第2章 サボり魔王子困惑する①
「ここがあなたのお部屋です。」
アレンはミルティアにそう告げると部屋の扉を開けた。部屋の中に入りミルティアは言葉を失った。
アレンから仕事仲間と聞いたのでてっきり住み込みの使用人部屋を用意されていると思ったのに、案内された部屋はどう見ても客間であったのだ。
アレンに部屋が間違ってないかミルティアは慌てて確認したが、返ってきた答えはミルティアの思っていたものと違っていた。
「間違ってなどおりません。これが家庭教師の先生のお部屋でございますよ。それに安心してください。私もこの様な部屋ですので。殿下に近い者はこれぐらいの部屋が用意されますよ。」
アレンはとびきりの笑顔で応えたため、先程のショコライルを見つめる張り付いた笑顔が頭に浮かんでしまい、もうそれ以上聞くことはやめた。
「ありがとうございます。」
「それから侍女をこちらでご用意致します。男爵家と異なり城内は広いですし、必要な物を揃えるのも大変ですので、遠慮なく侍女に申してください。」
「えっ侍女は流石に……」
「ミルティアさん、ショコライル殿下の側で務めるということはいろいろ大変なことも御座いますのでどうぞ頼ってください。」
「ありがとうございます……。ですが……」
「どうされたのですか?」
「あの……。失礼を承知で申しますが、こんなによくしていただいてもわたくしはそう長く滞在しないと思いますので……。」
「どういう意味ですか?」
ミルティアが伝えると、アレンは張り付いた様な笑顔で、先程までと違って少し低い声で聞き返してきた。
ショコライルに見せた表情をミルティアにもしてきたため、ミルティアは恐怖で叫びそうになっている気持ちを抑えて言葉を選びながら話し出した。
「ショコライル殿下はどのような優秀な方が来られても、お勉強の時間になると姿を消すと伺っています。わたくしでも同じ対応をされるはずですので。」
「あ……そういうことでしたか。」
ミルティアの答えを聞き、アレンは安心したのかいつもと変わらない笑顔と声に戻した。
(よかった……。間違った答えではなかったみたい。)
アレンの戻った対応を見て、ミルティアは内心ホッとしていた。
「でしたら、その心配は無用でございます。」
「どういうことですか?」
「私の口からはなんとも……。ですが、ショコライル様なら顔馴染みのミルティアさんのお勉強なら時間はかかるかもしれませんが、受けてくださると思っております。」
「そうでしょうか?わたくしは嫌われておりますので……。」
「はっ?!今なんと?」
「ひっ!!」
張り付いた笑顔に戻ったアレンを見て、ミルティアは今度こそ声を出してしまった。
(この方のスイッチが分かりません。誰か教えて……。)
ミルティアは泣きたくなるような気持ちを抑え何が正解か分からない質問に答え出した。
「その……。アレン様はわたくしと殿下が顔馴染みということはご存知なのですよね?」
「はい、もちろんです!私は幼い頃よりショコライル様の側におりますので。」
「わたくしと殿下が最後に会ったのは4年前です。学園の入学式の前でした。その時殿下はわたくしと学園で学べることが嬉しいと伝えてくれました。わたくしも殿下と一緒に学べるのは嬉しかったですので入学を心待ちにしておりました。クラスは違いましたが、どこかでお会いできると考えていました。ですが、入学してから一度も学園でお会いすることはなく、学校に来られるのはわたくしが休んだ日ばかりです。殿下のお言葉は社交辞令だったのに、わたくしは勘違いをしていたのだなと嫌でも何月が教えてくれます。ですから避けられているのは分かりますので……。」
「はぁ……。」
ミルティアの言葉にアレンはため息を吐いた。
(男爵家の令嬢が王太子殿下と気軽に会えると思っていたことがおかしいと、やはりお考えになりますよね……。)
ミルティアは恐る恐るアレンの顔を見た。アレンは先程までの張り付いた笑顔ではなく、とても優しい目でミルティアをまるで落ち着かせるように見つめていた。
「アレン様?」
「ミルティアさん、そのようにどうか思わないでください。」
「ですが……。」
「この件に関しては私は直接申すことはできませんが、必ずショコライル様より話をするよう伝えておきます。」
「ありがとうございます……。」
(どういう意味なのだろう?わたくしは避けられていなかったの?)
アレンの言葉にミルティアは混乱していた。事情を知っていそうなアレンに全て教えてほしいとお願いしたかったが、アレンが言えないと言ってる以上聞くことはできない。いつか話してくれる機会を待つと決めた。
「ミルティアさん、どうかしばらくは家庭教師として、この王城に留まってください。過去のショコライル様の態度は私にも責任があります。あなたを傷付けてしまい申し訳ありませんでした。ですがショコライル様はあなたを傷つけることは今後絶対に致しません。1年……いやせめて半年はこの王城にいていただきたいのです。」
ミルティアはアレンの真っ直ぐな視線に、嘘偽りがなく、強い願いが込められているように感じた。
ここではぐらかしたり、嘘を伝えるのは相応しくないと判断したミルティアは自分の気持ちを素直に伝えることにした。
「分かりました。でしたら半年間はしっかり務めさせていただきます。ですが、半年でもわたくしがいる意味がなかった場合は申し訳ありませんが、家庭教師は辞退させていただきます。」
「……半年ですか。」
ミルティアから1年ではなく半年と期限を短く設定されたことに少し残念がるようにアレンは呟いた。
「父ともそのように話をつけてからこちらに参りましたので。勝手なことで申し訳ありませんが、どうか認めていただければと思います。」
ミルティアはアレンに頭を下げた。王命でないとはいえ、国王陛下からの依頼を半年で断るなど失礼極まりない。アレンに迷惑をかけることは容易に想像できるが、それでもミルティアはこの願いを受け入れて欲しかったのだ。
ミルティアの態度にアレンは深いため息を一つついた。
「そんなに嫌でしたか?ショコライル様を教えることは?」
「嫌ではありません……。」
アレンのその質問にミルティアはしっかり答えることが出来ず、ただ胸の前で重ねていた手を強く握りしめることしかできなかった。
(言えるわけない……。ただ自信がないだなんて。)
バーナードに朝大声で拒否の姿勢をしたものの、本音では教える機会を得られたのは嬉しかった。しかし相手はミルティアのことを避けているショコライルのため、直接会った時にはっきりと拒絶されるのが怖かったのだ。そんな私情を挟んだ子供じみた理由などとても情けなくて言えなかった。
ミルティアの不安そうな瞳を見たアレンは、ミルティアがショコライルから受けた4年間の仕打ちが、あまりにも本人の意思に反してミルティアを傷つけていることに気付き、きつく自分の右手を握った。
伝えたいのに、安心させたいのに言えないもどかしさが苦しかった。
「あの……、ですが……。」
しばらく沈黙が続いた部屋に申し訳なさそうなミルティアの声が小さく発せられた。
「どうされました?」
「半年とは言いましたが、縁談が来た場合はそれより早まる可能性もあるのですがよろしいでしょうか?」
「えっ縁談?!!!」
静かだった部屋にアレンの声が響いた。穏やかに話していたアレンが切羽詰まったような声を出したことにミルティアは驚いたが、アレン自身はミルティアの言葉が信じられないというように目を丸くしていた。
「ミルティアさん、あなた想い人がいらっしゃるのですか?」
「おりません!ですがわたくしももう16ですので、父上に縁談話が来た場合は連絡を一度くださるようお願いしてあるんです。」
「そういうことでしたか……。」
ミルティアの言葉にどこか安堵したような態度をアレンはとった。
「まぁ、わたくしにそのようなお話は来ないと思いますのでご安心ください。」
アレンの態度に気づかないミルティアは、少し寂しそうに笑った。
「なぜそう思われるのですか?」
「情けないお話なのですが、わたくしには一度も縁談話が来たことがございませんので……その、魅力がないんです。」
自分で言ってて惨めな気持ちになるが、真実なので仕方がなかった。
「そんなこと……。そのお考えは間違っております!」
アレンは言葉に力を込めて強く否定してくれた。お世辞でもミルティアは嬉しかったのでお礼を伝えた。
「あなたの魅力に気づいている人は必ずいます!どうかそこは信じてください……。」
アレンは申し訳なさそうに、奥歯を噛み締めながら呟いた。
「ミルティアさん、私は急用を思い出しましたのでこれで失礼します。この部屋はもうあなたの部屋ですので、どうぞご自由にお使いください。後程侍女を連れてきますので、その時に今後のことをお話しましょう。……1時間後でいかがでしょうか?」
ミルティアは部屋の時計を確認し頷いた。
「お忙しいところお気遣いいただきありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します。」
ミルティアはアレンにお礼を伝えた。アレンはミルティアに一礼すると部屋の扉を閉めた。
ミルティアの部屋を出て、早足で執務室に戻りながらアレンは考えを巡らせていた。
(あのポンコツ王子。本当に何やってるんだか。ああ、どこから手をつけたらいいのか……)
今後のことについて険しい顔をして歩くアレンの姿を見た他の使用人達は、何かとんでもないことが起きたのではないかと震えていた。アレンは気付いていなかったが、アレンは絶対に怒らせてはいけない人として王城内で認識されていた……。
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