第一話
――とある屋敷で働く金髪の少女には秘密がある。
『怪盗の娘はメイド様』
早くに母親を亡くし、孤児院を経た少女が働くのは男爵家の屋敷。
孤児院を出た際にノアールという名を捨て、現在はベアトと名乗っている。
屋敷ではメイドたちがせっせと日々務めていた。少女もまた彼女たちと同じく、ホウキと塵取りを片手に廊下を歩いていた。
「ねえ、聞いた? 主人が帰ってくるそうよ」
「聞いた聞いた。帰ってきたとしても、どうせ、相手にされなくて終わりよ」
「あはは! それにしても、あの顔見た? この世の終わりみたいな顔! 最高にうけたわ」
ひと際綺麗な扉から出て来た二人のメイドは口々にそんなことを言う。少女は呆れたと言わんばかりに肩を竦め、空色の瞳を彼女たちに向ける。
主人が帰ってくるというのに呑気なものね、と少女は思う。
少女は彼女たちに頭を下げた。しかし、メイドたちに少女の姿は映らない。通り過ぎたところで、少女は頭の位置を元に戻し、彼女はメイドたちが出て来た部屋の前に立つ。ノックをしたが、返事がない。
「失礼します」
部屋を開け、室内に入った。簡素な部屋だった。綺麗なのはカーテンだけ。
ベッドの上には蒼白の顔を抑えて泣いている夫人がいた。黒い髪に地味なドレス。そして、ぼさぼさの頭。午前中に本来なら夫人の支度を整えるはずだが、彼女のケアは全くされていなかった。
食事も出されてはいるが、薄そうなスープに浮かんでいるのはおいしくなさそうな硬いパン。孤児院の子供でも食べないもの。ベアトは顔色一つ変えずに彼女に言う。
「奥様。お部屋の掃除にやってきました」
奥様と呼んだ夫人は泣いているだけ。
ベアトは小さく息をつくと、カーテンを開け放った。小さく肩を揺らして怯える夫人にベアトは呆れてしまう。
メイドに虐められて泣いているなら、そのメイドを辞めさせてしまえばいいのにと。それぐらいの権限はあるはずだ。
「窓を開けますね」
天気が良い日なのにと思いつつ、ベアトは窓を開け放った。
しくしくと涙を流す彼女を横目で眺め、ベアトは掃除を開始した。まず、ベッドから見つけたのはネズミの死骸。それを慣れたように布で包んで持ってきていたごみ袋に入れる。ささっとホウキで辺りを掃除し、最後に縁起の悪い花束もごみ袋に入れた。
「お花、交換します」
しかし、返事はなかった。
ベアトが彼女のことを嫌いな理由の一つだ。何もしていないベアトにすら怯える。
けれども、ベアトは彼女に何もしようとはしなかった。自分の仕事に関わることだけをする。
力のないものは、力あるものに淘汰される。ベアトは権力もなければ、特別に強いわけでもなかった。
だからこそ、ベアトはそんな自分が大嫌いだった。
ベアトは孤児院で生まれ育った。早くに母親を亡くして、施設にいれられたベアトはすぐに孤児院に馴染んでいった。
恐らくは貴族の出だろうと言われる金色の髪に空色の瞳。けれども、ベアトは知っていた。母親が世界を揺るがしていた怪盗であったということ。
母親との約束は怪盗の正体はばらさないこと。そして、一族の力を秘密にすること。
けれども、そんな母親は幼いベアトを残して、呆気なく馬車に轢かれて亡くなった。
部屋掃除を終えて、手にはネズミの死骸を入れた袋。室内から廊下に出たところで、ため息もついた。
「バカみたい」
ベアトからすれば世界は酷いものだった。以前、父親はわからないまま。
ふと、ごみを片手に移動していたベアトは一室で立ち止まった。おいしそうなシチューの匂い。今日はシチューだとベアトは思った。
「メルビンさん」
部屋の中に入れば、目が狐のように細い白髪の女性が出迎えてくれる。彼女はメイド長だ。
「ベアト、貴方は夫人の部屋掃除では?」
「終わりました。聞いてくださいよ。最近、夫人の部屋にネズミがたくさん出るんです」
困りましたと袋を見せれば、白髪の女性――メルビンはため息をついて袋を受け取ってくれた。
「わかりました。午前中のメイドたちには皆の洗濯物をお願いしましょう」
「はい。流石に午後から毎回ネズミの死骸を片付けるのは、私的にどうかと思っていました。というか、この屋敷はネズミ多くありませんか? 主人も帰ってきますし、いい加減一掃しましょうよ」
「ふふ、そうね。でも、私たちには権限がないのよ? ベアト、いつもありがとう」
「いえ」
ベアトにとって、メルビンは母親のようであり、先生のような人でもあった。
顔つきが怖く、本人は悩んでいる時がある。慣れてしまえば、その怖い顔もベアトにとっては関係ない。
「シチュー食べる? よそってあげるわ」
「食べます!」
メルビンがご飯の準備をしてくれる。この時間がベアトにとって幸せだった。
ベアトは近くの椅子に腰をおろし、ご飯を待つことにした。ベアト前のテーブルには辺りを照らすろうそく一つ。
彼女がベアトの食事を盛り付けようと高い食器棚に手を伸ばした時だ。背伸びしたメルビンがよろめき、なんとか足をつく。しかし、彼女の指先で触れた食器がぐらりと棚から離れた。
彼女の頭上で皿が落ちそうになり、ベアトは顔を真っ青にさせる。
「メルビンさん!」
ーー間に合わない!
ベアトが思わず駆け寄ると同時に、両手をパンっと叩いた。
ぴたりと静止した世界。
ベアトは息を切らしながら、彼女の傍に駆け寄って、彼女の上にあった大きさな皿を手に取った。
「きゃあ!」
と、同時にメルビンが悲鳴をあげた。世界が動き出したのだ。
「メルビンさん、怪我はありませんか?」
「ああ、助かったわ。ベアト、いつもありがとう」
「いえ。メルビンさんに怪我がなくてよかったです」
ベアトには秘密があった。彼女は数十秒だけ、時が止められる。
「ふふ、頭に落ちるかと思ったわ。ベアトの足は早いのね」
メルビンの言葉。ベアトは裏技をしたようなものだ。使った力を誤魔化すように、ベアトは片目を瞑ってわざとらしく、舌を出してみせた。
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