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甲斐性のない四十路男の全国制覇

作者: 宮智沙希

佐々木誠、42歳。

ついに、バレーの全国大会で優勝する。


といっても、精神障害者のソフトバレーだ。というと、お遊びのレクリエーションバレーを想像されそうだが、レベルは高い。毎週末、練習を積み重ね、大会に備え、ガチでやってきた。


俺は鬱だ。最初は、すぐに治ると思っていた。病院に通い、薬を飲んだ。入院を勧められたが、それだけは、どうしても嫌だった。休職し、リハビリにデイケア施設を経て復職した。


デイケアのプログラムで、初めてソフトバレーに出会った。


俺は、運動神経抜群な姉がバレー部で活躍していたからという理由で、中学校に入ると同時に、顧問にバレー部に入部させられた。


俺は姉貴と違って、全然へたれで、高校でもバレーを続けたが、結果はなにも残せなかった。


デイケアのソフトバレーは、身体を動かし、楽しく勝ち負けを争える楽しいバレーだった。そこでは、自分が上手いほうで、「佐々木さん、佐々木さん」と慕われることが、単純に嬉しかったのかもしれない。


デイケアの利用期限がきれ、バレーが続けたかった俺は、卒業生のバレーチームを作った。大会に参加できる、ぎりぎりの六名。練習には来なくて試合にしか来ない奴もいたし、怪我をちゃんと治療していない奴もいた。


週末の練習に集まるのは、大抵、三人だった。それでも、トス、レシーブ、アタック、サーブの練習を淡々と続けた。勝ちたい。強くなりたい。遅れてきた青春だった。


俺がそんなにソフトバレーにのめり込んだのは、現状から逃げたかった、なにも考えずにひたすらボールを追う時間が、切実に必要だったからだと思う。


鬱になるまでの俺の人生は、普通に普通で、恵まれていた方だと思う。職場恋愛で結婚した妻、幼い二人の息子、退職金までローンの計算に入れて、家も建てた。


原因は、はっきりわからないが、鬱になってから、妻との関係が上手くいかなくなった。結果的に俺は必要最低限の荷物を抱えて、実家に身を寄せた。妻が最後に俺に投げつけた言葉は「甲斐性のない男」だった。両親は俺の回復を願って、何も言わずに実家においてくれた。両親には感謝しかないが、妻や子供たちから逃げて、ズルズル別居生活を続ける自分に嫌気がさした。結果的に離婚したが、今度は俺名義で家を建てていたため、家のローンだけは払い続けなければならず、かと言って、親の都合で子供たちが引っ越しするのも可哀そうだと思い、ローンは払い続け、養育費も別で払っているので、経済的に実家をでて一人暮らしする余裕もなかった。


バレーはいい。練習すれば、練習するほど、サーブの精度があがるのがわかる。早く試合がしたい。いろいろなところに声をかけて、たまに練習に参加するだけでもいいからとメンバーを増やした。練習する体育館を抑えるのも大変だったし、メンバーが増えると面倒も増えた。精神障碍者の集まりだから、「どうせ佐々木さんは私のことは駒の一つとしか思ってないんでしょ」と電話口でヒステリックに叫んで辞めていった奴もいた。


初めての地区大会は初戦敗退だった。悔しかった。いつもの三人に試合にだけ来てくれた三人、試合前の練習だけで六人の感覚はなかなかつかめなかった。


しかし、地道に地区大会に毎回、参加していたら、県の選抜メンバーの一人に選ばれた。各チームのなかから、県の代表チームに参加できるメンバーが集められ、毎週末の練習が始まった。しかし、自分のレベルの低さにも直面することになった。


月曜から金曜は正社員で働き、周囲が80時間残業するなか、鬱を考慮してもらい40時間の残業をこなした。俺の鬱は重度で、右耳の耳鳴りが止まらない。仕事中、煙草の本数が増えた。薬の副作用で腹がでてきた。帰宅すると母親が用意してくれた夕飯を食べて、風呂に入って寝る。週末は土日ともバレーの練習。予定がない時間は、ひたすら眠った。


一時期は、食事をするのが苦痛になった。母親が用意してくれる食事をなんとか飲み込んだ。自分でも仕事もバレーも苦痛になってきているのがわかっていたが、周りの負担を考えると俺一人が抜けるだけでも仕事で迷惑をかけると思った。バレーの練習はきつかった。もう楽しいとは思っていなかった。でも、バレーを辞めたら、生きることさえ辞めたくなりそうで、怖かった。


仕事の部署移動があり、バレーも徐々に上達していく中で、食欲は自然に戻ってきた。県の代表メンバーとして、全国大会に出場するようになり、知り合った他県のチームと合同練習をすることもあり、バレー合宿は本当に楽しかった。普段の練習は、楽しいといえるようなものではなかったが、強くなりたい、試合で勝ちたい、その一心で必死に食らいついた。


そして、42歳になって、初の全国制覇を果たした。


そして、また、地区大会。ここで恥ずかしい結果は残せない。身体がいつまでもつかわからない。

今の俺からバレーをとったら何もない。


仕事60%、バレー39%、このパワーバランスはしばらく続くだろう。



息子たちにしてやれることは、金を送ることしかできないと思っていた。鬱と折り合いをつけながら働き続けなければならない。結局、ずっと実家で両親の世話になっている俺は甘えてるんだろう。どんな批判を受けようとも、俺はバレーで勝ちたい。




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― 新着の感想 ―
[一言] 明日は我が身だとしたら、 こんな哀愁漂う全国制覇を目指せたら・・・と。 目的を見失いそうな時に、何か掴める藁があったらと。 42歳、必死に握りしめるでしょうね、自己投影してしまいました。
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