第08話 唇で塞いだ答え
冬の海岸デートは美しくもあり、物哀しさも漂っていて、二年後の未来に破局が待つとされている二人の心境にピッタリだった。けれど、せっかくの四年に一度しかない二月二十九日の誕生日に、ルクリアもギベオン王太子もそんなことをお互い言わない。
きっとこの世界がこれから乙女ゲームのシナリオ通りに進んだとしても、今の自分を守るためには言ってはいけないのだ。
ルクリアはそのことをよく理解しているつもりだったし、ギベオン王太子もなるべく未来について触れないようにしていた。
――目に見えてルクリアの情緒が、未来の夫の存在に揺れ動くまでは。
「まだ寒いわね、けど明日からは三月になっちゃうから。だんだんカレンダーに合わせて、気温も暖かくなるのかしら」
「今年の冬は例年よりも寒かったし、二月が一日増えるくらいで丁度いいんだろう。ルクリアの守護精霊は、冬を司る氷の精霊ベイラだったな。この国の中でも珍しいタイプの守護精霊がついているのも、きっとキミが四年に一度の特別な冬の日に生まれたからなんだろう」
「きっと氷の精霊ベイラは、一日だけ冬が増えるこの日に生まれた私を選んで、自分自身も一日でも多く冬を過ごせるように工夫したんだわ。ほら、守護精霊って誕生日の日に必ず守護する人間のそばに居るっていうし」
明日になれば、三月一日となり春の季節を迎える。本当は、二月という月は二十八日しかないから今日という日は四年に一度のオマケの日だ。冬という季節を一日分だけ多く過ごせる氷の令嬢へのご褒美の日、それがルクリア・レグラスの誕生日。
冬を司る氷の精霊ベイラが人間を守護することは極めて珍しかったが、その対象となる人間が特別珍しい日に生まれているのだから、守護理由としては充分納得いくものだった。
そして、その珍しい守護のチカラが影響して、氷の令嬢と呼ばれる程の絶対零度の魔力をルクリアが宿していても仕方がないこと。
「そうか。そういえば伝承だと、どんなに珍しい守護精霊でも誕生日の日だけは、ずっとその人間のそばに寄り添っているんだったな。ということは、今僕達は冬を司るベイラにやり取りを見られているわけだ」
「うふふ、そういうことになるわね。この海岸はあまり人が多く見えないけど、どこかでベイラが見てるなら恥ずかしい行動は取れないわね」
「確かに、なんせ絶対零度の魔力の源だからな」
(私この閏年閏日に生まれて、氷の守護精霊ベイラから魔力を授けられて、絶対零度の氷魔法を使えたが為に……ネフライト君は額に一生の傷を負ったんだわ)
ふと、ルクリアは海岸を歩いていた足を止める。ネフライトのことを考えたばっかりに、ギベオン王太子との会話もピタッと止まってしまう。冷たい風がルクリアの銀髪と頬を撫でて、辛うじてまだ時間が止まっていないことを感じさせる。
「……ルクリア、どうしたんだ?」
「いいえ、ごめんなさい。ちょっと歩き疲れただけ」
だがルクリアの心を示すように、その冷たい風さえもすぐに止まってしまった。
まるで、すべての時間が氷に閉ざされて停止したようだ。
「……ルクリア!」
「えっ……ギベオン王太子?」
情緒が安定しないルクリアを、ギベオン王太子はキュッと引き寄せて抱きしめた。一瞬だけ、心ここにあらずとなったルクリアの本音を見抜いているようだ。
「ついに、未来のことを知ってしまったのか? 今、キミを抱きしめているのは……この僕だ。乙女ゲームのシナリオで、未来の夫が誰であろうと。今は、この時点でキミの婚約者は僕だ。ネフライト君ではなく僕だけを見て、感じて」
「もしかして、ギベオン王太子……未来の夫のこと……ネフライト君が私の未来の相手だと気づいて?」
「ああ、ネフライト君がキミの未来の夫だって、わざわざカルミアさんが教えてきてね。まぁ、あと一ヶ月で新年度だ。カルミアさんも乙女ゲームの開始に興奮しているんだろう……いつものことだけれど。だがそれだけじゃない、キミの心の中に確実に誰かが住み始めた……」
ギベオン王太子と二人きりの時は、未来の夫ネフライトのことは考えないように心掛けていた。だが、ルクリアの心の奥に未来の夫ネフライトが存在してしまっていることに、ギベオン王太子は気づいていた。
「彼はまだ三歳年下の十三歳の少年よ。たった三歳差だけど今の段階では、恋愛対象ではないの」
「けれど、キミはこれまでネフライト君の存在を気にかけていなかったはず。でも未来を知れば、嫌でも彼を見る目は変わる。今はまだ、恋愛対象でないとしても」
恋愛対象ではないはずなのに、大人の記憶を持ちながら子どもとして過ごさなくてはならない彼の縋るような瞳を思い出すと、途端に心がグラグラと揺れ動く。
恋ではなくてもネフライトを気にしてしまうほどは、未来の夫である彼を特別な感情で見ていることは確かだった。
ギベオン王太子がルクリアの頬に手を添えて、口付けを要求するような仕草をする。けれど様子を見ているのか、彼はルクリアの目を見つめて無言で本心を覗き見ているのみだ。
「ごめんなさい、私……私。自分でもどうしたらいいのか、分からないの。だから、今は……」
「じゃあ、答え合わせをしようか? 今、キミが誰を好きなのか」
ルクリアが次の返事をする前に、ギベオン王太子との距離はゼロになり唇が塞がれる。どうやら彼は、言葉を介しては答え合わせをする気は無さそうだった。
やがて、冷たい冬は終わりを告げて氷をも溶かす春が始まった。




