第二話
午前中のメイドたちが変更になったとしても、夫人への嫌がらせは終わることがない。
ベアトは午後の夫人部屋掃除に入って、呆れてしまった。
今度は夫人にかけられた紅茶だ。ベアトは夫人を横目で見つめる。薄緑色のドレスが紅茶に濡れて汚れていた。泣いているだけで、本当に彼女は怒ることをしない。
終いには部屋に入ったベアトにも怯えてしまうから、本当にどうしようもなかった。
ベアトは小さく息をついて、夫人に向き直った。
「夫人」
彼女はやっとベアトを見た。
ごみ袋とホウキだけでは彼女を助けることはできない。けれども、言いたいことがあった。
「泣いてばかりじゃ、何も解決はできませんよ。私、いつまでこの片付けをすればいいんですか」
「え……」
驚いた顔をする夫人にベアトはため息をつく。
「私、こんな生活ばっかり嫌です。毎朝ネズミの死骸は片付けさせられるし、触りたくもない毒花を処理しなきゃいけないし。午前中のメイドが変わっても、変わりません。午前に入るメイドを辞めさせられるのは夫人だけなのに。これじゃあ、悪化していくばっかりじゃないですか。私もう辞めたいです」
「貴方は」
「私を辞めさせるか、他のメイドを辞めさせるか選んでください。貴方が虐められてるってことは、メルビンさんも知っています。メルビンさんは貴方が一歩踏み出すことを待っているんですから」
驚きに変わる彼女の顔。ここの仕事は辞めたくない。
二年も働いた屋敷で、日々に慣れてきたところだ。それに給料もよく、来客も少ない。孤児院でお客さんが来る時の大変さは経験しており、ベアトにとってここの仕事はまだ良い方だった。
孤児院の時のように優れた容姿に対して、嫌な目をつけてくる人もいなかった。
「お願いしますよ。主人がいない今、ここを管理しているのは夫人なんです。辞めさせるのを、私か午前中に働くメイドか選んでください」
「はい……すみ」
謝りそうになった夫人に対し、ベアトは「謝る前に仕事してください」とだけ言った。言い過ぎたと思っていたが、夫人の顔はもう泣くことをやめていた。
そのことに驚きつつ、ベアトは夫人を風呂場に案内することにした。
その後は風呂場でお湯を沸かし、花を浮かべた。久しぶりに行った入浴管理だったが、夫人は満足してくれたようだ。真っ白な肌に黒い髪。立派な体躯。貧しい中で育ったベアトにはない体躯だった。
「ベアトリーチェ・フラワでしたよね」
「はい。ベアトと呼んでください」
夫人の新しい服を出しながらベアトは言う。正直、夫人の服は少なかった。出す服には困りはしなかったが、ベアトとしては自分よりも服の数が少ないのはどうかとは思う。
「私、決めました。着いてきてくれますか?」
「私でよければお供します」
「ありがとう」
どうして、この人は謙虚なのだろうとベアトは思った。
確かに夫人と主人の間には愛はないのだとは思う。だけれども、彼女は一応はこの屋敷の夫人なのだから、堂々とすればいい。
どうして、そんなに謙虚に過ごすのか、ベアトには理解できなかった。
夫人と共にメルビンのいる給仕室に向かえば、待っていましたと言わんばかりのメルビンが出迎えてくれた。
「久しぶりですね。貴方が屋敷に来て以来でしょうか」
「ご迷惑をおかけしました。お話があります」
「ベアトは席を外してくれるかい?」
「はい。掃除の続きを行ってきます」
ベアトはスカートの裾を摘まんで、そっと頭を下げた。二人の驚く顔を眺め、ベアトは颯爽とその場を後にした。
そして、いつもの日常に戻る。ネズミの死骸を片付けて、首が落ちると縁起の悪い花を片付け、床に飛び散った紅茶もきれいさっぱりと片付けた。
ピカピカにすることは、ベアトの仕事だ。綺麗になった部屋を確認し、ミスの点検もした。
「よし」
小さく息をついて、ベアトはガッツポーズを決めた。
結果として、夫人を虐めていたメイドたちは全てクビとなった。それどころか、メルビンが夫人の食事を台無しにしたことや、予算として計上していた花代など、全額彼女たちに請求をした。
ベアトが日記をつけていたからだ。
こういうことがあったと、日記に全て記していた。それが、警察の手に渡り、裁判が起こる。
そうして、ベアトは素知らぬふりをして、今日もメイドとして日々を送る。今さら夫人に泣きついて謝る姿を横目で見て、ベアトはまた呆れた。
夫人の謝罪はメルビンが断固拒否し、全員を追い出してしまった。
しかも、ベアトが挨拶しても反応すらしなかったのに、彼女たちはベアトにも話しかけて来た。
ネズミの死骸をベアトは嫌々処理してたというのに、我が物顔で夫人に会わせてくれという。
だからこそ、ベアトは同じように無視して、仕事をはじめる。
「泣くぐらいだったら、やらなきゃよかったのに」
こうして、夫人の泣く顔を見なくなり、彼女に笑顔が戻り始めた。そうして、ベアトの片付け生活も楽になった頃。
この屋敷の本当の主が戻ってくることとなった。