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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第8話

 昼休み、同じ事務の同僚である木橋綾きばしあやと会社近くの喫茶店にいた。

 ランチタイムのオムライスセットが安くて美味しくて、この界隈のОLに大変人気があった。私もデミグラスソースがたっぷりかかったオムライスを口一杯に頬張っていた。

「ねぇ、近藤さんと知り合いなの?」

 綾は、見た目は派手で一見近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのだが、一度話をしてみるとちゃんと自分を持っている芯の通った女性なのだ。仕事もそつなくこなし、口も堅いので、会社の中で一番信頼している。

「黙ってたわけじゃないんだけどさ、同級生なんだ。私の親友と結婚したの」

「近藤さんって結婚してたんだ? あの人、絶対ゆうの事が好きなんだと思ってたのにな」

 綾の言葉にぎくっとして、変な汗が出て来そうだった。

「今…ぎくってしたでしょ? やっぱり図星だったんだ」

 ここはとにかく笑っておくしかない。綾の観察力の鋭さにはいつも脱帽ものだ。社内の恋愛事情は見ていれば、全て分かると言っていたのを思い出す。恐らく綾に嘘を言っても全て見透かされてしまうだろう。

「うぅ、こないだ好きだって言われた……」

 やっぱりといった風に満足気に何度も頷く。

「両想いってことね」

 私の気持ちを綾に話したことは一度もない。私の気持ちなどすべてお見通しという事なのだろう。綾にはぐうの音も出ない。うううっと唸り声をあげた。クスクスと綾は可笑しそうに私を見て笑っている。

「それで、どうするの?」

「どうしもしないよ。翠……恵人の奥さんだけど、裏切りたくないし」

 全て白状されているような気分。何となく自分が嘘発見器に拘束されているような気分を今まさに味わっていた。

「そうかぁ、辛いね。こんなに近くにいるのにね。奪っちゃえばいいとか言おうかなとも思ったけど、ゆうにはそう言うの絶対無理だよね。相手が親友じゃね」

 綾の言葉が全てもっともで、私はただ頷く事しか出来ない。

「私に出来る事があったら何でも言ってよ。ゆうはすぐ無理するから。一人で溜め込むといいことないんだからね。それに、私に隠し事したって全てお見通しなんだから」

 綾の優しい心遣いが身に沁みて、なんだか涙が出て来そうになってしまった。最近、人の優しさに弱いのかもしれない。それだけ、自分が弱っているってことなんだろうか。

「ありがと! なんか綾と話してると癒されるよ。話聞いて貰ってるだけで元気になれる」

 私が綾に笑いかけると、綾も笑い返してくれた。私が男だったら絶対綾を好きになるななんて思ったりした。

「綾は彼氏いないの?」

「私は男に興味無いから…」

 じゃあ、女の子に興味があるってことかしら? と心の中で考えているのが顔に出ていたのだろう。

「今は、男より仕事とか自分の好きな事をやってる時の方が気楽でいいんだ。男に縛られたくないの」

 にやりと笑ってそう言った。自分の考えている事がだだ漏れで、急に落ち着かなくなってしまった。

 そんな時、突然テーブルに置いてあった携帯がぶるると震えた。メールが来たのだ。開いてみると、送り主は弥生だった。ふと、不安のようなものが私の脳裏を過った。

『元気? 久しぶりに飲みに行かない? 今日とか空いてるかな?』

 そんな文面だった。特に予定のなかった暇人の私は、今日は空いてるよと返信した。今夜私達が通っていた高校の近くにある居酒屋に待ち合わせをした。正直、気乗りはしなかったが、断る理由もなかった。

 午後の仕事は、何も考えずにこなした。恵人が外回りで、会社にいなかったのも良かったし、弥生の事は会ってみないと分からないのだから、今から心配してもしようがないと割り切っていた。


 その夜、私は会社が終わるとそのまま待合わせの居酒屋へと直行した。

 会社を出る時に外回りから帰って来た恵人とすれ違ったが、お疲れ様と笑顔で言われ、いつも通りの態度に少しホッとしていた。すれ違いざま「今朝は悪かった。ごめん」と恵人は私に耳打ちした。そう言いおいて、素早く立ち去る恵人に「ばいばい」と、背中に投げかけると恵人は振り向かずに手だけ振った。取り敢えず仲直りは出来たようだ。

 居酒屋に着くと、既に弥生が来ており、カウンター席から手を振っていた。

「久しぶり!!! 弥生は変わんないね」

 カウンター席に着くと、コートを脱いで座りながらそう言った。

「ゆうはちょっと大人っぽくなったかも」

「嘘、本当? それは驚きだわ。そんなこと言われたためしないよ」

 私は、アルバイトと思われる大学生くらいの青年に生ビールを頼んだ。ビールが来ると、乾杯っと言ってかちんとガラスをならせた。

「仕事の方はどう?」

 弥生は専門学校を経て、今は美容院で働いている。ヘアスタイリストになることが、弥生の高校の時からの夢だった。私は、一途に自分のやりたいことを貫き実現させた弥生をすごいと思っていた。

「はははっ、スタイリストとは名ばかりで、毎日シャンプーばっかりやってるよ。お陰でネイルも出来ないし、手は荒れ放題。それでも、美容院で働けるだけでも、幸せだよ。開店前とか後に勉強会があるのそんな時は私も切らせて貰えるしね、うん」

 そう言って、私の前に両手を差し出し、荒れた手を見せてくれた。「ひゃ〜、本当痛そう」と、私が言うと、うんと弥生は頷いたが、満足そうな顔をしている。弥生にしたらこの手が自分が頑張っているという証なのかもしれない。

「全然平気。慣れたし」

 弥生が頼もしい笑顔を私に向ける。本当に、夢を追いかけている人の顔ってどうしてこんなに輝いて見えるんだろう。私は弥生が羨ましくなった。

「凄いね……凄いよ、弥生。なんか尊敬しちゃう」

 感心した表情を弥生に向けると、照れ笑いをしていた。そんなことないよ、と嬉しそうに照れ臭そうにそれを紛らわせるためにビールを煽った。

「ゆうはどう?」

「私は、普通だよ。私なんてただのОLだもん。お茶汲み、コピー、書類作成……そんなん。パッとしない仕事だよ」

 そうかあと弥生は呟きながら私の話を聞いていた。

「翠と恵人は元気?」

「先週もあったけど、二人とも元気だよ」

 私はぼろが出ないように慎重に笑顔を作った。ここで私の気持ちを弥生に悟られるわけにはいかないのだ。今、ここで今でも私が恵人のことを好きでいると知られてしまったら、それは翠にそれを知られてしまうということと同じ事なのだ。

「私さ、実はゆうに謝らなきゃならない事があるの」

 アルコールも回り、少し酔い始めた弥生がそう口火を切った。あ、きっと高校の時の事なのかなという予感めいたものを私は感じていた。

「実は……高校の時、ゆうが恵人に告るって言って手紙を靴箱に入れて呼び出したことあったでしょ?」

「うん、来なかったけどね」

 私は当時のことを思い出し、でも昔の事だから全然気にしていないという素振りで平気に笑ってそう言った。

「本当にごめん。それ……その手紙、私が隠したの。だから、あの時恵人は見てなかったの。それどころか、同じ頃に恵人もゆうにラブレターを靴箱に入れた。私、それも隠した。それでね、恵人に私…言ったの、ゆうは恵人のこと好きじゃないって私勝手にそう言ったの」

 弥生は、自分のしでかした事がらに口に出す事によってどんなに酷いことだったのかを改めて思い知ったのか、愕然とした顔をしていた。確かに、酷いことなんだろう。二人の運命をあの時、弥生の手で違う方向に導いてしまったと言っても過言ではない筈だ。その大きさに、弥生は今、打ちひしがれていた。


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