マリア様が見た!
――聖女とは、命を懸けて戦う兵士や身を粉にして働く民、治世に頭を悩ませる王侯貴族などを祈りによって癒す職業だ。
各地に赴いて彼らの為に祈りを捧げ、傷つき疲れ果てた人々の心を満たし、明日を生きる糧とする。
そんな聖女たちが所属するのが聖女協会、国からは独立しながらも尊敬と信頼を集める存在なのである。
「マリア=セントローゼン。あなたを聖女協会から追放します」
長い金髪を神官服の肩あたりまで伸ばした年若い男性が眉一つ動かさずに言う。
彼は聖女協会支部長ドミニク=ヴァレンタイン。
整った顔立ち。目元は恐ろしい程冷たい。
基本的には笑顔だが目の奥はいつも笑っておらず、何を考えているかわからないのがまた怖い。
三年ほど前にいきなり支部長として現れた人物で、誰もその出自を知らないし語りたがらない。
噂ではどこかの貴族なのだろうが、それでも普通は協会の上層部にいきなり入れたりするはずもない。
余程高貴な身分に違いない。そんな妄想が聖女たちの間で暴走した結果、付いた呼び名は『氷魔の貴公子』。
周りの聖女たちはキャーキャー言ってるが、私からすると全くわからない感情である。
特にこの人、私へのあたりがキツいんだよなぁ。
さっきもホラ……って今なんて言った? クビとか聞こえたような……え? マジ?
「ちょ、ちょっとどういうことですドミニク様! 私がなんで協会を追われないといけないんですかっ!?」
「なんでってミス・マリア……わかっているでしょう? あなたはもう25歳、聖女と呼ばれるような歳ではないのですよ」
コホンと咳払いをし、ドミニクは続ける。
「聖女とは14歳から24歳までの未婚の女性でなければならない。よもや忘れてしまったのではないでしょうね?」
ハッ! そ、そういえばそうだった気がする。
幼い頃に孤児となった私は14歳で聖女となった。
私には先のことなど考えることもなく、一生懸命聖女としての勤めに励んだものだ。
そんな私にあまりにひどい仕打ちである。
「年齢制限を超えても働き続けている聖女だっているじゃないですか。ウチの支部だけでも60歳のおばあちゃんとかもちらほらいますよ!?」
「彼女たちは若き頃、それだけの信頼を得てきたのです」
「わ、私だってこの間慰安に行った所の貴族さまは、君は最高の聖女だーとか言っておひねりくれましたケド……」
「あの貴族は皆にそう言っていますよ。あなたの後輩も金貨5枚を追加でもらって帰ってきましたが?」
えぇぇーーーっ!? 何それ。私は金貨1枚しか貰ってないんですけど?
ショックだ。もしかして私、あまり評価されてなかったの……?
「年齢を重ねた聖女が協会に所属するにはそれなりの貢献が必要です。あなたにはそれが足りない、故にこれ以上の在留は認められません」
「そんな……」
大体の聖女は何年か働いたら結婚して協会を出ていくものだ。
それが叶わなかった人はどうするのだろうか。どこかで働く? 実家に帰る? ……正味なところはわからない。敢えて考えないようにしてきたから。
聖女としての技能なんて市政に降りたら何の役にも立たない。
私みたいな拾い子で、しかも微妙な評価の聖女が行き着く先はあまりいいものではないだろう。
それをわかっていて言ってるのだとしたら、あまりにも鬼畜である。
くそう、鬼、悪魔、氷魔の貴公子め。
「うぅ……私、これからどうすれば……」
項垂れていると、ドミニクはふむと頷いて言う。
「ミス・マリア。あなた、とある貴族のお宅で家政婦として働いてみますか? そこで我々にしっかり貢献出来れば協会在留資格を与えるのも吝かではない」
「か、家政婦ですか!? しかも貴族様のところへっ!?」
「不服かい?」
「でも私……聖女としての勉強しかしてきてないんですよ?」
「我々協会はあなたの家政婦としての能力を高く評価している、ということです」
にっこり微笑むドミニク。
……実は私は何度か貴族の元で聖女として派遣されたことがある。
もちろん祈りを捧げに行ったわけだが、その時に家政婦の真似事をしたことが何度かあるのだ。
まさかそれが評価されていたとは……でもそれ、遠回しに聖女としての私を完全否定されてません?
協会でも暇な時とかよくお掃除したり、料理作ったりとかしてたけどさ。
とはいえそこしか評価されてなかったなんてちょっとひどくないですか?
「ふむ、問題はなさそうですね。私にしてあげられるのはここまでです。せいぜい追い出されないように頑張って下さい」
「うぅ……」
「返事は? ミス・マリア?」
「わ、わかりましたよぉ。やります。やらせていただきますってば」
やっぱりドSだ。この人。私へのあたりがキツすぎる。
こっちが断れないのをいいことに好き放題言ってくれちゃって。
……はぁ、でもやるしかないか。それに私、家政婦やるの意外と嫌いじゃないしね。
他人の家というのは情報の塊だ。そこに上がり込んで働くことで色々な面白い情報を知ることが出来る。
家主の好み、人間関係、食べ物、飲み物……こういうのって新しい人生観が開けたりするのよね。
特に貴族の屋敷とかは複雑な家庭が多く、秘密なんか見つけられたらそれだけでご飯三杯は余裕でいける。
って考えるとちょっとワクワクしてきたかも。
「わかりましたっ! マリア・セントローゼン、任務に着かせていただきますっ!」
「良い返事です」
天使のような笑みを浮かべるドミニク。
どうせこの笑みの裏で碌でもないこと考えてるんだろうなぁ。何せドS氷魔の貴公子様だ。……ま、そこら辺は考えないようにしてっと。
リンドブルム家かぁ。一体どんなお宅なんだろうか。楽しい家だといいなぁ。
「……期待してますよ。『覗き』の聖女さん」
用が終わって退室しようとする私の耳にポツリと、囁くような言葉が届く。
振り向く私にドミニクは首を横に振る。
「何でもありません。さ、早く行きなさいミス・マリア」
「はぁ……」
こうして私は家政婦として働くことになったのである。
……楽しい秘密を知れますように。なんて自分の為に祈りながら私はリンドブルム家への馬車に乗り込むのだった。
◇
馬車に揺られること三日、辿り着いたのは隣街の中央にある大きなお屋敷。
ここはリンドブルム家、この辺りを守護する貴族である。
何年か前に近くの駐屯所にお祈りに来たことがあったっけ。
その時にここには大層仲の良い兄弟がいるとか聞いた気がする。
とりあえず息が詰まるような堅苦しい家じゃないのはグッドね。
長らくご厄介になるのだし、私も空気を悪くしないよう頑張ろう。うん。
「あ、あ! んー! んー! ……うん、いい声」
何度か咳払いをして声を整える。
ここは聖女として鍛え上げた美しい声を120%出し切って気に入られねば!
笑顔もしっかり作って……と。
準備万端、扉をコンコンと叩いて声を張る。
「こんにちはー、協会から派遣されてきたマリアと申しますが……」
と、言いかけたその時である。
突然開いた扉が私の顔にぶち当たった。
「痛ったぁーーーっ!?」
「む、失礼」
出てきたのは芦毛の馬に乗った男性。やたらまつ毛の長いイケメンだった。
だが顔が見えたのは一瞬、男はすぐに背を向けるとそのまま走り去ってしまう。
「待てこの……もーーーっ!」
ぐぬぬ、文句を言う暇もなくいなくなってしまった。
私のチャーミングなお鼻になんてことを。行き場のない怒りに拳を握りしめていると、
「大丈夫ですか?」
扉の奥から出てきた男に声をかけられる。
うわお、こっちもイケメン。
「……全くベクター兄さんには困ったものです。前も見ずに走り出すなんて」
「あー、いえいえ。私も不注意だったのでー……」
なんてことは微塵も思ってないが。どう見てもベクターとやらのせいだとは思っているが!
なんでもありませんわオホホ……という感じで精一杯の笑顔を返す。
一応心象が悪くならないようにしておく私、偉い。
「不躾な兄に変わって謝罪いたします。女性の大切な顔に酷いことを……」
真剣な顔で私を見つめてくる。うっ、イケメンに見つめられるとちょっと緊張してしまうなぁ。
「いえいえ、本当に気にしないで下さいな」
「そうはいきません。む……これはひどい。顔面のバランスが著しく崩れてしまっている! 可哀想に、余程酷い当たり方をしたようだ。早く手当てをしなければ」
「……今、軽くディスりませんでした?」
「はっはっは、何を仰いますやら。さ、どうぞ中へ」
若干引っかかるものを感じながらも、私は屋敷の中へ足を踏み入れるのだった。
◇
「なんと、あなたが件のマリアさまでしたか」
「さ、さまだなんて! やめて下さい恥ずかしい。今の私はただの家政婦、どうかマリアと呼び捨ててください」
手当てをされながらの決まらない自己紹介。
そんな状態で様付けなんてされたら居心地が悪くなってしまう。大体私は家政婦なのだ。
「いえいえ、聖女様を呼び捨てなどにしたらバチが当たってしまいますよ」
「たはは……そう畏まられると私なんて上から評価はされないし、歳はいってるし、追放寸前なんですからー」
「なんにせよ聖女様とは敬愛すべき存在ですから。……とはいえ、そうですね。いつまでも様付けでは落ち着きませんか。マリアさんと呼ばせて下さい……おっと申し遅れました。私はウィリアム、お見知り置きを」
パチンとウインクをするウィリアム。
じっと私を見つめてくる。うっ、眩しい。
「ふむ……しかし顔のバランスが戻りませんね……もしや鼻が折れているのでしょうか……」
「……ほっといて下さい」
悪気、ないんだよね多分。そうであれ。
「それにしても、いい歳して子供のように森を駆け回るなんて、全く困った兄だ」
「でもあんな上手に馬に乗れるなんて素敵ですよ」
私は馬に乗ったことがない。
いや、少しだけ乗せてもらったことはあるが、あまりの高さに目が眩み、泣いて降ろしてもらったのだ。
そんな馬をあんな速さで走らせているだけでも、すごいと思う。
……あととりあえずお兄さんを持ち上げて、印象を良くしようという意図もある。
これもまた家政婦スキルである。キリッ。
だがウィリアムは私の言葉にむしろ微妙な表情でポツリと呟く。
「……別に、あんなの大したことありませんよ。ただ粗雑なだけだ。いつになったら領主としての自覚が芽生えるのやら……」
? なんだろう。お兄さんを褒めたのに嬉しくなさそうだ。
仲が良いという話だったけど……?
「ただいま参りました。ウィリアム様」
そんなことを考えていると、扉を開けて大柄な女性が入ってくる。
ホッ、助かった。微妙な空気になりかけていたところを救われた。
中年のメガネをかけた家政婦姿の女性は私をじっと見つめてくる。
「その方が新しい家政婦の方ですか?」
「あぁ、紹介するよ彼女はメイド長のメアリーだ。色々教えてもらうといい」
「よろしくお願いします。マリアと申します」
「はぁ……」
顔色一つ変えず、ため息を吐くメアリー。
あれ? もしかして私、ちょっと疎まれてます?
迷惑だとか思ってないですか? レディー?
「あ、あのー……?」
「ではついてきてください。ミス・マリア」
くるりと背を向け、メアリーは歩き出す。
「け、結構クールな方のようですね……」
「彼女は家のことを全て取り仕切っているからね。僕たちでも恐ろしくて逆らえない程なのさ」
なんか思ったよりこの家、空気がよろしくないのでは?
仲良し兄弟の住むほのぼのハウスという話だったけど、噂は所詮噂ってことですか?
なんて泣き言を言うわけにもいかず、私はメアリーについて行くのだった。
◇
「ここは応接間、置物を痛めないよう、優しく掃除すること」
「こっちはトイレ、ラベンダーの花を三日に一度取り替えるのを忘れないように」
「こちらはお風呂場、しっかり隅々まで掃除しないとカビだらけになるので気をつけて」
「はいっ!」
こんな感じで各部屋を連れ回される私。
リンドブルム家はびっくりするほど広く、そしてメアリーの掃除指導はハチャメチャに細かい為、半日ほどの時間がかかったのである。
むむむ……私ってば家政婦スキルを評価されたはずなのに、ここまで丁寧にしたことはなかったなぁ。家事、奥が深い。
というかこれが本来の家事だとしたら、私がやってきたことって一体……一応最も評価されてるはずなんだけど。
まさかそれくらいしか取り柄がなかったとか……いや考えないようにしよう。
「それにしても広いお屋敷なのに人が少ないですね」
外から見た時も思ったが、この屋敷たった三人で住むにはあまりに広すぎる。
メアリーにウィリアム、そして馬で出て行ったベクター。軽く回っただけでも使ってない部屋がいくつもあるのだ。
「一年前、大旦那様と奥様が亡くなられましたからね。領主を継いだベクター様はこんなに人は必要ないと、使用人たちに暇を出したのです」
「そうなんですか? では何故私を新たに呼んだんです?」
「ベクター様は何故か若い女性を近くに置こうとされません。ですがリンドブルム家に仕えるものとして、お世継ぎの問題は切実、だからあなたを呼び寄せたのです」
ブフォ! と思わず吹き出す。
ちょ、そ、それってもしかして私を……?
「えぇ、あわよくばあなたをベクター様の妻にと。元聖女のあなたでしたらもしかするとお気に召しますかと思いまして……でも、難しそうですね」
はぁ、とため息を吐くメアリー。
ちょっとぉー? なんでため息吐かれているんですか私?
そりゃ初っ端から馬に撥ねられた挙句、眼中に入りませんが何か? とばかりにほったらかしで駆けていかれましたけれども。
「……ま、時が経てば『そうなる』こともあるかもしれません。私は計画が成るのを待つのみですわ。ふふふふふ」
不敵な笑みを浮かべるメアリー。
うーむ、何故私みたいな年増が家政婦として呼ばれたのかと思っていたが、そういう理由だったのか。
でも貴族様の伴侶になれるなら生活も保証されるし、考えようによってはラッキーなのかも。
それにしてもベクターってイケメンで領主なんだったら結婚相手なんていくらでもいそうだけど……何か事情でもあるのだろうか。
他にも何だか複雑な家庭っぽいしすごく気になってきた。よそ様の家で働く醍醐味よねぇ。
あー気になるなぁ。悶えながら歩いていると、立ち止まったメアリーの背にぶつかる。痛っ。
「お疲れ様。ここが最後の部屋よ。……失礼しますね。アイシャ様」
そう言ってメアリーはコンコンと扉を叩く。
お嬢様? どうやらまだ会ってない家族がいたらしい。
メアリーに続いて中に入ると、疲れた身体に鞭打って精一杯の笑顔を捻り出す。
「お初にお目にかかります。本日より家政婦としてお世話になる、マリアと申します。以後お見知り置きを……」
言いかけて息を呑む。
ベッドに横たわる美しい女性、嫋やかな薔薇を彷彿とさせるような目を見張る容姿。
金色の長い髪が白いシーツに広がり、日の光を浴びてキラキラと輝いている。
うわぉ、すごい美人さんだ。この一家、容姿が強すぎる。
それ以上に目を引いたのは彼女の座り姿。一見違和感はないが、明らかに違和感がある。
これってまさか、もしかすると……
「初めまして。寝転んだままで失礼するわ。私はアイシャ。リンドブルム家の末っ子。よろしくね」
「よろしくお願いします。……というかその、足の具合、良くないんですか」
横にいたメアリーが私を睨みつけてくる。
……っとしまった。つい言っちゃった。
私って気になったことはすぐ口に出しちゃうのよね。反省反省。
「あら……どうしてわかったの? 足が悪いなんて一言も言ってないのに。他の病気かもしれないでしょう?」
でもとりあえず怒られはしなかったようだ。ほっと一安心しながら、質問に答える。
「えぇ、ベッドから起き上がれないだけでは足が悪いとは限らない。でもこの屋敷、至る所に手摺りが付いてますよね。……最初は大旦那様たちが使う為かと思っていたけど、そちらの部屋には設置されていませんでしたし、これらの手摺りが最も多かったのがこの部屋です。加えてシーツの上から見えるアイシャ様の足、異常に痩せ細っておられます」
彼女の体格は普通……むしろ一般的な女性よりも良い部類だ。
にも関わらず下半身は痩せ細っている。
これは日常生活に脚力よりも腕力を使っていた証拠、つまり足が動かせないというわけである。
「……えぇ、見事な推理ね。その通り、私の脚は動かせない。……けど一つだけ訂正させて貰おうかしら」
そう言って布団を剥いでベッドから脚を降ろす。
と、そこにあったのは素足ではなく――木製の義足であった。
「昔事故で無くしちゃってね。あまり気にしないでくれると助かるわ。……尤も、家政婦として私の世話もして貰わないとだからそうも言ってられないか。ふふっ」
「あ、あははははー……」
自虐っぽく笑うアイシャに愛想笑いを返す。
いやそれ、全然笑えないんですけど。ブラックジョークって笑えないのよね私。
そうこうしているとドカドカと蹄の音が聞こえてくる。
窓を覗くと大きな鹿を括り付けたベクターが駆けてきていた。
中々見ないサイズの大物である。どうやらベクターの狩猟の腕は確かなようだ。
メアリーが身を乗り出して声を張る。
「おかえりなさいませー! 大物を仕留められましたね!」
「あぁ、夕食は楽しみにしているぞ!」
「お任せ下さい。腕によりを掛けますよ!」
そんな会話をしながら、矢のような速さで館へと入っていくベクター。
ひょえー、あんな大きな鹿を積んでいるのにものすごく走るのが速いなぁ。
名馬というやつだろうか。それに毛並みも良い、大事にされているのがよくわかる。
「どうやらベクター様も帰ってこられたようですね。我々は食事の準備をして参ります」
「……えぇ、そうね」
目を伏せて答えるアイシャ。
さっきまでは平気でブラックジョークを言ってたのに、いきなり暗い顔である。
ベクターが帰ってきたから? ウィリアムもだったが、彼女もあの人が苦手なのだろうか。
「ではしばしお待ちを。夕飯頃にはまた伺いますので。何かあればお呼びください」
「失礼します」
メアリーに習い、お辞儀をして部屋を出る。
台所に戻ると鹿がどーんと置かれていた。
間近で見るとまぁでっかい。三人で食べ切れるのだろうかという量である。
メアリーは張り切っていたが、私獣を捌いたことってないんですけど?
ずだん! と包丁が叩き下ろされる音と共に血飛沫が吹き出す。それを浴びながら振り返り、
「大丈夫、すぐ慣れますよ」
「はは……」
と笑顔で言うメアリー。
私はドン引きしながらも頑張って手伝うのだった。
◇
小一時間の死闘の末、大鹿は美味しいスープとステーキとなった。
いやほんと、まさに死闘と言うべき激しい戦いだった。
血は飛び散り、内臓が飛び出まくりの阿鼻叫喚の地獄絵図。
殆どの作業はメアリーが行い、私は言われるがまま手を動かすだけであった。
最後にちょっとだけ褒められたのがせめてもの救いって感じのグダグダっぷりであったが……ともかく、美味しいご飯はできたのである。
「情けないですね。ベクター様が血抜きをしていたからそんなには出なかったでしょう」
「ええっ!? 血抜きしてたんですかぁ? あれで!?」
「ざっと、ですけれどね。……本当にやったことがないのねぇ」
私が協会でやっていたのはせいぜい加工された肉を料理することくらいなんで……
こんなに重労働だとは思わなかったのだ。ほんと疲れたなぁ。
ぐー……きゅるるる……
出来上がった料理を前に、私のお腹が可愛らしい音を立てる。
「こら、はしたないですよ」
「すみません。ちょっとだけ味見していいです?」
「いけません! あなた意外と図太いわね、我々が口をつけるのはご主人様たちが召し上がってからです」
「むぅ、残念です」
美味しそうな料理を前にお預けを喰らうのは家政婦の辛いところだ。
「そんな物欲しそうな顔しなくても、すぐにたらふく食べられますよ。ミス・マリア」
「?」
そうは言っても食事となると小一時間くらいはかかるものだろう。
特に貴族の食卓では様々な会話がなされる為、二時間とか三時間くらいかかる時もあった。
私も聖女として祈りに行ったが、本当にゆっくり食事をしていて冷めないのかと心配したものである。
だから彼らの食事が終わる頃には私のお腹が可愛くない感じになるだろう……と、心配したものだが、
「……へ」
間の抜けた声が思わず漏れる。
何せ食事を運んでからたった数分で、ベクターたちは料理を食べ終わってしまったのだ。
食事中の会話はゼロ。て言うかいただきますすら言わないのは流石にどうかと思うよ私は。
「ね、すぐに終わったでしょう?」
「は、はぁ……」
全員が部屋に帰った後、私たちは二人で食事に勤しむ。
うーん、めちゃめちゃ美味しい。思わず声が出ちゃうよね。
「ふふっ、美味しそうに食べるのですね。ミス・マリア」
「だってすごく美味しいですもの」
どれもこれも食べる人の為に、技術と趣向を凝らしている。
私が作る料理とは比較にならない手のかかりようだ。思わず手が伸びてしまうというものだ。
「そう。……リンドブルム家の食卓はいつもあんなだから、本当に美味しいかどうか疑問に思ってしまうのよねぇ……」
重々しいため息を吐くメアリー。
確かにあんな食卓では自分の料理に自信がなくなるのも無理はない。
「昔はあぁではなかったのですけれどねぇ……」
もう一度ため息を吐いて、メアリーは語り始める。
「子供の頃の三人は、それは仲の良い兄弟でした。しかし三年前のある日、皆が狩りに行っていた時のことです。あの日も見事な牡鹿を仕留めたベクター様は意気揚々と帰ろうとしていました。ですがその時、ウィリアム様が追っていたウサギが急にベクター様の馬の足元に現れたのです。ギリギリで落馬を避けたベクター様でしたが、後ろに乗っていたアイシャ様はバランスを崩し落馬してしまったのですよ。その時、運悪く古木がアイシャ様の両腿を貫いてしまったのです。傷は神経にまで達しており、両足とも切断を余儀なくされました。まだ女盛りだというのに、おいたわしい……そのせいでせっかく決まっていた王族との婚約も破棄されてしまったのです」
……悲しいけど理解はできる。
平民相手ならともかく、王族が片足の花嫁なんて貰えば何を言われるかわかったものではない。
向こうからすれば結婚前で助かった、というくらいのものだろう。
「その心労が祟ったのでしょうか。旦那様方は倒れてしまい、そのまま病に罹り亡くなってしまいました。以来、ベクター様とウィリアム様の関係もギクシャクし始め、次第に家はこんな感じに……」
落馬させたベクター、ウサギを追っていたウィリアム、どっちのせいでこうなったか、という理由で揉めたのだろうか。
不毛な気がするがこれもまた仕方ないことだろう。
「……ミスマリア、あなた何を笑っているのです?」
「はっ!? す、すみませんっ!」
しまったぁー、楽しすぎてついニヤニヤしちゃった。
だって仕方ないだろう。
こんな素晴らしい秘密を聞かせられたら、ご飯も進むというものだ。
「変わった方ですね。あなた……」
「たはは、よく言われますー」
治す気はないのか、とばかりに睨まれるが治らないんだから仕方ない。
生まれ持った性質というのは如何ともし難いものなのだ。
「それにしても貴族ってどこも同じようなトラブルを抱えてるんですね」
「そんなことはないと思いますが……」
「あるんですよぉ。これが! 実はですね、隣のサイラス領でもこんなことがありましてですね」
「……あら、そうなの? へぇぇ」
祈りの為に訪れた貴族の屋敷でも同じような事情を抱えていた。
それを話すとメアリーも興味深げに耳を傾けてくる。なんだかんだ言っても皆、こういう内緒話には耳を傾けちゃうものなのである。
私、聞くのも好きだけど話すのも好きなんだよねぇ。
◇
翌朝、早起きをした私は水で顔を洗うべく井戸に向かっていた。
枕が変わるとイマイチ眠れないのである。
夜中にもガタガタ物音がしてたから何回か起きちゃったし。
メアリーが仕事でもしていたのだろうか。夜はやめて欲しいんだけど……ま、新参の私には文句は言えないよね。
ここは好感度を上げる為に、メアリーが起きてくる前に朝ごはん作って褒められちゃおっと。
あまりにメアリーが家政婦として優秀すぎるから、私はあの人がいないところで頑張ろうっと。
なんてことを考えていると、
「……ん?」
ふと、変な音が聞こえた。ついでに胸騒ぎも。
音がした方に歩いていくと、馬舎へと辿り着いた。
奥からはぶふー、ぶふーと荒々しい鼻息が聞こえてくる。
なんだろう、と中を覗き込んで見ると……
「っ!?」
敷き藁の上では馬が倒れ込んでいた。
苦しそうに息を荒らげながら、ピクピクと痙攣している。
この症状、もしかして……
「おいっ! 何をしているんだ!」
突然後ろから声を掛けらるれる。
立っていたのはベクターであった。
ずんずんと大股で歩み寄りながら、私を見下ろして言う。
「お前新しく来た家政婦の……確かマリアとか言ったな。ウチのシュタイナー号に何をした!」
どうやら疑われているようだが、それは筋違いというものだ。
しかし時は一刻を争う。言い逃れをしている暇などない。
逆に睨み返して言う。
「私を疑うのは勝手にすればいいけど、この子を助けたいなら手伝いなさい! 恐らく神経系の毒を飲んでいる。水を持ってきて! 胃の中を洗浄しないと!」
「お、おい……俺の話はまだ終わって……」
「早くッ!」
声を張りながら馬の口に腕を突っ込む。吐かせる為だ。
毒を飲んで少し時間が経っている。ベクターに構っている時間はない。
「……っく!」
作業を続けていると、しばし呆然としていたベクターがようやく走り出す。
この反応、多分まだ間に合う……私はそう信じて懸命に応急処置を続けるのだった。
◇
懸命な救命活動が実り、どうにか馬の容体は落ち着いてきた。
「……どうだ? シュタイナー号の具合は」
「一山越えたって感じかな。多分助かる……とは思うけどあとはこの子の気力次第……」
答えたところで、周囲にいる人たちに気づく。ベクターだけでなくウィリアムとメアリーまでいる。
……しまった。余裕がなかったから家長であるベクターにあれやこれやと指示を下し、こき使っていた。
しかも皆の前で……しかもタメ口、というか命令口調で。
さ、流石にマズいだろうか。冷や汗を垂らしていると、ベクターが私の前に立つ。
「お前、ちょっと来い」
「いやーあれはそのー、必死だったっていうかなんて言うか……ってちょ!? いたっ! 痛いですって」
ぐいっと手を掴まれ、引っ張られる。
連れて行かれた先はベクターの部屋。
汗と土、そして彼に似合わない香水が入り混じった匂いが鼻をくすぐる。
壁を背にドン! と押さえつけてきた。
逞しい腕が頬のすぐ横にある。圧迫感がすごい。
逃げ場は、ない。私はしどろもどろになりながら弁明する。
「そ、そんなに怒らないでくださいよぅ。私もその、必死だったもので……」
深々と頭を下げる私に、ベクターは首を横に振って答える。
「馬鹿か。言いたかったのはそういうことじゃない」
「……へ?」
怒ってたんじゃなかったの?
不思議がる私にベクターは言葉を続ける。
「先刻の手際、驚いたぞ。鋭い洞察力に同時ない胆力、更に医療知識まであるとはな。聖女なんて大したことは出来ないお嬢様だと思ったが、大したものだ。聖女というのは皆、そのような技術を学ぶのか?」
「えぇと……そんなことはないと思いますよ。ただ我々聖女は祈るのみならず、私はたまたまそういうのを経験することが多かっただけっていうか……」
私は戦場や病院に派遣されることが多く、手が足らない時には看護の真似事もしていたのだ。
……まぁでも評価された技能は家政婦なんですけどね。
「なるほど人生経験の中で学び得たコアスキル、というわけか。……面白い女だ」
楽しげに微笑を浮かべ、値踏みするように私を見つめるベクター。
ちょっと怖い。これだからイケメンは苦手だ。
しばし逡巡後、
「おい、マリアとか言ったか。お前、毒を盛った犯人を探すのに協力しろ」
「はえっ!?」
「実は今回のような事態は初めてではないのだ。リンドブルム家では三年ほど前から何者かによる悪事が時折行われているのだ。このコートも……見ろ、穴が空いているだろう」
ベクターの着ているコート、その襟首には見ればナイフで開けたような穴が見える。
「他にも俺の靴に水で濡れていたり、マントが破かれていたり、鎧が壊されていたりな。犯人は屋敷の者に他ならん。外部からの侵入した形跡はないし、やる理由もないしな。屋敷の者の犯行だったこともあり、今までは見ないフリをしてやっていたが、今回の件はもはや勘弁ならぬ……!」
ベクターは怒りに拳を震わせている。
あの馬、すごく可愛がっていたみたいだもんなぁ。
毒を食わせたとなると流石に許せないのだろう。
「必ず暴き出し、報いは必ず受けさせてやる……!」
ギリ、と歯噛みしながら静かに呟く。
その迫力に思わず息を呑む。
「……そうビビるな。別に無慈悲なことをするつもりはない」
「あ、そうなんですか? てっきり殺すつもりかと……」
「するかっ! ……ったく人を何だと思っている」
だってそれくらいの迫力があったし。
イケメンだと殺気も三割り増しよね。
やれやれとため息を吐いてベクターは呟くように漏らす。
「その……腹を割って話す切っ掛けになればと思ってな」
照れくさそうに頬を掻きながら言葉を続ける。
「我が家の空気、最悪だろう? 昔はもっとなんでも話し合えていた。その切っ掛けになればと思っている。だが半端なことをしてもあいつを追い詰めることはできない」
「なんかもう、犯人に目星がついてそうな言い方ですね」
「あぁ、ウィリアムの仕業だろう。アイシャは歩けんし、メアリーにはそんなことをする動機がない。……あいつは俺が跡目を継いだことを根に持ってるのさ。だがあいつは頭が良い。決してボロを出さんし、何度か詮索したがその度に逃げられてしまった。だからマリア、お前には奴を追い詰める手伝いをして欲しい」
「ウィリアム様、ですか……」
ベクターの言葉には筋が通っているように思える。
でもなんだか引っかかるんだよなぁ。
「そういえば私のこと疑ってませんでしたっけ……?」
「シュタイナー号を殺そうとした者が、あれだけ懸命に救命活動するはずがない」
「自分の評価を上げる為のマッチポンプという可能性もあるし、誰かから命令されたのかもしれないでしょう。……あ、いや違いますけどね!?」
あたふたと手を振ると、ベクターは可笑しそう笑う。
「……くくっ、犯人ならそんなことを言うはずがないだろう?」
「と、思わせようとする罠だったり、とか」
「はっはっは、やはり面白いな。お前は! ……よかろう、ではマリア、望み通りお前を疑わせて貰おうじゃないか。疑いを晴らしたければ見事この事件を解決してみるがいい」
うげっ、しまった。いらんこと言っちゃった。
しかもベクターはすっごく楽しそうにしてるし。
つい思ったことが口に出ちゃうんだよなぁ。
「さぁマリア、現場に何か面白い物でも落ちているかもしれん。探しに行こうか」
「ひぇーーーっ!」
ずるずる引きずられながら、私はまた現場へと戻るのだった。
◇
現場では毒リンゴの破片を見つけた。
馬はというのはとても賢い生き物だ。
見知らぬ他人から与えられた物には警戒するし、信頼した人間からでなければ食べやしないだろう。
やはりベクターの予想通り犯人は家の中にいるとみて間違いあるまい。
「大した観察眼だ。お前の実力を見抜いた俺も大したものだがな。ふふ」
私を褒めるか自分を褒めるかどちらかにして欲しいのだけれど……
それにわかったのはそれくらい。ベクターは近くで行われている会合に出ねばならなかったし、私もまた家政婦としての仕事もせねばならず解散となった。
「しかし……こんな日くらい掃除はしなくていいと思うんだけどなぁ……」
そんなこんなでスケジュールが後ろ倒しになり、掃除が夜までかかったのである。
外は暗く、寝ている者もいるだろうし私は音を立てないように床を磨き上げていく。
ここの床って痛んでるから、歩くと音がするんだよなぁ。
まぁでも悪いことばかりではない。
ベクターから正式な依頼を受けたってことは、色々調べる許可を得たということでもあるのだから。
「……ん?」
ふと、離れにあるベクターの部屋から光が漏れていることに気づく。
おかしいな。あの人は今、夜の会合に行ったはず。帰ってくるのは深夜になるとか言ってたけど……
不思議に思い窓から外を覗き見ると……
「っ!?」
カーテンの向こう、映った光景に絶句する。
そして思わず顔を引っ込めた。
動揺を隠しきれずに口を押さえ、壁に張り付いたままもう一度中を覗く。
中にいるのはアイシャだ。どうしてこんなところに……?
「な、な、な……」
なんか見ちゃったーーー!?
◆
「ドミニク様っ!」
協会の執務室にて、一人の聖女が扉を開けて入ってくる。
「マリア先輩を追放したというのは本当なのですか!?」
「……一応、そういうことになっていますね」
ドミニクは書類に目を通しながら、聖女に答えた。
その答えに納得がいかなかったのか、聖女は歯噛みしながら食ってかかる。
「あの人はただの聖女ではありません! 類まれなる頭脳と技術を持っているんですよ! その能力で我々未熟な聖女たちを導いてくれた……それを追放するだなんて、あんまりですっ!」
「知ってるさ」
「だったら何故……」
「試練だよ」
涼しげな顔でドミニクは呟く。
「ミス・マリアは君の言う通り有能な聖女だ。しかしまだ聖女としての自覚が圧倒的に足りてない。崖っぷちだと言わないと真面目に仕事をしやしない。だからそう言って仕事に行かせただけなのさ」
「追放は建前、ということですか……?」
「あぁ、彼女を送り付けたのはリンドブルム家だ。あそこは複雑な家庭問題を抱えている。彼女にはまさにうってつけの仕事なのですよ」
ドミニクがくっくっと笑うのを見て、聖女は眉を顰める。
「無骨な兄に小賢しい弟、そして悲哀の妹……そんな彼らの心をミス・マリアが一体どう解決させてくれるのやら……考えるだけでも楽しくなってくるじゃありませんか」
「マリア先輩……おいたわしや……」
「おいたわしい……か。そいつはどうでしょうね? 案外楽しんでいるかもしれませんよ。何せ彼女は『覗き』の聖女ですし」
心配そうに眉を顰める彼女を一瞥もせず、ドミニクは書類に筆を落とし始めた。
◆
仕事を終え、自室に戻った私は十字架を手に、神への祈りを捧げていた。
祈りの言葉を紡ぎながらも浮かんでくるのは事件の断片ばかり。
仲の悪い兄妹、過去の事故、狙われた馬、日々行われていた悪質な嫌がらせ、そして先ほどベクターの部屋で見たもの……
「私の予想が確かなら今回の事件を起こしたのはあの人だ。でも矛盾する点が幾つかあるのよね……」
あれとかあれとか、あの人にはとても実行できるとは思えない。
でも逆にあれが出来るのはこの人しか……
祈りはすっかり上の空。頭の中は事件のことで一杯だ。こういうところが聖女としてあまり評価されない理由なのかもだけど、仕方ないよね。気になったことは追求したくなる性格なんだから。
「……でも、覗き見ることさえ出来れば……」
人の部屋には秘密が詰まっている。
様々な好み、体質、病の有無……まさに秘密の宝庫なのだ。
私はそれを覗き見ることがとってもとっても好きなのである。
いけないと知りつつも人のプライパシーを覗き見るより楽しいことがあるだろうか。いやない。
考えていただけで、ムクムクとその欲が頭をもたげてくる。
ダメだいけない。
こんなところを見られたらクビになっちゃう! ああっ、でも身体が勝手に動いちゃうのぉ!
辛抱たまらなくなった私は部屋を飛び出す。
でもまぁ仕方ないでしょう。ベクターにも頼まれちゃったし。これは調査! そう調査だから!
ーー自分にそう言い聞かせながら向かった先は物置小屋、脚立を登って天井裏へ。
音を立てないように建物の梁の部分を進む。
最初に辿り着いたのはメアリーの部屋だ。
天井に開いた穴から中を覗き込むと、彼女はベッドの上で寝息をかいていた。
机の上には何かを書き綴った手帳が置かれている。……なんだろ。ここからじゃ読めないな。
「……ちょっと拝借しますよっと」
取り出したるは覗き七つ道具、長手棒。
一本の紐に針金を通し、離れたものを掴むことができる道具だ。
これを使えば天井裏から手帳くらいのものなら持ってくることも可能である。
「ふむふむ、日記のようね。……なになに? 本日聖女協会に要請し、新しいメイドを呼び出した。多少……いえかなり間の抜けた子だったけど、悪い子ではないように思う。とはいえベクター様の伴侶としては微妙かも……って、まぁまぁボロクソ書かれてるわね私」
ま、こんなことするような悪い子ですしね。抑えられないんだから仕方ない。
当たり障りのないところを読んでもつまんないや。
遡って読んでみる。パラパラパラ、と。
「え……! メアリーさんて子供がいたんだ……でも幼い頃に亡くして……ベクターさんたちを息子のように思ってるのはそれが理由だったと……なるほどなるほど」
そんなことがあったのね。メアリーだけが屋敷に残ったのって、そう言う理由だったんだ。
他にも古株だけあって、リンドブルム家についての話も詳しく書かれていた。
ひとしきり読み終えた後、私は手を合わせ、手帳を机の上に戻しておく。いやぁいいもの見せてもらいました。
でも事件解決に役立ちそうなものはあまりなかったかな。さて、次に行きますか。
ーーホクホク顔で次に向かった先はウィリアムの部屋の天井である。
今回は残念ながら覗けるような穴が空いてない。
耳を立てるとカリカリとペンを走らせる音が聞こえてくる。
どこかいい感じの隙間は……あった、すっごく小さいけど。ま、背に腹は変えられないしこれでいいか。
板の継ぎ目に顔を近づけ、目を細めると中の様子が窺える。
「……ふぅ、頑張ったな」
見えたのは大きく伸びをするウィリアム。
机の上には難しそうな本が並んでいる。
私じゃ読んでも理解出来なさそうだ。
「お、面白そうなもの発見」
ゴミ箱に捨てられた手紙の残骸。
名前はジョセフィーヌ……? 女性からの手紙だろうか。
それが破り捨てられているってことは、つまりそういうことだろう。……かわいそ。
「あとはあっちも気になるわね」
整然とした部屋の中で、奥にある箪笥だけが異様な空気を漂わせている。
私のカンが言っている。あの中に事件の手がかりになるものがあるはずだと。
色々気になるものがあったけど、流石に今は見れないよね。
明日の早朝、彼が寝ている隙に覗かせてもらおうかしらね。というわけで次に行きましょう。
ーーお次に向かった先はアイシャの部屋だ。
彼女は今、ベクターの部屋にいる。あの足では帰ってくるのに時間がかかるだろう。
調べる時間は十分にある! とばかりに意気込んで天井裏に辿り着いたわけだが……
「ない……」
天井にはそれなりに穴が空いており、中の様子は覗き放題。
だが事件に関係ありそうなものが全く見つからないのである。それに面白そうなものも何一つだ。
むぅ、この子が何か鍵を握ってると思ったんだけどなぁ。
中に入れればいいけど、いつ帰ってくるかわからない以上危険は犯せない。
でももう少し近くで見たいなぁ。中が暗いし……よし、ここは窓の外から見るとしますか。
天井裏から抜け出し、外へ。
ヤモリのように壁を伝って窓の外へとたどり着く。
ここならより中が見やすいはず……
「ん? 何かしらこれ」
窓の縁に引っ掻いたような跡を見つけた。
何か重いものを引っ張り上げたような跡、かな。まぁそんなことよりも、ですよ。
ここからならアイシャの机に手が届く。机の中は更なる秘密の宝庫、絶対何か面白いものがあるはずだ。
届……かない。くっ、ギリギリ駄目だ。自分の手の短さを呪っていると、机の裏側に何かを見つける。
手紙……? アイシャも気づかないまま落としていたようだ。
かなり古いな。よくわからないけど、隠しアイテムっぽくてワクワクしてくる。
中を見ると……
「こ、これはっ!」
……なんということだ。
ここに書かれているのが本当だとしたら、えらいことである。
思った以上にとんでもないものを見つけてしまった。私の胸に仕舞っておくには重すぎる秘密だ。
うはー、誰かにめっちゃ言いたい。……でも我慢我慢。
「おかげさまで色々なことが知れたわ。となればあとは仕事をやるだけね」
覗き見た秘密は私利私欲の為に使っていいものじゃない。
秘密ってのは暴露してナンボだけれど、ただそうしても反感を買うだけだ。
だから皆の為に使わなきゃいけない。それを無理なく伝える為には……
「ここはいつもの手で行きますか」
にやーっと笑って、私は明日に備えるのだった。
◇
朝、朝食の場にて。
私は静かに扉を開け、悠々と足を踏み入れる。
全員の驚くような顔を一瞥しながら部屋の中央へ。
佇みながら目を閉じ、祈りの姿勢を取る。
最初呆然としている中、最初に声を上げたのはメアリーだった。
「ミス・マリア! あなた朝の仕事を放り出して今まで何をしていたのですか? 早く朝食の準備をなさい!」
仕事を放り出したことに怒っているようだが、私は動かず、ただ微笑むのみだ。
「……! 返事をなさいミス・マリア!」
「静粛に」
少しして静かに答える。
私の言葉に、声色に一言に固まるメアリーに私は続ける。
「私はマリアであってマリアにあらず。聖女マリア=セントローゼンの身体を借り現世へと舞い降りた、女神マリア・グロリアスです」
ざわ、とその場の全員がざわめき立つ。
「女神マリア・グロリアス様といえば創世の神にして現世のありとあらゆるものを見守っておられる最高神ではないか!」
「な、なんと罰当たりな……よりにもよって女神マリア様を名乗るだなんて!」
「いくら聖女とはいえそれはあまりに傲慢というものではありませんか!? あなた、恥を知りなさい!」
「マリア……? お前、一体何を考えて……?」
侮蔑と呆れが入り混じった冷たい眼差し、私はそれに動じることなく言葉を続ける。
「疑うのも無理はありません。ですが信じるのです。だって私はあなた方リンドブルム家の騒動を解決する為にわざわざここまで降りて来たのですから」
「……!」
「ずっと見ていましたよ。ウィリアム、あなたは先月女性に振られましたね? 跡目も継げない次男と一緒になるつもりはないと」
「っ!? な、何故それを知っている!?」
「それにメアリー、あなたは十年前に幼かった息子を事故で亡くした。毎年ベナジュの花を供えている」
「……っ! ここへ来たばかりのあなたがそんなことを知り得るはずがない……! ということは本当に……?」
ようやく私への糾弾が止む。どうやら話を聞く姿勢になったらしい。
ああっ、超気持ちイィーーーっ!
そう、折角手に入れた秘密の暴露するのに最も適した方法こそがこの『女神のフリ作戦』である。
覗き見たことをそのまま私が言ったらただの犯罪だが、女神ということにすれば何の問題もない。
ふっふっふ、我ながら頭いい。
「ふん、そういうことなら聞かせて貰おうじゃないか。我がリンドブルム家の騒動を解決する話を」
とはいえ協力者がいないと厳しいけどね。
今回はベクターという依頼人がいたからできたことだ。
助け舟に全力で乗っかりながら本題に入る。
「そうですね。私が彼女の身体を使わせて貰うのにも限界がありますから……この屋敷でずっと行われてきた悪辣なる行為、その犯人はあなたですね。ウィリアムさん」
指し示すのはリンドブルム家次男、ウィリアム=リンドブルムである。
そう、ベクターの予想通りにだ。
「上手く証拠を残さないようやっていたようですが、女神の目は誤魔化せません。天から見させて頂きましたよ。兄の靴に水を入れたり、服に穴をあけたり……全く、いい歳して子供のような悪さをしていたようですね。情けないことこの上ない」
「……っ!」
口籠るウィリアム、だが顔に出すような間抜けではないようだ。
平静を装いながらも私の話に耳を傾ける。
「あなたは日々、皆が寝静まった隙を狙って家の中を歩き回って犯行に及んでいた」
「……それはおかしいですね。この家は廊下を歩くたびにギシギシと音がする。寝ていようが目を覚ますくらいにね。誰にもバレず何年もそんなことを続けるなんて不可能だ」
「それが可能なんですよ。あなたの部屋に隠してあった、これを使えばね」
取り出したのはウィリアムの部屋、箪笥の奥底に仕舞われていた上履きだ。
普通に見えるが、足の裏部分に大量の起毛が付けられており、体重が分散され重さが伝わりにくい構造になっている。
実際に歩き回って見せてみると、軋む音はかなり小さくなる。
今朝早朝に回収してきたのだ。フラれたラブレターと一緒にね。
「なるほど、毛皮を足の裏に付けたのか。確かにこれなら足音は極限まで消すことができる」
「……でも、だからなんなのです? この上履きは私が自室で使っていたもの。私が行ったという証拠がないではありませんか」
「証拠ならありますよ。あなた、ずっと手袋をしていますね? 取っていただけますか?」
「……っ! そ、それは……」
ウィリアムの顔色が変わる。
先日、コートを繕っていた際に見つけたのだ。
その顔色、もはや白状したも同然である。
「取れないんでしょう? 先日ベクターさんのコートに穴を開けた時に血痕が残されていた。あなたの手にはその時の傷が付いているはずだ。刃物で切ったような跡がね!」
「あ……あ……」
ガクッと膝を突くウィリアム。
どうやらこれ以上の言葉は必要ないようだ。
「うぅ……だってベクター兄さんだけズルいじゃないか。長男というだけで領主になって、僕の方がたくさん勉強をしたのに! ずっと遊び回っていた兄さんが選ばれるなんて……!」
なるほど、あんなことをしていた理由は兄への嫉妬だったのか。
毎日狩りばかりしているベクターを疎ましく思うのも無理はないか。でもそれは視野が狭すぎるというものだ。
私と同じことを思ったのか、ベクターは顔を歪めて舌打ちをした。
「馬鹿者め。俺がただ遊び回っていただけだと思ったか? 領地を見回り、日々の狩猟とて畑を荒らす害獣を狩り、市に卸して余ったものを持ち帰っていただけのこと。お前は領民たちが夏の暑い中、汗と泥にまみれて働いていることを知っているか? 秋の実りを如何に喜んでいるか知っているか? 冬の寒さをどう凌いでいるか知っているか? そして春の訪れをどれだけ感謝して迎えているかを……」
そう、領主というのはただ遊び回っているように見えて、色々なことをやっているものだ。
様々な場所への顔出し、領地全体の仕事の調整、犯罪者の取り締まり、領民との対話……そのついでに畑を荒らす害獣を仕留めていたのだろう。
聖女として仕事をしていた時に様々な領主を見てきたが、結構こういう仕事形態を取っている人は多かったっけ。
次男、しかもインドア派っぽいウィリアムはそれを知らなくても無理はないだろう。
「こう見えてそれなりに仕事はしている。他人を見下し過小評価するのはお前の悪い癖だ」
「あ……ぁ……す、すみません。ベクター兄さ……」
「……ま、俺は慣れてる。こういうのはな。領主をやっていると多少の嫌がらせくらい日常茶飯事だからな。だからお前のことも受け止めるつもりだ」
舌打ちをしながらもベクターの目には優しさの色が見える。
なんだかんだでお兄さんなんだなぁ。
「だが、シュタイナー号に毒を盛るのはやりすぎたな……! 温厚な俺とて許せん行為だ」
「ち、ちょっと待ってくれ! それは僕じゃない」
「今更何を言っている! 大人しく罪を認めろ! 罰は与えるが許さないと言ってるわけじゃない!」
「って言われても知らないものは知らないし……」
「まだ言うか、この……」
「……ふふっ」
苛立つベクターの言葉に合わせ、微笑する。
「彼の言う通り、毒を盛ったのはまた別の人物ですよ」
「はぁ!? 何を馬鹿なことを……ウィリアム以外にそんなことをする奴がいるはずないだろ!」
「不可能なのですよ。毒の反応から言って事件が起きたのは私が起きるよりも早い時間。ウィリアムさんは毎日夜遅くまで勉強しており朝遅いのが日常となっていました。もちろん、先日の朝もです。犯行は不可能」
「た、確かに……しかしだとしたら一体誰が……」
「シュタイナー号に毒入りのリンゴを食べさせた犯人、それはあなたですね。アイシャさん」
私の言葉に全員が目を丸くする。
「へ……わ、私、ですか……?」
慌てるあまり声を震わせるアイシャに私は言葉を続けようとして、
「ま、待て待て! ちょっと待つんだ!」
が、ベクターがそれを制止する。
「アイシャは両足がないんだぞ!? 一人では歩くことも出来ないのに、シュタイナー号に手ずからリンゴを食べさせるなんてできるわけがないじゃないか!」
「それが可能なのですよ。これを使えばね」
取り出したるは一本のロープだ。
それを見たアイシャの顔色が変わる。
「彼女はこのロープで窓から下に降り、そしてリンゴを食べさせた後にまた二階に登ったのですよ」
「ば、馬鹿な。降りるだけならともかく、ロープを伝って登るのは男の体力がなければ無理だ! 女でも相当鍛えていなければ……寝たきり状態のアイシャにそんなことが出来るとは思えん」
「本当に寝たきりなら、家の中に手摺りは必要ないですよね? メアリーさん」
「っ!」
驚いたように口を噤む。その傍にいたメアリーが代わりに答える。
「え、えぇ……アイシャ様は両足を失ってなお、屋敷の中をそれなりに移動できていた。手摺りのある場所限定でございますが」
「そう、アイシャさんは寝たきりというわけではありません。彼女は痩せ細った下半身と反対に、日常的に手摺りを使って移動していたから上半身はかなり鍛えられている。体重が軽い分、ロープの登り降りはそう難しくはないでしょう。それを証拠に……アイシャさんの部屋から降りる壁にはそれに沿って汚れが落ちた跡があります」
先日、窓際で見つけたものだ。
そこにはまさに窓からロープで降りた跡だった。
私の言葉に駆け出すウィリアムが窓から外を覗き見る。
「ほ、本当だ! ベクター兄さん、壁に擦ったような跡が! アイシャの部屋まで続いてる」
「アイシャ……まさか、本当にお前が……?」
ベクターの問いかけにアイシャはしばし沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「……えぇ、その通りです。私がお兄様の可愛がっているシュタイナー号に毒リンゴを喰わせたのよ」
「ば、馬鹿な……どうしてそんなことを……!?」
「私を馬から落として尚、一人で走り続けるお兄様を見ていられなかったから、ですよ。子供の頃はよく一緒に遊んでくれたけど、私の足が動かなくなってからは私はずっと家で一人きり。リンドブルム家の当主となったお兄様は経験を積み成長し、立派な領主となられました。私はただそれを見ているだけ……それに耐えられなくなったのです。置いてけぼりにされる、その辛さに」
……あぁ、わかるなぁ。
私も聖女の中ではあまり評価されていたタイプではない。
協会でデキる後輩たちに追い抜かれ、未だ何者にもなれぬこの身を呪ったことがある。
足を失った彼女の想いはその比ではないだろう。
「シュタイナー号さえいなくなければお兄様は足を止めてくれるかもしれない。悲しみに暮れ、足を止めてくれるかもしれない。私を、見てくれるかもしれない……だから、私は……っ!」
ベクターをじっと、熱っぽい目で見つめるアイシャ
恋に焦がれる少女のような、好きな男を慕う女の目である。
「それに……マリアさんを娶ることだって思い直してくれるかもしれないでしょう?」
頬を赤らめながら、言う。
ブフォ! と思い切り吹き出した。
いやいやいや、ないないそれはない。
……ないけど、まぁ私はアイシャの気持ちを知っていたんだよね。
先日の夜、私がベクターの部屋で目撃したのはアイシャが兄の枕に愛おしそうに頬に擦り付ける場面だったのだ。
普通に考えて妹が兄にそんなことをするはずがない。いい歳をしてれば尚更だ。
つまり彼女はベクターのことを……
そもそも変だと思ったんだよね。ベクターの部屋からした香水の匂い、彼に似合わない香りだと思ってたけど、アイシャが時折忍び込んでいた残り香だったのだ。
「アイシャ、お前……」
「ふふっ、ウィリアム兄さんが悪さをしていたのは知っていましたから、それにかこつけてシュタイナー号を始末しようと考えたんです。お兄様に止まって欲しくて。私に振り向いて欲しくて。……でも、こんなことをするなんて愚かにも程がありますね。私たちは単なる兄と妹、決してそのような想いを抱いてはならない……」
不意にアイシャの雰囲気が変わる。
あ、なんかヤバいことが起こる空気。私こういうのわかるんだ。
「お慕いするお兄様と結ばれぬならこんな命、もはや必要ありません。……さようなら」
ふわり、とカーテンが風に舞った。その向こうでアイシャの影が消える。
窓から身を投げたのだ。
「! お、おいアイシャ!?」
「アイシャーーーっ!」
ベクターとウィリアム、二人が身を乗り出し手を伸ばすも、届かない。
だが私は届いた。
いち早く駆け出していた私は同じように身を投げ出し、ギリギリのところでアイシャの足を掴んだのだ。
アイシャの両足を掴み共に落ちようとする私の足を、今度はベクターとウィリアムが掴む。
……ふぅ、なんとか落とさずに済んだみたいね。
「痛ったた……」
アイシャを助けられたのはいいが、全身を壁に打ち付けてしまった。
しかもパンツまで見られちゃったし。いやん。
ずるずると引き上げられた私に、二人が息を切らせながら怒鳴る。
「馬鹿かお前はっ! 一体何を考えているんだ! いきなり飛び出すなんて!」
「そうです! 僕たちが掴まねば死ぬところでしたよ!? 信じられません!」
私に浴びせられる罵詈雑言。
気持ちはわかるけどさ、とにかくさ。
「でも、掴んでくれたでしょう?」
二人に微笑を向ける。
苦虫を噛み潰したような顔で、二人は私を睨みつける。
「どうして助けたのですかっ!?」
そんな中、声を荒らげるアイシャ。
綺麗な顔がくしゃくしゃだ。
「シュタイナー号にも酷いことをしてしまった。お兄様とも決して結ばれない。そんな私に生きる価値なんて……」
ポロポロと涙を流すアイシャの頭に、ポンと手が載せられる。
ベクターの手だ。静かにポツリと呟く。
「馬鹿者め……」
「っ! そうですお兄様、私は馬鹿で……」
「違うっ!」
ベクターの声にアイシャは固まる。
「馬鹿は俺だ。お前の気持ちに気付きながらもそれに応えようとしなかった、俺なのだ……」
「え……? お兄様……」
「俺とお前は本当は血が繋がっていない。幼かったお前は知るよしもないが、父が拾ってきた子なのだ。故にその思いは不浄ではない。それに、俺もお前のことを……」
「う、うそ……そんな、ことって……」
「本当ですよ。アイシャ」
私がそれに続く。
「あなたは戦場で先代領主を助けたとある騎士の子。親のないあなたを不憫に思い、恩に報いるべく養子として迎え入れた。身分違いの兄たちに恋愛感情を抱かぬよう本当の子だと育ててきたのです」
そう、アイシャの部屋で見つけた手紙、それは先代領主から送られたものだったのだ。
それを伝える内容と謝罪の言葉が、自らの悔いと共に綴られていた。
だが何かの拍子に机の下に落ちてしまったのだろう。そして気づかれぬまま埃を被っていた、と。
「……そういうことだアイシャ。本当はずっとお前を愛おしく思っていた。だが俺は領主だからと、アイシャは妹だからと、自分に言い聞かせ続けていた」
「嘘です……そんなの、私に都合が良すぎます……」
「本当だ。しかし俺は兄だと、お前は妹だからと、真正面から向き合ったことはなかった。詫びさせてくれ。……あとマリアのことはなんとも思ってない。微塵もな」
「お兄様っ!」
ですよねー。知ってたけれどもそこまで真正面から言われるとちょっとショック。
……ま、アイシャの嬉しそうな顔を見れたし、良かったってことにしておこうかな。
「もう二度とお前を置き去りにはしない。だからずっと、ここにいてくれるか?」
「はい……はいっ! 私も二度とお兄様から離れたり致しませんっ!」
抱きつくアイシャ。ベクターは立ち尽くすウィリアムにももう片方の手を伸ばす。
「お前もだウィリアム。長き年月を費やし得たその知識、俺の為に役立ててくれまいか?」
「兄さん……ふふっ、全く仕方ないですね」
三人は身を寄せ合い、強く抱き締め合う。
そんななんとも言えない空気の中、メアリーが崩れ落ちた。
目には一杯に涙を浮かべ、感激のあまりか打ち震えている。
「おぉ、私は感激しています。仲違いしていた三人がこんなにも仲睦まじく……この姿を見れただけでもメアリーは、メアリーは幸せにございます。これも全てあなたのおかげです。ありがとうございますマリア様……!」
「ぐすっ、私が気持ちを伝えられたのも全てマリア様のおかげです……」
「僕もだ! マリア様……! 矮小だった自分が本当に恥ずかしい。感謝いたしますマリア様」
「俺もだよ。リンドブルム家当主として礼を言わせてほしい。ありがとう、マリア様?」
感謝の言葉を受け止めるように、私は祈りの姿勢を取る。
「私は天から全てを見ております」
「おお……マリア様がこれからも見守って下さると……」
「我がリンドブルム家も安泰だ!」
覗きは人の為ならず、暴露は愛があってこそ。
皆が感謝してくれたってことは、私も許されますよね。天に召しますマリア様?
◇
「というわけで戻ってきちゃいました」
「む、クビになったのか?」
「違いますよっ! なんというか、いる意味がなくなった、とでも言いましょうか……」
あの家に暴くような秘密はもう存在しない。
おかげで私はすっかり気が抜けてしまい、メアリーにしょっちゅう怒られるようになってしまったのだ。
挙げ句の果てには「女神様が見ておられますよ」だの「あなたの姿を借りて降りてこられた女神様が見られたらどう思われるか」とか言われだし、あまりに居心地が悪くなってしまい帰ってきたのである。
「……ぶふっ! ……くくっ、そうかなるほど。マリア様と……ぷっ……そ、それは災難だったな。ふふっ……」
め、めちゃくちゃ笑いを堪えてる……
確かに自業自得ではあるけどさ。やっぱり鬼畜だこの人は。
でも世知辛いことに、この人に頼るしかないのだ。
「すみませんがもうしばらくここに置いて下さいませんかっ!?」
勢いよく頭を下げる。
結局は私の不手際で帰ってきたのだ。断られても仕方ないがダメ元でお願いする。
ドキドキしながら答えを待つ私に投げかけられたのは、
「あぁ、構わないよ」
というあっさりした言葉だった。
ドS鬼畜なドミニクとは思えない答えである。
ありがとう氷魔の貴公子様っ!
「何か邪なことを考えている気がしたが……まぁいい、次の仕事は追って指示する。それまで協会で過ごしたまえ」
「はーーーいっ!」
流石に聖女追放を免れるわけはなかったけど、とりあえず追い出されなかったことに安堵する。
ホッとしながら部屋を後にしようとすると、何やら囁くような声が聞こえてきた。
「……一応、我々の望む仕事はこなしてくれたことだしね。『覗き』の聖女、見事な仕事ぶりだったよ」
「? 何か言いました?」
「いいや、何も」
微笑を浮かべながら私を見つめるドミニク。
……変な人。首を傾げながらも首が繋がったことに喜ぶ私なのだった。