プロローグ
「嫌です!!お父様!」
爽やかな春の日差しが降り注ぐ朝に似つかわしくない、悲鳴にも近い声が響いた。
ここは王都の貴族達のタウンハウス街。社交界シーズン中は人脈作りのためにも社交界への参加が貴族達には必須になるため、この時期は領主達は皆領地から王都まで出てきてタウンハウスで過ごしている。
タウンハウス街は中心街より少し外れにはあるが、それでもすぐ近くには生活道路が広がっており、領地と比べると庶民との距離はとても近い環境である。
今の時刻は始業時間の少し前。仕事場に向かう人が道を行き交うその時間に貴族が住むお屋敷から大声が響いてきたため、道ゆく人々は声のする屋敷の方を不思議そうに見上げていた。
声の主はミルティア・リリアージュ。この春で王立学園5年生になる16歳。栗色の髪の毛をハーフアップにまとめ、くりっとした目は髪の毛の色より少し薄い茶色。少し幼さの残る顔ではあるが、背筋をピンと伸ばし真っ直ぐに相手を見る姿は淑女教育をしっかりと受けてきたことが一目でわかる佇まいである。
普段は温厚な性格の彼女が朝から抗議の声をあげたのは父親のバーナード・リリアージュ男爵。人当たりがよく、面倒見もいいため他の男爵位のまとめ役の彼は、娘を溺愛するどこにでもいる父親の一面もあるが、そんな彼は今愛する娘から睨まれている。
「そう怒るなミルティア。可愛い顔が台無しではないか」
娘に睨まれたことに少しばかり動揺しながら、それを悟られないようにゆっくりバーナードは話しかけた。
「言い方を間違えましたわ。お父様寝ぼけていらっしゃいますの?おはようございます、朝ですわ。」
張り付くような笑顔を浮かべる娘を見てバーナードは深いため息をついた。
時を少し戻しミルティアがバーナードを睨みつける30分前。
家族揃って朝食を摂っている時間にバーナードの執務室に食後来るように言われたミルティアは、その時の父親が何か企んでいるような顔をしたことに嫌な予感を覚えながら、執務室の扉の前で立ち止まっていた。
深い深呼吸を一回してから執務室の扉を叩いたミルティアは、父親から入りなさいという声を聞いた後、意を決したように扉を開けて中に入った。
「お父様、どのようなご用件でしょうか?」
部屋に入るなりミルティアはバーナードに詰め寄った。
「そっ、そう焦るなミルティア。まずはそこの椅子に座ってくれないか?今お茶を用意するから。」
「お茶は結構です、お父様。」
ミルティアの素早い行動に動揺しながらお茶を用意しようと立ち上がるバーナードをミルティアは素早く制した。
「お食事の時に話さないなんて、お母様にも聞かれたくない内容なのですよね?教えてください。」
ミルティアはバーナードの目を見てはっきりと伝えた。
何か学園で問題を起こしてしまったのか…母親にも聞かれたくない内容などミルティアには思い当たることがない。ここに呼ばれた理由が知りたい気持ちを抑えることができず、バーナードからの椅子への着席やお茶の誘いを断り、続く言葉を待った。
バーナードは自分を落ち着かせるように息を吐いてからミルティアを見つめて呼び出した理由を話し始めた。
「春からはお前も5年生だ。もちろん今までの成績は知っている。本当によく頑張っていて自慢の娘だ。」
「えっ?!」
怒られるのではないかと思っていたミルティアにとって、父親からの言葉はあまりに拍子抜けとなった。
(この話ならお母様が聞いても問題ないと思うのだけれど…)
わざわざ始業前の執務室まで呼ばれた理由が分からず混乱しているミルティアにバーナードは続けて話しだした。
「5年生からは何をして過ごすのか?」
バーナードからの質問にミルティアは呼ばれた理由を理解した。
王立学園は貴族の子供達が12歳から18歳まで通う学校であり、4年間で国の歴史や近隣諸国のこと、紳士や淑女としての必要なマナーを学ぶ。そして残りの2年間で家督を継ぐ者は領地経営を、騎士になる者は騎士のための訓練を、研究をする者は研究室に入り研究するなど、18歳で成人となるこの国で卒業後すぐ働けるよう、2年間はそれぞれのコースに進んでいく。
貴族の女性達は幼い頃より婚約者がほとんどいるため、婚約者の家に通いそこで花嫁修行を行いながら、学園で社交界での振る舞い方などさらに学びながら卒業後の結婚に向けて準備をする者が多かった。
また低い貴族階級の者達は王宮や高位貴族の侍女として働く者も多く、侍女になるためのコースに進む者も多かった。
ミルティアは婚約者もおらず、2つ上の兄が家督を継ぐことが決まっているため花嫁修行は必要ない。かと言って侍女になる気もなかったため、あまり女性が進まないコースに行こうと決めていた。
「わたくしは教師コースに進みます。学園の先生方も受け入れてくださってますので。」
「そうか。確か教師コースは学園に行かずとも実際にどこかで教えたりしていればある程度の科目は履修できる制度があったはずだが…」
バーナードは少し嬉しそうに頷きながらミルティアに確認してきた。
「そのような制度はあるみたいですね。実際にどこかに家庭教師に行かれたりする方が多いと聞きます。」
父親の微笑みに違和感を感じながらも、素直にミルティアは答えた。
「ミルティアもその制度を使うのはどうだろうか?やはり実際に誰かを教えた方が学ぶことも沢山あるであろう。」
「確かにそちらの方が学ぶことは多いとは思います。ですが当てがありませんので…。」
ミルティアが話終わるのを待たずにバーナードは嬉しそうに、ミルティアを呼び出した本当の理由を話し出した。
「実はな、お前に是非教えてほしいという依頼が来たのだ。その依頼受けてみないか?」
「どちらのお宅でしょう?」
「お前もよく知っているから安心しなさい。」
「ですからどちらですか?教えてくださらないことにはお返事できません!」
なかなか依頼主を教えてくれないバーナードにミルティアは少し強めに聞き返した。何も知らずに教えに行くのなんて嫌であるし、何より幾つの方で男性か女性かも分からないのでは、何を学ばせどのように教えるのか困るため教えてほしかったからだ。
ミルティアに見つめられたバーナードは隠し通すことは無理であることを悟ったのか深いため息をついてから話し出した。
「依頼主はエクラ国王陛下。教える相手は第一王子のショコライル殿下である。」
「嫌です!!お父様!」
バーナードが話終わるのと同じタイミングでミルティアは叫んだ。
1日2回 11時頃と17時頃に投稿予定です。
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