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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第71話

――2年後。

 恵人と翠が千葉にいる私に会いに来てくれてから、早いものでもう二年の月日が過ぎていた。

優人ゆうと、お散歩行こうか?」

 あの時私の中にいた赤ちゃんが今は1歳、あと3ヶ月もすれば、2歳になる。優人は歩くのもやっと上手になってきて、沢山歩きたがる。だが、まだ頭が重いためかよたよたしていて見ているこちらがはらはらしてしまうのだ。

 優人が産まれてからは、綾も新さんも、未知、翠、恵人も前にも増して頻繁に来てくれるようになった。

 親の贔屓目がなくても優人は可愛く、男の子の洋服を着せていても、何度も女の子に間違えられる。

 綾は去年、新さんとめでたく結婚した。仕事は子供が出来るまでは、続けるつもりらしい。相変わらずの仲良しぶりで、新さんはいつでも綾を支えている感じがする。

 未知は、先輩とは別れてしまい、寂しさからか毎週のように優人に会いに来る。

 未知が去年、ご両親を連れて来た。圭のご両親でもあるその二人は、優人を見て涙を流していた。

 お母さんには、高校時代に何度かお家に遊びに行った際、お会いしている。

「ゆうちゃん、ごめんなさいね。私達あなたと圭人がお付き合いしていただなんて知らなかったものだから。圭人は、一体何を考えているのかしら」

「あの、実は、圭には話していないんです」

 圭のご両親は、びっくりして口をあんぐりと開いていた。未知はきっと私達のことを何も話していなかったんだろう。何とも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。事情はどうあれ、二人にとっては、初孫に違いないのだから。二人は私に優しく尋ねた。

「また、会いに来てもいいかしら?」

「勿論。優人も喜びますから是非来て下さい」

 お母さんが優しく微笑んだ。その笑顔があまりに圭の笑顔とそっくりだったので、涙が出そうになった。

「ゆうちゃん、私達はあなたにも会いたいのよ。あの子ね、2年くらい前に私に結婚したい人がいるって言ってたの。きっと、ゆうちゃんだったのね。その時のあの子の真剣な顔、初めて見たの。いつか、ゆうちゃんが私のことをおかあさんって呼んでくれる日がきっと来ると思うの。ゆうちゃんは、もう圭人が嫌い?」

「いえ、今でも大好きです。ずっと信じてるんです」

 そう、とお母さんは小さなハンカチで目尻を拭きながら微笑んだ。

「身勝手な息子をどうか許してあげてね」

「許すも何も私は何も圭に悪いことされたなんて思っていないんです」

 逆に感謝したいくらいなんだ。今の生活は私にとって幸せすぎるほど幸せだった。私も優人も沢山の人に見守られて生きている。この幸せをくれたのは間違いなく圭なんだ。唯一つ、我が儘が言えるなら隣りに圭がいてほしい。誰にもこんな弱音をこぼしたことはない。だが、毎日願っていた。もう一度圭と笑い合える日が来ますように……と。まだ、その願いが届けられる日は来ていない。

 翠は私達が和解した後、恵人との妊娠が発覚し、翠に似た可愛い女の子を出産した。名前はめぐみちゃんという。そして、只今第二子がお腹の中にいる。あれ以来、二人は信じられないくらい仲が良く、幸せそうだ。

 うちの両親は今年に入ってすぐに東京にある家を売り払い、私達と一緒に住むようになった。優人の可愛さにメロメロで、恐らく片時も離れたくないと思っての決断だと思われる。


「ほら、優人。行くよ〜ってあれ? 優人?」

 まただ。あんよが出来るようになったのが嬉しくて、私の目を盗んでは、あちこち行きたがる。この辺は、交通量がないので、交通事故の心配はないが、そのままの感覚で交通量の多い道路でやられたら堪ったもんじゃない。教えてはいるのだが、何分まだ一歳なので理解出来ないのだ。親が見ていないと不安で仕方ない。

「優人〜、こら〜」

 と、私は声を上げた。これもいつものことである。そして、優人が向かう先はいつも決まっている。

 すぐ先の十字路を左に曲がるのだ。曲がってすぐのお宅に大きなラブラドールがいる。性格が大人しく全く吠えない犬なのだ。優人はこの犬が大好きなのだ。ただ、優人よりも体が大きいので、少し怖くもあるのか、いつも遠巻きに見ているのだ。

「パ〜パ、パ〜パ」

 左に曲がった道のほうから優人の声がする。

 優人には、圭の写真を見せて、「パパだよ」と教えていた。だから、写真を見るとパパと呼ぶのだ。優人は圭をパパだと理解している。だが、ここに圭がいるわけがないのだ。もしかして通りすがった人を圭と間違って抱き付いてしまったのかもしれない。

 その考えに行きつくと、私は慌てて走り出した。

 角を曲がり、前を見ると優人が誰かに抱っこされている。

「優人! あの、すみません!!!」

「あっ、ママ〜」

 私を見つけた優人が指を指して笑顔で無邪気に私を呼ぶ。

 抱っこしていた男の人の後姿を見て、私の足が止まる。

 私は、彼を知っている。後姿でもすぐに解る。

 胸の鼓動が高鳴るのを感じた。久しぶりに感じた高揚。それは彼の前でしか現れないものだった。

「――圭?」

 私の小さな声が震えて、すぐに消えてしまったように思えた。

 その人はゆっくりと振り返った。そして、現れた顔は、あの優しい笑顔だった。

 圭が――ここにいる? あれは、本物の圭なの? 他人の空似なのかな? それとも、錯覚?

「ゆう」

 低くて優しい、そして心にずしりと響く圭の声が私を現実に引き戻す。私はすぐに近くに行きたいのに、金縛りにあったように動けなくなってしまった。

 そんな私を圭はくくっと笑った。それから、優人を下に下すと、優人の頭を優しく撫でた。そして、その後ろに控えていた未知に優人を預けた。

 あっ、未知もいる。じゃあ、やっぱりこの人は、圭なんだ。

 優人は未知に懐いているので、愚図ることなく未知の手を取って促されるままに歩いていった。

 圭がその後姿を見送ると、ゆっくりと振り返りこちらに向かって歩き始めた。圭の表情は笑顔だった。私がずっと想い描いていたあの笑顔だった。

 私はどんな顔をしていたんだろうか。きっと鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔だったに違いない。

「ゆう。会いたかった……」

 圭が私の目の前に立つとそう言った。

「私も……」

 かろうじてそれだけ口に出した。

「話したいことは沢山ある。伝えなきゃならないことも。こんなに遅くなってごめんな。だけど、ゆうを考えない日はなかった。ゆうを好きだという気持ちは日ごとに増すばかりで、もう我慢出来なくなった。辛い思いばかりさせてごめん。これからは、そんな想い絶対にさせない。俺の傍にいて欲しい。石川ゆうさん――俺と、結婚して下さい」

「最後に圭と会った日の別れ際にキスをしてくれたでしょ? あのキスがあまりに愛に満ちてたから、まるで別れのキスじゃなかったから、圭を信じて待つことが出来たの。あの日、圭に貰ったリングを返そうと思ってたのに、あのキスをされたら返せなくなった。ほら、今もしてるよ」

 左手を圭の前に出して見せた。あの夏、圭に貰ったリングが左手の薬指で輝いていた。

「これが私の気持ち。傍にいたいのは、私の方だよ。何度も何度も圭の元に飛んで行きたいと思ったよ。本気でどこでもドアがあればいいのにって思った。本当に私でいいの?」

「ゆうじゃないと駄目なんだ。ゆうじゃなきゃ」

 圭の声が上擦ったように聞こえる。その声から圭の本気が窺える。

「ゆう、返事を聞かせてくれないか?」

 圭の表情が緊張して強張っている。返事なんて決まっているのに。そんなに怖がらないで……。

「はい。私を圭の傍に置いて下さい」

 私の言葉に強張っていた表情がパッと笑顔に変わり、勢い良く私を抱き締めた。耳元で圭が大きく息を吐くのが聞こえた。

「本当は怖かったんだ。ゆうが誰かに攫われちゃうんじゃないかって。未知がゆうの様子を教えてくれてたんだけど、いつゆうが他の奴を好きになるんじゃないかって気が気じゃなかった。未知から優人のことも聞いていた。ゆうのことも優人のことも早く抱き締めたくて仕方なかった。ありがとう、ゆう。愛してるよ」

 何度も何度も愛してるという言葉が私の耳元に降り注がれた。私は嬉しさに涙が次から次へと流れ出た。

「ひっ……くぅ……」

 小さな子供のように泣き崩れる私の背中を圭は優しく撫でてくれる。

 ずっと私は涙を流さなかった。父と母に優人を産む許しを得た日から私は一度も泣いていない。泣いたら心が折れてしまうと思っていた。泣いたら圭が迎えに来てくれないと思い込んでいた。でも、私はもう涙を我慢しなくてもいいんだ。泣きたい時には圭がいてくれるのだから。

 圭に顎を持ち上げられ、私の涙で汚れた酷い顔が露見してしまった。圭はクスッと笑い、私の涙を丁寧に人差指で掬った。私は圭の端正な顔から目が離せなくなっていた。久しぶりに間近で見る圭に、私の心は少女のように高鳴っていた。忘れていた感覚、蘇る鼓動。二人は、そこが道の真ん中である事など忘れて、唇を重ねる。私の涙で、塩辛い。だけど、この世界で一番甘いくちづけ。その甘美にしばし時を忘れ、それに没頭する。二人は唇を名残惜しそうに離すと、おでこと鼻の頭をくっつける。あまりに近くて圭の目がくっ付いて見える。それが可笑しくて二人で笑った。

「ママ〜、パパ〜。ラビュラビュね」

 その声に気付くと少し離れた所から未知に手を引かれた優人がニコニコ笑顔でこちらを見ていた。

 圭と私はびっくりして目を合わせた。

 あ〜あ、見られちゃった。

「まぁ、いいか。優人に俺達がどんなに仲がいいか見せ付けちゃおう」

 そう言ってニヤリと笑うと、圭はキスの嵐を降らした。

 バタバタと優人が走って来て、私達の前にちょこんと立つと私達を見上げた。ニコニコと嬉しそうに天使のような笑顔を向ける。誰でも笑顔に出来るその純真無垢な表情でこう言った。

「ぼくも〜、ちゅ〜」

 圭と視線を絡ませ、クスッと笑い合うと、圭は優人の左頬に私は右頬に同時にチュッとキスをした。

 自分も仲間に入れて貰って嬉しくなったのか、キャッキャッと笑っている。

 圭が優人をひょいっと抱きあげた。右手で優人を抱きかかえると、左手を私の前に差し出す。私はその手を何の迷いもなく取った。

 ふと顔を上げると素早く圭にキスをされた。


――圭、どうして優人ってつけたか解る?

――いいや。

――圭をイメージしたんだよ。圭の私に向ける笑顔も、私を見つめる瞳も、私の唇をなぞる唇も、私の頭を撫でるその大きな手も、低くて私を痺れさせるその声も圭の全てが優しくて。だから、優人には、圭のような優しい人になって欲しいって願いを込めて名付けたんだよ。


 圭、優人が寝た後に、色んな話をしようね。だけど、今までのことを話すのは一度きりにしよう。だって、私達には未来が開けているから。過去の話が終わったその後には、未来の話をしよう。私達の未来予想図を二人で描こう。

 圭、これから先の出来事が、私にはとても輝いて見えるよ。勿論たまにはスパイスだってあるよ。だけど、そのスパイスは私達の幸せをもっと大きなものにしてくれる大切な要素なんだ。だから何も怖くない。

 圭……あなたと一緒ならば……。

 隣でいつもあなたの笑顔が見られるならば。

 ねぇ、圭――愛してるよ。


 私は隣を歩く愛しい人の横顔を見上げた。

 

 ほら、すぐに圭は振り向いてくれる。そして、優しいキスをして耳元で囁く……。


 それは、私だけに向けられた言葉。







〜〜完〜〜


最後までお付き合い頂いて有難うございました。

『Bitter Kiss』とうとう最終話を迎えてしまいました。

実は、最初の設定では、ゆうと恵人の叶うことのない悲恋だけを書くつもりでした。圭が現れてもどうしても忘れることが出来ない。そんな感じのストーリーを考えていたのです。が、途中で、作者が圭を大好きになってしまい急遽がらっと変えてしまいました。圭とゆうに幸せになって貰う形のストーリーにしてしまいました。本当だったら、バッドエンドだったんです。

皆さん、ハッピーエンドが好きなようでしたので、この終わり方で満足して頂けたでしょうか?

新しいお話を今作成中です。もう既に10話くらいまでは出来ているのですが、作品名がまだ決まってないんです。ですので、来週の月曜日から始動しようと考えています。

次作品は、コメディタッチのお話になっています。シリアスを書いているとコメディっぽいものが書きたくなるんですよね。

内容は……、話すと長くなりそうなので、直接読んで頂ければ嬉しいです。

今後とも、宜しくお願いします。

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