第四話
僕と比紗は連絡先を教え合わなかった。その代わりに、別れる時に「また明日。九時に」というのが、約束になった。
比紗がこの街を離れるのは、三日後。その間、毎晩会う約束をしたのだった。
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「小波! いい加減、起きろよ! もう行くからな」
午前八時十分。僕は小波の部屋の前で叫んでから、家を出た。今日は特別講習の日だった。参加は自由だが、きっとほぼ全員出席しているんだろうな、と思いながら学校へ向かう。
今日の講習は数学だ。僕はどちらかというと理数系が得意だ。それでも頭を捻る問題がいくつかあって、まだまだだな、と自分を戒める。講習は十二時半で終了した。
僕の予想通り、ほぼ全員が参加していた。教室の中は緩んだ空気に満ちていて、それぞれ帰る用意をしたり、友達と話したり、ざわざわとしている。
参考書を鞄に入れ席を立つと、斜め前にいる文香の背中が目に入った。まだ、参考書を広げ、配られたプリントに目を向けている。
文香は僕よりも成績がいい。どの科目も満遍なくできるタイプだ。僕の視線に気づいたのか、文香が顔を上げ、こちらを見た。
「あ、航太。もう帰る? 一つ教えてほしいんだけど」
プリントを手に持って、シャーペンで問いの部分を叩きながら言った。
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「ここまで来たら、この公式に当てはめたらいいんだよ」
そう説明すると「なるほど!」と言って文香は、最後の答えを導き出した。
「やっぱ、理数系は航太には敵わないな」
文香にそんな風に言われると内心、小躍りするくらい嬉しい。気がつくと教室には文香と僕の二人だけが残っていた。
「途中まで一緒に帰る?」僕はそう言って、鞄を肩にかけた。文香も自転車通学で、途中まで通学路が同じだった。
そんな僕のことを、文香は席に着いたまま、見上げている。「どうかした?」と言おうとした時だった。
「好きだよ。航太のこと」
文香は僕の顔を見つめて、はっきりとした口調で言った。
一瞬、僕の世界の音が消えた。言われたことの意味を理解するのに、数秒かかった。「えっと……」と呟きが漏れる。そんな僕の様子を見て、文香は微笑んだ。
「去年、夏祭り行った後から、ずっと好きだったんだよ。わからなかったか」
茶化すように言う。
「ごめん」何に対して謝っているのかわからなかった。
「いいよ。私、航太の彼女になれない?」
そう訊かれた時、頭に浮かんだのは比紗だった。比紗とはそんな関係じゃない。でも、僕の中で側にいて欲しいのは比紗だと思った。
「ごめん……」
僕の言葉を聞いて文香の表情が曇った。そして、俯くと大きく息を吐くのが聞こえた。しばらく沈黙があった後、「彼女にはなれなかったけど、一番の友達でいてくれる?」と訊かれた。
黙って頷いた。
「ありがと」と言うと、文香はプリントと参考書を鞄にしまい「一緒に帰るのは、ちょっとキツイから」そう言って席を立ち、教室を出て行った。
僕はしばらくその場を動けなかった。
***
自転車を漕ぎながら、自分の気持ちを整理する。
文香は僕にとって大切な存在だ。それは、友達として。一方で初めて会った日から、比紗の存在は僕の中で特別なものだった。僕の心の中に恋しさという感情を生まれさせた、という意味で。
比紗が帰ってしまえば、この日々は終わる。そうわかっているのに、理屈とは別の所で、どうしても彼女の隣にいたい、と思ったのだ。
比紗に会えるのは今夜が最後。明後日の昼には、この街を出て行く。
母が休憩時間中に家に戻った時に、置いていった鮭のムニエルを晩御飯にし、海斗に食べさせる。今日は神社の夏祭りだった。海斗は同じクラスの友達と、行く約束をしているようで、そわそわと落ち着きがない。
ご飯やムニエルをやたらと溢す。
「何やってんだよ。落ち着いて食べろ」
「だって、早く行きたいんだよ! 夏祭り」
そう言って、ご飯をかき込む。ふと、海斗は誰と夏祭りに行くのだろうと気になった。落ち着きの無さから見て、もしかして相手は女の子だろうかと考える。
ぼんやりとそんなことを考えている、僕の様子なんて全く気にすることなく、海斗は完食すると、「ごちそうさま!」と勢いよく立ち上がった。
午後八時。比紗との約束まで一時間ある。海斗には九時までに帰ってくるように言っている。でも、入れ違いになるから、ちゃんと約束した時間に帰ってくるかはわからない。
海斗や小波を、放ったらかしにしている時間があると両親にバレれば、こっぴどく叱られるだろう。
夏祭り。去年は円香に誘われて、文香と三人で行った。そう思い出したところで、今日の昼の告白を思い出す。胸がしくりと痛む。
でも、「ごめん」と言ったことは間違いではないのだ。自分の気持ちに蓋をすることは、自分だけでなく相手をも傷つけることになる。言い訳をするように、そう心の中で言い聞かせる。
これから比紗に会う。気持ちを切り替えようとした時に、あることを思いついた。
***
神社に近づくに連れ、人が増えてきた。適当な所で自転車を停め、歩いて境内の方へ向かう。去年と同じように境内に続く通路の両側には、露店が立ち並んでいた。
比紗にお土産を買って行こうと思ったのだ。
露店が放つ光は、集まった人の熱気で、より熱を放っているように見える。たこ焼き、焼きとうもろこし、かき氷……見ているだけで、わくわくするのはなぜだろう。
一つ一つ見て回るけれど、そんなに時間があるわけでもない。少し焦りを感じた時、一つの店が目に留まった。りんご飴だった。




