第06話 秘密を記した書物
熱に魘されたルクリアをギベオン王太子が寝かしつけて、部屋から出ると廊下ではカルミアが腕を組みジッと待っていた。
「お疲れ様、ギベオン王太子。ただ単にお姉様を寝かしつける割には遅かったわね。思わず様子を見に来ちゃった! ねぇ、病弱なお姉様なんか辞めて、私とお付き合いしましょうよ。王妃になるのはお姉様も負担だろうし、お互いのためだと思うわ」
上辺は無邪気にくっついてきたカルミアだが、その瞳のうちに秘めた光は野心に満ちていた。強引に腕を絡めて纏わりつく姿は一歩でも間違えれば、因縁でも付けているようだ。
が、幾度となく繰り返されたタイムリープで、カルミアという少女の性質を理解しているギベオン王太子からすれば、いつものカルミアだという感覚を持った。
父親の前では随分とぶりっ子をしているように見えたが、体裁を繕う必要のない人間の前ではこのような態度なのだと分かる。
お目付役なのかモブメイドと渾名された栗色の髪の女が、黙ってカルミアを見守っている。おそらく、万が一の時のボディガードが彼女なのだろう。
「おや、カルミアちゃん。もしかしてお姉さんのことが心配でずっと待っていたのかい? 今日は寒いんだから、キミまで風邪を引いちゃうよ。早く一階に戻って……」
柔和な笑顔で上手くカルミアをこの場から撤退させようとしたが、微動だに動かずカルミアは話の続きを始めた。
「誤魔化さないでよ、ギベオン王太子。貴方、この世界が乙女ゲームのシナリオ通りに進むって知っているんでしょう。なら、何故ルクリアお姉様から私に乗り換えてくれないの。ゲームのシナリオ通りに進めていくことが、この世界のルールだと思わない? 知ってると思うけど、この乙女ゲームの主人公は【夢見の聖女カルミア・レグラス】つまり、私よ!」
「噂には聴いていたけど、随分とその乙女ゲームというものに嵌っているんだね。けどさ、キミが語る乙女ゲームと僕が知っている乙女ゲームでは、内容が違うかも知れないよ」
自分をこの世界の絶対支配者だと信じているカルミアからすると、根本的な設定を覆しかねないギベオン王太子の話は不都合に違いなかった。
「ここじゃ、ゆっくり話せないわ。メイドも連れて、音楽室へと移動しましょう。楽器を取りに行くという名目で二階に上がって来たし、丁度良いと思わない? 行きましょう。私の方が正しいって、分からせてあげるから!」
相手の返事を待つことなく、さっさと音楽室のある方向へと移動するカルミアは、既にこの世界の支配者気取りだった。
仕方なくカルミアの与太話に付き合う事になったギベオン王太子だが、もし自身の知らないこの世界の情報が得られれば……と計算している面もある。
(こういうやり取りを倭国では狐と狸の化かし合いというらしいが、まさにそんな感じだ。さしずめ、金髪のカルミアがキツネで亜麻色の髪の僕は狸だろうか? 顔立ちだけなら、真逆なのに)
* * *
いつ来客が来ても良いように準備していたのか、音楽室は寒波にも関わらず暖房が効いていてほど良い室内温度だった。備え付けの楽器は、漆黒のグランドピアノ、チェロやバイオリンなどの弦楽器、フルートやラッパなどの管楽器はもちろん、打楽器も揃っていた。
「どう? 久しぶりのレグラス邸の音楽室のラインナップは。お父様ったら長いことバイオリンに夢中だったけど、最近は異国の音楽にも詳しくなりたいらしくてウクレレを習い始めたのよ。そのうち一曲マスターしたら、お披露目してくれるかも」
「へぇ。勉強熱心だよね、レグラスは伯爵って。それに本当に演奏が好きみたいだし、いつも楽しそうで何よりだ」
レグラス伯爵は民族楽器にも興味が出ただけあって、ウクレレの他にカリンバなども用意してある。とはいえ、楽器の構成からしてここの楽器を全て活かすにはクラシカル調が中心となるだろうが、簡単な演奏会が出来そうな雰囲気だ。
「……寂しいのよ、お父様は。お姉様の実のお母様は若くして病気で亡くなったし、私のお母さんだって不慮の事故で死んじゃった。私達姉妹と音楽だけが、お父様の心の支えなんだわ」
「だったら、何故異母姉妹で仲良くしようとしないんだ。キミ達が仲良くすれば、レグラス伯爵だって喜ぶだろう。変に乙女ゲームのシナリオなんかに嵌らないで、もっと自分を持ったらどうなんだ?」
「だから分かっていないのよ、ギベオン王太子は! いい? 魔法都市国家メテオライトは実は呪われているの。いつか、滅びの日がやって来てみんな死んでしまうわ。けど、私が……夢見の聖女の私が王妃にさえなれば、この国は救われるの!」
(分かっていないのは、キミの方だよカルミア。キミは乙女ゲームの主人公かも知れないが、本当の聖女ではない。何人もの王子と自由に恋愛するシミュレーションのために作られた夢オチ要員、それがキミの正体。だから、この国が滅んだ後、天国と気づかずに夢の中で複数の男と何度も同じ時間を繰り返しながら恋愛出来るんだ!)
「……!」
何か言いたげな表情でグッと黙り込んだギベオン王太子をやり込めた気でいるのか、カルミアはメイドに持たせていた荷物から一冊の本を取り出す。
「ふふん。反論も出来ないってカンジ? とどめの証拠を見せてあげる。この世界の秘密を記した書物【夢見の聖女と彗星の王子達完全公式攻略ガイドブック】をね……!」
その本は、おそらくこれからこの世界で起こるであろう出来事が、最もらしく記された乙女ゲームの攻略本だった。
「攻略本ね……その内容を僕に見せて、一体何になる。誰かが書いた嘘の内容かも知れない」
「ふんっ。じゃあちょっとだけ、攻略本がどれくらい役立つか証拠を見せてあげる。裏技その一……好感度が上がるとフラグが立つという方法よ。私と貴方が入学前にメールアドレスを交換するでしょう。すると、ギベオン王太子との新フラグが発生……オークションハウスがオープン。本来は貴方が計画を頓挫させるオークションハウスだけど、私とのフラグを少し上げたからルートが変わって、初期ルートでは存在し得ないオークションハウスに出入り出来るようになるの」
「つまり、キミはキミ自身のちょっとした行動が現実世界に影響を及ぼすと言いたいのか、ふん、とんだ自惚れやだな。もし、本当にオークションハウスがオープンしたら、信じてもいいよ」
だが、その日のうちに中断しかけていたオークションハウスはオープンが決定し、あろうことかギベオン王太子に招待状が届くのだった。是非、婚約者と一緒に遊びにいらして下さい……と。