第11話 いつか、氷が溶ける日まで
『同盟からメールが届いています』
氷の令嬢ルクリアが、鉱山調査のため古代地下都市アトランティスから地上に出てきてしばらく経つ。ロッジ暮らしに慣れてきたタイミングで、部屋に鳴り響いた見慣れないメール。
「マスター、如何されましたか。何かピコピコピーンって音がしましたが」
部屋を区切る間仕切りカーテン越しに、ペタライトがひょっこり顔をだす。普段はあまり不必要に干渉してこないペタライトがわざわざ様子を見に来るのは珍しく、おそらく天使の勘で何か気になる雰囲気が漂っているのだろう。
「ああペタライトちゃん、実は同盟からメールが届いたのよ。確か今回の調査隊そのものが同盟扱いなんだったんだけど。すっかり忘れていたわ」
「そういえば、私も守護天使の任務で同盟の拠点リーダーという役割を一つもらっていた気がします。確かここにステータスが……あれ? 拠点リーダーのステータスが外れている。どうして……」
そこでようやくペタライトは、ステータス管理のスマホ画面から自らの拠点リーダー設定が外れてしまったことに気づく。ルクリアのスマホで確認しても拠点リーダーの項目は『設定中』になっていて、いわゆる誰も席についていない状態だった。
「ちょっと待ってね、今メールの内容を読むから。えぇと……拠点リーダー変更のお願い。今後予想される大寒波に向けて、一時的に拠点リーダーを防寒効果の高いキャラクターに変更したくメールをしました。ルクリア嬢のペットのモフくんには、大寒波を乗り切れるチートスキルが設定されており、春までの間だけでもモフくんにリーダーを変更するのがベストであると判断しました」
「えぇっ? モフくんって、ミンク幻獣のモフくんですよね。そんな秘密の設定があったんですか」
ペタライトとモフくんは同じマスターを持つ者同士で、それなりに親しくなってきていた。だが、お互いのスペックを把握しているわけではないようだ。特に、モフくんに大寒波から身を守るスキルがあるとは、ルクリアでさえ予想しなかった。
「みたいね。それにモフくんの同盟のキャラ設定では幻獣ではなく精霊扱いだわ。まぁ私としては、モフくんがミンク幻獣でもミンク精霊でもどっちでも良いけど。モフくん、あなた拠点リーダーになれる?」
「もきゅっもきゅきゅーん!」
ようやく自分の実力を世間に見せる日が来たことに、モフくんは喜びを隠せない様子。ルクリアのライティングビューローの上でちょっぴり背伸びして、細い胸をめいいっぱい張り自分を大きく見せようとしているようだ。
「けどモフくんって、オークションハウスでは悪い密輸業者に拉致されそうになっていたし。似たヴィジュアルのカワウソもたまに悪徳バイヤーに誘拐されているわよね」
「ふぇええ大変でしたね。モフくんが無事で良かったですぅ」
「あの時のことを考えるとわざわざ目立つポジションに置くなんて、正気の沙汰とは思えないけど。だってあの時にモフくんが捕らわれなければ、彼にあんな傷を負わせないで済んだし。あら、私……誰のことを?」
嫌なエピソードが頭をよぎったが、フラッシュバックする記憶は何処か曖昧だ。モフくんがオークションハウスで拉致された際にルクリア以外に誰かいたはずだが、モヤがかかって思い出せない。
「マスター、大丈夫ですか。頭痛なら風邪の症状では? 今はレンカちゃんの加護のシールドが拠点周辺に張られてますし、モフくんだって安全です。風邪予防に思い切ってモフくんのチートスキルを借りましょう」
「もきゅもきゅきゅー」
「そう? じゃあ、思い切って……」
スマホの拠点リーダー変更画面をスワイプして、一覧からモフくんを選ぶ。
『設定変更しました。拠点リーダーモフくん。大寒波から、寒さが五十パーセント軽減されます』
モフくんの頭の上に小さな星が一つ浮かび上がる。おそらくこれが、拠点リーダーの証なのだろう。ペタライトの頭の上にも何かキラキラものが輝いていたが、元が天使であるため光の輪なのか星なのかはイマイチ判別がつかなかった。
「あら、何だか気温がちょっとだけ上がったみたい。これから就寝時間でもっと冷え込むと思ったけど、これなら平気そうね」
「明日の朝みんな風邪ひきなんてなったら大変でしたものね。モフくん、偉いっ」
「きゅるるーん」
設定変更の効果は思ったよりも早く出るようで、電波時計に表示されている部屋の温度も何度か上がったようだ。ただでさえ氷河期の影響を受けている地上なのに、これ以上寒くなってはかなわないだろう。
「モフくんのおかげで今日は良い夢を見れそうね。ペタライトちゃん、モフくん、お休みなさい」
「お休みなさい、マスター」
「もきゅきゅーん」
二重窓でも今夜の寒波は防げないくらい寒いと予想されていたはずだが、不思議と風がおさまった。同盟が緊急でリーダーを変更したがった気持ちが分かる気がした。拠点リーダーの変更効果は、同盟の舵取りの中でも特に重要なのだ。
* * *
暖かいベッドの中で微睡むルクリアは、先ほど甦りかけた記憶の断片を垣間見る。
黒髪を靡かせた美しい少年の額には、ルクリアの氷の欠片が飛び散って出来た傷が一つ。けれど彼はルクリアの冷たい手を取って、笑って見せた。
『大丈夫、ルクリアさんはオレの命の恩人だよ』
『嗚呼、私は何てことを。助けるつもりが一生残る傷を負わせてしまうなんて』
彼を忘れてはいけない。
彼はとても大事な人だ。
ルクリアはその大事な誰かを記憶から消去してしまった。
けれど、氷が溶かされる時にきっと記憶は甦る。そして、その日はゆっくりと近づいているのであった。




