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五日間の恋人  作者: はやはや
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第二話

 予約客の横原様が来るまで、後三十分弱あった。僕は厨房に入り、父が書いた今日のコース料理のメモを受け取る。


 その日、水揚げされた、新鮮な魚介類だけ使いたいという父の頑ななこだわりで、seasideのコース料理の内容は、日によって変わる。


 観光業が成り立つ街だから、何とか経営できているのではないかと思う。店に来るのは、ほぼ観光客だ。


 メモに目をやる。そこには荒々しい字で、メニューが書いてあった。

【前菜・たことじゃがいもの温サラダ、小エビのオイル漬け、本日の魚料理・鯛と野菜のグリーンソース添え、メイン・めかじきのグラタン風 香草マスタード焼き、もしくは、アサリと小松菜のグリーンパスタ、食後の飲み物、コーヒーもしくは紅茶】



 カウンター席でメニューと睨めっこをしていると、円香が「お疲れ様です」と言って入ってきた。

「円香ちゃん、今日もよろしくね。予約が何名か入っているから、忙しくなるかも」

 母は、じゃがいもとたこが入ったボウルに、オリーブオイルとイタリアンパセリを入れながら、円香に声をかける。

「はい!」と返事する円香の声は、張り切っていた。


 午後五時半過ぎ。店のドアが開いた。入り口には四名の客の姿が見えた。家族のようだ。

「予約した横原です」と、父親であろう人が、カウンターにいたアルバイトの店員に言った。その声は落ち着いていて、品の良さが伺えた。

「お待ちしていました」声をかけられた店員が答え、予約席という札が置かれた席に案内する。

 店の中で一番大きな窓の向こうに、海が限りなく広がり、水平線に夕陽が沈むのが見られる席だ。

 席に案内したところで、僕がバトンタッチし、お冷とおしぼりを出す。両親、息子、娘というありふれた家族だった。



 前菜、本日の魚料理の後、メインディッシュになった時だった。衝撃的な出会いが訪れた。

「アサリと小松菜のグリーンパスタのお客様」と、訊いた時、両親の向かい合う席の、奥に座っていた女性が手を上げた。

 パスタの皿を置くために、彼女の背後に回った時。

 息を呑んだ。静謐な美しさを、彼女の後ろ姿から感じ取ったのだ。

 長い栗色の髪。

 パスタの皿を見つめる時に、その横顔が見えた。

 すっと通った鼻筋。睫毛の長さが印象的な大きな瞳。

 美人という漢字が、ぴったりな女性だった。年齢は僕より上だろう。

「おいしそう」

 呟くように言う声は、見た目よりも幼く聞こえた。


 その後、料理を運ぶ度に彼女が目に入った。淡いピンク地に紫色の小花が散りばめられたワンピース。そこから伸びる、長い腕。フォークを持つ細い指。

 彼女の体の目に見える部分を自然と記憶していた。

 そして、食後の紅茶を飲み終え、彼女は家族と一緒に店を出て行った。


***


 二日経っても、彼女の記憶は薄れることなく、鮮明に僕の頭の中にあった。そして、それを思い出す度、胸が苦しくなる。


「航ー! この問題、わけわかんない! 教えて!」

 自分の部屋のベットに寝転び、ぼんやり彼女のことを思い出していた時、小波が僕の部屋に入って来た。慌てて彼女のイメージを頭から消す。

「何だよ」と言いながら、小波に目を向けると、その手には塾の教材を持っていた。


「なるほど。そういうことか。さすが鳩葉高に行ってるだけあるね」

 教材を閉じながら小波が言う。

「馬鹿にしてんだろ」と言うと、「私も鳩葉高に行きたいんだよね」と珍しく真面目な答えが返ってきた。でも、小波の成績では厳しいかもしれない。

「マジで? 何で急に」と返すと、

「彼と同じ高校に行きたいんだ」と、俯きがちに言う。それを聞いて、合点がいった。小波が急に勉強に打ち込み出したのは、それだったのだ。

 彼氏ができたから、ネイルや化粧に、それほど時間を費やす必要がなくなり、そいつが鳩葉高を目指しているから、同じ高校に行けるように勉強を始めた。

 妹といえ、女の思考回路はわからない。付き合う相手に合わせて、高校を選ぶなんて、あり得ない。


「あぁ、こんなこと話すつもりじゃなかったのに」

 勝手に話しておきながら、後悔するように言い、「じゃ、塾行ってくる」と小波は部屋を出て行った。


 小波が部屋から出て行った後、その言葉を思い出す。

――彼と同じ高校に行きたいんだ

 そうか、小波には彼氏がいるのか。嫉妬というより、ショックという方が近いような気持ちになる。その気持ちを紛らわすために何か飲もうと思って、キッチンへと降りた。


 リビングでは、キャンプから帰ってきたばかりの海斗が、またしてもゲームに夢中になっている。冷蔵庫からオレンジジュースを出し、氷を入れたコップに注ぐ。

 テレビ画面に向かって、「よっしゃー!」と叫んでいる海斗の背中に向かって、訊いていた。

「小波に彼氏がいるって知ってた?」

 小五の弟に訊くようなことではなかった、と言葉にしてから気づく。海斗はこちらに振り返り、何でもないように答えた。

「知ってる。小波が家に連れてきたことあるもん」


 ちょっと待った、と思ったものの、そのことを根掘り葉掘り、弟に訊くのはちがうと思い、気持ちを落ち着かせる。そんな僕の心情なんて、全く気にしないかのように、海斗は言った。


「航、知らなかったの? 家に連れて来なくても、わかるよ。小波、前より綺麗になったじゃん」

 十一歳の洞察力は、こんなに長けているのか。何も返す言葉が見つからない。

「何? やきもち焼いてんの?」と言われ、さすがに黙っていられなかった。「いや、聞いただけ」と言い訳のような言葉が口から漏れた。

「航さー、頭はいいけど、そういうの鈍いよね」

 海斗はそう言って、テレビに顔を向ける。

「うっせーよ。ゲームばっかしてないで宿題しろ!」

 悔し紛れに親みたいな言い方になる。

「恋愛したことない航に言われたくない」そう言って、いーっと口を動かして、海斗がこちらを見る。もしかして、海斗も好きな子とかいるのだろうか。さすがに彼女はいないと思うが……

「お前、好きな子とかいるの?」

「は? そんなこと訊く?」

 海斗は迷惑そうに言うと「やーめた!」と言って、コントローラを机の上に放り出した。そして、僕の前を通り、自分の部屋へと入って行った。


***


 机の上にある、オレンジジュースが目に入る。それを手に取ると、全ての感情を飲み込むかのように、一気に飲み干した。

 コップの中で、カランっと氷が音を立てた。

 もしかすると、小波や海斗の方が、人付き合い、(特に異性との)が、上手うわてなのかもしれない。


 そんな僕を変える出来事が起こったのは、翌日のことだった。

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