の雫』ブローチ。その内部には、ガレス侯爵令息の不正記録と、彼自身と聖女イリスの密会の詳細な記録という、二つの爆弾が収められている。


(セシリア令嬢……あの女は、一体何者なんだ)


セシリアの提案は、あまりにも常軌を逸していた。「自ら断罪され、処刑されることで、国を救い、自分たちの秘密を守る」という、究極の自己犠牲。彼女の瞳に、悪意や嫉妬の色は微塵もなかった。あったのは、ただ「使命」と、「割り切られた孤独」だけだった。


ライオネルは、自身の魂に問いかけた。


(俺はディラン殿下の忠実な騎士だ。殿下はセシリア令嬢を憎んでいる。しかし、殿下は腐敗派閥に欺かれている。セシリア令嬢を処刑すれば、殿下は真実を知ることなく、さらに深い闇に引きずり込まれるだろう)


セシリアの提供した証拠は、本物だった。ライオネルは既に、ガレス侯爵令息が偽造通貨に関与している傍証を掴んでいたが、ここまで決定的な証拠はなかった。この証拠を王子に提出すれば、王子はガレスを罰するだろう。しかし、王子の怒りはセシリアに向けられたままだ。


(セシリア令嬢の計画に乗るしかない。彼女が言う通り、彼女が悪役の汚名を被ることで、イリス様と私の愛は守られる。そして、腐敗派閥の打倒という国への忠誠も果たせる)


ライオネルは、イリスへの愛と、国への忠誠、そしてディラン王子への忠誠の間で激しく揺れ動いたが、最終的に、「イリスを守り、国を守る」という、彼にとって最も重要な二つの命題を優先することを選んだ。


彼は、ブローチを深く握りしめた。


「セシリア令嬢……貴女の献身、無駄にはしない。貴女の望み通り、この証拠を中立派閥へと届けよう。そして、貴女の命と名誉を犠牲にして得た、この国の救済の機会を、必ず活かしてみせる」


ライオネルは、王子への忠誠を一時的に裏切るという苦渋の決断を下し、セシリアの計画に乗ることを決意した。彼は、騎士団長としての地位を賭け、王宮の裏側で静かに動き始めた。


ライオネルの動きを知る由もないセシリアは、公爵邸の自室で、断罪までの残り時間を使って「最後の悪役」を演じる準備を進めていた。


(ライオネル騎士団長は、必ず動く。彼のイリス嬢への愛と、騎士としての正義感は、俺の【状況把握の極】が保証している。問題は、彼が動いた後、俺がどう処刑エンドを回避するかだ)


セシリアは、処刑を回避するつもりはない。回避すれば、せっかくの「悪役令嬢セシリアの破滅」というインパクトが失われ、腐敗派閥は再び表舞台に舞い戻るだろう。セシリアの目的は、処刑の実行を、追放という「曖昧な終わり」に変質させることだ。


彼は、マルティナを呼びつけた。


「マルティナ。わたくしの所有する、全ての装飾品と美術品を、リストアップしなさい。そして、今日中に全てを売却し、その現金を全て孤児院、そして貧しい教会に匿名で寄付しなさい」


マルティナは、絶句した。


「セシリア様!?それは、公爵令嬢としての貴女様の全財産でございます!断罪された後、貴女様が生きるための資金が……」


「そんなものは不要よ。わたくしは、悪役令嬢として無一文で破滅したいだけだ。それに、わたくしの汚れた金など、身につけても、飢えた民の目を眩ませるだけだわ」


(悪役令嬢が、断罪直前に全財産を寄付する。この情報が広まれば、「最後の贖罪か?」と、国民の間に微かな同情が生まれる。そして、この行動は、ディラン王子に「反省の色が見える」と思わせ、処刑という強硬策を躊躇させるための、最後の保険だ)


セシリアは、私利私欲を完全に捨て去り、「悪役」として破滅する役回りを、最後まで徹底していた。その献身的な行動は、冷血な命令という包装紙に包まれ、誰にも、そして一番近くにいるマルティナにも、理解されない。


マルティナは、セシリアの冷酷さと、その行動の矛盾に涙を流した。


「セシリア様……なぜ、そのような…」


「うるさいわね。わたくしの命令に従いなさい。さもなくば、貴方を解雇するわよ。汚れた金は、早く汚れた場所から遠ざけたいのだから」


セシリアは、心を鬼にし、マルティナを冷たく突き放した。その瞬間、彼の心は、誰にも理解されない孤独に深く苛まれた。彼は、誰にも看取られることなく、己の「断罪」を、粛々と受け入れる準備を進めていた。


一方、大神殿にいる聖女イリスは、セシリアの奇妙な行動に、ますます深い違和感を抱いていた。


(セシリア様が、全財産を売却して、匿名で寄付を……?そして、その寄付金が、私ではなく、辺境の教会や孤児院に送られている?)


イリスは、セシリアの行動が、「私を嫌がらせる」という単純な動機だけではないことを確信し始めていた。特に、セシリアが晩餐会でガレス侯爵令息に放った「偽物」という言葉と、直後に王宮でガレス侯爵令息の不正に関する噂が広まり始めたこと。


(あの噂は、セシリア様が流させたものだとしたら?まるで、悪役のフリをして、王宮の闇を暴いているみたいだわ……)


イリスは、誰にも言えない疑惑を抱え、夜中の大神殿の庭を一人で歩いていた。彼女は、セシリアへの嫉妬や憎悪といった負の感情が、「真実を知りたい」という好奇心と、「孤独なセシリアを理解したい」という共感へと変わりつつあるのを感じていた。


その時、一人の少年がイリスに駆け寄ってきた。


「聖女様!昨日、公爵邸の裏庭で、黒いマントの騎士と、金髪の貴婦人が、何か秘密の取引をしていたのを見たんだ!」


少年の言葉に、イリスの心臓は激しく高鳴った。


黒いマントの騎士、それはライオネル。 金髪の貴婦人、それはセシリア。


(ライオネルとセシリア様が……秘密裏に接触?ライオネルは、セシリア様を強く警戒していたはず。それに、ライオネルは、私の秘密の恋人……)


イリスは、セシリアの「裏切り」ではなく、セシリアの行動の「献身」と「秘密の取引」が、自分の愛するライオネルの命に関わっていることを直感した。


イリスは、ディラン王子との婚約、王宮での聖女の役割という「光の責務」を捨て、「真実の探求」という危険な道を選ぶことを決意した。


「ありがとう、坊や。今、その騎士と貴婦人が何をしていたのか、調べに行くわ」


イリスは、大神殿の裏にある、誰も使わない古い図書室へと急いだ。その図書室には、「王国の裏の歴史」に関する、禁書が保管されていることを知っていた。その中には、「光の聖女」と対をなす、「影の聖痕インビジブル・サイン」の伝説が記されているはずだ。


(セシリア様……貴女は、一体誰なのですか?そして、貴女が犠牲にして守ろうとしているのは、一体何なのですか?)


イリスの目には、聖女の光ではなく、真実を求める探求者の炎が宿っていた。


セシリアは、全ての寄付の手配を終え、断罪の日を待つだけとなった。彼は、静まり返った公爵邸の自室で、豪華なベッドに横たわっていた。


彼は、今一度、自分の女性の肉体に、意識を集中させた。


(ああ、これで、俺は終わりだ。佐藤誠としての人生も、セシリア・アストリアとしての人生も……)


男性だった頃の自分が愛した女性の身体の感触。そして、今の自分が持っている、この美しいが、自己ではない女性の肉体。この二つの間に横たわる、決して埋まらない溝。


セシリアは、そっと自身の、華奢な鎖骨に指を触れた。その下に流れる血液は、前世と同じ「佐藤誠」の魂を宿している。しかし、その魂を包む器は、「悪役令嬢セシリア」という、完全に異なる存在だった。


(この体は、俺が世界を救うための器だ。この体で献身を続けた結果が、断罪と処刑だ。これ以上、この肉体が俺に、個人的な苦悩を強いる必要はない)


セシリアは、「女性の肉体」への違和感と葛藤を、「使命を全うした後の諦念」という形で受け入れた。彼は、この肉体が持つ官能的な美しさも、聖なる力の源も、全てを「道具」として割り切ることを選んだ。


彼は、静かに呟いた。


「全て終わる。俺の孤独な戦いも、この肉体との葛藤も……。さあ、来い。ディラン王子。俺を断罪し、この物語に、悪役令嬢の破滅という結末をもたらしてくれ」


その時、彼の胸元の『星の雫』ブローチが、一瞬、微かな光を放った。それは、ライオネル騎士団長が、セシリアから受け取った証拠を、大神殿の中立派閥に提出したことを示唆する、魔力の共鳴だった。


セシリアは、静かに目を閉じた。


(これで、俺の計画は最終段階に入った。ライオネルが動いた。あとは、ディラン王子が、腐敗派閥の逮捕劇と、俺の最後の悪役行動(寄付)に、どう反応するかだ)


セシリアは、「自分の命を犠牲にする」という献身の道を、完全に受け入れた。彼の孤独な戦いは、運命の断罪の日へと、静かに収束していく。

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