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短編

婚約破棄でよろしいのですね?~私の正体はこの国を守る竜神ですが、それならべつの国に行かせていただきます。あとは勝手に破滅してください~

作者:

 エンゲイト王国は周りを海に囲まれた小さな島国だ。


 豊かな金脈があり人々は豊かな暮らしをしている。その最たるものが国王の住まいである城。栄華を極めた大広間ではろうそくの明かりがゆらゆらと揺れ、壁に長い影を落としていた。


 とある令嬢──シンデリアは硬い粗末な木の椅子に座らされ、目の前の光景にひたすら耐えていた。


 大きなテーブルの向こうでは婚約者のマーティンが豊満な肢体を持つ愛人を膝に抱き、ワインを飲んで下品に笑っている。その笑い声が広間に響き、シンデリアの胸を何度も打った。


 壁にはタペストリーがかかっている。

 描かれているのは、百年前に災害に襲われたこの国を一匹の竜が守ったシーンだ。しかし、だれもそれに目を向けない。


 王妃はシンデリアの顔を冷たく見つめ、鼻で笑った。


「こんな女が婚約者なんて、マーちゃんがほんとにかわいそう。子供を産んだらその子も火傷があるんじゃなくて?」


 シンデリアは唇を噛みしめた。彼女の顔の額から頬にかけてはケロイド状の火傷痕がある。


 国王も彼女を一瞥し、冷たく言いはなつ。「子供など産ませるものか。こんな傷物の女に」


 シンデリアとマーティン。ふたりの婚約にはある意図があった。


 シンデリアは名門貴族のひとり娘。しかし顔に傷のある彼女は貴族たちの間で『醜い』とさげすまれていた。

 そんな不幸な彼女を娶ろうとすることで、王家は自分たちの慈悲深さをアピールしたのだ。実際に『あんな醜い女を婚約者にするなんて……』なんてお優しいのだろう、とマーティンの評判は上がった。


 マーティンが一度も彼女を婚約者として扱わなくても。

『火傷の女』と呼び、冷たくあしらいつづけ、愛人とじゃれあうところを見せつけていても。


 夜は当然、マーティンの寝室には呼ばれない。

 そのことが悲しいのではない。形だけとはいえ婚約者となりながら、そんな冷たい扱いをされても仕方ないと思われていることが悲しいのだ。


 屈辱の夜が明け、シンデリアは薄い灰色のベールをかぶって顔の傷を隠すと城を抜けだした。


 港町の市場は魚のにおいと商人たちのにぎやかな声であふれていた。シンデリアは人ごみの中を歩き、潮風に髪をなびかせる。


 ……気持ちいい。


 このまますべてを忘れてどこか遠いところへいけたらどれだけ幸せだろう。

 でもそれはできない。なぜなら、シンデリアは……。


「あ────」


 突然、目の前がぐらりと揺れた。一年以上も虐げられてきた彼女の体と心はもう限界に達していた。


 シンデリアの細い体がその場に崩れおちた。

「だいじょうぶか?!」と駆け寄りかけた商人や通りかかりの客が、ベールがはらりと落ちて露になったシンデリアの顔を見てひっと息を呑む。


「化け物だ……!」

「おい、こいつはひょっとして王太子さまの婚約者じゃないのか?」

「噂には聞いてたがひでぇ顔だな。こんな女を城に置いとくなんて、マーティンさまは優しすぎる……」


 だれもひそひそとささやきあうばかりで手を差し伸べない。シンデリアはぐらぐらと視界が揺れる気持ち悪さに耐えていた。


 ──優しい? だれが……!


 心の中で言いかえしたとき、ひとりの青年が人混みをかきわけて近づいてきた。


「だいじょうぶですか?」


 黒髪の青年だった。この国ではあまり見ないデザインの外套を脱ぐと、彼はシンデリアのそばにひざまずいてそっと彼女の体にかける。


「馬車を呼びました。すぐに病院へ連れていきますからね」

「あ……」

「ひどい熱だ。風邪かな……」


 彼はシンデリアの額に手のひらをあてると気づかわしそうにつぶやく。火傷の跡が見えていないかのように。


 そのあとシンデリアは馬車で近くの病院まで連れていかれたが、医者は彼女が王太子の婚約者だと知ると過剰なまでのサービスをした。媚びた笑いとともに栄養剤を注射され、薬を大量に処方されてから病院の外にでると驚いたことにまだあの黒髪の青年がいた。


 彼はシンデリアを見るとにこりと笑う。


「顔色、よくなりましたね」

「ずっと待っていてくださったのですか……?」


 シンデリアが病院に入ってから三時間以上は経っている。

「体調の悪い方を置いていくようなことしませんよ」と純朴そうな笑顔で彼は微笑んだ。そして言う。


「お城までお送りします、……王太子妃さま」


 彼の茶色い瞳は優しく──そして、さびしそうに光っていた。


 彼の名前を聞き忘れた。そのことに気づいたのは、遠ざかる馬車の音を城門で聞きながらだった。


 ──その夜。


 マーティンに呼びだされて謁見の間へ行くと、王と王妃まで待ちかまえていた。マーティンはぎろりとシンデリアを睨みつける。


「あの男はなんだ?」

「え?」

「とぼけるな。おまえが黒髪の男と街で抱きあっていたところを見ていたものが何人もいるのだぞ!」


 ……抱きあっていた? まさか、体調を崩して倒れて介抱されていたのをそう呼んでいるの?

 シンデリアはぽかんとする。


「火傷の女のくせに不貞とは。ほかにもらい手がないからもらってやったのにその恩を忘れたのか? 恥を知れ!」


 王妃は冷笑する。「私のかわいいマーちゃんを裏切るなんて。信じられないわ」


 国王も「恥知らずだな。ふん、これで顔がよければ我輩の愛人にしてやってもよかったが」と鼻を鳴らした。


「まあ、あなたったら!」

「──とにかく」


 マーティンは怒りを抑えきれずに怒鳴る。


「おまえとの婚約は破棄させてもらう。いますぐにこの城をでていけ。いや、この国もだ! 二度とこの国の土壌を踏むな、恩知らずの火傷女め!」


 シンデリアは静かにまぶたを閉じた。


 ──これも宿命。そう思って、ずっと耐えつづけていたけれど。


 マーティンたちはずっとシンデリアを切りすてる理由を探していたのだろう。今回のことは都合がよかったというわけだ。


 自分たちの評判をあげるために利用して。挙句の果てに、面倒になったら理由をこじつけて一方的に婚約破棄してくるなんて。


 ──もう、仕方ない。


 目を開けた彼女はもういままでの彼女ではなかった。金色の瞳が鋭く光る。


「ええ、つつしんでお受けいたします」


 低く響くその声に大広間の空気が静まりかえった。


「ですが──その前にひとつだけ」


 シンデリアはゆっくりと言葉をつづける。


「私は竜の一族です。百年前、この国を救ったのは私の祖父。かつて、あなたたちの先祖は国を救ってくれた礼だと言って私の祖父をもてなしてくれました。それに喜んだ祖父は孫の私にこの国を守るよう言いました。

 ただし──ひとつ条件をつけて」


 だれかがごくりと唾を飲みこんだ。


「人は変わる。だから、百年前と同じ優しい心をこの国の人々がいまも持っているか確かめたい。それで私は人間に姿を替え、顔に傷がある女としてあなたたち王族に近づいたのです。あなたたちが外見で態度を変えないような人間かどうか試すために」


 マーティンはぽかんと口を開けた。

 王は「な、なにをバカなことを!」と叫ぶ。王妃は言葉もないようだった。


 それを無視し、シンデリアは冷たく言いはなった。


「近日中、この国は百年前と同じ災害に見舞われます。竜の力がなければ抗うことすらできず破滅するでしょう。

 でも私はもうこの国の土壌を踏むことすらゆるされないのでしたね? ならば仕方ありません。皆さまだけでがんばってください」


 彼女の体が淡い光に包まれた。銀髪がふわりと舞う。「──いままでありがとうございました。さようなら」


「ま、待て! やけ──シンデリア!」


 次の瞬間、巨大な竜の幻影が広間に浮かんだかと思うとシンデリアの姿は消えた。


 残された王族の者たちは呆然とし、壁にかかったタペストリーの竜だけが現実を受け入れているかのようだった。


 この国を守るものはだれもいなくなったという現実を。





 数年後。エンゲイト王国から離れたある国にて。

 緑に囲まれた屋敷の庭でシンデリアは花を眺めて微笑んでいた。


 銀髪が陽光にきらめき、金色の瞳は穏やかに輝いている。

 顔の傷は変わらない。けれど、いまではその傷ごと彼女を愛してくれるひとがいる。


「見つけた、シンデリア」

「テオさま……」


 屋敷からでてきた青年がベンチの横に立つとやわらかく笑う。

 かつてシンデリアを介抱してくれた青年だ。いまでは、彼女の婚約者。


 エンゲイト王国の生き残りである彼女をこの国の人々は優しく受け入れてくれた。火傷のあとを気にするひとはだれもいなかった。

 テオの両親は『新しく娘ができたみたいだ』と彼女を大歓迎し、使用人や村の人々も素直で働きものの彼女を慕っていた。


「昼食ができたよ。きみがきてからかあさんが張りきっちゃってさ、また創作パンに挑戦したんだ」

「ふふ、楽しみです」


 食卓には焼きたてのパンと瑞々しい果物が並んでいるだろう。それを囲むテオの家族は、まるで本物の家族のように彼女を迎えてくれるだろう。


 こんな日がくるなんてかつては想像もしていなかった。この国を──この国のひとたちを守りたいと素直に思える日がくるなんて。


 テオと手を繋いで屋敷に入る前、シンデリアはふと遠くの空を見上げてつぶやいた。


「さようなら……」


 エンゲイト王国は滅んだ。

 薄情な王太子もその両親も国民たちもみんな海の底。だけどもう、いまの私には関係ない。


 ほんとうの幸せがここにはあるのだから。





【完】

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