第09話 その旋律は心を奪う
「合唱チームの各代表による独唱一曲目は、歌唱レンカ・レグラスさん、伴奏ルクリア・レグラスさんによるスメタナ作曲『モルダウ』です。隣国モルダバイト国との境界にある川の名もモルダウであり、川の名前の由来はこの異世界の名曲に登場するモルダウ川だとされています。本番の演奏会当日は隣国モルダバイト国からゲストを招く予定もありますし、選曲としても素晴らしいチョイスと言えるでしょう!」
レンカが独唱に選んだ曲は、異世界の名曲……スメタナ作曲の『我が祖国』第二曲にあたる『モルダウ』だった。歌物として見るなら本来は合唱曲として有名だが、敢えてレンカは独唱として歌い上げるつもりだ。
伴奏に徹しながらもルクリアは、別れの曲とは違った難易度のこの曲に手応えを感じていた。
(別れの曲は、クラシック界でもこれ以上ないとされるほどの名曲。だからそれに代わる名曲を……と言われても、すぐには思い浮かばなかったけど。レンカったら、まさかこんなハイレベルな曲を選ぶなんて)
合唱通の学生達の間では『モルダウ』を上手く歌えれば、コンクールで上位を狙えるとされるほどの有名曲。それくらい、この曲には人々を惹きつけてやまない引力のような魅力がある。
ルクリアのピアノ伴奏が始まると客席の生徒達はこれがリハーサルであるにも関わらず一斉に固唾を飲んだ。まるで彼女の弾く旋律は切なくも美しい、祖国の川の流れを讃えるかのようだった。
序盤のピアノ伴奏から楽曲のストーリーが見えてくるものは珍しく、本来の位置付けが第二曲であることを忘却の彼方に置き去りにするだろう。
ピアノと調和するかのように、レンカが哀愁の漂う旋律を言葉に変えて歌い上げていく。
(それにレンカの歌い方、歌唱力で勝負するというよりも魂の奥底から訴えかけるような。言葉では言い現せないくらい、力強いものを感じる。我が祖国か……もしかして……レンカの祖国は本当にモルダウ川の境界か、隣国モルダバイトなのかも知れないわね)
何処かでレンカという人間が、旧メテオライト国出身では無い気がルクリアはしていた。不思議とレンカが歌うモルダウは本当に祖国を想う者にしか歌うことの出来ない、旧メテオライト国の人間にはここまで歌うことの出来ないものだと感じるものがある。
国境に位置するモルダウ川は法律上、旧メテオライト国ではなく隣国モルダバイト国に属している。
由来となる異世界ではチェコと呼ばれる国にあるらしいが、やはりチェコもモルダバイト国のように美しいガラス細工で溢れているのだろうか……。と、ルクリアが無意識に隣国へと想いを馳せると、ついに楽曲がラストを迎えた。
「「「「うぉおおおおおおお!」」」
「「「レンカちゃんっ素晴らしいよっ」」」
「「「ルクリアさまぁ! 麗しいっサイコーです!」」」
拍手喝采、という表現が相応しい。
気がつけば観客席はスタンディングで、ルクリアの伴奏とレンカの歌唱力に心を奪われていた。レグラス伯爵はもちろん、レンカの恋人であるオニキス生徒会長も満足げな表情で二人を見守っている。
「ありがとう……皆さん、ありがとうございました! うぅ……私、難しいモルダウ……ちゃんと歌えたよ。これで、これで……!」
舞台から立ち去る際に、拍手をくれた観客席にお礼を述べるレンカ。引き続き伴奏をしなくてはならないルクリアは、観客席に会釈をすると次の歌い手となるカルミアを迎える。
『カルミアって子、こんなに凄いレンカちゃんの後に歌わされるなんて可哀想。大丈夫かな』
『仕方がないよ、レンカちゃんはレグラスファミリー楽団のメインボーカルだし。苦学生で仮設暮らしのカルミアさんとは、練習量も違うだろうし。誰も本気で比べないって……』
瞬間、やり切った感動で泣きじゃくるレンカと強張った表情で舞台に上がるカルミアがすれ違う。既にレンカの中にはカルミアに対する恐怖心やプレッシャーは感じられず、立場が完全に逆転してしまっていた。
だが、ほとんどの生徒は本来のレンカのポジションがカルミアだったことすら、知らない……覚えていない。
人々の記憶では『別れの曲』を歌ったのはレンカであり、カルミアではないことになっている。乙女ゲームの主人公カルミアは、存在そのものを第二主人公であるレンカに譲渡して消去されていたのだ。
「さあ、次の独唱は仮設チーム代表のカルミアさん。レグラスファミリー楽団が以前演奏したことでも知られる『別れの曲』です。今回のリハーサルでは伴奏担当は同じくルクリアさんが行います!」
『まぁ今回はカルミアさんの分の伴奏をルクリア様が引き受けてくれるし、大丈夫なんじゃないの。問題は本番の伴奏してくれる人を仮設チームで見つけないとね』
『あっ……始まるわよ』
モルダウの激しさを含んだ序盤とは異なり、淑やかな始まりの『別れの曲』は本来ならばカルミアがかつてレグラス家の演奏会で披露した曲。レンカに奪われた功績と捻じ曲げられた記憶、それをここで取り返そうというのだ。
レンカと比較されることが懸念されていたが、いざ演奏が始まるとそんなことは気にならないくらいカルミアの歌唱は優れていた。
思わずカルミアの歌声に聴き惚れる観客、そして伴奏のルクリアもカルミアの天性の才能と、カルミアと共に練習を重ねたというあり得ないはずの記憶に心を揺さぶられていた。
(何故? カルミアさんの歌声、なんだかとても懐かしいわ。それに、初めて演奏を共にするはずなのにまるで何度も一緒に練習したかのような一体感。それに、何より……この子、練習の時間をキープするのが難しいはずの苦学生とは思えないほど歌がすごく上手い)
最後まで歌い切るとカルミアも緊張が隠し切れず、胸に手を当ててからゆっくりと観客席にお辞儀をする。
「私の歌を聴いて下さって、本当にありがとうございました。今回は別チームであるルクリアさんが素晴らしい伴奏をしてくれましたが、本番までには仮設チームのメンバーで曲を完成させたいと思います」
カルミアの口調からすると、別チームのルクリアのチカラを借りたこの『別れの曲』は未完成であると考えているのだろう。
「「「うぉおおおおおおお!」」」
「「「カルミアちゃん、よく頑張ったね!」」」
「「「ルクリア様、連続の伴奏お見事でしたっ」」」
しかしながら、未完成とはいえ今回の演奏の出来を讃えて、観客から拍手と激励が送られた。本番は仮設チームの生徒が伴奏する予定のため、同じクオリティではなくもう少しクォリティが下がってしまう可能性もある。
けれど、それでも仮設チームでこの楽曲を完成させることに意味があるとカルミアが考えているのは伝わった。
鳴り止まない拍手。
『二人とも本当にレベルが高いっ!』
『今回の演奏会は、アトランティス魔法学園になってから初の演奏会に相応しいものになりそうだ!』
『仮設チームは、早く良いピアノ伴奏者が見つかるといいね』
レンカとカルミア、どちらの独唱が優れていたかを比べる者は既にいなかった。
理由は、課題曲である『モルダウ』と『別れの曲』のどちらが優れているかを比べる者がいないのと同じ。二つの美しい歌を比較するなんて、馬鹿げているということだ。
けれど、レンカにとって肝心なたった一人の男だけは、二つの美しい歌のうちの片方に酷く心を奪われていた。
「あの子が、カルミア……。あの歌声をどうしてこの魂は忘れていたんだ。カルミアこそが、真の……聖女だ」
カルミアの歌声に心を奪われてしまった男。
それは、本来ならカルミアと両想いであったはずのオニキス生徒会長だった。




