第三話
夫人はオーロラ、主人はホーエン。
ベアトから見ても愛のない結婚は一目瞭然だった。貴族社会の仕組みはわからないが、帰ってきた二人が仲良く食事をしているかと問われれば、ベアトはそんなことはないと応える。
昨日の夜、二年間もの長き戦争が終わり、この屋敷の主人であるホーエンはたくさんの騎士を引き連れて帰ってきた。
そんなこんなで、今朝は二人が久しぶりに朝食を一緒に摂る日だった。
夫婦の仲睦まじい様子を見れるのではないかと、期待していたメイドたち。けれども、彼女たちの淡い期待はすぐに破られた。
オーロラは始終オドオドしてしまっているし、ホーエンは静かだった。目を引く銀色の髪に水色の瞳。とても貴族らしい素敵な男性だ。ホーエンの短く冷たい声に、オーロラは怯え、ホーエンは肉を切り分けて食べているが、感想もなく無表情だ。
周りのメイドが、落胆しながらも二人の様子を見ているのは記憶に新しい。
「メルビンさん」
ベアトの隣にやってきたメルビン。彼女はダメだねこれはと言わんばかりに肩をすくめる。そして、また給仕室へ戻って行った。
ベアトは二人を一度振り返り、メルビンの後を追った。
怯えた夫人を見るに、ベアトは暫く時間がかかるなぁと思った。
久しぶりに帰ってきた主人のおかげで仕事は山積みだ。ベアトも午前は給仕の手伝いだけだったのが、主人の部屋掃除も入った。午後は夫人の部屋掃除のため、気は楽だったが。
午後に夫人の部屋へ掃除に入れば、彼女はまた泣いていた。
いじめられたのかと思えばそうでもなさそうだ。そのまま掃除だけをして部屋を出て行ってもよかったが、主人が帰って来てから泣いているのは、流石に気が引けた。
「貴方をいじめる人がいなくなったのに、何がそんなに悲しいんですか」
「え……」
そういえば、自分からあまり話しかけたことがないとベアトは思った。驚いた顔の夫人から思わず視線を逸らす。
「だって、嫌なメイドが五人もいなくなったのに、そんなに泣いているなんて。おいしいものでも食べたらいいですよ。だって、夫人はこの屋敷で二番目にお金持ちですから」
ちらっと夫人を伺えば、彼女はきょとんとしている。けれども、彼女は泣き止んだらしく、はたと手を止めていた。そして、何を思ったのか、夫人は泣き顔のままくすくすと笑った。
「そうね……おいしいデザートをメルビンにお願いしてもらってもいいかしら」
「はい。とびっきりおいしいのを選んでおきます」
「お願いね」
命令ならとベアトは頷く。別に嬉しくなんかはないんだからね。
そんなこんなで、ベアトがメルビンにデザートをお願いをすれば、メルビンは面白おかしく笑った。
「それじゃあ、ベアトにはコーヒーゼリーを買ってきてもらおうかしら」
「はい。高いもの一つでいいですか?」
「いいえ。二つお願いできるかしら?」
「二つ? はい。メルビンさんの頼みなら」
明るい顔をしたメルビンを眺め、ベアトは小首を傾げるしかできない。
その次の日、ベアトはコーヒーゼリーを昼食の場に用意することとなった。
少しでも笑顔になってほしいと思いながら、ラッピングの他に可愛らしいスプーンも用意した。周りの年上メイドたちからは、恋のキューピットをしようとしてるのねとひそひそと言われたが、貴方たち聞こえているわよ。
すると、無表情だったホーエンの顔が少しだけ驚いたものに変わり、ちらっとメルビンを見つめた。
彼女は「ほっほ」と誤魔化すように笑って、ベアトにウインクしてみせる。
「君はコーヒーゼリーが好きなのか」
「えっ」
ホーエンがおどおどとしていたオーロラへ話しかけた。彼女は最初こそは困惑した表情をしていたが、ベアトの方を一度見ると小さく頷いた。
「はい。とても」
「そうか。私もだ」
短いやりとりだった。しかし、凍てついた空気を溶かすには十分な会話だ。驚くメイドたちはこそこそと廊下に抜けて、エンダーイヤアアアと叫び離れて行った。顔を真っ赤にして俯く夫人に、何事だと出ていったメイドたちを見つめる主人。
メルビンはふふっと笑った。
「二人の拙いやりとりに皆が困惑しているのですよ」
「そうか……女性とは会話したことがなくてな」
「私とは会話しているでしょう。同じことですよ」とメルビン。
「なるほど」
ホーエンの困惑する視線がオーロラへ向けられ、オーロラは少し恥ずかしそうに目線を外した。
「ならば、明日は共に街へ行こうか」
「は、はい!」
「それと……入ってきたまえ」
扉がノックされ、ゆっくりとした足取りで入ってきたのは騎士団の人たちだ。誰もが戦争終わりで怪我が絶えなさそうだったが、その中でも一人ベアトの目を引く人物がいた。
「俺の自慢の騎士たちだ。この中から一人護衛を選ぶといい」
「えっ」
驚く夫人がちらっと騎士たちに視線を向ける。十人はいるだろうか。
その中でもベアトが見つめているのは、自分と同じぐらいの少年がいたからだ。彼はベアトの視線に気が付くと、にっこりとほほ笑んできた。
銀色の髪がどこぞの誰かと重なった気がして、びっくりしたベアトは思わず視線を逸らして夫人を眺めた。
「あの……」
「どうした?」
「どんな方かわかりませんので、貴方が選んでください」
ふむとホーエンが騎士たちを眺め、「考えておこう」と伝えた。ほうっと息をはく夫人を眺め、ベアトは少しだけ安心した。オーロラとホーエンの仲が少し良くなったことに。
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