第02話 ティータイムでは未来の夫と
清らかな水を湛える庭園の噴水が住人達を見守り、大理石のエントランスは高級絵画の本物が飾られていて美術家のようだ。受付で管理人に挨拶をして部屋番号を伝えると、ボディガードがやってきて丁寧にルクリアをエレベーターで送り、最上階までの道のりをしっかりと案内してくれた。
何処かの宮殿かと勘違いしてしまいそうな超豪華なマンションは、西方大陸のジェダイト財閥が一棟丸ごと所有しているもので、ネフライト君とアレキサンドライト氏兄弟が暮らす部屋は最上階のフロア全てだった。
「もきゅきゅ!」
「うふふ。嬉しいのモフちゃん。ネフライト君に会うのも久しぶりよね」
「もきゅ!」
オークション会場で引き取られて以来、庭で多少の散歩はしているものの初めての外出となるミンク幻獣は興奮気味だ。
密輸入組織から助けてくれたお礼に、財閥所有のコレクションを見せてくれると誘われて、ジェダイト邸まで遊びに来たルクリア。
一番の目当ては、この世界の未来が描かれている乙女ゲームの攻略本だ。まさか、ネフライト君がオークション出品の所有者本人とは思わず、拍子抜けしたのも事実。
ピンポーン!
「いらっしゃい、ルクリアさん。それからミンク幻獣のモフ君……って名前になったんだっけ。今日は兄さんは仕事でいないから、遠慮しなくていいよ入って」
「ありがとう、ネフライト君。これ、お土産よ」
呼び鈴を鳴らすと、制服姿よりも若干大人びた黒のファッションのネフライト君が出迎えてくれた。まだ成長中の彼だが、将来的にはお兄さんのように手足が長くなりそうな気配がさっそく漂っていて、不思議な威嚇力がある。
だが頭の包帯は取れていなくて痛々しい……いきなりそのことに触れるのも気まずいので話題を避けた。手土産に人気パティシエが経営するケーキを持参して、なるべく話題を楽しい方に向かわせるように気を使う。
「わぁ! パティシエールメテオのケーキ? 嬉しいな。さっそくコレクションを眺めながら頂こう」
「ふふっコレクションか、楽しみだわ。お邪魔します」
「もきゅ、もきゅ、もきゅ!」
適当に座っていてと促されたソファはおそらく超高級メーカーの特注品で、ちょこまかと動くミンク幻獣を連れてきて良かったのかとルクリアはほんの少しだけ心の中で不安になる。細やかなモフ君の爪先が『ガリッ』と黒い皮を傷つけた気がして、モフ君を必死に抑えつけた。
「ああ、モフ君の動きが気になるなら、彼のために用意した隣のペットケージで休ませてあげるといいよ。実はモフ君用にイタチのペットフードを買っておいたんだ」
「あら、ありがとう……。これは、ペットケージが超高級ブランドのバッグと同じデザイン、はっ……ペット用のお皿まで」
わざわざモフ君用に用意したという緊急のペットケージや皿などの類まで、有名ハイブランドのモノグラム柄商品で揃えられていて戦慄が走る。
「それから、オレ。ティータイムの流儀みたいなのよく分からないから、その辺の高級っぽい適当な皿とか食器でいいよね。ごめんね、次はもっとマナーを調べてくる」
「いいのよそんな、お友達なんだから。堅苦しいのは無しよ」
「ヘヘッお友達かぁ。オレ個人としては、彼氏候補になりたいんだけどなぁ。なんて。ギベオン王太子に怒られちゃうね。はい。出来たよ」
そして、『適当に家にあった紅茶を淹れて、その辺にあった皿に何となくケーキを飾る』と語ったネフライト君。だが、その適当な紅茶は庶民には到底手が届かないメーカーの一級品で、その辺にあった皿は伝統ある陶器メーカーの限定デザインのものだった。
(どうしよう家にある品物の一つ一つが超高級品で、僅かな失敗も許されない雰囲気だわ。ギベオン王太子ですらこんなに高級品に囲まれていないのに。これがいわゆる西方大陸の大財閥のおチカラなのかしら? しかもここって本宅じゃなくて、留学用の拠点のひとつに過ぎないなのよね)
ルクリアの奇妙な緊張感とは裏腹に、この部屋が日常であろうネフライト君は気にせずケーキを選んでいる。余談だが手にしている銀食器はメテオライト国王室御用達のもので、見覚えのあるものであるが、正式な場ではなく日常で使われているとは思わなかった。
サラサラの黒い前髪を揺らして首を傾げながらケーキを選ぶネフライト君は、フォークを持つ手の動きや箱を開ける仕草などが洗礼されていて、将来はお兄さんと同じかそれ以上のイケメンになるであろう資質を感じさせる。
(何だか末恐ろしい子と二人きりでケーキを食べることになっちゃったわね。学校にいるときは、意外と馴染んでいて気付かなかったけど、上流のオーラが全身から漂っているわ)
何故、三歳上で王太子ギベオンの婚約者であるはずのルクリアの方が、ネフライト君相手にここまで緊張しなくてはいけないのか。
氷の令嬢などと気位が高そうな渾名を付けられているせいで、ルクリア自身も自惚れていたのかも知れない。確実に相手の方が格が上だと全身で分からせられている感覚に、眩暈がしそうだ。
(子供相手だからと言って、カジュアルな装いで来たのは失敗だったのかしら。こんな事なら、もっと気合を入れたファッションやブランド品のバッグを持って来れば良かった)
だが、相手がここまで上流オーラ全開だと、もはや適当なブランド品では手も足も出ないだろうし、自然体で生きていった方が無難だと実感する。
「じゃあオレ、チョコレートケーキを貰っちゃっていいかな。こういうチョコって、オペラってやつだよね。たまに人から貰うけどケーキの中は一番好きかな」
「そう? 好みに合うものがあって、安心したわ。じゃあ私も頂くわね。ん……美味しい!」
「……ところで自然体のルクリアさんってさ。意外と、幼いっていうか可愛い系で年相応だったんだな。何だか安心しちゃった。浮世離れしたイメージがあったから」
まさかこんな浮世離れした少年に、そんなことを言われるとは夢にも思わずに『えっ……親しみやすくなったなら、良かったわ』と、顔を赤らめて動揺を隠せないルクリア。
部屋に用意されたコレクションの中にはお目当ての乙女ゲーム攻略本も確認出来たが、動揺しっぱなしのルクリアはまずは緊張を落ち着かせるのに必死だった。
――正式なルートでは彼こそが、自分の未来の夫になる相手とは夢にも思わずに。




