一般的な名家の子女と、殿下と彼女と鉄拳と
王立学校の舞踏祭。その晴れの宴に、賊が乱入するという事件が発生した。
一般的な名家に生まれた令嬢・アルシオネは、事件直後の現場で王太子と問答しながら、過去の出来事を回想する。
※恋愛要素はほとんどありません。
※この作品は「悪役令嬢に転生した乙女ゲーマー」(N3151FX)の二次創作です。作者より許可を頂いています。
お話としては独立しておりますので、どちらから読んでもお楽しみいただけます。(ページ下部にリンクがあります)
「なに、なに、お前」
「なに、と言われましても……」
大広間は惨状。豪華な料理はテーブルごと床に倒れ散り、絢爛たる花器は割れ落ち、逃げ遅れた若人たちは柱の影で震え泣く。額の傾いた名画の貴婦人も、憂い怯えたように錯覚してしまいます。
正面に視線を戻せば、尻餅をついてわなわなと、震える右手で私を指差す高貴な殿方。……少しお行儀がよろしくありませんが、不問といたしましょう。
さて、困りました。表情にも出てしまっていることでしょう。私は言葉を選び、お伝えします。
「一般的な名家の子女ですわ」
間髪入れずに返答がありました。
「辞書を引き直せアルシオネ」
一般的な名家に生まれました。その階級の子女が寄宿舎付の王立学校で学ぶのも、一般的な話です。一般的でないことがあるとすれば、私と、兄に異世界で過ごした前世の記憶があったくらいのものです。
とはいえ、私自身は断片的な記憶しか保持しておりません。思い出したきっかけも、十年前の、兄の不用意な独り言。
「まじかよこれ乙女ゲーか」
乙女ゲー。殿方との恋愛を楽しむ女性向けの、多くはアドベンチャーゲーム。存じておりました、友人が愛好しておりましたもので。そのような記憶を、思い出しました。
「兄上」
兄はぎくりと背筋を強張らせ、俊敏な動作でこちらへと振り向きました。
「兄上は、いわゆる、その、『攻略対象』なのでしょうか」
「な、きみ、まさか」
目を白黒とさせ、お行儀悪く口をあんぐりと開けた兄上に、幼き私は詰め寄りました。
「でしたら危険です。すぐに対策を練らねばなりません」
アルシオネ、齢七つの出来事でした。
友曰く。「乙女ゲーの世界観は殺伐としている」。
主人公の女の子は危険な目に遭いやすく、なんと攻略対象、つまりは恋のお相手となるはずの殿方がその死因になることもあるとか。半分くらいの確率で。物語に因縁や謎は付き物らしく、ご家族や故郷が非道い目に遭うことも少なくない、と。
「監禁とか普通にあるし、ヒロインちゃん身の回り危機だらけやでマジで」
とは彼女の言です。そんな会話を画面越しに交わしたのを憶えています。
兄曰く。「タイトルと絵面はなんとなく思い当たるけど、アニメは見てないや」。
アニメ化作品だったようです。今思えば、ここ数年は人物や場面に対し、漠然とした既視感を覚えることもありました。
兄は私よりは鮮明に、前世の記憶を自分のものとして思い出すことができるのだそうです。幼少期に自覚したこともあり人格の連続性が高い、のだとか。
どうも王立学校への進学を前にして、数々の固有名詞やシチュエーション、とどめとばかりに鏡に映った男の姿で脳裏に電流が走ったそうです。どうやら自分は、攻略対象ではあれどアニメで主人公の女の子と結ばれる(とおぼしき)立ち位置ではない、年上の男性ポジションの彼らしい、と。
私も兄も、これが乙女ゲームの世界であるらしきことは推測できても、その深い内容までは知りませんでした。しかしその危険性の片鱗だけは聞きかじっていたのです。
「兄上」
「アルシオネ」
「鍛えましょう」
そうして、この私──舞踏祭の会場に土足で踏み入った賊たちを薙ぎ倒し、王太子殿下をお守りし、お守りした張本人に目の前で震えられている名家の子女が出来上がったのです。
お嬢さん、お嬢さん。あなたはどうしてお強いの?
たくさん鍛えたからです。
「一般的な名家の子女はな、鍛えたとしても護身術程度だ。なんだお前その……なんだ、それは」
「れっきとした護身術ですわ」
「どんな環境でそのレベルの護身術が必要になると?」
攻略対象の家庭です。
「刃物を持った相手をだぞ、武器も持たずに返り討ちにする令嬢など前代未聞だ」
「そうですね、私も聞いたことがありません」
「お前のことを言っているんだがな」
額に手を当て、殿下は深い深いため息を吐かれました。
「どうして武器を……テーブルクロスとか折った椅子の脚は数えないとしてな、剣とか……武器を使わないんだ」
「殺生をしたい訳ではありませんので……」
「そうだな、殺生をしたいと言われても困るがな、うん」
十年前にも、兄に似たような返答をしたのを思い出しました。
「剣だとうっかり殺めてしまうこともあるでしょう。相手が中途半端な力量の場合、特に」
「一理ある。常に帯剣なんてしていられないし、徒手空拳は護身術として合理的だね」
繰り返しますが、私たち兄妹が必要としたのは護身術です。物語の主人公および攻略対象、その肉親へ降りかかるであろうあらゆる災難から身を守る術。
殺生をしたくはありません。ですが向こうはそうとは限りません。なにせ、かわいらしいお嬢さんが命の危機に晒されるという世界なのです。いわんや攻略対象をやであります。
で、あれば、私たちはそれより強くなるしかありませんでした。
走り込みから始め、理由をつけて拳闘士を家庭教師に招き、ひたすら型を体に叩き込みました。兄が学校の寮へ入るまでの数ヶ月、私たちはあらゆる暇を惜しみ、己の身体をいじめ続けました。母は訝しがり嫌がりましたが、父はというと、勉学ばかりであった兄が“覚醒めた”のが余程に嬉しかったらしく、予想以上の協力を私たち兄妹は取り付けることができたのです。
二人が離れ離れになっても、研鑽は続きます。兄は学校で、私は家で。それぞれに、身体と心と拳を磨いておりました。長期休みに兄が帰宅する度、師が泊まり込んでの強化合宿をしたものです。手合わせで互いの成長と弱点を確認しあい、無事での再会の喜びを分かちあいました。父と師とは満足そうに頷いて、母はもはや諦めた様子で、令嬢らしい振る舞いと体型の維持およびカバー方法を教えて下さいました。筋骨隆々にさえならなければよい、とのことでした。
いつ、どのように襲い来るかも分からない身の危険。それに備え研鑽する日々は、存外に楽しかったものです。
「ともかく、兄と鍛えたこの護身術、殿下の御身をお守りすることができ幸甚に存じますわ」
「ありがとう。素直に感謝しよう。とても驚愕はしたけれども」
床についた片手に力を込める様子がありましたので、僭越ながら手を差し伸べます。再度礼を告げ立ち上がった殿下が、ふと思案顔をなさいました。
「たしかお前の兄は……」
「アルシオネ!」
噂をすれば、です。
「兄上!」
「首尾は上々のようだね、っと殿下! 失礼いたしました」
「いや、いい。……そうか、“武闘派の”アルセド、そうかお前が……なるほどなあ……」
たしかにそのような二つ名を兄はいただいております。本業は学者です。
床に転がし、テーブルクロス等で拘束しておいた賊を警備兵たちが連行していきます。現場に駆けつけて早々、ご苦労様です。兄と彼らがここにいるということは。
「先輩! 殿下! ご無事でなによりです」
ぱたぱたと音を立て、かわいらしいお嬢さんが駆け寄っていらっしゃいます。殿下のご尊顔がぱあっと明るくなりました。
「スフェン! お前が兵を?」
「ええ、呼んできました!」
スフェン。兄曰く彼女こそが、物語の主人公。危機的状況の中心地。
本日は彼女が編入して初めての舞踏祭でした。事件が起こるのも予想されていたことです。逃走経路を確認していたお陰で、口実をつけて彼女を先に逃がすこともできました。
彼女なら大丈夫。それでも、心配なものは心配です。
「道中、大丈夫でしたか?」
手を取り尋ねると、彼女はにっこりと輝く笑顔を見せてくれました。
「はい、先輩。返り討ちにしてやりましたよ!」
「待て」
殿下の声に、兄も含めた三人が首ごと傾げて視線を向けます。
「返り討ちに?」
「相手は一人でしたので」
「徒手空拳で?」
「はい。武器なんて持ってませんから」
一問一答、真顔と笑顔。ぎぎぎ、と音でもしそうな動作で殿下がこちらに向き直りました。
「お前か」
「いいえ殿下」
にっこりと、よく似た笑顔が揃いました。
「私たちが育てました」
護身術が一番必要なのは彼女ですから。
その後、一連の事件の首謀者が殿下の婚約者であったことが判明し、要約すれば痴話喧嘩としか言いようのない動機に兄妹二人顔を見合わせるなどいたしました。深淵のような闇と謎を想定していたものですから拍子抜けでしたが、それもまあ些細なことです。スフェンが見事、攻略対象とのゴールイン……つまりは物語の一応の終わりを無事迎えたのですから。
転生者のいずれもが、この物語が「乙女ゲーム」ではなく「乙女ゲーの悪役令嬢ものテンプレ」とは気付きもしなかったことすら、些細なことなのです。