第11話 令嬢は冷たい微笑みを浮かべて
「おいっ。アイツは、どっちへ向かった?」
「それが、かなり俊敏な動きで追いかけたものの捕まえられなくて」
「何かがあってからでは遅い! オークションハウスの外にだけは絶対に逃すなよ。この建物の中で、全てを終わらせるんだっ」
慌しく走る警備員らしき男達、指示を出す上司の焦る声、そして建物から何かを逃さないようにとの命令がルクリアにも聞こえてきた。
(建物の外に出すなって、もしかして逃走した犯人のことかしら。それとも今オークションにかけられている幻獣っていうのは、そんなに凶暴なの? どっちにしろ、危険には違いないわ。早く行方不明のネフライト君を見つけないと)
思わずここまで駆けてきてしまったが、要領の良いギベオン王太子が上手く説明をしてくれるはずだ。
長い付き合いで、ルクリアはギベオン王太子の機転が効くところを信頼していた。高い魔力を持つ者の性なのか、氷の令嬢と渾名が付くくらいには、冬の季節になると氷魔法で無謀なことをしている。必ずと言っていいほど、そんな無茶をするルクリアをフォローしてくれるのはギベオン王太子だ。
そう……ルクリアとギベオン王太子は婚約者でありながら、お互いが良き理解者であるはずだった。
だから、例え乙女ゲームのシナリオで破局することが確定していたとしても、ルクリアはギベオン王太子以外に誰か好きな人を作るのは難しかった。彼女がギベオン王太子を諦められない理由は、自分を自由に活かしてくれるところでもある。
「とにかく、このままじゃ私自身も無防備よね。まずは自分の身くらい守れないと。氷魔法……発動! 結晶の障壁で私を守って」
ヴィイイイイン!
手のひらに魔法陣を浮かべて、氷魔法による障壁を自らの周辺に漂わせる。ふわふわと浮かぶ六角形の結晶は、ルクリアを全ての外敵から守るバリアのようなものだ。この魔法さえ発動中であれば、銃弾も攻撃魔法も簡単にはルクリアを傷付けることは出来ない。
すると、魔力の変化に気づいたのか、警備員の一人が捜索している輪のそばにルクリアが近づいてきたことに気付いて呼び止めた。
「おや貴女は、ルクリア・レグラス様ですね。すみません、実はオークションの幻獣が一匹逃げ出してしまいまして。貴重ゆえにとても高級な幻獣なので、動く大金とでも言いましょうか。外に出さないように出入り口は封鎖してしまっているんです」
「そうだったんですか、ではあの銃声は……?」
「あれは音こそ物々しいですが、幻獣用の麻酔銃ですよ。一応安全なもののはずですが、驚かせてしまったんですね。申し訳ない」
銃声の音の正体が、幻獣を眠らせるための麻酔銃だと分かり一旦はホッとする。だが、次の情報はとてもじゃないが安心出来るような内容では無かった。
「実はですね……幻獣というのは俗に言うミンク系の生き物なんですが、その毛皮の価値が現在高騰しておりまして。オークション会場に侵入した密輸入組織が狙っているかも知れないんです。だから、我々が持つ麻酔銃以外に本物の銃を持っている連中が混ざっている可能性も」
「えぇっ? ミンク系の生き物、それで高級な幻獣って言っていたのね。しかも密輸入組織がいたなんて。やだわ、今ちょうどオーナーの弟さんのネフライト君が行方不明なの。人質にでも取られたらって。ギベオン王太子も動いてくれていると思うけど」
「では、手分けして探しましょう。我々は幻獣の捕獲と密輸入組織を追いますから、ルクリア様はネフライト様のいそうな場所をお願いします。彼は地下室の鍵を持っているそうなので、そちらがあやしいかと」
* * *
コツコツと黒のブーツを響かせて、地下室への階段を降りる。ちょうど地下の廊下に辿り着き、倉庫室へと向けて歩き出すとヒュッ……と足下で何かが動く気配がした。
「えっ……今のって?」
「きゅいん。きゅいきゅい……」
一見、イタチのようなビジュアルのちょこまかと動く生き物が、ルクリアのブーツの周りをウロチョロとまわり始めた。どうやら、お腹が空いているらしくおやつをねだっているようだ。
「この子は……もしかして、幻獣? 本当に。ミンクそっくりね。お腹が空いているの? これ、人間用の非常食だけど食べる」
「きゅん! きゅきゅん」
ミニバッグから取り出したのは、万が一のための非常食として持ち歩いていたスティックタイプの携帯非常食だ。ドライフルーツが混ぜてある女性向けのスティックバーは、ダイエット中の女性の置き換えダイエット食品としても利用されている。
かと言ってルクリアは別にダイエットをしているわけではないのだが、緊急時のために小さい携帯非常食を持ち歩いていて良かったと思った。
もきゅもきゅ、もきゅもきゅ!
「うふふ、可愛い……!」
ミンク系幻獣はドライフルーツが気に入ったのか、硬めのスティックをもきゅっと音を立てながら、ぽりぽりと平らげていく。小さな身体で、結構食べるところをみるとやはり普通のミンクではない。
「ルクリアさーん。良かったぁ。そのミンク、檻から脱走しちゃったみたいで。捕まえてくれませんか?」
「ネフライト君! 無事だったのね、何か事件に巻き込まれてたらどうしようか、と……ん、むぐっ!」
笑顔で手を振るネフライトの背後から、ナイフを手にした柄の悪そうな男が一人そっと近づいて来て、瞬間ネフライトの口を塞いだ。仲間もいるらしく、さらにルクリアのこともナイフを突き出して脅かして来る。
「おぉっと、このガキの命が惜しかったら動くなよ。大人しく、その高級ミンクをこっちに寄越しな!」
「そうすりゃあ、ガキの命だけは……ほう、あんた随分と別嬪さんだなぁ。人質ならこっちの方がいい……か」
上から下まで品定めをするような目でルクリアを見てから、男たちはゆっくりとルクリアに歩み寄って来た。
「んん……むぐっ! ルクリアさんっオレに構わず逃げてっ!」
「うるせえこのクソガキっ」
「ぐ、うわぁ!」
人質というなら乱暴はしないはずだが、すでに次の人質をルクリアに鞍替えしたのか。ネフライトへの態度は悪く、いつもっと酷い暴行を振るわれてもおかしくない雰囲気になっていた。後頭部を殴られて意識が朦朧としている様子のネフライトに危機感を覚えたルクリアは、すぐに男達に取り引きを交渉する。
「分かったわ。貴方たちは、ミンクよりもその男の子よりも、私を捕まえたいのね。いいわ、取引しましょう」
「意外と話が分かるじゃねえか……まぁケモノやガキをとっ捕まえたところで、オレたちにはいいことなんかねぇしよ。まぁ闇取引の前にオレ達ともちょっとだけ、遊んでくれりゃあ……このクソガキのことは見逃してやってもいいぜ」
「男の子を解放する方が、先よ」
一瞬、どうする……と言った風に男達は目配せをしたが、五月蝿い子供を人質にするよりも若い美女を捕まえる方が楽しめそうだと判断したらしい。今度は無理矢理、ぐったりとしているネフライトをルクリアの方まで歩かせて、入れ替わりにルクリアをそばに引き寄せた。
「……ルクリアさん、行かないで。行っちゃダメだ」
辛うじて薄れる意識の中で、ネフライトはルクリアを引き留めるが、ルクリアはネフライトに『私を信じて』と小声で告げる。
「ひひひ……おい間近でみるとすげえ美人だな。こりゃあオレ達も運がい、い……」
バキィイイイイイン!
男達が汚れた手でルクリアを触れようとした瞬間、氷の障壁が一気に発動し絶対零度の刃が無数に男達を突き刺していく。気がつけばまるで標本のように、氷漬けとなった男達の氷像が二体完成していた。
「あら失礼、どうやらオークションに出品出来そうなのはあなたたちの方ね。作品名は、密売人の氷像かしら?」
その時ばかりはルクリアも、氷の令嬢と呼ぶのに相応しい冷たい微笑みを浮かべるのだった。




